( * ̄▽ ̄)v- 特番でUMAを堪能した後はマツコさん。この日の「マツコの知らない世界」では最初の特集が日本刀で、見るからに英国紳士なお二人を見てマツコさんが感嘆してました。


「ひゃだ!!英国はカナケイも紳士よ!!」とは、番組で宝石とか骨董品とか盗難されたらマズいものが出る時について来る警備員さんのこと。カナケイ株式会社という所から派遣されてて番組ではお馴染みみたいです。


( * ̄▽ ̄)v- なぜ警備員まで紳士!なのかは、日本刀専門家のポールさんがもと大英博物館の警備員だったから。勤務するうちに日本刀に惹かれて研鑽を積み学芸員になり、ついには来日して外国人初の日本刀文化振興協会の評議員になられたそう。さらに抜刀術と居合道を趣味にされてる筋金入り。「好きこそ物の上手なれ」を極めまくってますねぇ。


 もう1人のトゥミさんは名門大学ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンで考古金属学を修め、その過程で日本刀に惚れ込み来日。岡山県瀬戸内市の備前長船刀剣博物館で多言語支援員として外国から訪れる人々に解説をされてるそう。日本人の綺麗な奥さまもおられ、日本語ペラペラ。むしろ「英国の歴史はよく知りません」とキリッとしてました。あの国にそんなんいるんかい(涙)


( * ̄▽ ̄)v- むかし何かのバラエティで「日本通の外国人選手権」みたいなのをやってましたが、コアな方は日本人以上に伝統・文化・習俗に詳しかったすね。えっ春の七草って何だったっけ?と思って見てたらスラスラ答えてた。いちばんコアなのは米国人だと思ってましたが、英国人もなかなか。特に日本刀は海外でも人気が高く、現代刀も決して安くないのに持ってる人が多いそうです。銃刀法の許可とかどうなってるんだろう?

 なぜ外国の方が日本刀をそれほど愛するのか。まずは世界の刀剣の歴史を見ると、西洋では16世紀までは剣が主な武器だったけど、銃が開発されて刀剣づくりは衰退したのだそう。そう言えばそうか。

 日本では戦国時代が終わると刀は実戦向けから少し離れて「武士の持ち物」として装具の装飾性が上がりましたが、明治9年までは普通に持たれてた。あらこの武士さんなかなかイケメン。剣術も実戦向けと言うより精神修養みたいになってきて、武士道、士道というものも戦国時代とは少し違ってきたような。それでも刀は武士の重要なアイテムだったんすね。


 しかし江戸時代から明治の初めまで武器として作られてきた日本刀は、廃刀令の後も作られ続けた。英国人のお2人が重要視するのはそこで、日本刀は奉納刀として神社仏閣に納められたりお守りとなったり、発明から千年経ってなおいろんな使われ方をしてるのが興味深いそうです。

 日本刀づくりは分業制で、花形はやはり刀身を鍛える刀匠や研ぎ師ですが、柄や鍔や鞘などそれぞれに特化した職人さんがいるんですね。時代が下がるごとに彫金や象嵌技術が駆使されるようになり、美術工芸品としての価値が高まりました。トゥミさんいわく、日本の国宝のおよそ半分は刀剣なのだそう。それは知らなかったのでへえーと思いました。


( * ̄▽ ̄)v- 岐阜県関市は「関の孫六」で有名で、織田氏や美濃斎藤氏が鍛冶業を奨励したので刀剣づくりも盛んでした。番組で取り上げられるかなと思ったけど残念。刀身だけでなく装具職人さんも多いので、関市の関鍛冶伝承館でこんな催しもありました。刀装具も美しいっすよ。↓



( * ̄▽ ̄)v- 関鍛冶伝承館はいろいろと攻めた催しをやっており、まずはヱヴァンゲリオンとのコラボ。刀匠がプログレッシブナイフとかロンギヌスの槍を作ってて驚きました。


 刀が登場する漫画作品とのコラボ。↓この日本刀を2振り組み合わせた萌え萌えの大剣は凄かったすね。重くて振れないんじゃないかと圧倒されました。私の世代だと「子連れ狼」や「修羅雪姫」をイメージした日本刀にうぉおおお!!。もちろん鞘師などの装具職人さんの技も光ってました。関の刀匠は時代に合わせて様々な刀を作っておられます。


(*  ̄▽ ̄)v- 関鍛冶伝承館は美濃鍛冶の氏神である春日神社の隣にあり、現代刀や古い時代の刀が見られます。毎年お正月には刀身鍛練と装具職人の仕事始めが神事として行われ、あと伝承館には赤羽刀がある。終戦の際に日本各地から米軍に接収された日本刀が海洋投棄を免れて東京の赤羽にあり、関市は刀匠も研師も装具職人もいるから取り寄せて手入れしたんですね。明治の廃刀令の後もある所にはあり、美術品として持たれてたんすね。そういう歴史も学べるとても興味深い資料館です。閑話休題。

