世間は3連休。
今日は子供の習い事の成果を試す大事な大会の日。
こんなに家族との不和が続いていても、心の中では応援している、つもり。
とてもとても素直に感謝の気持ちや心配の気持ちを口で伝えられるほど
雰囲気のいい家庭ではないけど、
仕事で遅くなりそうな妻をサポートするためいない間に家事を済ませたり、
夜中に起きてごそごそと何かしている妻の睡眠状態を心配して
陰ながら仕事を減らそうと努力もしている。
子供の習い事の送り迎えも妻が疲れていて途中事故でも起こされては、と心配になり
施設での筋トレ目的を装い、こちらで子供の送り迎えをさりげなくする。
明らかに目に見えて、人に評価される仕事を妻がし、目の行き届かない影の部分を
自分がそっといない間にしておく。
ただ、そんなこちらの気持ちとは裏腹に知ってか知らずか、一言も労いの言葉がない。
感謝の気持ちを求めているわけではないが、「陰で自分だって努力しているんだ」という
恩着せがましい気持ちが怒りや不安と共にふつふつと湧いてきて言い争った際につい
出てしまう。
妻から言わせれば、当たり前だ、という考え方。
こちらもこのうつ状態を押してサポートしているという気持ちが理解されないことに
絶望を感じている。
仕事だってやっとなんだ。
現状を変えようと体を使ったり、頭を切り替えるよう別のことに集中したり、
本来自分の趣味でもなんでもない賭け事に手を出してまで、気持ちをそらそうと
している。
子供の習い事に自分が送るためにいろんなことを後回し手にして、優先している。
大会に向けて頑張っている子供が無事大会に出られるよう、体調面でのアドバイス
も時にはする。
そんな気持ちはつゆ知らず、無視される。
これでも当たり前なんだろうか。
親しき中にも礼儀あり。
どんな身近な人に対しても相手の立場に立って感謝の気持ちを伝えることは
日常生活において大事なことだと思う。一歩家庭から出たときにそれができない
子供にはなってほしくない、という思いからくる。
そんな古臭い考え方はもはや昭和の産物でしかないのか。
余計なお世話でしかないらしい。
結局、大会の日を迎え、「応援にきて」という言葉を期待していたが、
出てきた言葉は「自分で考えれば」と子供に言われる始末。
むしろ雰囲気が悪くなるから来ないでほしいという空気が強く、誰からも
歓迎されず自分は応援には行かなかった。
行かない方が、子供は実力を発揮できたかもしれない。
その方が軽い気持ちで実力を発揮できるかもしれない。
こんな自虐的な考え方で自分を納得させる。
結局、陰で努力しても影の努力をした自分が認められなかったときにはその反動が
きて落ち込み、しなければよかったと傷つき自暴自棄になる。
自分なんて家族にすら理解されない価値のない人間なんだ。
子供にとっても自分はいてもいなくてもいい父親なんだ。
夜目をとじてそのまま目覚めなければいいのにって思う。
その時気付いてもらえるのは果たして何日後なんだろう。
そんな無関心で歪な家族関係の中で、今日も自分の殻に閉じこもって
ひとり努力しなければならない。
