おやじは末端最前線で汗を流す活動をやり抜く

おやじは末端最前線で汗を流す活動をやり抜く

当局の方、もう時間がないですから早く手を打ちましょう!

天は家庭連合ブログ村を通して、人類終末本番に向けて摂理関係者を光側と闇側とに分別しているようだ。

タイトルの「脱皮できない」という意味は、既存の常識と固定観念に縛られて、現状を善しとして抜け出そうとせず、アセンションによって生まれ変われないという意味です。

 

本当にアセンションが準備されてるならば、アセンションと向き合わないUC摂理関係者は致命的である。アーダスの咲いている野原に行くしかない。

 

復帰完成完結と永遠の平和大国から
 

>この世と霊界は二つの世界ではなく、真の愛を中心とする一つの世界として連結されなければなりません。私たちは肉身生活をしながら、この地にいますが永遠の世界に向かって進んでいま

 

違和感を持つ背景 |

 

 

統一原理に記された肉身と霊人体の相関関係には、エーテル体の説明が欠落している。だから今後人類の寿命が爆発的に長くなり、最終的に霊界と地上界が一つになるという説に関して、UC摂理関係者の多くが理解できない。彼らは地上で生きる人間とは、100年にも満たない地上の肉身生活を終えた後、あの世の天国(アーダスが咲いている野原)に行って永生するというコースが定番であると固く信じている。

エーテル体の存在を知れば「復帰完成完結と永遠の平和大国」の

御言を無視できるものではない。エーテル体を知りましょう。

 

「統一原理」位置づけとしての適切表現 |

 

 

我々の身近な生活圏で見られる自然の中の現象は、宇宙レベルのある何らかの真理が象徴として象られている、もしくは意味付けられている場合が多々あります。

 

そこで自然の中の象徴としてこの蛇の脱皮写真を見て、あなたはどんな宇宙レベルの真理をイメージできますか?

 

 

 

アセンションでしょう!!

 

「脱皮」という概念は「死と再生」の象徴でもあり新しい自分への生まれ変わりです。その新しい真の自分に生まれ変わり、真の命を得るためには、過去の自分が学んできた狭い教えに縛られていたり、過去の栄光やプライドを鼻にかけていてはダメです。そんな余計な殻を破らなければなりません。これが「死と再生」における「死」であり、アセンションを意味する「再生」第一歩という事でしょう。そして振動数の粗く重い物質肉体、エーテル体によって高次な振動密度の濃いボディになる。

 

 

補足関連ブログを最後に読んで頂くとスッキリします。

 

くどい様ですが、ホントの事ですから・・・・ |

 

 

はじめに

1756年にイギリスの哲学者であり、自然思想家であったジョンロックがイギリスで出版したある書籍の中で、フリーメソンに関して次のようなメッセージを残している。

 

 質問者の「フリーメソン団は、どこで始まったのか」という問いに対して、ジョンロックの答えは「西洋の最初の人間(アーリア白人種)たちよりも以前に存在していた、東洋の最初の人たちと共にフリーメソンは始まった。そしてフリーメソン団の叡智は、東洋人から西洋人に移って無知で野蛮な西洋人にその叡智が行き渡った」

 

フリーメイソンのロゴマークに描かれたGは、グノーシスを表していると言われてます。

 

フリーメーソン

 

本文

 

祝福家庭にたとえフリーメイソンの自覚がなくても、フリーメイソン文鮮明氏の影響下で合同結婚式を受けた以上、祝福家庭は歴然としたフリー―メイソンリーです。しかもフリー―メイソンの中のフリーメイソンリーです。

 

 

その真のフリーメイソンリーである祝福家庭が今後向かうべきゴールとは何か。

そのゴールとは原日本人が創建した古代エジプト文明の神事叡智の奥儀にある。

5千年以上も前に生まれた古代エジプト文明の神事叡智の奥儀とは何か。それがフリーメイソンの「錬金術」という言葉に隠されている。つまり錬金術とはアセンションに繋がる奥儀のことです。

 

だからこそ、フリーメイソンリー文鮮明氏の御言集「復帰完成完結と永遠の平和大国」の中に、人類のアセンションを示唆する御言が明記されている。

 

「復帰完成完結と永遠の平和国」から

 

>新しい天地に移譲されるのです。

 

>既存の世界で祖国を探したてるのではありません。堕落と無関係な元初的次元で国境のない新しい神様の祖国を創建する真の愛の再創事です。

 

 >この世と霊界は二つの世界ではなく、真の愛を中心とする一つの世界として連結されなければなりません。私たちは肉身生活をしながら、この地にいますが永遠の世界に向かって進んでいま

 


>「終わりの日に西洋は滅びるのです。」

 

