今年もまた、この時期がやってくる。


(と綴ると、どうしてもクリスマスのフライドチキンの宣伝を思い出してしまうのは、私が日本人である証拠だ。)

 


ただ、今年に限らず、

始まりはいつも少し早い。

 

2月末に受難曲を演奏してしまおう、という教会や団体は、ドイツでも意外なほど多い。


要は、遅すぎなければ(=復活の後の時期にならなければ)2月でも3月でも良い、というのがドイツの主流な気がする。

 


雪降る松蔭チャペルでのコンサートを終え、

家族で1週間、沖縄・石垣に赴き数時間プールでぽちゃぽちゃと浮かんだと思ったら、


たった6日間、独りベルリンに帰ってきたのは、このヨハネ受難曲の演奏会のためでもあった。

 

演奏会を終えると翌朝5時には起床し、

日本へと発つ道中でこの記事は書かれている。


霞町音楽堂でのリサイタル(完売御礼)、

そしてバッハコレギウムジャパンとの演奏会が控えている。

 

今年の受難節は3月下旬から、13回にもわたるマタイ受難曲のツアーbyオランダバッハ協会が控えているのだから、


今年、ヨハネ受難曲に浸ることができるのは、

おそらく今日までだろう。

 

 

さて、ヨハネ受難曲との出会いは、

マタイ受難曲とのそれよりもずっと早かったが、


ここ数年マタイ受難曲の演奏機会が一気に増えたせいか、

実際に演奏会で歌った回数は同程度だ。

 

あくまで今の段階での意見に過ぎないが、

テノールにとって、ヨハネ受難曲の方が難易度が高い、と思う。


とにかく、休みがほぼないのだ。


マタイ受難曲は、途中に他の歌手によるアリアが演奏されるため、その度に一息付く余裕がある。


そういった心の余裕が一切ないのが、ヨハネ受難曲の難しさ。

 

一方、演奏が終わった後の疲労感を比較すると、

意外なほど、ヨハネ受難曲in現代ピッチは健康的な印象だ。

マタイ受難曲in現代ピッチも、演奏会の翌日、そこまで大変な疲労感が残っていることはない。

 


気をつけるべきは寧ろ、

古楽ピッチでの演奏会の後だ。

高音のアクロバティックがない分、

演奏会ではリラックスできると思いがちだが、

却って中音域低音域を鳴らし過ぎて、翌日朝起きたらバスバリトンヴォイスに変容している現象がしばしば起きる。

 

 

 

台本上、ほぼひと時たりとも明るい気持ちで歌える場面がないのも、ヨハネ受難曲の演奏を難しくさせる。


マタイ受難曲では、受難の物語とはいえ、「最後の晩餐」場面までは割と朗らかな音楽が展開されて(長調も多い)、

歌声にも良いリラックスをもたらしていると私は思う。

 

それと比べて、なんというか、

ヨハネ受難曲は常時戦闘モードなのだ。

 


そしてなによりも、二つ目のアリア Erwägeが、屈指の難しさを誇る。


このアリアを現代ピッチで歌えと言われた時には、少しだけ構えてしまう。

(注: 私の意見では、どんなテノールであっても、たとえワーグナーを歌うテノールであっても、このアリアを現代ピッチで綺麗に歌えるべきである。正しい技術なしでは絶対に歌い切れない、教科書のような試練のアリアなのだ)

 

調子が悪い時にこの曲を歌うと、リアルに地獄に身を置いている気分を味わえる。


早く終わってくれ、と歌いながら願っても、生憎、このアリアは繰り返し付きアリアで、10分にもわたる苦行なのだ。

 

ただ、このアリアは、歌う側にとってだけの苦行ではない。

 

テノールが苦しみ喘ぐのを見ていると、聴衆にとっても、

共に演奏している音楽家にとっても、合唱団の皆様にとっても、


その空間にいらっしゃるありとあらゆる人にとっての10分間の受難なのが、このアリアなのです。

 

このアリアが楽〜に、麗しく演奏されることは、とても、とても稀であることを強調したいと思います。(このアリアに苦しみ喘ぐ全テノールを代表しまして)

 

 

・・まぁそういうテノールの悩ましい話は置いておいて、

 

この度、新鮮な気持ちで、

聖書や磯山雅先生の本と共に、

ひとつひとつの音を見直してみた。



すると、磯山先生が書いておられることに、とても新鮮な発見があった。

それは、一つ目のテノールアリア Ach, mein Sinnの中でのことだ。

 

このアリアは、とても思い出深いアリアで、

とは言ってもまだ遠い過去の話でもないのだけれど、


2024年夏にバッハコレギウムジャパンのEUツアーに参加した時に、このアリアを歌わせていただく名誉に浴した。


世界最大の音楽祭であるイギリス・BBCプロムスにて、《ヨハネ受難曲》のテノールソロを歌わせて頂くことは、

とんでもないことであったが、同時にとても大きなプレッシャーを(勝手に)感じていた。

 

雅明氏から、演奏会直前に「志門くんね、最初の歌詞“Ach“がドラマチックに欲しいよね、気持ちを込めて」とお言葉を頂き、


張り切り過ぎて、とんでもなく前のめりなAchを歌ってしまったのだ。

その程度たるや、放送事故レベルだ。


しかも、その演奏会はライブ中継されたとか。(しばらくアーカイブスに残っていたが、今もまだネット上にあるのかどうか)

 


さて、本記事でお話ししたかったのは(ようやく本題)、

そのアリアの直前に起きることである。


少しマニアックな内容かもしれないが、私にとっては大きな発見であったので。

 

そのアリアの直前、受難曲のハイライトの一つである、弟子ペトロがさめざめと泣く場面のことである。


このシーンはマタイ受難曲にも、ヨハネ受難曲にも、どちらにもある。

(ただ、マタイ受難曲では、ペトロの気持ちの総括として、アルト独唱による名アリアErbarme dich憐れみたまえ が用意されている。)

 

磯山先生の著書を読むまで恥ずかしながら気付かなかったことであったが、

 

テキストが、

ヨハネ受難曲では


und ging hinaus und weinete bitterlich

そうしてそこから出て行って さめざめと涙を流した



一方のマタイ受難曲では


und ging heraus und weinete bitterlich

そうしてこちらへと出てきて さめざめと涙を流した

 



…お気づきだろうか?

 

hinausそこから(我々に背中を向けて)出て行く

 

heraus そこから(我々の方向へと)出て来る

 

という絶妙な視点の違いがあるのだ。

 

そして、「我々に背を向けて」視点のヨハネ受難曲では、続くアリアで


Bleib ich hier, oder wünsch ich mir Berg und Hügel auf den Rücken?

