このブログを読んで、今週末のバッハ・コレギウム・ジャパンの演奏会(土曜日神戸松蔭大学チャペル/日曜日東京オペラシティ)に出掛けてみたい!と思ってくださる方がいたら嬉しいな、というささやかな想いで、
私独自の視点からこのスペシャルな演奏会をPRしつつ、
自分自身の頭の中を整理できる良い機会としようと思います。
私たちが今回演奏するのはバッハが書いた4つのカンタータで、
どれも1724年、つまり今からちょうど(?)301年前に創られた作品群です。
もっとも、今回の4曲はどれも秋から冬にかけて演奏されるべきカンタータのみで、いわゆる「シーズンもの」です。
それどころか、ひとつのカンタータに至っては(カンタータ121番)12月26日、つまりクリスマス2日目の礼拝のために書かれています。メリークリスマスな気分を先取りで味わえるというわけですね。(そういえば名古屋は先週日曜日30度でしたね。・・ハッピークリスマス!)
コンサートでは、鈴木優人さんのオルガン独奏ののち、まずカンタータ139番が演奏されます。
このカンタータでは、神を「わが友」とたとえます。神をわが友にして身を委ねる者は、いくら悪魔や敵の嘲りや攻撃があろうとも護られるがゆえ安心して良い、というようなメッセージがこのカンタータの全体像です。
Wohl dem…幸いなるかな という、発音するだけでも心地の良いフレーズで始まる出だしとは対照的に、カンタータ全体を通してSpott嘲りやFeind敵、Satanサタンといった、アクの強い(・・“悪“と掛けたのは秘密)攻撃的な言葉が並ぶのが大きな特徴です。
つまり、刺々しい言葉と、護られる安心感という大きなコントラストを味わえる音楽です。
私が担当するテノールのソロアリアでは、なんと合計16回もGott ist mein Freund 神はわが友である と堂々宣言します。
お聴きいただきながら、「あ、今X回目だ」と数えていただければ幸いです。
対照的に中間パートでは、「嫉妬や憎悪」といった「敵」に対して敵意をむき出しにするようにアグレッシブな音楽が展開されます。
加耒徹さんによって歌われるバスのアリアでDas Unglück schlägt 不幸が刻みを告げる の不吉な響きは、我々に降りかかる不幸のみならず、これから(毎年、5ヶ月後ごろに)起こるイエスの受難さえ予感させる(実際の礼拝では、このカンタータの演奏に伴いマタイ福音書22が読まれるが、イエスをなんとか罠にかけようというファリサイ派、つまり敵側とイエスの対峙が綴られている章)と感じるのは、私だけでしょうか。
引き続き演奏されるのはカンタータ26番。
こちらはまた全く異なる内容で、演奏会の前半で既に、今回演奏するカンタータたちの豊富な彩りを垣間見るようです。
26番では人の人生の儚さを嘆くように歌われます。
人生はひとたび霧のように例えられ、あるいは過ぎ去る水にも例えられます。
我々が生きる現世のことをtöricht愚か と、無価値なものとしてとらえています。
15分の間ずっと Nichtigkeit むなしさのみが歌われるのです。
私が歌う「ドラえもんのうた」ことテノールのアリア(ふざけているわけではありません。一度聴いてみてください。イントロが、あまりに酷似している。)も、
ハ長調の朗らかな調性ながら、詩の内容はひたすらに人生の儚さを語るものです。
…ですが、このカンタータは終始まったく救いがない、というものではありません。
このカンタータの最後の最後の10秒のみ、コラールの最後の一文にはじめて、Wer (aber) Gott fürcht, bleibt ewig stehen (だが)神を畏れる者はとこしえに立ち続けるのだ と、信仰による救済に着地点を見出すのです。
——————Pause—————————
休憩を挟んで後半も、バッハの目覚ましいカンタータ2つが演奏されます。
まずはカンタータ121番です。
こちらは先ほどもお話しした通りクリスマス2日目に演奏されるべき曲で、
曲のところどころで「メリークリスマス!」とほくそ笑みたくなるような言葉が散見されます。
合唱では「乙女マリアの子」、久保法之さんによって歌われるレチタティーヴォでは「神は純粋な肉体を選び」、
なによりもクリステン・ウィットマーさんによって歌われるレチタティーヴォではKrippe 飼い葉桶 そして jauchzend 喜び溢れつつ という言葉が出てきます。
さて、これ以上どうやってハッピークリスマス気分を味わうことができますでしょうか。
合唱はところどころ教会旋法的な響きを孕んでおり、
このカンタータを締めくくる言葉 Ewigkeitとこしえに準じて悠久を感じさせる古風な雰囲気です。
例に漏れず合唱直後の2曲目に置かれている
(今回の4つのカンタータすべて(!)において合唱直後にテノールアリアが待ち構えているのだ。ありがとう、どうも本当にありがとうバッハ先生。)テノールアリアでは、
その当時流行していた啓蒙思想 Aufklärungに対する警鐘の如く、
「人間よ、理解しようとするな、ただ驚嘆せよ」と、半ば説教混じりに呼びかけるのです。
凄くないですか。
説明できない偉大さにただ圧倒されよ、と、感嘆と共に歌い掛けるのですから。
この曲は技術的に独特な難しさがあります。
というのも、「我々のような低い身分」を表現するかなりの低音域から、神によって引き上げられるごとく輝かしい高音部へと導かれていくようなフレーズが多く、そのレンジの広さゆえ歌手への技術的な要求度が高いなと感じます。…頑張りますのでご期待ください。
さて、本演奏会の最後を(文字通り)飾る schmücken のは、空前絶後の絶品カンタータ180番 Schmücke dich, o liebe Seele です。
このカンタータで、私たちは華やかな宴へと招かれます。
主が私たちを宴へと招いてくれるのですね。
リコーダーの瑞々しい響きが清々しい合唱からこのカンタータは始まります。
合唱に続く2楽章であるテノールのアリアでは、Ermuntre dich 己を鼓舞せよ という励ましの言葉で駆け出し、信ずる者の高なる胸、陶酔、楽園的な喜びがこの音楽を包み込みます。
このアリアこそ最上にして最上の音楽、
昨夜、興奮のままに妻に綴った言葉をそのまま引用すると、
このアリアに散りばめられているのは「人類が音楽に最も冴えていた瞬間に書き取られた音たち」
この曲を、優人さん、フルート菅きよみさんをはじめとした百戦錬磨の音楽家の皆様方と一緒に生体験できるというだけでも、私はこの世で最も贅沢をしているテノール歌手のひとりでしょう。
演奏会で皆様の前で演奏できる喜びはもちろん格別ですが、リハーサル中、ここをもう一度合わせてみようか、と合奏する時、この時間よ終わらないでくれ〜と浸りながら、あっという間に二日間のアリア合わせが終わってしまいました。
このカンタータのもう1つのハイライトは、ソプラノによって歌われる名アリアです。
Lebens Sonne, Licht der Sinnen,
Herr, der du mein Alles bist.
命の太陽 心の光
主よ あなたは私のすべて
と賛美する晴れやかなアリアと共に、この名カンタータ180番はクライマックスを迎えます。
さて、こうしてまとめながら、今回のとても充実した演奏会に向けて、僕自身もますます楽しみになってきました。
なんと土曜日の神戸公演、日曜日のオペラシティ公演、どちらもまだ残席があるようです!
このブログを読んでくださった貴方、もう楽しむ準備は充分にできたかと思います。
身軽にお運びいただければこれ以上嬉しいことはありません。
会場でお会いできますことを。