 

>「いま、人類は天の勢いに乗り、新天新地において永遠無窮な平和世界を創建すべき神様の摂理的な時を迎えました。この途方もない天業を完遂すべき主役として、今日皆様は天に選ばれてこの席に来られ祝福を受けられるのです。皆様の目には、新天新地の到来が見えないかも知れません。しかしこの場に立っている私の目には、太陽よりももっと明るい後天時代の気運が見えます。後天時代を開き、私達の真の父母であられる神様を解放、釈放して差し上げ、天地安着大平聖代をこの地上に定着させる天命を受けた皆様である事を自覚し、新しい決意を固めなさいという意味から、神様が特別にこの貴い時を迎えた皆様に下さった御言をお伝えしようと思います。皆様この時代は人類歴史と摂理史的な次元で見る時実に重大な意味を持っている時です。平和世界の創建は、単純に人間の努力だけでは不可能な課業です。天運が必ず共になければなりません。この御言は新天新地である後天時代を開いていきながら、天が人類に施して下さる大きな恩恵であり警告です。天命を掴んで死のうとする者は天が必ず新しい生を下さるのであり、これを無視する者は自然淘汰されるのです。傾聴され、天がこの特別な時に皆様を召命されたことをお忘れにならないようお願いいたします。」

 

近代西欧フリーメイソンの秘教神秘思想が示す「錬金術」とは、原日本人が創建した古代エジプト文明の夫婦神オシリス・イシス信仰と絡んでいます。

古代エジプトのオシリス・イシス信仰が源流となって生まれた近代に至る西欧の秘教神秘思想の中で「錬金術」という言葉がありますが、これは卑金属から金を精錬するという意味です。この意味は不完全な人間から完全な人間の肉体や精神を生み出すための霊的思想を端的に表現するために使われたそうで、これはアセンションの事です。

つまり卑金属とは、欲望と煩悩を持った不完全な人間を指し、金とは高次元の霊性により、生まれ変わった完成人間になることを象徴的に示しているのだという。

サンクの皆、王様のやったあの秘儀の意味を掘り下げよう |

 

 

近代に至る西欧フリーメイソンの秘教形成の源流とは、古代エジプトのオシリス・イシスの密儀が取り入れられたセラピス神の信仰であると言っています。そのセラピス神を表すセラピス神殿を意味する「テラペウタイ」という語は、エジプト内におけるユダヤ教エッセネ派の通称、表現であると言っています

つまり古代エジプトのオシリス・イシス信仰が母体となって、ユダヤ教エッセネ派(クムラン宗団)が生まれている。だから双方は錬金術、つまりアセンションを目指す同一の信仰体系であと解釈して間違いありません。

そうしますと、原始キリスト教とはユダヤ教エッセネ派(クムラン宗団)と同じ、古代宇宙思想を扱うグノーシスの流れですので、ユダヤ教エッセネ派(クムラン宗団)が母体となって原始キリスト教が生まれと見るべきです。従って上記のグノーシスの流れを①②③の順にもう一度整理しますと以下のようになります。赤字で書いた箇所です。

 

錬金術アセンションの流れを汲むグノーシスの歴史的経緯

古代エジプトのオシリス・イシス信仰の密儀が取り入れられたセラピス神の信仰、セラピス神殿

   

ユダヤ教エッセネ派(クムラン宗団)

   

③原始キリスト教

   

真のフリーメイソンリーである祝福家庭

 

 

 

現代の人類終末期に生きるUC摂理関係者は、肉身を脱いで霊界アーダスの咲いている野原へ行く思想と繋がる聖書と西洋キリスト教の流れと決別して、グノーシスがもつ肉身の生命を保持したまま生きてアセンションする思想の流れに移行すべきです。興味深い事に、肉身を脱いで霊界アーダスの咲いている野原へ行く思想から、グノーシスがもつ肉身の生命を保持したまま生きてアセンションする思想に移行する流れが、おやじの人生上において運命的な変化の流れとしてサビアンシンボルに明確に刻印されています。びっくりです。おやじの太陽はインド占星術では魚座の21度です。(尚、西洋占星術のおやじの太陽は牡羊座の15度です。)

 

サビアン占星術では、人の運命的な出来事がここまで詳細にプログラムされているのかとびっくりします。

      

私が 受信した「アセンションを目指す」の検証 |

 

 

 

 

 

 

 

 

現代のキリスト教系UC信仰者はグノーシス者に還ってこそ信仰が成就し、完成に向かう

 

 

先天時代の文鮮明氏を中心とする統一協会とは、紛れもなく時の摂理として世の中に出現しなければならなかったキリスト教系の教団であった。UC摂理関係者は、今後の自分のためにも、文さんとの縁に対して務めて感謝の念を持って次の段階に進むべきだと思います。ネガティブな感情は自分が損をします。

 

統一協会合同結婚式のルーツは原日本人が関わる古代エジプト宗教の神事にあり!