ここに留まるべきか、それともこの背に山と丘とを背負うべきか


と、ペトロの背中にのしかかる重い悔恨が歌われる。

 


……そう、

私たちに、ペトロは背中を見せているのだ。



今回、この事実を確認できた時、

私の目には一層クリアに、その情景が3Dに浮かんできたものだった。

 

加えて、ヨハネ受難曲の

hinausそこから(我々に背中を向けて)出て行く 

の音楽部分は、


7度跳躍であるものの、

取り留めのない感覚と共に音が過ぎる。


まるでペトロが、私たちの元から少し離れたかのように、うつろに。

 


一方でマタイ受難曲の

herausそこから(我々の方向へと)出て来る 

の音楽部分は、


テノール歌手界隈には有名な難所であり、

作品中ここにしか出てこない最高音Hに達する、まさにクライマックスである。


ヨハネ受難曲と比較すると、文字通り、悔恨に顔を顰めたペトロがこちらに近寄ってくるようであり、鬼気迫る。

 

私はこれまでの演奏で、この最高音Hを割とすっと抜くイメージで歌っていたけれど(そのあとのさめざめと泣く情景にドラマを入れたかったため)、

これからは、もう少しペトロに寄り添うことができるような気がする。

 

 

 

そんな2026年のヨハネ受難曲の演奏は、

数年前だったら即コロナ認定されていたであろうレベルのしぶとい風邪を拗らせ、

とても良好とは言えない状態で臨んだ本番だったが、

沢山の学びを得ることができた。


何より、

演奏会場であった、ベルリンから南方向へ100km程離れた街リュッベンLübbenの教会が、

かのP.ゲルハルトのお膝元だと知った時、言いようのない感銘を受けたものだ。

 

 

教会前のゲルハルト像を拝むことができたり、

 

ミュージアムで、彼が書いた詩による有名な讃美歌を確認することができたり、

そんな貴重な記念館の中で(良いんです、全ドイツ人の皆様の所有物と言って良いのですから)、

ごった返して演奏会前に持ち寄りのケーキやコーヒーを楽しむ合唱団の皆様と

和やかな時間を過ごすことができたのも、只々有り難い時間だった。

 


最後まで読んでくださった方限定で、おまけとして、

今回の演奏会のライブ録音の一部をお聴きいただけたらと思う。

携帯電話での録音なので、音質については目を瞑ってくださると幸甚です。

 

今回の記事で触れた、

ペトロが我々に背を向けて一歩外に出て

悔恨にさめざめと涙を流す場面と、



 

 

受難曲の終盤、

イエスの十字架で立ち尽くす母マリア(はじめ、赤の他人のマリアなどが一緒にいるのでややこしい)の場面です。



 

明日の7日東京公演(調布)、8日神戸公演(神戸松蔭大学チャペル)両公演とも残席わずかとのこと、

この記事を読んでくださった方が演奏会をより楽しんで頂けるように、

「聴いてみたい!」と思っていただけるように、今回のプログラムの聴きどころを我流に解説したいと思います。

 

 

私たちが今回演奏するのはバッハが書いた4つの讃美歌(コラール)カンタータで、

どれも1725年の1月から2月にかけて、

つまり今からちょうど301年前(?)、正月明けの最も寒い時期に創られた作品群です。

111番、92番、123番、41番の4つのカンタータです。

 

 

・・覚えていただけましたでしょうか?四つの数字。

しかも、数字順じゃないのが余計に覚えづらいですよね。

 

この作品番号をすらすらと「○番はあんなカンタータだよね」と言える貴方は、大変立派な「カンタータヲタク」です。

 

・・何を隠そう、私も、あー○番はいつどこどこで誰と演奏したなーとパッと言えるのです。

 

そのことで、知人に恐れ慄かれたことが、幾度かあります。

 

 

さて。

 

最初に演奏される2つのカンタータ111番と92番は、来たる受難(=3月−4月)に備えるような内容のカンタータ(時期としては1月終盤)、

 

一方で、123番と41番は、遡って、新年付近のために演奏されるカンタータです。

 

最後に演奏される41番に至ってはまさに新年の日のためのカンタータ、

 

つまり“元旦カンタータ“(声に出して言ってみてください。ンがあり過ぎて面白いです。)です。

 

 

まず興味深いのは、

前半の2つのカンタータ(111と92)は全く同じメロディのコラール(讃美歌)を中心に据えているところです。

 

特に111番のテーマである„Was mein Gott will, das g’scheh’ allzeit わが神の御心 いつもに成就されんことを“という讃美歌は、

 

かのマタイ受難曲の中盤にも挿入されています。

 

たとえ死の恐怖がこの心を蝕もうとも、神を信ずれば狼狽える必要はない。

なぜなら安らぎTrostと確信Zuversichtを与えてくれるからだ

 

というのがこの2つのカンタータを通してのメッセージかと考えます。

 

演奏会の始まりであるカンタータ111番は、劇的な合唱と共に幕を開けます。

 

まさに、これからイエスの身に起きるであろう、そして誰においてもいつか訪れるであろう苦難との闘争が描かれているようです。

 

その目紛しく動き回る弦パートと2本のオーボエに対し、確固たる自信と共に讃美歌が引き伸ばされて歌われます。

 

この、一瞬の音楽の中で起きているコントラストこそ、コラールカンタータの魅力を全開にしてくれています。

 

 

続く、加耒徹さんのバス歌唱による2楽章では、

アリア演奏の中に讃美歌のメロディが織り込まれているのを聴き取っていただけるかと思います。

 

このように、会衆に広く親しまれて歌われている讃美歌が、合唱として、独唱として、アリアやレチタティーヴォの中に挿入として、カンタータの至る所に散りばめられている。これが讃美歌カンタータの真の聴きどころです。

 

私は、カウンターテナー青木洋也さんと共に4楽章にてデュエット的アリアを歌います。

この楽章を支配するのは絶え間なく刻まれる鋭い符点で、その符点に背中を押されるごとく、

 

神の元にいれば死を恐れる理由などない、

勇敢に墓場まで行こうではないか、と確信に満ちて歌われます。

 

続くソプラノ(松井亜希さん)のレチタティーヴォでは、

死の床Sterbekissenに臥す時でさえ勝利siegtするのだと、

讃美歌を歌う前の会衆を導きます。

 

 

 

前半のもうひとつのカンタータ92番は、前作111番の初演からちょうど1週間後に初演されました。

(1725年1月28日)

 

 

なので、このふたつカンタータはアベックと捉えて良いでしょう(言い方が古い)。

 

 

讃美歌のメロディこそ111番の讃美歌と全く同じ旋律ですが、

92番の歌詞の作者は、かのP.ゲルハルトということで、

この旋律に異なる視点から光を射してくれているかのようです。

 

111番と同じく、冒頭の合唱が終わるとバスによる楽章が続きます。

 

こちらはレチタティーヴォなのですが、コラールが織り込まれています。

 

まさに、会衆の言葉と、個人的な説教が、音楽の中で交互に行われるのです。

 

 

続く3楽章はテノールのアリアなのですが、

これが大変です。

見よ、神の強き腕にすくわれぬものが如何に張り裂け、打ち砕かれ、朽ちるか!