 そして英国人に教わる日本刀の歴史。もともとは朝鮮半島から伝わったもので、古墳時代後期から作られました。ざっくりと奈良時代までは刀身に反りが無い真っ直ぐな形で、平安時代から反りが入って日本独自の刀になったそう。

 反りの変化はまさに刀が武器だった歴史の表れで、平安時代は馬上で抜刀しやすいように持ち手に近い部分を中心に反りが入った。鎌倉時代も騎馬武者を想定した造りですが、より刀を雄大に見せるために刀身の中央に反りを入れ、室町時代では反りを先端に入れてました。必ずしも騎乗して振るものではなくなり、使い回しの良さを追及したのですね。早く抜刀するための進化なのだそう。日本の合戦のあり方の変化が刀に出てるのだなぁ。


 抜刀術と居合を嗜まれてるだけあって、刀を抜く所作が堂に入ってるポールさん。これは国宝の上杉謙信の太刀「山鳥毛」の写しで、本物が作られた時と同じ材料と工程で作られたものなんですって。「写し」という言葉は陶芸でも使われます。古い技術の方が手間ひまがかかるから再現するのは大変なんですって。やはり高いなぁ。


 こちらが国宝の山鳥毛。鎌倉時代中期の作で、刀身はおよそ80cmほどの太刀。鍔はなくすっきりした拵えが美しいですな。戦国BASARAの上杉謙信が持ってたのはこれだと思う。無銘ですが備前の刀工集団の福岡一文字派の作と言われ、第2次世界大戦後に上杉家から収集家の手に渡ったのだそう。備前への里帰りプロジェクトがクラウドファンディングで行われ、史上最高額の5億円で購入。今は備前長船刀剣博物館に寄託されてるんですって。本物は5億円で写しが550万円かぁ、そりゃあカナケイの警備員さんが来るわ・・・・・


日本刀が美術品たり得るのはその姿の美しさに加えて、ひと振りごとに違う「刃文」も重要ポイント。鋭く研がれた刃に沿って白く見える模様のことで、人の指紋のように同じ模様は2つとして無いし、まったく同じ刃文を再現することもできません。


 私は単に研ぐ際に生まれるものかと思ってましたが、玉鋼を熱して何度も何度も折り返して叩いて成型した刀身に「焼きを入れる」際、焼刃土という粘土で刀身を覆うんですって。これは焼いた刃をぬるま湯に浸す時、何も塗ってない時よりも急速に刃を冷やす働きがあり、刃をより硬くするのだそう。焼刃土を薄く塗るか厚く塗るかで刃文のあらわれ方が違い、くっきりした模様にも淡く煙るようにも出来る。ネーミングも美しいですね。


( * ̄▽ ̄)v- 焼き入れ前は刀身がオーステナイトという柔らかい鉄だったのを熱してマルテンサイトという硬い鉄に変える工程で、刃文はそのマルテンサイトが表出したもの。最も硬い鋼で、それだけではまだ脆いのでもう1度焼くそうです。そして研ぎ師が研ぎあげて刀身が完成する。ものすごく手間がかかるんですね。


 戦国武将や歴史上の名戦術家が異世界に飛ばされエルフやドワーフのいる世界で戦う漫画「ドリフターズ」では、島津豊久が折れた愛刀を鍛冶業で名高いドワーフに直してもらおうとすると「こんなん無理」と言われてました。


(; ̄ー ̄) ・・・大体コレどうやって作ったんじゃ? 鋼の折り返しが2万回とか3万回とか?引くわーーーー。


( ̄ー ̄;) 研ぎも何コレ。変態じゃ、変態の所行じゃ・・・・・・


 OAVでネットの海外の反応を見て見たら、世界の日本刀好きの蘊蓄がダーーーッと書き込まれてて勉強になりました。洋剣は日本刀ほど玉鋼を練って鍛える工程で作られておらず、日本刀でも雑兵が持つ大量生産品はそうでした。そういう刀は折れやすく、名品とは雲泥の差だったんですって。ドワーフの皆さんは「鍛冶の匠ち聞いちょったが出来んがか?」と煽られて「俺ら舐めんなクラァアアア!!」と気合い入れてました(笑)  火縄銃も作る作る。


 写しとはいえ国宝の山鳥毛と同じ材料、同じ工程で作られた550万円の刀の刃文を愛でるマツコさん。お美しいっすね。♪女はとうに捨てました~♪