だからキリスト教系UC信仰者に向けて、下記の4つの反の御言が提示されたと解釈して間違いないでしょう。

 

1「宗教を無くす」

2「統一協会を無くす」

3「統一原理は間違っている」

4「後継者は文鮮明氏の子息ではく、文家以外の血統圏から出る」

 

 

 

ところで、この4つの反の御言が文鮮明氏が直接本当に語ったのかどうか?の真相は後で触れます。

 

 

これら4つの反の御言がUC信仰者に向けて提示された根拠は、聖書と西洋カトリックキリスト教の発生源に問題アリだからです。その生い立ちに虚構性があるからです。

UC信仰者を生んだ統一原理とは、聖書と西洋キリスト教がベースにあって理論構築されてますから、まさにUC信仰者がもつ信仰の根幹そのものに影響を与えています。この部分を明確に認識する必要があります。

 

 

 

補足リンク

 👇

キリスト教中枢の腐った実をみれば腐った根っ子が解る

 

統一原理のメシア観と死海文書のメシア観

 

 

 

 

ですからUC信仰者は、グノーシス・ナグハマディ文書救済神話の中に書かれている核心的内容を無視する事は出来ません。その核心的内容とはクリスチャンの「十字架贖罪信仰」に勝る、グノーシスの「認識」による救済のメッセージです。このメッセージをUC信仰者が受け入れなければ、UCの「信仰」路程は絶対に成就しない。つまり完成(アセンション)出来ないと言う事になります。

 

 

 

 

当時のローマ帝国において、カトリックキリスト教が出現する前に、先に存在していたのは、グノーシス原始キリスト教と並んでミトラ教でした。現在のアカデミズムの世界宗教史はこの事実を隠蔽しています。

 

 

補足リンクで確認してください

   👇

私と同じような着目点を持った研究者がかつて居た、ちょっとビックリ |

 

 

 

グノーシスとは、正統派キリスト教とその聖書解釈に対して、反の立場を取っています。ここから来るイメージは、あたかも時系列として先に正統派キリスト教とその聖書解釈が既に世に存在していて、グノーシスが時系列の後から反の立場で正統派キリスト教とその聖書解釈に戦いを挑んで来たというニュアンスがありますが、順序は逆です。

 

 

事実は、時系列として先にグノーシスの原始キリスト教が存在してました。したがって聖書の記述と真っ向対立する「ユダの福音書」や「マグダラのマリアによる福音書」が既に存在してましたそれがグノーシス原始キリスト教教義の一旦を担っていたのであります。そしてアーリア闇の権力が時系列の後から、パウロを使ってミトラ教をカモフラージュしたカトリックキリスト教を作り、世界人類をキリスト教を利用して自分たちの支配下に置く事を意図した策略を持、白人イエスの偽十字架贖罪論を偽造して、未来永劫に渡って絶対的な宗教権威を確立する事を試みた。その為にグノーシス原始キリスト教がもつ都合の悪い「マグダラのマリアによる福音書」「ユダによる福音書」を削除し、あるいは改ざんして編集したのが今の正統派と言われるキリスト教が扱っている新約聖書なのであります。

 

 

 

 

 

 

聖書に書かれたイエス路程とは、ミトラ教経典に記されたミトラ路程のコピーである事が判明している以上、文鮮明氏の再臨主は有り得ない。 似非宗教カトリックキリスト教は当時のローマ皇帝ネロと繫がった同じ闇のムジナであり、この闇のムジナ連中が先にローマ帝国で定着していたグノーシス原始キリスト教徒を迫害して歴史から抹殺していくプロセスでパウロが似非宗教カトリックキリスト教を立ち上げたのです。そして長い時を経て、その延長線上から韓国キリスト教を土台として「再臨主・文鮮明氏」が生まれ「統一協会」が米CIAによって創立されたのです。だから聖書とキリスト教に基づいて理論構築された統一原理によって生まれた我々UC信仰者は「認識」による救いを説くグノーシス原始キリスト教(古神道と信仰体系が同一)に還らなければならない。これが道理です。

 

以上、上述した闇のカトリックキリスト教の発生源となる生い立ちとその宗教的虚構性を理解したときに、はじめて4つの反の御言が出て来た根拠が明快に理解できる。

 

すなわち

 

1「宗教を無くす」

2「統一協会を無くす」

3「統一原理は間違っている」

4「後継者は文鮮明氏の子息ではく、文家以外の血統圏から出る」

 