と、まさに「音楽による天変地異」です。

 

後半に至っては、

悪魔は怒らせて、猛り狂わせて、騒がせておけ Lasst Satan wüten, rasen, krachenと、

正義の立場から悪を声高に嘲笑うかの如く歌われます。

 

とてもドラマチックなアリアです。

難曲ですので、私自身が打ち砕かれ張り裂け朽ちないようにしっかりと頑張ります。

 

 

5楽章で再びテノールの独唱(レチタティーヴォ)ですが、その中のフレーズを引用します。

 

Und dir, mein Christ, wird deine Angst.. um Jesu willen Heil und Zucker sein.

汝キリスト信者よ、

汝の苦難(や十字架)はイエスの名において慰みと甘美となる

 

ただ、そのために、

 

忍耐が必要なのだ Geduld! Geduld! と、

最後の一小節のみAdagioで渋味たっぷりに説きます。

 

 

終盤8楽章のソプラノ独唱によるアリアの前に、語りとして、

優しき弦の響き gedämpften Saitenと共に

平和の使者に新しき歌を ein neues Lied

と呼びかけられます。

 

この弦Saitenや歌Liedという言葉は、賞賛や感謝に際して使われることが多い言葉です。

そして、音楽を演奏する我々自身のことを語る言葉でもあります。

 

(この箇所については、ネタバレするようですが、

来月3月に予定されているコラールカンタータ演奏会最終回(鈴木雅明指揮、サントリーホール/神戸)にて演奏される、

カンタータ1番を想起させます。

そこでも感謝と称賛 Dank und Preisがテーマとなっているテノールアリア(これまた難易度がどえりゃあ高い歌でよ)があります。

もっとも、この難アリアを歌いながら、感謝と称賛を思う余裕があるテノールがこの世に存在するのだろうか・・?という疑問は置いておいて・・ )

 

 

 

ーしばし休憩ー

 

 

 

さて、後半のふたつのカンタータは、

これまで演奏されたふたつのカンタータとは打って変わって性格が異なるものです。

 

基本的な性格としては、

イエスの誕生に際し私たちに何ができるのだろう

と、クリスマス付近の祝祭ムードから1週間が経ち、

少し落ち着き、内向的に語られます。

 

後半最初のカンタータ123番の冒頭の合唱は、

神Deoの調性であるD-Dur(ニ長調)による讃美歌が中心に据えられます。

高いD音から低いD音まで優しく降りてくる音型は、まさしく今地上に降り立った御子を描くようです。

 

 

さて、皆様の中には新年、日本で言ういわゆる元旦ですが、

キリスト教においてどういう意味があるかご存知でない方もいらっしゃるかもしれません。

 

何を隠そう、1月1日に、赤ん坊にイエスという名は授けられました。

またの名を、イマヌエル(“神Elは我々と共に“)です。

 

カンタータ123番は、タイトルの通り、

冒頭合唱で 愛すべきイマヌエル、敬虔なる主よ Liebster Immanuelと呼びかけます。

 

このカンタータはイエスの命名間もない日のための作品ですので(初演は“元旦カンタータ“41番初演よりたった5日後の1月6日)

イエスという名がたった今命名されたことへの喜びが散見できます。

 

2楽章のアルトによるレチタティーヴォでは、

イエスの名前を呼ぶと Jesusnamen nenneこの心は喜びと共に安らかになる、と歌われます。

 

さて、ここで、

歓びに満ち溢れた、ではなく、

限りなく哀愁に満ちたアリアが挿入されているのが、

このカンタータが特別たる所以です。

 

テノールによって歌われる3楽章のアリアは、

バッハ学者マウル氏によると

「存在するテノールアリアの中で最も美しいものの一つ」と評されています。

 

険しい磔の道 harte Kreuzesreise der Tränen bittre Speise涙の苦杯といった、

苦々しく痛々しい言葉が並びます。

ただそういった苦難でさえも、

イエスが天上から慰みと光を授けてくれるのであれば恐るるに足らないと、敬虔に歌われます。

 

 

4楽章、バスによるレチタティーヴォでは死との闘いによる勝利が語られます。

続く5楽章のバスによるアリアも、また独特な寂寥感を帯びた素晴らしい楽曲です。

その雰囲気の通り、悄然とした孤独のなかでin betrübter Einsamkeit と繰り返し語られます。

 

 

プログラムの最後を飾るのは、今回の4つのカンタータでは実は最も早く作曲された、“元旦カンタータ“41番です。

 

このカンタータは、学者マウル氏によると

“シャンパンのようなカンタータ Champagnekantate“と評されています。

 

トランペット3本にティンバニと、とても華やかな編成です。

 

ごく個人的な、このカンタータのハイライトは、冒頭合唱に続く2楽章、ソプラノ独唱によるアリアです。

オーボエ3本という牧歌的な素朴を持ち合わせながら賛美するこのアリアは、

この一年が始まりの如く素晴らしい締めくくりを送ることができますように、と希望を胸に歌われます。

 

Halleluja („神を賛美する“の意)という言葉が鈴のようなメリスマと共に歌われます。

 

 

終楽章の最後の詩が wünscht..ein selige neues Jahr 幸せに満ちた新年を祈念する、ですから、

これほど演奏会の終わりに相応しい、希望に満ちた終幕は他には考えられません。

 

皆様と共に、ポジティヴな雰囲気に包まれてその瞬間を迎えられたらと思います。

 

会場でお会いできるのを楽しみにしています。

吉田志門

このブログを読んで、今週末のバッハ・コレギウム・ジャパンの演奏会(土曜日神戸松蔭大学チャペル/日曜日東京オペラシティ)に出掛けてみたい!と思ってくださる方がいたら嬉しいな、というささやかな想いで、

私独自の視点からこのスペシャルな演奏会をPRしつつ、

自分自身の頭の中を整理できる良い機会としようと思います。

 

私たちが今回演奏するのはバッハが書いた4つのカンタータで、

どれも1724年、つまり今からちょうど(?)301年前に創られた作品群です。

もっとも、今回の4曲はどれも秋から冬にかけて演奏されるべきカンタータのみで、いわゆる「シーズンもの」です。

それどころか、ひとつのカンタータに至っては(カンタータ121番)12月26日、つまりクリスマス2日目の礼拝のために書かれています。メリークリスマスな気分を先取りで味わえるというわけですね。(そういえば名古屋は先週日曜日30度でしたね。・・ハッピークリスマス!)

