越後の角突きの歴史は1000年ともいわれますが、はっきり記録に残っているのは以下のような事実です。
1775 安永 4 良寛が虫亀で角突きを見物し漢詩「虫亀看闘牛」を詠む
1820 文政 3 鈴木牧之が虫亀にて角突きを見物
1825 文政 8 滝沢馬琴「南総里見八犬伝」
1852 嘉永 5 江戸にて角突き興行
下の2枚の写真は
山古志復興交流館「おらたる」で、越後の角突きが重要無形文化財に指定され40年(1970年指定)を記念して展示されていた
南総里見八犬伝の該当部分です。
闘牛は岩手県久慈市、島根家隠岐の島、愛媛県宇和島、鹿児島県徳之島、沖縄県うるま市と山古志(新潟県長岡市)、東山(新潟県小千谷市)で行われています。
もっとも山古志と東山はかつて越の二十村郷と呼ばれた密接な間柄で、ルールも同じ。越後の闘牛は「角突き」と呼ばれます。
闘牛は群れをつくる動物の習性である順位付けを利用しています。スペイン、ポルトガルやメキシコの闘牛とは全く別物です。牛は人と戦う必然はありません。
日本の闘牛は「闘牛」という言葉で損をしているように思います。海外の闘牛を連想してしまうからです。
牛相撲といった言葉に変えた方があらぬ誤解が少なくなると思います。
越後の角突きの最大の特徴は「勝負をつけない」という事です。
両牛が力を出したと判断したら、後脚に縄を掛け動きを制御して、まだ闘おうとする牛の鼻を取って分けます。
なぜ、勝負をつけないのか?
元々は農耕牛で家の中で家族のように育てた牛が血を流すまでの死闘はかわいそうでできない。負け続けた牛は闘争心を失くし闘わなくなり、闘わなくなった牛は肉にならざるを得ないから。
牛と人の共生・・・非常に日本的な情緒が感じられます。
こんな情緒が重要無形文化財に指定された原因だろうと愚考しています。