という事です。

 

最後にこの補足リンクを読んで頂くと深く理解できると思います。

     👇

現代の摂理においてグノーシスが関係者に訴えるもの |

 

 

ここで一つの区切りを付けます・

 

半世紀に渡る御言集の中に

 

「宗教を無くす」

「統一協会を無くす」

「統一原理は間違っている」

「後継者は文鮮明氏の子息ではく、文家以外の血統圏から出る」

 

と言う、統一運動から逸脱するような反の御言は全体の中で少数ではありますが確実に

随所に見られます。

 

統一運動から逸脱した反の御言が、文鮮明氏直接本人の口頭から出たものではないと自身個人的に思っています。しかし文鮮明氏の口頭から出たものなのか否かの真相は本質的な問題ではありません。二の次であります。

 

ここで最大限に着目すべき重要なことは、

「宗教を無くす」

「統一協会を無くす」

「統一原理は間違っている」

「後継者は文鮮明氏の子息ではく、文家以外の血統圏から出る」

 

と言う、これら4つの反の御言が既に1978年当時から文鮮明氏が語った御言集として堂々と出版されて来た事実なのであります。もし仮に御言編集部が純粋に教団内部だけの作業であれば、組織の混乱を招く致命的火種となるような矛盾する反の御言は敢えて編集しないでしょう。教団の死活問題に直結するので反の御言を排除する筈です。

にも関わらず、排除されずに編集され,今尚、記録として残っている。そしてどこの馬の骨かも分からない、変なおやじがブログ上で反の御言を取り上げて騒いでいる?この背景を考察してみると、人類終末期において、天がおやじを使ってUC信仰者に訴えてる最終試験問題の可能性があります。

     👇

御言「無知には完成がない」には2種類の捉え方がある |

未来は既存の常識が通用しない世界になるから固定観念は持たない方が良い。

固定観念を持った人間はその時点で開かれるべき可能性を閉じてしまうから、絶対に固定観念だけは持つべきではないと思います。

アセンションを想定した歩みにしましょう。

   👇

この神聖幾何学は何を象徴しているのか |

 

                    

日月神示の終末の預言

 

『大掃除はげしくなると世界の人民皆、仮死の状態となるのぢゃ、掃除おわってから因縁のミタマのみを神がつまみあげて息ふきかえしてミロクの世の人民と致すのぢゃ、

 

 

「復帰完成完結と永遠の平和王国」から

 

>新しい天地に移譲されるのです。

 

>既存の世界で祖国を探したてるのではありません。堕落と無関係な元初的次元で国境のない新しい神様の祖国を創建する真の愛の再創事です。

 

 >この世と霊界は二つの世界ではなく、真の愛を中心とする一つの世界として連結されなければなりません。私たちは肉身生活をしながら、この地にいますが永遠の世界に向かって進んでいます。

抜粋おわり

 

 

 

未来の人間の誕生に関してシュタイナー説が興味深い

 

シュタイナーは未来には喉が生殖器に変わると言った。ここでシュタイナーの言う「喉」という意味は、「言葉」を含んだ喉という事になろう。その「言葉」を発したときの響きが、あらゆる素材と可能性を秘めた空間と授受作用して人間を生み出すとシュタイナーは言っている。驚いた事に、このブログ障害を持って生まれた意味 〜宇宙人は小学3年生シリーズ |の動画では、スターシード出身のソウタという名の少年がシュタイナーと全く同じことを言っています。未来の子供作りは男女間の性交渉で生まれるのではなく、結婚した男女が空間に向かって子供が欲しいと言葉を投げかけると、言葉の振動が空間に伝わることで空間から赤ちゃんが出てくるという夢のような話ある。信じるか、信じないかはあなた次第だ。

一般的な信仰者から見ると、これは摩訶不思議な御言です。 |

 

 

サブタイトル

摂理とは能動的ではなく、受動的なものだから、自分の運命的に降りかかった課題に取り組み乗り越えた後に、外的な進展が見られるのではないだろうか。

 

 

時は20266月上旬、今ほど摂理関係者にとって日月神示の御霊磨きが求められる時はないだろう。そしてこの御霊磨きというやつは、摂理関係者であれば誰もが常日頃、無意識に考えている事だとは思います。だが私が思うに、一口に御霊磨きと言っても摂理関係者は漠然としており、肝心要のメソッド、つまりどこをどうやって自分の御霊を磨いていくのかという、そのメソッドを確立している人は意外と少ないのではないだろうか。時は迫ってます。この御霊磨きをお互い真剣に取り組みたいものです。因みに現在の私の御霊磨きのメソッドは、自分が最近出会った恩讐人間を思い出しています。そして揉めた時の状況を回想して「あの時の私に対する彼の言動や行為は、宇宙の采配から出た縁起の法則であり、宇宙が私を成長させるために、私に持ち込んだ揉め事だったんだな」と総括し感謝しています。つまり飯田史彦氏の証をお手本にしています。こんなメソッドの取り組みは些細なチェレンジかもしれないが、こんな足元の些細な取り組みこそが布石となり、自分の波動を上げ、大きな摂理を動かす事にリンクしてくるのではないだろうか。