 

コンサートでは、鈴木優人さんのオルガン独奏ののち、まずカンタータ139番が演奏されます。

このカンタータでは、神を「わが友」とたとえます。神をわが友にして身を委ねる者は、いくら悪魔や敵の嘲りや攻撃があろうとも護られるがゆえ安心して良い、というようなメッセージがこのカンタータの全体像です。

 

Wohl dem…幸いなるかな という、発音するだけでも心地の良いフレーズで始まる出だしとは対照的に、カンタータ全体を通してSpott嘲りやFeind敵、Satanサタンといった、アクの強い(・・“悪“と掛けたのは秘密)攻撃的な言葉が並ぶのが大きな特徴です。

つまり、刺々しい言葉と、護られる安心感という大きなコントラストを味わえる音楽です。

 

 

私が担当するテノールのソロアリアでは、なんと合計16回もGott ist mein Freund 神はわが友である と堂々宣言します。

お聴きいただきながら、「あ、今X回目だ」と数えていただければ幸いです。

対照的に中間パートでは、「嫉妬や憎悪」といった「敵」に対して敵意をむき出しにするようにアグレッシブな音楽が展開されます。

 

 

加耒徹さんによって歌われるバスのアリアでDas Unglück schlägt 不幸が刻みを告げる の不吉な響きは、我々に降りかかる不幸のみならず、これから(毎年、5ヶ月後ごろに)起こるイエスの受難さえ予感させる(実際の礼拝では、このカンタータの演奏に伴いマタイ福音書22が読まれるが、イエスをなんとか罠にかけようというファリサイ派、つまり敵側とイエスの対峙が綴られている章)と感じるのは、私だけでしょうか。

 

 

 

引き続き演奏されるのはカンタータ26番。

こちらはまた全く異なる内容で、演奏会の前半で既に、今回演奏するカンタータたちの豊富な彩りを垣間見るようです。

 

26番では人の人生の儚さを嘆くように歌われます。

人生はひとたび霧のように例えられ、あるいは過ぎ去る水にも例えられます。

我々が生きる現世のことをtöricht愚か と、無価値なものとしてとらえています。

 

15分の間ずっと Nichtigkeit むなしさのみが歌われるのです。

 

私が歌う「ドラえもんのうた」ことテノールのアリア(ふざけているわけではありません。一度聴いてみてください。イントロが、あまりに酷似している。)も、

ハ長調の朗らかな調性ながら、詩の内容はひたすらに人生の儚さを語るものです。

 

…ですが、このカンタータは終始まったく救いがない、というものではありません。

このカンタータの最後の最後の10秒のみ、コラールの最後の一文にはじめて、Wer (aber) Gott fürcht, bleibt ewig stehen (だが)神を畏れる者はとこしえに立ち続けるのだ と、信仰による救済に着地点を見出すのです。

 

——————Pause—————————

 

休憩を挟んで後半も、バッハの目覚ましいカンタータ2つが演奏されます。

 

まずはカンタータ121番です。

 

こちらは先ほどもお話しした通りクリスマス2日目に演奏されるべき曲で、

曲のところどころで「メリークリスマス!」とほくそ笑みたくなるような言葉が散見されます。

 

合唱では「乙女マリアの子」、久保法之さんによって歌われるレチタティーヴォでは「神は純粋な肉体を選び」、

なによりもクリステン・ウィットマーさんによって歌われるレチタティーヴォではKrippe 飼い葉桶 そして jauchzend 喜び溢れつつ という言葉が出てきます。

さて、これ以上どうやってハッピークリスマス気分を味わうことができますでしょうか。

合唱はところどころ教会旋法的な響きを孕んでおり、

このカンタータを締めくくる言葉 Ewigkeitとこしえに準じて悠久を感じさせる古風な雰囲気です。

 

例に漏れず合唱直後の2曲目に置かれている

(今回の4つのカンタータすべて(!)において合唱直後にテノールアリアが待ち構えているのだ。ありがとう、どうも本当にありがとうバッハ先生。)テノールアリアでは、

その当時流行していた啓蒙思想 Aufklärungに対する警鐘の如く、

「人間よ、理解しようとするな、ただ驚嘆せよ」と、半ば説教混じりに呼びかけるのです。

凄くないですか。

説明できない偉大さにただ圧倒されよ、と、感嘆と共に歌い掛けるのですから。

 

この曲は技術的に独特な難しさがあります。

というのも、「我々のような低い身分」を表現するかなりの低音域から、神によって引き上げられるごとく輝かしい高音部へと導かれていくようなフレーズが多く、そのレンジの広さゆえ歌手への技術的な要求度が高いなと感じます。…頑張りますのでご期待ください。

 

 

 

さて、本演奏会の最後を(文字通り)飾る schmücken のは、空前絶後の絶品カンタータ180番 Schmücke dich, o liebe Seele です。

このカンタータで、私たちは華やかな宴へと招かれます。

主が私たちを宴へと招いてくれるのですね。

リコーダーの瑞々しい響きが清々しい合唱からこのカンタータは始まります。

 

合唱に続く2楽章であるテノールのアリアでは、Ermuntre dich 己を鼓舞せよ という励ましの言葉で駆け出し、信ずる者の高なる胸、陶酔、楽園的な喜びがこの音楽を包み込みます。

 

このアリアこそ最上にして最上の音楽、

昨夜、興奮のままに妻に綴った言葉をそのまま引用すると、

このアリアに散りばめられているのは「人類が音楽に最も冴えていた瞬間に書き取られた音たち」

 

この曲を、優人さん、フルート菅きよみさんをはじめとした百戦錬磨の音楽家の皆様方と一緒に生体験できるというだけでも、私はこの世で最も贅沢をしているテノール歌手のひとりでしょう。

演奏会で皆様の前で演奏できる喜びはもちろん格別ですが、リハーサル中、ここをもう一度合わせてみようか、と合奏する時、この時間よ終わらないでくれ〜と浸りながら、あっという間に二日間のアリア合わせが終わってしまいました。

 

このカンタータのもう1つのハイライトは、ソプラノによって歌われる名アリアです。

Lebens Sonne, Licht der Sinnen,

Herr, der du mein Alles bist.

