私が 受信した「アセンションを目指す」の検証 | UC摂理打開のために360軒ホームチャーチ吟味は必須事項

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2031年アセンションに向けて万全の準備ができたぞ

「私はアセンションを目指す」もちろん、私の直感から生まれた今後の方向性なのですが、これもアカシックレコードからダウンロードされた私のサビアンシンボルに書かれている事です。ですから地上人間は高次元世界から操作される受信機のようなものです。だからこそ、これまで操作され続けて来た自分の人生における道のりを改めて振り返って、自分のハイヤーセルフと伴にグノーシス的総括をするという事が極めて意味を持ってきます。

ところで占星術には幾つか種類がありますが、ここで採り上げるのは西洋占星術とインド占星術です。この二つの占星術の関連性で興味深いのは、双方は互いに12星座の起点(牡羊座の0度)を決める座標が異なるので、当然同じ生年月日、出生時間、出生場所を扱ったとしても、サビアンシンボルの度数は同じではありませんから、当然シンボルの意味は異なるのですが、それでもサビアンシンボルの意味においては双方に関連性があります。つまりインド占星術と西洋占星術はワンセットとなって互いに補完し合って一人の人間の運命を紐解けるということです。

インド占星術の方は、サビアンシンボルの度数にアカシックレコードの要素がかなり色濃く出ているようです。人生途上で自らの運命を変えるという意図の下に行った行為であっても、実はそれも天から操作されていることがシンボルストーリーの中に組み込まれている。

 

 

 

 

それに対して西洋占星術の方は、インド方式と比べてアカシックレコードの要素が薄い代わりに、星とアスペクトの解釈に関して、可能性としての幅が出てくる。つまり当事者における運命の選択性が描かれているようです。野心を貫いた場合の人生コースと、悟った場合の人生コースです。占星学を研究するとしたら西洋占星術の方が良い感じがします。

 

私のサビアンシンボルの違いの一例

西洋占星術における私の太陽牡羊座のサビアンシンボル15度、月は天秤座のサビアンシンボル17度。

一方のインド占星術における私の太陽は魚座にありサビアンシンボル21度、月は乙女座の24度といった具合です。

 

今回はインド占星術のホロスコープにおける太陽魚座のサビアンシンボル21度を紹介します。サビアンシンボルの文中に「水瓶座30度を最終達成点とする生命圏は、そのままでは枯渇の運命を辿るしかないために、異質な別の可能性の芽を取り込んで行く必要性を持っている。」というのがあります。(この内容は本当に私のケースに当て嵌ります。)

この意味する処ですが、水瓶座30度という、水瓶座最終達成点の生命圏とは、水瓶座は有形のものを無形にする象意をもっています。そうしますと、有形である地上人間の肉身は必ず死(無形)を迎えなければならないという、地上人間の生命活動の限界を指したサビアンシンボルの意味です。私がこのような古い既存の死生観を持った先天時代の古い魂と古い意識レベルのままでは、自分の肉身は死を迎えなければならない。そこで「異質な別の芽を取り込む」とは、新たな永遠性を持った生命圏である処の次元上昇を果たした理想の世界に入る試みをするという事です

それから「アーダスの咲いている野原」と言うのがありますが、これは有限性から逃れられない地上人間は必ず肉的死を迎えて、そこを通過した上で次の霊的世界(アーダスの咲いている野原)に行くと言う事です。

最後に「古い魂と新しい芽の結合作業を進めます」と言うのは、古い魂、すなわち人間は必ず死ぬという有限性ある地上の生命観を信じてきた古い魂を持つ自分は、新しい芽というアセンション、すなわち肉身とエーテルとの結合によって生み出される次元上昇を果たした永遠の生命圏に至ることを念頭においた結合作業(精進)を進めるという事です。

 

「中国人召使」とは、ガイドであると書いていますから、何らかの霊的指導的存在の事でしょう。「中国人」という表現が気になりますが、このサビアンシンボルを啓示によって生み出したのは白人であり、この白人は中国人に関して賢い文明を持っていた人種と見なしていたのでしょう。

 

ちなみに、私の太陽が魚座にあるので、魚座の特徴を言うと、魚座とは、牡羊座から始まる12星座の一つのサイクルが完結する最後の星座です。ですから基準の高い本来の理想的な魚座とは、牡羊座から水瓶座まですべての要素を統合して、次のレベルアップした世界に向かうための準備に入るハウスの意味も兼ねてます。

 

 

 

魚座21度サビアンシンボルのタイトル

      

「小さな白い羊と子供と中国人の召使」 

 

「小さな白い羊」とは新しい真の生命の息吹 

 

「子供」とはレベルの低い私のこと

 

「中国人の召使」とは霊的指導的存在

 

 

 

 著者 松村潔 「サビアンシンボル占星術」から重要な箇所だけを要約して断片的に抜粋

 

自然界のすべてに開かれた感性を持ち、直観に従って自由に伸び伸びと生きる人です。周囲の人から見ると当てにならない人に見えますが、最も純粋さを発揮し、本人の人間性を回復させる力があります。

 

水瓶座30度を最終達成点とする生命圏は、そのままでは枯渇の運命を辿るしかないために、異質な別の可能性の芽を取り込んで行く必要性を持っています。魚座はそうした新しい芽を導入する活動をしてゆくために、固体化して世俗の怪しい生活に埋もれ、そうした生活でないと引き出せない未知の力を取り込んだのです。こうした未知の「ひらめきの流れ」は、十分に魚座の人に浸透したのですが、魚座21度ではこれを旧来から続く古い魂の資質と結び付けなくてはなりません。そうして最終的にこの古い魂と新しい芽の結合作業を進めます。古い魂の資質とは「アーダスの咲いている野原」に所属していた自分であり、これらを第四グループの危険な旅で導入した活力と結び付けることで新しい存在の芽が形成されるのです。21度のシンボルに三つの生き物が登場することが、それを裏付けていると言っても良いでしょう。「小さな白い羊」は第四グループで浮上してきた新しい生命の息吹であり、「子供」はこれまでの旧来の資質を体現した人間そのもの。「中国人の召使」は、これらを意識的に解釈できる力のある統合者ですが、解釈するものは「召使」となっていて、それが主人とはなっていません。「子供」は「羊」の後をついて行き、「中国人の召使」はさらに後からついて行き、子供に起こる出来事に可能な限り説明を加えます。この度数の人は、こうした新しい流れを旧来の魂の資質に結合するために、自分の存在の事を十分には説明しきれませんが、感受性は十分に開かれていて直感で行動するしかありません。つまり「羊」について行く「子供」なのです。その進路を誰も触れてはなりません。どこに走って行くのか分からず、全く危なっかしいのですが、しかし既存の知識でそれを説明しきれると言う事は有り得ません。本人から見ればどこに行くのか、何をするのかも分からない状態ですが「中国人の召使」、すなわちガイドは存在します。「子供」はどこに行こうが、このガイドに守られているのです。