これまであまり株の売りどきについて考えてこなかったが、やはり整理が必要と思う。

 

きっかけはとある中国株だ。割安なときに買ったまでは良かった。最近自動運転などの動きが活発になり、株価は急上昇、一時は買値の3倍くらいにまでなった。

 

そこで自分が考えたことは「自分の考えは間違っていなかった。この銘柄はまだまだ伸びる」だった。

 

しかし、自分が設定した「適正価格」は14~24ドル。株価はピークで38ドルまで伸びていた。その後、株価は下がり続け、ついに18ドルにまで下がったのである。

 

ここで悔やまれるのが、自分が設定した適正株価を上回ったにもかかわらず、全く売りを考えなかったことだ。たしかに、伸びる株は適正株価を大きく超えて、ときにバブル的に上がることがある。それを持ち続けていれば大きなリターンを得ることができるというわけだ。

 

一方で、自分が買うような銘柄がそんなにバカみたいに伸びるかと言えば、必ずしもそうではない。どちらかと言えば、かなり手堅い銘柄を選んでいる。バブルになる可能性は決して高くないのだ。

 

もちろんそれだけ成長可能性がある銘柄なら別だが、それならその成長可能性も「適正価格」に織り込んでおけば良い。そう考えると、自分がやるべきことは、適正株価を上回ったら、利益確定を考えなければならないということだ。

 

自分はあくまで、テクニカルではなくファンダメンタルズで判断する。となると、やはり適正な株価を上回るとしたら、売りを考えなければならない。微妙な価格の設定だけ、テクニカルを参考にすれば良いのだ。

 

自分がどこでリターンを得るかを考えると、企業の成長と、適正な株価への回帰の2つによって利益を得る。だとしたら、この2つが満たされたときは、合理的に考えて売らなければならないのだ。

 

 

一方でときに株価は「不合理」だが、そこには付き合っていられない。自分が提供するのはあくまで「サービス」なのだ。

 

35歳の誕生日を迎えて、ゼロベースで今何がしたいか考えていたらこんな考えが浮かんだ。やはり自分はこの仕事が好きなんだと思う。

普通自動二輪の卒検、2回目落ちた。しかし、なぜかそこには清々しさがあった。

 

実は、1回目を落ちた後、プレッシャーに押しつぶされそうになっていた。次落ちたらどうしよう。ここでまたミスしてしまわないか・・・そんな思いが駆け巡って夜も眠れないほどだった。

 

失敗しないようにと、イメージトレーニングを繰り返した。しかし、今考えたらこれが逆効果だったかもしれない。いざ本番になると、イメージトレーニングどおりにいかないことが起きる。すると、途端に精神が乱されてしまうのだ。

 

今回もそうだった。一本橋に思ったように正対できなかったことで、心に迷いが生じた。するともう頭が真っ白になってしまう。そもそも、度重なるイメージトレーニングで、頭はすでに疲労困憊だった。

 

細かいことを気にしたのも良くなかった。教官のアドバイス、スピードをつけて乗ること、YouTubeで言われていたこと。これを色々実践しようと思ったら、何が何だかわからなくなってしまった。

 

そもそも、練習では何も考えずにできていたのだ。もう身体では覚えている。そうなると、思考はもはや邪魔でしかない。ブルース・リーも言った。「Don't think, FEEL!!」。どうしようもなく落ちてしまったことで、自分がどれほどガチガチになっていたかを悟ることができた。

 

この経験は改めて自分を見返すのに役立った。そう、自分はプレッシャーに弱い。うまくやろうと緊張するほど、体が動かなくなるのだ。逆に、適当にやろうとした時ほど、すんなりうまく行ったりする(もちろん最低限の準備ができていることが前提だが。)

 

自分は幾分真面目すぎる。失敗は許されないと思うと、思うように体が動かないし、夜も眠れなくなってしまう。そこはもっと適当に済ませば良いのではなかろうか。

 

 

大切なのは「今」だ。未来のことばかり考えても仕方がない。過去の失敗をいくら悔いても、「覆水盆に返らず」。そして、今目の前のことに集中することが、幸福度を高めるという研究結果も出ている。

 