命の太陽 心の光

主よ あなたは私のすべて

と賛美する晴れやかなアリアと共に、この名カンタータ180番はクライマックスを迎えます。

 

さて、こうしてまとめながら、今回のとても充実した演奏会に向けて、僕自身もますます楽しみになってきました。

 

 

なんと土曜日の神戸公演、日曜日のオペラシティ公演、どちらもまだ残席があるようです!

 

 

このブログを読んでくださった貴方、もう楽しむ準備は充分にできたかと思います。

身軽にお運びいただければこれ以上嬉しいことはありません。

会場でお会いできますことを。

 

 

 

息子が生まれて、早くも100日が経った。

 

生活が、妻との時間が、妻との関係が、

価値観が、優先順位が、

がらりと音を立てて変わってしまった。

 

以前にも増して、こうして自らの言葉で綴る喜びを、文章を書く前に目をすっと瞑る時間を、

沈思黙考を、味わい噛みしめるようになった。

 

目頭が熱くなるほど幸せな気持ちで。

 

 

要ると思っていたもののいくつかは、

要らないものになった。

要らない、ということが、

はっきり見えるようになった。

今まで如何に見えていなかったか、良くわかった。

 

 

1日1日に、今までに感じたことのないほどの別れ惜しさを感じるようになった。

 

 

 

日本に帰省する前に、

少し、イタリア・フィレンツェに休暇に出掛けた。

 

息子にとっては初フライトである。

 

ところがどっこい、休暇というよりかは寧ろ、

毎日が思いがけない事の連続で(その原因のほとんどは記録的な猛暑だと確信しているが)、

堪能したというよりかは、克服の連続を通して夫婦の絆が強くなった、というべきだろうか。

 

この夏のリサイタルのメインディッシュである

ミケランジェロ(英作曲家B.ブリテンがミケランジェロのソネット7篇に曲を付けた《ミケランジェロのソネット》を演奏する)にとって、

 

今年2025年は生誕550年という記念すべき年で、ならばフィレンツェを訪れなくしてどうする、ということで妻と息子に半ば付き合ってもらう形でフィレンツェ行きが決まった。

 

ミケランジェロに関しては、

勿論僕の拙い、イタリア語検定3級で満足してしまった程度のインチキイタリア語の語彙では理解できない部分も多く(どこを自分が理解できていないかも把握できていない段階なのが更に哀しい)、

そんな自分の不出来へのフラストレーションと、

 

それでもブォナローティ家ミュージアム、アカデミア美術館、メディチ家礼拝堂と様々な足跡を、記念すべき2025年に巡礼できたご縁に感謝する気持ちと、折り合いをつけたつもりだ。

 

 

4日の灼熱耐久レースの後、

最終日はピサに滞在を移して、

ここから近いのだからと、プッチーニゆかりの地、トッレデルラーゴを訪れた。

 

此処はそもそも昨年2024年に巡礼を済ませておくべき場所だった。

 

(未だ、か、金輪際、か)「自分の声のためではない作曲家」とカテゴライズしているプッチーニも、「自分の声のための作曲家」フォレと並んで没後100年ならば、2024年に取り上げるつもりだった。

 

少し、タイミングが悪かった。

自分には、優先すべき他のことが余りにもありすぎた。

 

 

訪れてみると、

容赦無く我々ツーリストに真上から照りつける太陽のもと、駅から歩くには遠すぎて、バスはなかなか来ないわ、涼めるバールはないわ、

乳飲み子とわざわざこの時期に来るという時点で、控えめに言っても間違いだらけだった。

 

湖の前に佇むプッチーニの記念館は見事なもので、

イタリアのオペラの当時の栄華を強烈に見せつけてくれた。

 

 

ピサの街に戻り、くたびれた息子をホテルに寝かしつけて(とはいえくたびれた表情を一切見せず、憶えたばかりの笑顔を僕たちに振りまいてくれていた)、

 

妻が見守ってくれている間に、ピサの街に少し買い出しに出た。

 

……

汗ばんだ首元を、生ぬるい風が、やさしく撫でる。

 

もう一つ、遠いメルカートまで歩いてみよう。

 

鳩が、アスファルトに落ちている何かを啄んでいる。

車と車の間を器用に、褐色の男性がすたすたと歩いていく。

 

…そうだ、

僕はこの国に居続けることができなかったのだ。

 

僕はドイツという安住を求め、

このアモーレの国への憧れを、捨ててしまったのだ。

 

歌を始めたいと思った時の、あのカラッとした明るいテナーの響きへの憧れを。

テノールといえば、ひっくり返るかひっくり返らないか、一か八かの高音だろう。

 

だが、僕はあろうことかドイツを選んでしまったのである。

 

それどころか、そこに10年も住んでいる。

文字通り、住み着いてしまったのだ。

言い訳はいくらでもある。

無論、後悔は全くない。

 

 

この旅の道中、イタリア独特の狭い路地がもたらしてくれる影に憩いながら、かつての男2人旅を思い出した。

 

あれは2012年のこと、もう13年も前のことだ。

親友と、大学2年生のとき、お金を貯めてフィレンツェに来た時のことを。

 

海外旅行自体が初めてだという彼が、イタリアの空港に着いてすぐ、目に入ったジェラート屋へと狂喜乱舞し走っていったのを、僕は今もなお忘れることができない。

 

強烈だった。

僕にはない、ハングリー精神が彼にはあった。

 

彼は「本物」に飢えていた。

 

吸収できそうなものにはなんでも、感謝と共に近付いた。

 

その憧れのままに彼はイタリアへ留学し、立派に権威あるセリエA劇場で研修を行い、

今年、日本に完全帰国した。

 

 

僕の勝手で、彼にイタリアへの想いを託した思いでいた。

 

だから、彼の帰国をもって、ひとつ、僕の青春がまた幕を閉じたような気がした。

戻ってくることのない時間が、時間は永遠にあると思い込んでいた幸せな時間が。

 

 

 

 

僕はやっぱりイタリアが好きだ。

本音を言うと、ドイツより好きかもしれない。

いや、ずっと好きに決まっている。

 

この地が産んだ詩と歌が好きだ。作者不詳なほど古いものも、ダンヌンツィオなどの「新しい」ものも。

 

……

僕はいつか、イタリアで歌ってみたい。

 

たとえ、歌うことを終える時に「叶わぬ夢だった」と言ったとしても、その夢を追うことを諦めたくないのだ。

 

こぼれていく時間を、今再び掬いに行こうと、踠かなければ。

 

ジリジリと焦がされるように熱を浴びて、破裂しそうなほど赤いサンマルツァーノの如く、

僕の心は燃えている。

 

