気に食わないことがあった。
自分はかなり子育てや家事を頑張っている方だと思う。そう自負しているし、文句を言われる筋合いはない。実際に、ここで文句を言われたことはないから、妻も同じ認識だろう。
しかし、先日不意に一日東京に出る仕事の予定を言ったら、とても嫌な顔をされた。東京ややや遠出するのは頻繁なことではない。せいぜい月に1〜2回だ。しかも、前日とかではなく予定がわかってすぐ、4日前に伝えたのにだ。
確かに、1日自分がいないと子供の相手が大変だということはわかる。「他の母親はみんなそうしている」は無意味な反論だ。しかし、大変なのがわかってるからこそできる限り早く伝えたし、何かあった時のために妻の実家の近くに住んでいる。ある意味万全の状況を尽くしているつもりだ。
それなのに嫌な顔をされるとは、もはや自分に自由はないのだろうか。四六時中、決まったスケジュール通りに動き、イレギュラーは許されないのか。これでは、なんのためにサラリーマンを辞めたのかわかったものではない。
妻も頭ではわかっているようだ。しかし、心では嫌だと思っているから顔に出る。僕は妻に嫌な思いをして欲しくないから、結局外出を控えることになる。これではただの悪循環だ。
もはや、環境を整備するとかいう話ではない。いかに心を納得させるかだ。妻も言っていたが「私はこういう性格だから仕方がない」と。問題は自分がそれを気にするかどうかに尽きる。
そう、気にしすぎても仕方がないのだ。気にしすぎるばかりに外出を伝えるのも後ろめたい感じになり、その雰囲気が伝わってしまう。気にしすぎるせいで、妻の家事や子育てをどんどん自分で吸収しすぎてしまう。結果、心のバランスが取れなくなり、何かあった時に爆発してしまうのだ。
自分は自由だ。何者にも縛られない。家族のために過ごすのは、自分の意志によるものだ。家族を幸せにする前提のもと、好きなところに行き、好きなものを食べ、好きなように過ごす。しっかり稼いでいるのだから、そこに後ろめたさを感じる必要はない。きちんと義務をこなしている限り、何か言われる筋合いなどない。
仕事を他人に任せるのは勇気がいる。しかし、勇気がないと自分で引き受けすぎてしまい、どこかでパンクする。これはビジネスも家庭も同じだ。そして、任せられることが「信頼」というものだろう。
妻を信頼しよう。子供を信頼しよう。従業員を信頼しよう。ここで初めて本来のコミュニティが生まれる。信頼は宝だ。