はじめに
この日本列島が過去の歴史において、同じ時代に二つの王朝を並立させて、西の天皇・大和朝廷VS東の正統
天皇・東国王朝というように統治権力を二分していた混乱期があった事を知るのは大変有意義な事である。なぜなら今後未来に起こるとされる歴史的な事象は、過去に起きた象徴的な歴史パターンが、現代においてスケールを大きくして繰り返されるからである。ここで言う「今後未来に起こるとされる歴史的な事象」とは、人類終末期のクライマックスで起こる「イスラエルの神VS神」という東西分立摂理を指します。
以前のブログ将門の「天慶の乱」の摂理的真相 | で書いたように、939年に将門公が起こした天慶の乱とは、
一時的で短期間ではあったが、この日本列島はこのとき確かに東西に二分した。今思えば939年に勃発した天慶の乱の摂理的な立ち位置とは、千年以上先の未来に訪れるであろう今現在の人類終末のクライマックスで発生する「世界は二つに分かれる。」すなわち「イスラエルの神VS神」の霊的回路を作るべく象徴的な摂理であったと言える。
更にそれに加え、今回のブログを通じて、将門公の「天慶の乱」の他にもう一つ、過去の日本列島において「西の天皇・大和朝廷VS東の正統な天皇・東国王朝」という二分した構図が確かにあったという歴史的事実を知る事は、これから直面する人類終末の最終摂理「イスラエルの神VS神」に向けて、我々東側の勝利を確信する信仰に向けて尚一層拍車をかけてくれる。
つまり社会変革運動は三度目の正直として法則的に必ず達成出来るという事だ。内訳は将門公の「天慶の乱」。次に「西の天皇・大和朝廷VS東の正統天皇・東国王朝」。そして最後に現代の人類終末期に我々が直面するであろう「イスラエルの神VS神」という東西分立摂理だ。これが歴史的な三度目の正直だ。
今回のブログ内容は、東の正統天皇に関する具体的な情報は割愛します。今回は西の天皇と大和朝廷がなぜ正統とされずに、東の天皇と東国王朝だけが正統とされるのか。その東側が正統と見なされる由来と根拠に触れたいと思います。その後でAIの回答を下で紹介します。
東の天皇と東国王朝が正統とされる由来と根拠について
補足リンク→穿った問いかけ。天皇が今更なぜ龍神・蛇神信仰について語り出したのか? |
その由来と根拠は、東の初代天皇である神武の母親が龍神の血統的出自を持つからである。初期の天皇が母親の血筋を重んじられた理由が、恐らくこの辺にあると見て間違いない?。
ところで西の天皇・大和朝廷の延長上で君臨している現在の天皇は、宮内庁の公式な系図および日本書記の皇統譜において、曲がりなりにも初代の神武天皇から数えて126代目とされています。 ではなぜその徳仁(なるひと)が、正統天皇ではないのか?その本質的理由を簡潔明瞭に云うならば、徳仁(なるひと)は龍神の血統的出自をもつ母親から受け継いだ神武天皇の霊統を継いでいないという理由である。
それで西の大和朝廷が擁立した人間がはじめて天皇と偽って独自に実質的に歴史の表舞台に立った天皇の名前が、第10代目の 崇神天皇の時からです。この崇神天皇の時の西の大和朝廷は東から出た初代天皇となる「神武」という龍神の霊統を持った本物で箔の付いた名前を喉から手が出る程に欲しかった。だから日本書記の皇統系譜には初代天皇として「神武」の名前を入れた。そしてその次の2代目天皇として大和朝廷が擁立した崇神天皇とした場合、その嘘がすぐ暴かれるから、その嘘をボカスために長い年月をかけて、忘れた頃を見計らって本来の皇統系譜を改竄して初代天皇神武の次に8人の架空天皇の名前をドサクサ紛れに介入させ、初代天皇神武の次にその8人の架空天皇の名を連ねた。それが第2代綏靖天皇から第9代開化天皇という8人の架空天皇になります。だから日本書記にはこの8人の天皇が残した具体的な事績と足跡がさっぱり書かれていないのです。日本書記には名前と系譜しか記載されてません。そういう背景があって第2代から第9代までのこの8人の天皇の代を「欠史八代(けっしはちだい)」と呼んでいる。当たり前です。架空の天皇ですから事績などありません。だから日本書記では第10代目の 崇神天皇を指して 「初国知らしめす天皇」という表現を使っている。つまり実質的なヤマト王権の創始者となった天皇が崇神という訳です。