【この夏のリサイタルのお知らせ】

仙台のリサイタルのお知らせです。

ご予約は

022-213-7654

レストラン・パリンカさんまで。

 

そしてその後は、

名古屋、東京、大阪、長野でリサイタルです。

名古屋、東京は特に残席僅かとなっております。


 

 

 

《マタイ受難曲》

 

エヴァンゲリストのパートを1年かけて準備して、模索しながら、

 

ベルリンで1公演、そのあと鈴木優人さんとマカオで1公演(メンデルスゾーン版)、

 

そしてバッハコレギウムジャパン/鈴木雅明さんと3日連続公演、無事に最後まで健康に走り抜けることができました。

 

 

《ヨハネ受難曲》の勝利に向かう類の輝かしさ、強さ、悲哀と比較すると、

 

《マタイ受難曲》は驚くほど明るくて、希望に満ち溢れています。

 

私たちは今回、いわゆる聖金曜日(=イエスが磔刑にあったと言われる日)、その翌日の聖土曜日、

そして復活の日曜日の3日間連続で演奏したわけですが、

 

この《マタイ受難曲》が、受難に想いを寄せる期間から1日過ぎてしまっているはずの日曜日(欧州では一般的にこの日から打って変わって復活を喜ぶ音楽が演奏される)でも、

 

なんら違和感がない、それどころか、(部分的にですが)この日に演奏されたほうがしっくり来る部分があると思うのは、僕だけでしょうか。

 

 

合唱(63b)(Due Chori in unisono ふたつの合唱がユニゾンで と表記されている唯一の箇所) 

「本当に、この人は神であったのだ」の感嘆は言うまでもなく、

 

イエスを死へと苦しめた側の人々による、「イエスの亡骸を彼の弟子たちに盗まれぬよう見張らねば」と歌う合唱(66b)でさえ、

 

声を揃えて、じきに起こるはずの復活を実は期待/確信しているトーンを聴くような気がしてならないのです。

 

イエスの受難は決して悲しみに満ち溢れたことだけではなく、救いがもたらされるために、そして望まれる復活のために、果たされなければならない段階だったのだと、《マタイ受難曲》が語ってくれているような気がするのです。

 

 

ここからは個人的な感想です。

独唱陣では、3公演を通して(いや、その前のリハからずっと通して)

青木洋也さんによるアリア(52)が、特に絶唱だったと思います。

 

私は客席で聴いていたわけでなく、いつもオーケストラの中に埋もれるようにポツンと、指揮者 鈴木雅明さんのほぼ目の前に座っていたので、私が受け取る印象と客席からの印象はまた異なるものかもしれません。

 

ですが、青木さんは焦燥感と諦念の狭間にある揺れ「このほおを伝う涙 何にも届かぬのなら」を、情熱的な愛たっぷりに吐露してくださったような気がします。

特に繰返し部は、燃え尽きたあとの残り滓が今もまだ立派に熱を帯びており、さらに遠くへと燃え移っていく、そんな類稀な歌唱でした。

 

 

加耒徹さんが歌われた、いわゆるユダのアリア(42)は、血潮あふれるようなヴァイオリンソロと共に、加耒さんの熱唱を毎回楽しんで拝聴しました。

 

このアリアがG-Durであり、

《マタイ受難曲》における一番最初のレチタティーヴォ、イエスが弟子に優しく説くシーン(2)や、

その後まもなく訪れる「最後の晩餐」のシーン、続くソプラノの"献身アリア"(13)と同じG-Durなのは、偶然とは思えません。

 

ユダの裏切りは結局許されませんでしたが、それでも自死の直前はイエスを囲む輪の中(G-Dur)に入りたかったのかもしれないな、と。

 

 

 

私自身の演奏上では、

"微睡のアリア"(20)は、私なりに音楽を紐解いて最後の音まで世界観に浸ることができました。

それもひとえに、オーボエソリストである三宮正満さんの、とろりとした、それでいながら粒が揃った名ソロあってのことです。

 

このオーボエパートは、

絶対に眠らず起きているから!と意志を持って(Ich will)宣言するも、結局眠り転けてしまう歌い手の、睡眠への誘惑そのものでしょう。

 

私は、あえてオーケストラから微妙にずれて遅れて音を出したり、メリスマ部分の高音であえていきなり弱音にしたりすることで、

尋常でない眠さとそれに抗う心を表現できればと最後まで努力しました。

 

 

1週間前のマカオでは、このアリアは(エヴァンゲリストを務めた僕でなく)櫻田亮さん(現藝大教授)によって歌われましたが、

その血の滾るような熱唱たるや、完全に圧倒され、聴きながらちょっぴり涙が出たのは秘密です。

 

 

実は、この方は私のヒーローです。

私にとっての初めての受難曲体験は、櫻田亮さんのエヴァンゲリストでした。

圧倒されて、憧れて、「自分もいつか歌ってみたい」と強く心に誓った12年前。

今回舞台をご一緒できたこと、言い表せぬ感慨があります。

 

 

 

 

バスの最後のアリア(65)の Welt, geh aus 世よ、出て行くのだ(, lass Jesum ein そしてイエスを迎え入れるのだ)を聴くたびに、

 

大気圏を超えて宇宙へと吸い込まれていく飛行船を想像します。

 

"我が心"のなかで、現世のあらゆる澱みがいま排出され、そしてイエスのみを受け入れ、抱き、ひとつとなる。

 

 

その着地点となる寝床(Bette)を、バッハは自らのイニシャル(Bach)を刻み込んだB-Durで用意したのかな、と。

 

 

 

 

リハーサルの試行錯誤から、千秋楽の最後の音が鳴り止むまで、この物語の輪の中に入れてもらっていた私は、もっとも幸せだったひとりでしょう。

 

 

 

…とはいえ、今年の《マタイ受難曲》を通してやり残したことがあります。

 

私の見解では、究極的にはバッハの望んだ通りに、エヴァンゲリストのパートを歌う歌手は併せて合唱(テノール1)を歌うべきだと考えています。

 

 

それ故に、来年2026年のオランダ・バッハ協会での《マタイ受難曲》ツアー(全14公演)を通して、暗譜してしまえるほど合唱を歌うことができるのが、今から楽しみでなりません。

SNS上では報告し切ったつもりでいましたが、なんと私の「オアシス」であるこちらのブログが放置されてしまっていました。


(ブログは私にとっては瞑想と同じ。完成させるのに時間がかかりますが、書き終えた頃には頭の中が整理され、晴々とした気持ちになります。)



