皆さんは、江戸時代に大規模な河川工事が施工されていたことをご存知でしょうか?

 

江戸時代になってから最初の100年で、日本の人口は約2.5倍に急増したようです。通常は、人口が急激に増えるのは近代化が始まって医学が進んでからです。欧米諸国で人口が急速に伸びたのは18世紀後半からでしたが、日本ではそれより早く人口が急増しました。

 

なぜ、この時期に人口が急増したのでしょうか。まず、戦国時代から江戸時代になって平和がもたらされたことがあります。そして、この間に多くの河川の治水工事が行われて、新たな耕作地が増えたことも大きな要因でした。人口が増えるには、それに伴って食料も増えなければ食料不足になってしまいます。人口が約2.5倍に増えたのであれば、食糧生産も同等かそれ以上に増えたことが推測されます。

 

江戸時代には河川の瀬替えが多く行われました。瀬替えとは、新しい川の通り道を掘削して、河川を付け替える工事のことです。元禄時代までの間に、矢作川、利根川、渡良瀬川などの瀬替えが行われました。

 

利根川と渡良瀬川は江戸湾(東京湾)に注ぐ川でした。利根川は、綾瀬川と荒川と合流・分流しながら、渡良瀬川は下流で太日川(ほぼ現在の江戸川)となり、江戸湾に注いでいました。渡良瀬川を利根川の支流に付け替え、利根川を江戸湾と香取海(現在の霞ヶ浦、印旛沼、手賀沼の辺り)に注ぐようにしました。利根川と渡良瀬川の流路を江戸湾方向から東の鬼怒川から銚子方向へと瀬替えする事業は、利根川東遷事業と言われています。

 

その他にも、河内平野の大和川南遷事業や、木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)の治水事業(宝暦治水)などの治水事業が各地で施行されました。

 

全国各地で治水工事が行われるまでは、河口付近の沖積地は台風が来ると水浸しになってしまうため、農地として利用するのは困難でした。河口地帯の多くは葦の茂った湿地帯で、水田は少し高い土地に作られていました。

 

治水事業は、幕府直轄で行なったもの、大名に命じて大名が行なったもの、天下普請として各大名が総出で行ったものなどがありました。


(日本人が知らない江戸時代)
○日本人が知らない江戸時代
○江戸時代の農民は収入が増えたが年貢は増えなかった
○都市が発達し街道が整備された江戸時代
○江戸時代は法治社会だった

○江戸時代に整備された上水道  

○江戸時代に森林が保全された