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人類終末期を迎えたUC摂理関係者に対してのみ語りかけるグの記述
グノーシス・ナグハマディ文書救済神話論によると、アルキゲネトール(ヤハウェ)が、空間に潜む究極ゼロ神の万能性の下で法則を利用して、泥でアダムを造ったとある。そしてそのアダムとは「心魂人間」であったと明記されている。
ここでの着目ポイントですが、その「心魂人間」とは、イコールUCの創造原理に記された肉身を土台として生じる霊人体を持った人間を指していると言う事です。だからUCの創造原理説はヤハウェの造物という観点で見れば、それなりに正しいと言える。その「心魂人間」が日本神道を元型に持つ、ユダヤ教を興し、西の似非キリスト教及び統一原理を経由して今日の人類終末期を迎えたという感じで私は解釈しています。
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グノーシスが説くところの、UC摂理関係者が最終ゴールに到達するための絶対条件みたいな事柄。ですから以下の内容は一般人は該当しないと言う事です。
ここで最大限に着目すべきはヤハウェが造ったその心魂アダムとは、肝心要の核となる「霊」を兼ね添えた人間ではなかったという、この部分が後々に人類終末期を迎えたUC摂理関係者にとって最終ゴールを切るための要になって来ます。
その「霊」を兼ね備えていない心魂アダムが、ソフィアゾーエーによって気息を注入され、さらにはゾーエーの遣わした教示者としての娘エバが「霊の無い心魂アダム」に対して気合を入れて、やっとヤハウェが造った「霊の無い心魂アダム」は地上で活動できるまでに至った。そしてユダヤ教を生んだという事になります。(詳しくは冒頭で紹介したブログ鶴子氏主張の根拠・・・・を読んで下さい。)
さらに着目すべき事とは、ソフィアゾーエーが遣わした娘エバとはヤハウェが造った女では無い事です。そして尚且つ、娘エバが「霊の無い心魂アダム」に気合を入れ、心魂アダムを起き上がらせた時に関したこの記述です。
「やがて、彼(心魂アダム)が生み出すものが、光の器となるため」という部分です。
「光の器となるため」という意味は、数千年後に訪れる人類終末期に至ったとき、彼(心魂アダム)の子孫が、信仰の質的変化を成し遂げて、卒宗教者として自立を果たし、霊を持った光の器(肉身)となるためという意味で間違いないでしょう。女が偉大であるとの所以はここにあるのかも知れません。
以前のブログ現代の摂理においてグノーシスが関係者に訴えるもの の中で、大変重要な内容があります。それは、人間は「物質という泥」と「心魂」と「霊魂」という三つの要素から成り立っていると説いている部分です。しかし一般的な宗教者の捉え方は、現実人間に関して「心魂」と「霊魂」を明確に区別していません。心魂=霊魂として一緒くたにして同一カテゴリーの下で「物質的なもの」か、「霊魂的なもの」かという二者択一の枠組みで捉えている。でもこれは一般人向けですから、これはこれで良いと思います。決して間違いではない。。しかし統一摂理関係者は別だ。
何故かと言うと、要はグノーシスによる救済のターゲットとは、今尚、聖書に基づく統一原理を信じて、唯一神を仰ぎ、再臨主「文鮮明さん」を信奉する「心魂的な人々」を指している事は間違いないからだ。