8年越しの挑戦、

そして人生最後の挑戦だった《バッハ国際コンクール2024》は、

23歳だった8年前と同じ、

一次予選敗退という結果で幕を閉じました。


色々なシチュエーションを想像していましたが、正直、最も薄かったヴィジョンが現実となりました。



ファイナルまで残った方々、入賞をされた方々のお歌を拝聴すると、私が正しいと思って模索してきた方向性とは違い過ぎて、

「嗚呼そっちがお好みなら仕方ない」という言葉しか出てきません。


その方々が入賞者に選ばれるのであれば…私の歌はどちらにしても審査員の好みになり得ないので、

一次でなくとも事前予選か二次かファイナルか-今となってはどこで落とされても一緒なのですが-…いずれどこかで落とされていたでしょう。


ただ、審査員の好みの問題、とはよく言うものですが、「好みの問題」の一言でで片付けられるべきことではない、というのが私の見解です。


いくつかの世界的な舞台に立たせて頂いていると、私なりに「おそらく大多数の方が「正しい」方向性だと定義している歌い方」と、そうでない歌い方が存在します。…何を言いたいかと言いますと、音楽において絶対的な正しい間違いは存在しないのですが、それでも実際には、「好ましい歌」というのは多くの舞台を経験するとイメージが掴めてくるものだと思います。


今までこのコンクールは私にとって大切なコンクールでしたが、今は少し、この先を案じています。



その一方で、私はこのまま、私の道を歩み続けられるような気がします。


それはもちろん私の日々の努力次第なのですが、日本の皆様、ドイツをはじめ様々な場所で私の背中を押してくださる方々のことを考えると、その方々の誇りのためにも、しっかりと自信を持って歩み続けるほかはない、ガッカリしている時間は1秒も許されていない、という気持ちです。


なぜなら、私は私を信じてくださる方々のことを心から信じていて、誇りに思っているからです。私が今回気を落とす、自信を無くす、ということは、その方々を傷付けることだと思っています。


自分自身とは自分の身の回りの方々の鏡であり、私を支えてくれる方々が素晴らしい方々なのであれば、自分自身にも自信を持って高みへと歩み続けられるはずです。


8年前は全く違いました。

自分で勝手に燃え上がり、勝手に期待して、勝手に燃え尽きていました。


今回の報告に際し、SNS上で、思いがけないほど多くの方からメッセージ、励ましの言葉をかけて頂きました。


前回から8年経ち、自分がこれほど多くの方に背中を押して頂いているとは、これほど多くの支えに恵まれる人生になったとは、

もしかしたら、このような結果にならなければ気付かなかったことかもしれません。


時間をかけて書いてくださった温かいメッセージのひとつひとつに、心から励まされ、「よっしゃ、練習頑張ろ!」と前を向くことが出来ました。


今回「前を向け、我が道を進め!」と激励してくださった皆様を裏切らないよう、日々進んでいく所存です。





本大会唯一の日本人入賞者であり藝大の同級生である櫻井愛子さんは、二次、ファイナルと残り、最終的に5位入賞を果たしました!


今大会のリハーサルを特別に聴かせて頂いたり、大会中にお話させてもらったりしましたが、準備段階から舞台に上がるまで実に立派なものでした。同期の誇りです。本当におめでとう。


ただ、総合的な完成度と言い、他のコンペティターの出来と言い、彼女ならもっと上、1位-3位の上位に入賞しても良かったはずだと思います。いや、実力としては余裕に優勝されてもおかしくなかった。

先程も述べた通り、今回の審査の数々は、8年前の審査とは比べ物にならないほど「?」が多く、

8年前の大会に参加し最後まで視察し切った証人としては、様子が(自分の勝手な)期待と大きく違ったという驚きに直面しています。



ただそれでも、

8年前、私を一次で振り落としてくれた、大きな目標を与えてくれたバッハ国際コンクールにはとても感謝しています。


8年前がなかったら今の自分はない、とまでは思いませんが、

それでも私はその時のエモーションの全てをバネに走り続けてきました。


人が休んでいるだろう時間帯に、雨が降り続く中でも、ジムに練習室に出掛け、何時間も試行錯誤。それを8年、性懲りも無く繰り返しました。


この物語がどういうエンディングであろうとも、少なくとも完結してくれたことに感謝しています。



人生最後のチャンスを終え、

私は、今回の生涯ではバッハコンクールの入賞者になれませんでした。



でも、もっと良い次の目標があります。


…いつか入賞者の方々と世界の舞台で共演させて頂けるように、

そしてその時に「…確かに予選落ちって感じの歌ね、分かるわ〜」ではなく😆、

良い意味で驚いてもらえるように。


その日が来るのを信じて、猛ダッシュしていきます。





応援くださり、誠にありがとうございました。


吉田志門

運命の地ライプツィヒに到着しました。

 

 

一次予選で涙を呑んだ8年前から、中止となった4年前。

8年間の全てを、此処に置いてくるつもりでいます。

 

この瞬間を8年間待ち続けた自分自身との決別が、まもなくやってきます。

 

 

一次予選の出番まで、あと2日となりました。

17日の14時が開始です。

そして私の出番は・・

・・なんとトップバッター!!

先ほど発表され、声を上げて驚いてしまいました。

47人のうち、トップバッターです。

 

結果は19日の夜に発表されます。

 

一次予選のプログラムは以下の通りです。

 

①-H. Schütz: O Jesu, nomen dulce SWV308

 

②-J. S. Bach: Liebes Herz, bedenke doch

③-J. S. Bach: BWV93/5

 

④-J. S. Bach: BWV81/3 Die schäumenden Wellen

⑤-J. S. Bach: Ich stehe an deiner Krippen hier

 

⑥-G. F. Händel: 《Jephta》Hide thou thy hated beams - 

Waft her, angels, through the skies

 

プログラムはH.シュッツの"O Jesu, nomen dulce SWV308"で幕を開けます。

イタリア的な直感的な陶酔、甘美に飾られてイエスへの賛美が歌われます。

 

プログラムはバッハのシェメリ歌曲集より "Liebes Herz, bedenke doch" へと続きます。

敬虔に「イエス様が顕れる」と期待感たっぷりに歌い始め、

自分が窮地に居る中でも救ってくれる、イエスという救世主の存在に感謝を込めて華やかに歌い上げます。

 

大きな転換点が次曲にて訪れます。

教会カンタータ93番のレチタティーボです。

このナンバーはレチタティーボとしては例外的に長く(2.5分程度)、多くのドラマが詰め込まれています。

まず大きな特色として、レチタティーボの中に所々、コラール(讃美歌)のフラグメント(欠片)が挿入されているのです。

なんという大胆な試みでしょう。

このカンタータはまさに丁度300年前、ここライプツィヒで作曲されました。

「雷や雨に見舞われようとも、必ず主は私達の元に居てくださる、だから信じるのだ」という信念のもと、

二つの寓話が引用されます。(使徒ペトロの漁の話と、貧しきラザロと富豪の話)

