マクラメブレスレット作ってます。
石読み講座については
最近、ハム子のケージカリカリが酷い。
散歩に行きたいのかな?と思って十分ほどお散歩をさせて戻してもカリカリ。
大好きな乾燥トウモロコシを購入したので、それをあげてから戻してもカリカリ。
どうしたらカリカリしなくなるのかなと乾燥トウモロコシをあげつつ様子を見ていたら、
お気に入りの本棚の下のスペースに持って行って、頬袋に詰め込んで運んだトウモロコシを取り出しながらゆっくりと味わっている。
気が済んだのかうろうろし始めたから戻してあげるとすぐに眠ってしまった様子。
これは・・・その・・・つまり。
家に帰る前にお気に入りの場所でおやつしてから帰りたいと。
そういうことなのかな?
こんばんは。石読み師のサカモトです。
人間でいうカフェでお茶したいという願望を持つハム子。なかなか人間に近づいてる感。
昨日のブログからの鬼神を調べてみたのでそれを書いてみますね。
(※以下の鬼神=鬼は鬼滅の刃は関係ないです〇最後の方にちょっと書きますね)
鬼神(きしん)で調べてみると、神々の中でも、恐ろしく強大な力を持つ者を指すとあるのですが、
私も前までは荒神や病魔・災害などの厄災をもたらすものかと思っていたのですが、さらに突っ込んで調べてみると
荒ぶる神は日本神界カテゴリでも、”鬼”神はそうではないらしく。
鬼神には大きく二つに分かれていて、一つは中国由来、儒学ベースの鬼神で、
1、死者の霊魂のこと。人間には二つの気があって、陽気の霊で精神を司る魂(こん)と、
陰気の霊で肉体を司る魄(はく)との二つの神霊を持つ。
死後、魂は天上に昇って神となり、魄は地上に留まって鬼となると考えられた。
2、鬼神は超自然的な力を有し、生者に禍福をもたらす霊的な存在であり、
その顕現の仕方によって善神と悪鬼との両様に分かれ、祭祀と祈祓(きふつ)の対象となる。
また、天地造化の霊妙なはたらきそのものを指すこともある。
二つ目は、仏教が伝来した際に、毘沙門天という神様の眷属として、夜叉と羅刹という鬼神が伝えられたというもの。
羅刹はもともとヒンドゥー教に伝わる鬼神で破滅と滅亡を司る神だったのが、仏教に取り入れられてその性質などが変化していった模様。
しかしそもそもの性質なども木石水界の精霊と言われたり、魔物と言われたりと定義が曖昧。
となっております。
日本における鬼の定義ですが、中国から漢字が伝来した時に、中国では鬼はgui(キ)という読み方で人間の霊魂あるいは亡霊を意味する文字ですが、日本では初期の段階では霊的な存在一般を表すのに使用されたようです。
霊的な、というのも多岐にわたり曖昧な表現ですが、日本の神々がもたらす恩寵や奇跡などの有難いものや
不思議な力を除いた、人知を超えた力に対して鬼という言葉が使われたのではないかと思います。
そもそも、伝来した当時では、鬼=隠(おぬ)がなまったものという説があり、そもそも見えないものであったそうな。
それが、やがて仏教が日本に入ってきて、その時に羅刹や夜叉の絵の様子から、恐ろしい者や力の強い者というイメージがどんどん出来上がって来たようです。
なので、そもそも鬼のイメージがどの国でも固定されていない曖昧な余地のある状態で伝わっていってるので、
神だったり魔物だったりするみたいですね。
今回は仏教で言われている鬼神にはあまり興味が向かなかったので、中国伝来の鬼神について深堀してみようと思い調べていくと、
儒教の論語を書かれた孔子の言葉に基づいたものがベースになっているみたいですね。
抽象的未確認ながら、中国古代における鬼神の種類は大まかに分けて三種類、
1、死者の霊魂である鬼神
2、絶対的創造神的鬼神(神的)