「着眼大局、着手小局」とは恐らくこういう事だろう。

 

福島大学教授の飯田史彦氏の証。

抜粋記事

これは福島大学教授の飯田史彦氏の脳内出血で「臨死体験」を通して見た霊界の様子です。正直に申し上げると、物質世界で飯田史彦として生活している時には、自分を攻撃する人々にまで感謝するというのは、大変難しい事だと感じていました。しかし、魂の姿に戻った私は、何の努力も必要もなく、ごく自然に、当たり前のようにして、自分を攻撃する人々にまで感謝することが出来たのです。なぜなら、魂の姿に戻ると、完全にトランスパーソナル(意識が個人を超えた)状態になるため、それぞれの人々が、なぜ自分を攻撃するのかという事情やしくみが、手に取るように分かるからです。すると、私はまるで自分がまぶしい光を発しながら大爆発して、一瞬のうちに、宇宙全体にまで広がって行くかのような、奇妙な感覚に襲われました。そして同時に、全く違う次元(魂の世界の一つ)へと、自分がつながって行くのが分かったのです。

 抜粋おわり

 

 

グノーシス・ナグハマディ文書救済神話論から

 

「信仰と愛」に勝る「認識」による救済のメッセージが説かれ、「グノーシス者」になることが勧められた、

 

 の文脈は、「信仰・愛」知による認識」を天秤にかけて量れば、知による認識の方が重く、人は救われるのだよ。と言っているようなものですから、キリスト教系の信仰と愛に重きを置く信仰者にとっては確かに理解し難いものはありますね。

 

ここで先に結論を述べてしまうと、グノーシスの要求するスタイルとは、次のような内容に集約されて来ると思います。つまり過去アカシックレコードによって無意識の内に誘導されて生きて来た己の過去の人生をまず総括すること。そして人生上における辛くて苦い体験の意味を悟り、それらをはっきり認識する事が、真の救済に繋るという、これがグノーシス的スタイルです。そして絶対信仰、絶対愛という要素は後回しです。

だから、このグノーシスが要求している内容に対して、感銘を受け、心を開き、グノーシスを真に理解しようと務められる人間というのは、比較的過去の人生が、不遇な人生を歩まなければならなかった訳ありの星の下に生まれて来た人間であろうと思う。あるいは、後ろ髪を引かれるような積年の後悔が常に付きまとっているような人間に限られて来るのではないかと思うのです。私の経験論から言って。なぜなら、過去の不遇な環境や後ろ髪引かれるような後悔が自分の過ちが起因しているのではなく、実は宇宙の采配によってアカシックレコードにプログラムされた自分の運命であったことを客観的に当事者が知るからです。だから心の真の解放が成されるのです。それは過去の後悔と懺悔の想いに苛まされた瓦礫の山が、グノーシス的総括によって息を吹き返し、自分の人生プログラムの意味をはっきり悟り理解できれば、正にその瓦礫の山が突如として、黄金の山へと一変してしまうのです。それはマイナスの穴が大きければ大きいほど、プラスに転換したときは、大きな霊的恩恵となるのです。高い位置から落とす振り子をイメージしてください。高ければ高いほどその反動は逆の位置で高く跳ね返ります。

 

上述の論理から言えることは、比較的過去の人生が順風満風な生き方をしてきた人にとっては、グノーシスのスタイルは理解出来ないかも知れない。

 

以上、内容はここで一区切りです。

 

 

では心機一転、次のような事を考えて見て下さい。

 

「絶対信仰。絶対愛。」という信念体系を、人生上の確固たるモットーとして、己の人生を歩んで行くとしましょう。そしてその人生過程において、貴方自身にとっての怨讐と言われる人との人間関係においての局面々で、貴方の人生モットーである「絶対信仰。絶対愛。」を貫くために、百発百中で貴方は自己否定して目の前に居る怨讐人間を愛せますか?仮に、その日の自分の情緒が気分的に凄く良ければ怨讐人間も愛せるかも知れませんね? イヤッその前に、決して忘れてはならない事は、そもそも自分の目の前に居る怨讐人間を愛するって一体全体どういう心的状態を指すのですか?という問題が先に来る筈です。

 