 

4曲目のカンタータ81番アリアは、言うまでもなく一次予選の大きな見せ所のひとつです。

ここでは、荒波の中、船に乗っているキリスト教徒が、信念を試されているシーンが描かれています。

克服困難な荒波が技巧的なパッセージと共にドラマチックに描写されますが、

この曲の見事な特徴は時が止まったかのようにAdagio ゆっくりになる中間部です。

その直前の直前まで荒波が吹き荒れているので、まさに時が止まったかのような圧倒的なコントラストです。

 

最後から2番目の曲は再びシェメリ歌曲集より、有名な"Ich stehe an deiner Krippen hier"です。

ここではイエスは降誕したての赤ん坊で、その小さく脆い我々の希望の光を、優しく感動的に讃えます。

「私の元でお眠りください」と信心深く微笑む如く。

 

プログラムの最後を飾るのは、G.ヘンデルの《ジェフタ》よりアリア"Waft her, angels, through the skies"です。 

このアリアはまた特別な力を持った音楽で、その背景には「愛する娘を、神のもとに犠牲に捧げなければならない運命に苛まれる父親」像があります。

なんという悲痛でしょう。それでも、耐え難い悲痛は今昇華され、天国的な祈りの音へと変わっていくのです。

 

 

 

鍵は、20分というやや短い時間の中で、

どれだけこのプログラムが秘めている《多様性》をプレゼンテーションできるか、だと思っています。

 

 

大胆に、繊細に、見せられる全てを1秒目から示していきたいと思います。

 

 

 

 

招待状が届きました。

 

4年前に叶わなかった想いが、

この夏、2024年の7月中旬、ついに叶います。

 

4年に一度の大舞台。

„聖地“ ライプツィヒで開催される

バッハ国際コンクールです。

 

現在31歳なので、

正真正銘、最後の挑戦となります。

 

プログラムの選曲には1年半以上の時間をかけて、

中止になった4年前のプログラムから、大幅な修正を加えました。

 

自分の声で表現できる幅が増えた、

今の自分の声で表現したい曲のヴィジョンがより明確になったからです。

 

4月半ばに事前審査合格の知らせを貰ってから

ずっとブログを書きたかったのですが、

「今は目の前の音楽に集中」と毎日自分が課した課題に追われていたため、

ゆっくりとパソコンに向き合うことができませんでした。

 

 

 

 

 

--------------------------------------------

ここまで練習してみて、分かったことというか、

むしろ吹っ切れた感覚があります。

 

 

この夏のライプツィヒの舞台は、疑う余地もなく、

歌手として、私の生涯で忘れることのできない舞台の一つになるでしょう。

若き歌手として歩んできたこれまでの音楽人生の、ある意味ハイライトと言えるかと思います。

音楽家としてこれ以上なく恵まれた我が人生の終焉を迎えるときに、

この夏のことを鮮やかに思い出すでしょう。

 

 

8年にわたった想い、音楽家としてのここ迄のチャプターが、これにて幕を閉じます。

 

ですがそれでも、

いつ何時もベストを尽くす姿勢は当たり前が故に、

舞台で自己ベストを更新した次の日に

新しい自分が平気な顔をして待っていて、

「あぁ昨日こうやって歌えたら良かったのにな」「何が足りなかったんだろうな」

と笑い飛ばせる自分でありたいと思っています。

 

山を登ったと思ったら、登ったからこそ、

今まで霧に隠れて見えさえしなかった山が遠くにうっすらと見えて、

「まだまだ全然だな」と。

 

それこそが、私なりの正統的であり誠実な音楽との向き合い方だからです。

ここまで自分なりのベストを尽くしてきて、辿り着いたひとつの形です。

 

 

 

8年前のライプツィヒで苦しみ踠きながらも、

涙を呑みながらも、言葉を絞り出してくれた23歳の自分に感謝して。

 

 

 

開幕まであと40日。

 

7月17日-19日 一次ラウンド

7月22日-23日 二次ラウンド

7月26日 ファイナル

【YouTube登録者数6000人感謝記念】 

ついにリリースしました。 

時間をかけた大作です。 

ドイツ語の発音だけでなく、作品の背景も楽しみながら学べる動画です。 

多くの皆様の音楽づくりの手助けとなりますことを! 

 

日本一早く発音マスターできるヨハネ受難曲(J.S.バッハ作曲)

 

 

後編はこちら

 

 

「解き放たれて 軽やかに」


大まかな、新シーズンへの個人的なモットーです。



2022-23は、バッハコレギウムジャパンとの初共演に始まり、

シューベルト、シューマン、

そして先日の木下牧子先生/フォーレの瑞々しい世界観を堪能したシーズンでした。


歌手を超えて音楽家として、

音楽の基本を見つめようと努めた1年でした。


ベルリン在住の指揮者 高橋達馬氏に指導をお願いし、

ひとつひとつの楽曲の調性、テンポ、Gliederung 構成/組織 1から学び始めました。


そのお陰で、自分が歌うフレーズのひとつひとつの流れに、

より音楽的な根拠を見出すことが出来ました。 


「今自分が歌っているパートが音楽の中のどの立ち位置なのか」を知覚しながら歌うことに意識を向けた1年間でした。



結果、音がより「座る」ようになり、深みを増したと思います。


文学、詩にも出来るだけ時間をかけて取り組んだ一年でした。

何を歌っているのか、言葉が分かる歌を目指して工夫してきました。




ですが、シーズン2023-24は、

音楽家としてだけではなく、

「テノール歌手として」今までにないほどに成長したいなと思っています。


具体的には、イタリアンテノール的な高音へのこだわりを持って、音の一つ一つに軽やかさと鋭さと、そして艶を見出せるように、

自分の声を磨くことにフォーカスして一年頑張っていきたいです。


4年ほど前の、自分のロッシーニのアリアの演奏に励まされる時があります。

ドイツでの日々を通して、ある意味落ち着いてしまったテノールらしい高音への情熱を今もう一度取り戻したいと思います。



すでにこの秋からテノール「らしい」ソロが僕を待っています。


メンデルスゾーン《エリア》モーツァルト《レクイエム》、そしてなんと!


遠くザルツブルクでヴェルディ《レクイエム》の依頼が来ました。


僕はテノールヴェルディアーノではありませんが、リリックテノールとしてこの作品に、聴衆側のイメージ(あるいは固定観念)と上手くやり合いながらどこまで対峙できるのでしょうか。


頂いたせっかくの機会、ベストを尽くしたいと思います。