ですから宮内庁の公式な系図および日本書記の皇統譜が嘘八百であるという事です。だから神武天皇の出発点という物語の始まりの場を、南九州の日向と改竄できたのです。そこから「東征(東へ進む)」を行って大和(奈良県)に入り、近畿地方を平定して初代の天皇として即位したというストーリが作れたのです。つまり、西から東へ向かった物語です。
龍神の血統的出自をもつ母親が生んだ神武天皇の誕生を記した系図がここに明快に記されている。それが日本列島の東に位置した千葉県一宮に鎮座する玉前神社にその系図がある👉神武天皇に対するこれまでの批判的な見方を改めて修正いたします。
この玉前神社が鎮座する場所はレイライン上です。このレイライン上には圧倒的な霊格をもつ
出雲大社、籠神社、富士山、寒川神社、そしてこのレイライン上の最東端に玉前神社があります。この4つの神社と富士山が共通している事は、すべていづれも龍神信仰と深く関わっており、渡来系神道である西の天皇・大和朝廷とは霊的に一線を画している土着系古神道であるという事です。古神道の信仰観は自然界に神が宿っているという抽象的な神観ですから、アセンションに向けてベースとなる意識と空間です。この視点から見ても「渡来系神道VS土着系古神道」は死海文書の最終摂理「イスラエルの神VS神」にリンクしています。
補足リンクの内容は今回の内容の肉付けです。併せて読んで頂くとスッキリします。
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AIに農村コミュニュティーの地の利・シンクロを尋ねてみた |
穿った問いかけ。天皇が今更なぜ龍神・蛇神信仰について語り出したのか? |
エッ?開闢の地が、きっ木更津だって!! |

ここからおやじがAIに質問した内容
過去の日本列島において西の天皇・大和朝廷に対峙する東の正統天皇・東国王朝があったのは本当か?
AIの回答
歴史学において「西の天皇(朝廷)に対抗するような独自の東国王朝が関東にあった」というのは、古代から存在したわけではありません。しかし、中世(鎌倉時代など)の政治体制をめぐる歴史学上の有力な学説として、それに近い見方は存在します。
歴史学の議論や事実関係は、おもに次のような要点に整理されます。
歴史学における「東国国家論(複数国家論)」 歴史学者の故・佐藤進一氏らが提唱した「東国国家論」という学説があります。これは、鎌倉幕府が成立したことで、日本国内に西日本(朝廷・公家社会)とは異なる、東国における独立したもう一つの政治・社会システム(=東国国家)が生まれたとする見方です。
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独自の支配構造: 鎌倉幕府は、源頼朝以来、東国の御家人を統率し、独自の司法権や軍事権、土地支配権を持っていました。
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古代(古墳・飛鳥時代)における「東国独立説」の俗説について インターネットや一部の歴史オカルト本などでは、「大和朝廷(西日本)とは別に、関東や東日本に独自の強大な古代王朝(上毛野・毛野国や、独自の東国政権など)があった」という説が語られることがあります。しかし、これらは考古学的・歴史学的な正史としては認められていません。大和朝廷(ヤマト王権)は古墳時代から東国へ勢力を広げ、国司を派遣して律令体制に組み込んでいきました。
鎌倉府や戦国時代の関東の自立性 鎌倉幕府のあと、室町時代には関東を統治するために鎌倉府(鎌倉公方)が置かれました。のちには「関東公方」が京都の室町幕府(将軍)に対抗して独自行動をとるなど、関東地方が地理的・政治的に本州の他の地域から独立した動きを見せる歴史的背景は幾度もありました。
「西の天皇に対する東国王朝」という表現はそのままでは史実とは言えませんが、「鎌倉時代以降、西日本の朝廷・公家社会とは一線を画す、東国独自の自立した政権・国家体制(武家政権)が存在した」という意味であれば、歴史学の文脈において実際に議論されているテーマです。
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AIの回答を読んだ後に下のリンクに目を通して頂くとスッキリします。
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