目の前のことに集中しよう。昔のことは昔のこと、先のことは先のことだ。これらはいずれも「今」の積み重ねでしかない。考えすぎは毒だ。

 

もっと自然体で。これが僕がうまくいく秘訣なのかもしれない。

 

最先端研究で導きだされた「考えすぎない」人の考え方 (サンクチュアリ出版) 単行本(ソフトカバー) – 2020/8/5

 

 

起業して5年、いつの間にか自分で自分を縛っていたのかもしれない。

 

最初は家族のことを考えて、家族がやりやすいようにと考えて始めた。それはうまくいった。しかし、仕事が軌道に乗ってくると、やりたいことが増えてくる。時間が足りなくなる。やがて家族との時間が惜しくなってくる。

 

妻と喧嘩して言われた。「家族のためなんて、押し付けがましい。」本当にそうだったのかもしれない。もちろん、家族が一番大切なのは間違いないが、そもそも自分がやりたいことを実現するために起業したのだ。「家族のため」という見えない縄に縛られて、身動きが取れなくなっていた。

 

本当にやりたいこと。それは、自分の能力の輪を広げることだ。そのためには、いつも同じところに止まっていたのではいけない。外へ出て、新しいことをやらなければならない。

 

やりたいことは、事業を広げることだ。それも美しく。このビジネスは、お金持ちを相手にするほどうまくやれる。そう、お金持ちと仲良くなり、彼らに合ったビジネスモデルを作り上げることが大切だ。

 

お金持ちと知り合うために、Kさんの繋がりはとても有効だ。そこに対して、成功報酬型のビジネスができれば、伸び代は相当に大きくなる。人の繋がりができれば、人生も広がるだろう。

 

これまでは、家に閉じこもっていたから、収入は増えても世界はそんなに広がらなかった。これではあまり面白くない。自分の人生の目標の一つに「世界を広げる」を実現することがある。今からはこれをやるべき時だ。

 

もちろん、そのためにはこれまでに積み上げたものが生きてくる。会員ビジネスモそうだし、YouTubeだってそうだ。これらをより拡大することで、さらに新たな世界が見えてくることも確かだ。

 

前へ進もう。新しいことを始めよう。世界を広げよう。これが自分にとってのこれからの生き方だ。

気に食わないことがあった。

 

自分はかなり子育てや家事を頑張っている方だと思う。そう自負しているし、文句を言われる筋合いはない。実際に、ここで文句を言われたことはないから、妻も同じ認識だろう。

 

しかし、先日不意に一日東京に出る仕事の予定を言ったら、とても嫌な顔をされた。東京ややや遠出するのは頻繁なことではない。せいぜい月に1〜2回だ。しかも、前日とかではなく予定がわかってすぐ、4日前に伝えたのにだ。

 

確かに、1日自分がいないと子供の相手が大変だということはわかる。「他の母親はみんなそうしている」は無意味な反論だ。しかし、大変なのがわかってるからこそできる限り早く伝えたし、何かあった時のために妻の実家の近くに住んでいる。ある意味万全の状況を尽くしているつもりだ。

 

それなのに嫌な顔をされるとは、もはや自分に自由はないのだろうか。四六時中、決まったスケジュール通りに動き、イレギュラーは許されないのか。これでは、なんのためにサラリーマンを辞めたのかわかったものではない。

 

妻も頭ではわかっているようだ。しかし、心では嫌だと思っているから顔に出る。僕は妻に嫌な思いをして欲しくないから、結局外出を控えることになる。これではただの悪循環だ。

 

もはや、環境を整備するとかいう話ではない。いかに心を納得させるかだ。妻も言っていたが「私はこういう性格だから仕方がない」と。問題は自分がそれを気にするかどうかに尽きる。

 

そう、気にしすぎても仕方がないのだ。気にしすぎるばかりに外出を伝えるのも後ろめたい感じになり、その雰囲気が伝わってしまう。気にしすぎるせいで、妻の家事や子育てをどんどん自分で吸収しすぎてしまう。結果、心のバランスが取れなくなり、何かあった時に爆発してしまうのだ。

 