3、実害を及ぼす妖怪的鬼神(鬼的)
となる。そして一般的には1と2を併称して鬼神と呼ぶ(天神、鬼神共に祭祀という儀式を媒体として同一ブロック内に存在するため・・・とあるけれども祭祀がどういうものを指すのかがまだ調べ切れていないので記述のみしておきます)。
3も併せるようになったのは漢代以後で、おそらくこれも仏教伝来の影響があるのではないかなと。
祭祀、というのは、鬼神を神のように祀る儀式だと思うんですけど、
何故それが必要だったかというと、鬼神の仁くしみ大切にすることとあり、
儒学の中に、子は親を敬わなければならないとあるのですが、子よりも先に親が先に亡くなります。
その時、失ったと同時に敬う心を失ってはいけないと、祭祀をして鬼神を祀ることで、敬う心を繋いでいったのではないかと。
(この祭祀も色々と条件があり、祭祀の条件は同族の祖先でなければならないとか色々ある)
調べながら書いていて思ったけど、これは日本の墓参り的なものみたいですね。
読み進めていくと、イメージとしては素朴さのある鬼神を祀る祭祀の様子が、だんだん宗教味を帯びさらには政治色が強くなっていくにつれて鬼神の中身もどんどん変容していったようです。
都合の良い時には神と敬われ、そうでなくなれば魔物のレッテルを貼ってどんどん隅に追いやっていった感。。。
日本や海外の土着信仰の神々も同じように、仏教やキリスト教の布教によってその存在が180度変わった者達がいます。
(宗教が悪いと言いたいのではなくて、物事が変化するとき、その影響を受けて変容するものもいるということ。バタフライエフェクト的な)
併せて中国の神話も読み返しているのですが、他の国の神話とよく似たものもあって面白いです。
またいつか紹介させていただきますね。
では、鬼滅の刃で描かれている”鬼”なんですが、あれはどういったカテゴライズなのかというと、
たしか作者の吾峠呼世晴先生が、ジョジョの奇妙な冒険の大ファンで、そのオマージュ作品とも聞いたことがあるので、
鬼は鬼でも吸血鬼なんですよね。なので部類的には悪魔になるのかなと。
海外ではDemon Slayer(デーモンスレイヤー=悪魔を殺すことのできる武器)というタイトルになっています。
デーモンについて、占星術家の鏡リュウジ先生が興味深いことを書かれていたことがあって。
悪魔「デーモン」の由来となる語源に、ダイモーンってあるんですよ。
そのダイモーンの意味は、「神霊」「鬼神」「精霊」という意味。占星術では「守護神霊」ともされているそう。
(そして鏡リュウジ先生のつぶやきに、【ヘレニズムでは神は太陽に、ダイモンは月に深く紐づけられていた。プルタルコスは月とダイモンにおいて論じている】とあって継国ェ・・・となる←)
なぜ語源の意味が逆転したかについては、前述のとおり。
悪魔はもともと天使だったり、キリスト教ではない宗教などの神をモデルにしたものや、土着信仰の女神だったり神だった者だったりすることもあります。だからといって本当は良い奴なのかというとまた違うお話になるんですけどね。
その時代では正しいとされていたことでも、後々修正されたり、間違っていたと認められる事象がある。
信仰でも歴史でも政治や生き方も、ずっと正しく在り続けたことはなくて。
常に間違いに気づいては修正を繰り返してきたと言えるでしょう。
知る事と気づくことは、未来を良い方向へと変えていくのに大事なプロセスだと思います。
これからも色んなことを学んでいきたいですね。
オマケ。
東京03のネタに鬼滅絵をトレスした作品。義勇さんごめんなさい。
でもとても絵が良い。。。。
それでは今日はこの辺で。
新しい発見と深い洞察を求め、心を震わせて進めますように。
おやすみなさい。