過去の私の例から申し上げますと、まず百発百中で無理でした。そんな絶対信仰、絶対愛というモットーによる信念体系だけでは、波動がまとも過ぎて私の目の前に居る怨讐人間等とても愛せませんでした。あるいは怨讐人間を愛するモットーはどこへやら吹っ飛んでしまい、いつの間にかすっかり愛の事を忘れて、気づいたら自己を偽って正当化しています。敗北感ありありです。そんなような繰り返しばかりです。どうしてこのような無残な失敗を繰り返す事になるのか?それは自分の心が未熟であると言うよりも、愛に至るまでの方法論が間違っているからだと気づきました。つまり「絶対信仰。絶対愛。」という信念体系とは、波動が大き過ぎて、日常的な自分の心にそのモットーが深く浸透しないのです。常にモットーと自分とが乖離状態にあった事が分ったのです。

 

 

 

 

ならば自分の目の前に居る怨讐人間を愛するというのは、どういう心的状態を指すのか?もしくはどういう思考状態にもって行くのかです。つまり怨讐人間を愛する云々という問題ではなく、その前に論理的に整理して置くべき心的状態があるのです。それは縁起の法則で互いに引き合った因縁を持った者同士との関係性の裏側にある不可視世界に働いている宇宙の法則を知って認識するという事です。これが第一義に来ます。そしてこのようなプロセスを経た上で理性でもって自分の目の前に居る怨讐人間を視界に入れるのです。従って怨讐人間を愛するという問題では無くて、自分の成長の為に宇宙法則を知って目の前に立ちはだかる怨讐人間の意味を悟り認識する事です。そうすればその場の心的修羅場を理性的に乗り越えられるのですから、この術はある意味打算的意味合いが含まれているかも知れません。でもこれで良いんですよ。その延長上で愛という要素が生じて来る可能性が出てくる訳ですから。もちろん個人差はあるが。

 

だから上述の事柄を踏まえた上で、グノーシス、ナグ・ハマディ文書の中に書かれているピリポによる福音書を読むと、愛よりも、知って認識する事の方がより重要であるという意味合いが分かるのです。

 

「このようにいつまでも存続するものは、信仰と希望と愛というこの3つである。しかし、信仰と希望と愛より、大いなるものがある。それは、知識である。愛とはむしろ、知識の結果なのである。

 

 

 

 

はじめに

サチャユガの時代に相当するのは、後天時代の中でもこれから訪れる最も黄金期と言われる時代を指しているのではないかと思います。その一方でカリユガを最も象徴する時代とは、今のような世界市民が置かれている状況です。つまり一部の特権階級の思惑によって世界市民が戦争という暴力と経済に翻弄されている今の時代です。

私が思うところ、サチャユガの世界とは次元上昇した世界でありますから、この物質世界と無形の潜象世界の中間世界ではないかと思っています。

 

それから何度も申し上げますが、文鮮明氏に縁を持つ我々摂理関係者による社会的弱者救済のための農村コミュニュティーによる社会変革は、歴史の必然であり、時代の必然であります。そして銀河の中心宇宙勢力が我々を確実にサポートしてくれる筈です。よってこのプロジェクトを利用したり、支障をきたすような摂理関係者がいたとすれば、その方は時代と歴史の重大なカルマを背負う事になります。決して人間的な浅はかな思いでこのプロジェクトを見ないでください。ご協力の程よろしくお願い致します。

 

 

 

        

恐縮ですが、最後にこの補足リンクに目を通して頂けるとスッキリします。   

       👇

宗教真理探究は解放系の左回りが良い。右回りは閉鎖系だ。 |

サチャユガの時代、摂理関係者の真理探究の道は開放系の左回りだ!

 

 

 

 

 

 

サチャユガとカリユガの違いに関して

 

以下はAIの回答です。

 

ヒンドゥー教の宇宙観や精神世界において、世界はユガ(Yugaと呼ばれる4つの循環する時代を巡っているとされています。その中で、もっとも対極に位置するのがサチャ・ユガ(最高峰の黄金期)カリ・ユガ(現代に続く暗黒期)です。

これらは単なる歴史的な時間軸だけでなく、「人間の精神・意識のレベル」を表す象徴としても深く捉えられています。

それぞれの時代が持つ精神世界の特徴と、その違いを分かりやすく整理しました。

 

 


1. サチャ・ユガ(Satya Yuga)

「真実と黄金の時代」

サチャ・ユガは、宇宙の調律が完璧に整った、精神的な最高峰の時代です。「クリタ・ユガ(完成された時代)」とも呼ばれます。

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精神・意識の状態: 人々の意識は常に神や宇宙の真理(ダルマ)と一体化しています。エゴ、嘘、嫉妬、憎しみといったネガティブな感情は存在しません。

