今回の記事では、「百姓の力(渡辺尚志著)」から、江戸時代では土地は誰のものであったかということを紹介します。

 

土地の所有権については、江戸時代では一元化されておらず、一つの土地に複数の所有者がいる状態になっていました。

 

豊臣秀吉の太閤検地や江戸時代初期の検地によって、土地についての権利は土地を直接耕作して年貢を納める百姓(名請人)と、年貢を受け取る領主という関係がはっきりとしました。領主というのは、将軍・大名・旗本といった武士です。

 

 

江戸時代には、村の中の農地を村人たちが定期的に交換する割地というものが行われていた地域が多くありました。割地は数年に一度行われ、その度に耕作する農地が変更されました。

 

割地をしていたのには理由がありました。当時は、洪水などの自然被害で収穫ができない農地に対しても、年貢が免除されないことがありました。そうなると、川沿いなど洪水に遭う危険が高い農地だと、年貢を納められない可能性が高くなります。

 

割地を行うことにより、危険度が高い農地ばかりで耕作を行うことを回避して、村の中の不公平をなくしていました。

 

百姓からすると、割地から次の割地までの間だけ、その土地の耕作をする権利を得ていたということになります。

 

 

江戸時代には、無年季敵質地請戻し(むねんきてきしつちうけもどし)慣行というものがありました。これは、耕作している土地を質入れして借金をした場合、どんなに時間が経っても借金を返せば土地を取り戻せる制度でした。

 

通常の質入では、期限内に返済をしないと質流れとなって担保となった物件の所有権を失ってしまいます。しかし、無年季敵質地請戻し慣行では、たとえ100年後であっても借金を返せば土地を取り戻すことができました。

 

 

江戸時代の村では、村の土地はその村の人間が所持すべきという考え方が強くありました。そのため、村の自主的な取り決めによって村人が村の土地を他の村人に質入れや譲渡することを禁止し、土地を質入れしたい村人に対して村が村内で取引相手を斡旋し、どうしても村内で取引相手が見つからない場合には村が金を出して土地を質に取っていました。

 

また、村人が村を離れて移住する時は、所持していた農地などの土地を他の村人に無償で返して村を去っていました。現代の土地の所有の概念では、所持していた土地を有償で売却するはずですが、江戸時代では村を去る時は無償で土地を明け渡していたのです。

 

こういったことから、江戸時代では村の土地は村の管理下にあり、村も所有者であったと言えます。百姓たちが土地を独占的に所持していたのではなく、村全体として所有をしていたというのが実態でした。

 

よく農家で自分達の農地を「先祖代々受け継いだ土地」と言いますが、実際には江戸時代までは各農家が受け継いでいたというよりも、村全体で受け継いでいたということになります。一方で、割地が行われていなかった地域では、古くから「先祖代替受け継いだ土地」で農業を営んでいた可能性はあります。

 

 

土地の領主についても、現在の土地の所有とは異なる概念で所有していました。江戸時代の領主である武士の世界では、頂点に将軍が存在し、その下に大名・旗本がいて、その家臣までピラミッド型の構造になっていました。

 

それと同じ構図となり、将軍が全国の土地の所有者であり、大名は将軍から領地を与えられ、その一部を家臣達に分与しているという概念を持っていました。

 

従って、一つの土地についても、将軍・大名・家臣などの複数の物が関わっていて、大名の領地であっても、同時に将軍やその大名の家臣の領地であったという状態だったのです。

 

 

このように、江戸時代の土地の所有は、現在の土地所有の概念とは異なっていて、一つの土地に対して複数の関係者が存在していました。また、上記のように同じ農地で耕作していたこともあまりありませんでした。

 

江戸時代では百姓が重い年貢で苦しんでいたこともあまりなかったようですし(詳しくは「江戸時代の農民は収入が増えたが年貢は増えなかった」 参照)、江戸時代について勘違いしていることは、まだまだ多そうですね。

この「百姓の力」という本には、領主と百姓とのやり取りの多くが文書で行われていたなど、江戸時代の社会の実態を知ることができる内容が書かれています。江戸時代に興味がある人は、是非読んでみてください。

百姓の力 江戸時代から見える日本 (角川ソフィア文庫)/KADOKAWA/角川学芸出版
¥864
Amazon.co.jp

(関連の記事)
○日本人が知らない江戸時代
○江戸時代の農民は収入が増えたが年貢は増えなかった
○大規模な治水工事が江戸時代に行われていた
○都市が発達し街道が整備された江戸時代
○江戸時代は法治社会だった

○江戸時代に整備された上水道
○江戸時代に森林が保全された
○教育が盛んに行われていた江戸時代
○江戸時代には武士になった農民もいた
○江戸時代は暴君を家臣が監禁することがあった
○武士は主君に盲従していたのではなかった
○シーボルトはオランダのスパイだった?
○参勤交代は自主的に始まった
○江戸時代の大名とは?
○赤穂事件の遠因は塩だった?
○江戸時代の役職
○江戸幕府には能力主義が導入されていた
○能力主義導入で活発になった下級武士の人材登用
○江戸時代の教育訓練はOJT方式だった
○江戸時代の意思決定は合議制と稟議制が中心だった
○江戸時代の鎖国は外国との紛争回避のため
○日本が発展したように途上国が発展できない理由


こちらをクリックしてください!