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柏木むつきです。
(YOUKYOUカフェに込めた想いはこちらです)
3年前に書いたこの記事↓
最近の職場では組織を創る際に「適材適所」という視点を取り入れ、
「○○さんはこれが得意」
「△△さんは※※ができる」
ということが以前より評価される機会が多くなったように思います。
学校現場も同じことで、
いわゆる生徒指導が得意な先生、
いわゆる生徒会活動が得意な先生、
いわゆる進路事務が得意な先生…。
手先が器用な先生や、集会の進行が上手な先生、行事のしおりを作ることが好きな先生もいます。
もしかしたら、
そんな視点から分掌や分担が決まることも多いかもしれません。
もちろん得意を活かすことは素敵なことですし、
得意を活かせる社会も素敵なことだと思います。
でもその一方で、
「何もできない私は役立たずだ」
「突出した「得意」がないなんて中途半端な自分に落ち込む…」
そんな声も在るように思います。
究極「できないことはだめなこと」。
そんな風潮が拡がってしまうのではないか…とも思ってしまうのです。
今でもこういうこと、よく聴きます。
YOUKYOUカフェでも、
「生徒への言葉かけがうまくできない自分はダメだ」とか、
「保護者対応がうまくできない自分は失格だ」とか、
「○○ができない」には、
本当に沢山の言葉が入るよな、と思って聴いてきました。
そんな私も、
「話を聴けないこと」
「保健室での対応をうまく回せないこと」
「生徒指導がスムーズにこなせないこと」
などなど沢山の「できないこと」を抱え込んでは落ち込み、
沢山沢山もがいてきました
(涙を流したことも数知れず)。
「できないこと」にあぐらをかいて良い、
ということを伝えたいのではなくて、
できないことをできるようになる努力が不要、
ということが言いたいのではなくて。
できないことを笑って話せる社会。
「実は私も苦手なんだよね」と共有し合いながら生きていける社会。
「できないことがあって良いんだ」と誰もが安心できる社会。
「らしくなくて良いんだ」「弱くても良いんだ」と誰もが思えることで、
そんな「弱さ」でつながる社会はきっと「強い」と思う。
そういう意味で、
できないことは「弱さ」ではないよ、
むしろ「強さ」だよ、ということが私は伝えたいだけ。
誰だって最初は「できない」から始まったはずなのだから。
「できないこと」を受けとめることができる、
そんな人って「できないこと」を受け入れている人なのだと思うから。
それって「強い」人なんだろうな、と思います。
子どもたちの「できない」を受けとめる人が、
自分の「できない」を知っているって、
「強い」な、温かいな、優しいな、と思います。
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