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徳(ダルマ)の割合: 100%4/4。正義と真理が完全に社会を支配しています。

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精神的修行: 瞑想や自己探求が極めて容易な時代です。特別な努力をしなくても、誰もが生まれながらに高い霊性を持っています。

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特徴: 病気や老い、苦しみ、貧困がなく、人間は非常に長寿(数万年とも言われる)で、物事を物質ではなく「エネルギー」や「精神」としてダイレクトに知覚していました。

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2. カリ・ユガ(Kali Yuga)

「闘争と暗黒の時代」

私たちが現在生きているとされるのが、このカリ・ユガです。精神的な光がもっとも遮られ、物質主義が極限に達する時代とされています。

· 

精神・意識の状態: 人々の意識は物質的な欲望(金銭、地位、快楽)やエゴに強く縛られています。精神世界への関心が薄れ、猜疑心や争いが絶えません。

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徳(ダルマ)の割合: 25%1/4。残りの75%は不道徳や無知(アヴィディヤー)に覆われています。

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精神的修行: 意識が物質に固定されているため、サチャ・ユガのような深い瞑想や高い精神状態に到達するのが非常に困難です。

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· 

特徴: 人生は短く、病気や精神的な苦悩に満ちています。真実よりも「見せかけ」や「嘘」が力を持つ時代です。

· 

 

 


サチャ・ユガとカリ・ユガの比較

項目

サチャ・ユガ(黄金期)

カリ・ユガ(暗黒期・現代)

意識の焦点

精神・魂・宇宙の真理

物質・肉体・エゴ

人間の本質

純粋(サットヴァ)

激動と無知(ラジャス・タマス)

コミュニケーション

テレパシーや心と心の共鳴

言葉(誤解や嘘が生まれやすい)

神との距離

人間自身が神性を生きており、極めて近い

分離感が強く、神を見失いがち

救済の手段

深い瞑想(ディヤーナ)

聖なる名(マントラ)の詠唱(キールタン)など

 

 


精神世界における重要な解釈:「今、ここ」のユガ

ヨガの聖者(スワミ・スリ・ユクテスワなど)や現代の精神世界(スピリチュアル)のリーダーたちは、このユガの概念を「外側の時間」としてだけでなく、「内側の意識状態」として捉えることの重要性を説いています。

「あなたの心が調和していれば、そこはサチャ・ユガであり、心がエゴに支配されていれば、そこはカリ・ユガである」

カリ・ユガという暗黒の時代にあっても、人間は内なる意識を浄化することで、自分の中に「サチャ・ユガ(黄金期)」の光を灯すことができるとされています。むしろ、カリ・ユガのような過酷な環境で精神的な目覚めを選ぶことこそ、魂にとって非常に大きな進化のチャンスであるとも言われています。

ちなみに、現在はカリ・ユガの最暗黒期を通り過ぎ、次の精神的覚醒の時代(ドゥワパラ・ユガ)へ向かう過渡期(アセンションのプロセス)にあるという説もあります。

 

統一教会の考察 161 「信心と信仰」 | 統一原理と聖書を読んで、

 

家庭連合の青年が力強く宣言したと言われる内容が次の通りです。

「原理が間違っていたとしても、真の御父母様がメシヤでなかったとしても、私はこの道を歩んでいきます」という主張ですが、私が思うに恐らくこの青年の意中とするところは、文鮮明、韓鶴子御夫妻がメシアでなかったとしても、自分は神を中心とする真の家庭を築き、社会に役立つ人間になるという意が込められているように思えました。そしてこの宣言は「信仰」ではなく、「信心」という卒宗教の時代に合ったマインドとして肯定的な印象を持ちました。評価出来ると思います。その一方でこの青年の宣言に対するブロガーさんの受け止め方を紹介します。このブロガーさんはキリストによって罪を贖ってもらう他力本願の救済信仰を今尚絶対視しており、それを信仰の絶対基準に置いた立場の方です。それで彼曰く、統一協会のこの青年の信仰観は信仰ではなく、自力本願の信心である。だからこの青年は罪がどんなものか分っていないとこのように斬り捨てています。

そこで私はこのブロガーさんに言いたいのですが、貴方様はこの期に及んでいつまでキリスト教の十字架贖罪信仰に固執しているおつもりですか?という事です。

貴方様は西洋カトリックキリスト教の生い立ちが一体どんなものか裏の歴史を調べた事があるのですかと申し上げたい。家庭連合の青年のこの宣言「原理が間違っていたとしても、真の御父母様がメシヤでなかったとしても、私はこの道を歩んでいきます」という内容は、この後天時代という卒宗教の時代において至極全うなマインドです。そしてこの青年の信心は自律を意味しています。むしろ未だに西洋キリスト教の十字架贖罪信仰に固執する貴方様の方が完全に時代に取り残されており、真理の本質に関して的を外していると言わざるを得ない。