自分は自由だ。何者にも縛られない。家族のために過ごすのは、自分の意志によるものだ。家族を幸せにする前提のもと、好きなところに行き、好きなものを食べ、好きなように過ごす。しっかり稼いでいるのだから、そこに後ろめたさを感じる必要はない。きちんと義務をこなしている限り、何か言われる筋合いなどない。

 

仕事を他人に任せるのは勇気がいる。しかし、勇気がないと自分で引き受けすぎてしまい、どこかでパンクする。これはビジネスも家庭も同じだ。そして、任せられることが「信頼」というものだろう。

 

妻を信頼しよう。子供を信頼しよう。従業員を信頼しよう。ここで初めて本来のコミュニティが生まれる。信頼は宝だ。

ビル・ゲイツやマイク・ザッカーバーグが絶賛してる本ということで読んでみた。結論から言うと、人類について深く考えさせられる本だった。

 

人間を人間たらしめているのは「認知革命」と「農業革命」があったからである。

 

認知革命とは、妄想を信じる力のことだ。サバンナの弱者であった人間はコミュニケーションを密にすることで協力体制を築くことで生き残りを図ってきたが、単純なコミュニケーションだけでは集団の規模は家族とその周辺だけに限られる。それが何千人、何万人という集団を形成できるようになったのは、「妄想」の力が大きい。すなわち、我々は見ず知らずの人と「宗教」や「民主主義」など、実体のないものを信じることで、同じ方向を見て進んでいけるということだ。これがなければ、国家を形成することは容易ではない。

 

今や「民主主義」や「道徳的価値観」というのは当たり前のようになっているが、それがいつも正しいという根拠はどこにもない。それが民衆の中で発達し続け、為政者の都合の良いように利用されてきただけだという考え方もある。しかし、これが結果的に人間の大集団を生み出し、生物種としての繁栄をもたらすことになったのである。

 

一方の農業革命とは、この本では「史上最大の詐欺」だと謳っている。なぜなら、人は農業によって豊かになるどころか、むしろ貧しくなったからである。労働時間はグッと長くなったのに、得られる栄養は狩猟採集時代と比べるとバランスが悪く、幼少期を除いた平均寿命は短くなったといわれる。腰痛にも悩まされるようになった。

 

農業革命が生み出したのは、豊かな生活よりも人間の序列である。これが認知革命と密接に結びつき、人間は集団とその中での序列を作り出して現在の社会を形成してきたのだ。

 

これを読んで考えたのは、人間は「妄想」の中で生きているに過ぎないということである。生物学的に考えるなら、人生の目的や社会的規範など取るに足らないものである。それらは、必ずしも生物としての成功=種の存続にはつながらない。また、個人としての満足につながっているかも疑わしい。

 

人間はもっと自由に生きることができるのではないかと思う。もちろん、認知革命や農業革命によって現在の豊かな生活が手に入ったことは間違いないから、急に狩猟採集生活に戻るわけにはいかない。しかし、一個人が妄想に付き合っている必要はなく、生物的成功に向かって自由に過ごすことを追求しても良いのではないかと思う。

 

妄想はあくまで妄想である。生物学的に考えるなら人種間での差異など存在しないし、宗教もただの妄想に過ぎない。これらに縛られずに生きていくことが、本当の意味での「個」の幸せをもたらすのではないか。さらには、これが人間感の差異を埋め、世界中の人間が「サピエンス」として平等に過ごせるのではないか。そんなことを考えさせられる本だった。

 

これを読むと、アメリカの成功者が反人種差別や環境問題に取り組む理由がわかる気がする。成功した人から認知革命を脱却し、真にサピエンスとして幸せを追求する余裕がうまれるのではないか。もちろん、どちらが正しいということはないが(それ自体が妄想なのだから)、今のアメリカでの対立を見ているとそんなことも考えさせられる。

 

(追記)人類でもっとも成功した妄想は「貨幣」である。どんな民族も人種も国家も、みんな「金」をありがたがり、ドルを欲しがる。これが全人類を同じ方向に向かわせる原動力になる。そう考えると、自分の仕事なんてのも妄想に加担しているだけなのかなとも考えさせられる。仮想通貨が革命になりうる理由がわかる気がする。そして、ITによるグローバル化は人類を更なる認知革命に誘っているように見える。