江戸時代で大名を統制する策として有名なのが、一定期間、諸大名を江戸に滞在させる参勤交代です。原則として各大名の所領と江戸を1年おきに、行ったり来たりすることになっていました。

 

江戸時代には、御正室を江戸の屋敷に置いて、嫡男も江戸で育てることになっていました。代替わりのときに初めて嫡子は領国にお国入りすることになっていました。

 

大名の妻子を江戸に人質とすることになり、また道中の費用や江戸屋敷の維持費用などで大名に膨大な出費をさせることによって、武装決起を防ぐという面がありました。実際に、参勤交代は各藩にとって大きな財政的負担になっていました。

 

参勤交代の行列は、多いときは約4千人という大行列になっていたようです。他藩に負けないように各藩は競い合っていたようです。幕府は、華美にならないよう質素にするよう何回も指示を出しましたが、お互い面子を張り合ったので、費用がかかるにもかかわらず中々縮小できなかったようです。

 

 

この参勤交代ですが、最初から幕府が命じたわけではありませんでした。外様大名である加賀藩の前田利長が母を人質として江戸に差し出し、それを訪ねて江戸に参勤したのが始まりです。その後、他の外様大名も続々と同じことをするようになり、譜代大名にも広がって制度化されました。

 

外様大名は、関が原の合戦で徳川家康率いる東軍に参加しなかった武将ですので、幕府に取り潰されるのを避けるために、参勤交代をするようになったと言われています。

 

 

一方で、全国各地の武士などの若者が江戸で交流するということが継続して行われることになりました。それまでは「国」といえば藩のことでしたが、このような文化交流によって日本人という意識が芽生えていったのです。

 

また、宿場町が潤うなど経済効果をもたらし、大名が集中することによって江戸が発展するなど、諸方面に大きな影響を及ぼしました。


(日本人が知らない江戸時代)
○日本人が知らない江戸時代
○江戸時代の農民は収入が増えたが年貢は増えなかった
○大規模な治水工事が江戸時代に行われていた
○都市が発達し街道が整備された江戸時代
○江戸時代は法治社会だった

○江戸時代に整備された上水道
○江戸時代に森林が保全された
○教育が盛んに行われていた江戸時代
○江戸時代には武士になった農民もいた
○江戸時代は暴君を家臣が監禁することがあった
○武士は主君に盲従していたのではなかった
○シーボルトはオランダのスパイだった?