 

クリスチャンの人生も同様に星の運行法則に支配されている。

人生とは選択と判断と実行の連続で自分の人生を形作って行くのであるが、この時の選択と判断と実行を決定する時の自由意思そのものが、星の運行法則(アカシックレコード)に支配されてるという宇宙と人間の相関関係を占星術で認識するとき、クリスチャンでさえも例外なく人生とは誕生した瞬間から人生のシナリオがプログラムされているのです。この事実に直面するとき、宗教信仰者であるクリスチャン信仰観と人生模様と厳密に言えば真の自由意思が生んだものではない。だとするならば、人類が舞台とする空間はホログラフィック同様の世界であり、予め敷かれている人生レール(運命の刻印アカシックレコード)の上を無意識に知らずに歩んでいるだけなのだ。だから宗教信仰者であっても、人生において真の創造性というものはない。そして現実とは脳から発せられた単純な電気信号に過ぎないのであれば、運命の刻印アカシックレコードに誘導された結果として、クリスチャンの神に対する信仰が生まれたとするならば、そんな機械的な信仰路程に一体どれほどの価値と意義があると言うのか?という問題が突きつけられるのです。ここにグノーシスが説く処の、運命の刻印アカシックレコードに無意識に誘導されて生きて来た過去の己の人生総括をせよ!というテーマが浮上じてくる。つまり過去の己の人生を振り返り、その意義付け、価値付けを認識することの必要性が出てきます。こういう観点から家庭連合の青年の宣言「原理が間違っていたとしても、真の御父母様がメシヤでなかったとしても、私はこの道を歩んでいきます」という宣言は、クリスチャンの救済を求める十字架贖罪信仰よりも、遥かに卒宗教の時代にふさわしいマインドの在り方です。

 

 

 

 

恐縮ではありますが、最後に下の補足リンクに目を通して頂きますとスッキリします。

 

      👇

 

1995年2月号ファミリーP63  アボジの御言 |

 

現代の摂理においてグノーシスが関係者に訴えるもの |

 

統一原理とグノーシスは対立関係ではなく補完の関係だ |

 

空海と日蓮の悟りは虚空(アカシック)だった!!!!グノーシス |

 

統一教会の考察 159 「祝福結婚」 | 統一原理と聖書を読んで

 

 

 

解散命令を受けてから久しく、この52日に祝福合同結婚式が挙行されていたそうですが、それを知って私もちょっと意外に思いました。人数の規模は分かりませんが、祝福2世ですね。

このブログを読まさせて頂きますと、統一原理の血統転換が間違っているから、家庭連合の祝福合同結婚式は意味がないとか、やれ価値がないとかという論調ですが、ブログ主さん、それちょっと視点が表層過ぎませんか?

ところで、わざわざこのブログに私が反論する気になったのは、何よりも自分がUC祝福合同結婚式を受けて心底救われたと信じているからです。その自分の思いに水を差された?微笑

 

UCに馴染まず距離を執ってきた祝福2世には訳があります。 |

 

 

殊の核心は統一原理に基づいた血統転換が虚偽である事が問題ではないのですよ。あくまでもこれは外面の理由であって、祝福結婚を受ける信徒側の動機の問題ですよと言いたいのです。つまり「神」の理想を成就ずるための、その心意気に自分を捧げた事に価値があるのです。「神」の願いを動機として、自分と生涯を伴にする伴侶の決定を第三者に委ね、自分の大切な愛と性を供え物として「神」に捧げたと言う処に殊の核心がある訳です。更にはそれを切っ掛けに、その後は不倫をせずに純潔主義を貫いた。これは哺乳動物から人間に深化するための条件となり、カルマの清算に繋がるものだと私は思います。こんな宗教団体は統一協会をおいて世界中どこを探しても存在しません。だからこそ天の摂理はこれからイシヤであるUC摂理関係者(日月神示の「イシヤ」とは統一食口を指している!? を用いて、理想世界建設の主役にしようとしている。この天の摂理を利用したり邪魔する関係者は天罰が下る。聖書にはそのような邪魔する人間に対して生まれて来ない方が良かったとさえ言っている恐ろしい記述があります。関係者の皆様宜しくお願いします。協力してください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

UCの血統転換理論の元型は古代エジプト王朝の神事儀式にある可能性あり。

 

鮮鶴はラー・ハトホルの関係に例えられる可能性あり |

 

統一協会合同結婚式のルーツは原日本人が関わる古代エジプト宗教の神事にあり! |