ビル・ゲイツやマイク・ザッカーバーグが絶賛してる本ということで読んでみた。結論から言うと、人類について深く考えさせられる本だった。

 

人間を人間たらしめているのは「認知革命」と「農業革命」があったからである。

 

認知革命とは、妄想を信じる力のことだ。サバンナの弱者であった人間はコミュニケーションを密にすることで協力体制を築くことで生き残りを図ってきたが、単純なコミュニケーションだけでは集団の規模は家族とその周辺だけに限られる。それが何千人、何万人という集団を形成できるようになったのは、「妄想」の力が大きい。すなわち、我々は見ず知らずの人と「宗教」や「民主主義」など、実体のないものを信じることで、同じ方向を見て進んでいけるということだ。これがなければ、国家を形成することは容易ではない。

 

今や「民主主義」や「道徳的価値観」というのは当たり前のようになっているが、それがいつも正しいという根拠はどこにもない。それが民衆の中で発達し続け、為政者の都合の良いように利用されてきただけだという考え方もある。しかし、これが結果的に人間の大集団を生み出し、生物種としての繁栄をもたらすことになったのである。

 

一方の農業革命とは、この本では「史上最大の詐欺」だと謳っている。なぜなら、人は農業によって豊かになるどころか、むしろ貧しくなったからである。労働時間はグッと長くなったのに、得られる栄養は狩猟採集時代と比べるとバランスが悪く、幼少期を除いた平均寿命は短くなったといわれる。腰痛にも悩まされるようになった。

 

農業革命が生み出したのは、豊かな生活よりも人間の序列である。これが認知革命と密接に結びつき、人間は集団とその中での序列を作り出して現在の社会を形成してきたのだ。

 

これを読んで考えたのは、人間は「妄想」の中で生きているに過ぎないということである。生物学的に考えるなら、人生の目的や社会的規範など取るに足らないものである。それらは、必ずしも生物としての成功=種の存続にはつながらない。また、個人としての満足につながっているかも疑わしい。

 

人間はもっと自由に生きることができるのではないかと思う。もちろん、認知革命や農業革命によって現在の豊かな生活が手に入ったことは間違いないから、急に狩猟採集生活に戻るわけにはいかない。しかし、一個人が妄想に付き合っている必要はなく、生物的成功に向かって自由に過ごすことを追求しても良いのではないかと思う。

 

妄想はあくまで妄想である。生物学的に考えるなら人種間での差異など存在しないし、宗教もただの妄想に過ぎない。これらに縛られずに生きていくことが、本当の意味での「個」の幸せをもたらすのではないか。さらには、これが人間感の差異を埋め、世界中の人間が「サピエンス」として平等に過ごせるのではないか。そんなことを考えさせられる本だった。

 

これを読むと、アメリカの成功者が反人種差別や環境問題に取り組む理由がわかる気がする。成功した人から認知革命を脱却し、真にサピエンスとして幸せを追求する余裕がうまれるのではないか。もちろん、どちらが正しいということはないが(それ自体が妄想なのだから)、今のアメリカでの対立を見ているとそんなことも考えさせられる。

 

(追記)人類でもっとも成功した妄想は「貨幣」である。どんな民族も人種も国家も、みんな「金」をありがたがり、ドルを欲しがる。これが全人類を同じ方向に向かわせる原動力になる。そう考えると、自分の仕事なんてのも妄想に加担しているだけなのかなとも考えさせられる。仮想通貨が革命になりうる理由がわかる気がする。そして、ITによるグローバル化は人類を更なる認知革命に誘っているように見える。