今年もまた、この時期がやってくる。
(と綴ると、どうしてもクリスマスのフライドチキンの宣伝を思い出してしまうのは、私が日本人である証拠だ。)
ただ、今年に限らず、
始まりはいつも少し早い。
2月末に受難曲を演奏してしまおう、という教会や団体は、ドイツでも意外なほど多い。
要は、遅すぎなければ(=復活の後の時期にならなければ)2月でも3月でも良い、というのがドイツの主流な気がする。
雪降る松蔭チャペルでのコンサートを終え、
家族で1週間、沖縄・石垣に赴き数時間プールでぽちゃぽちゃと浮かんだと思ったら、
たった6日間、独りベルリンに帰ってきたのは、このヨハネ受難曲の演奏会のためでもあった。
演奏会を終えると翌朝5時には起床し、
日本へと発つ道中でこの記事は書かれている。
霞町音楽堂でのリサイタル(完売御礼)、
そしてバッハコレギウムジャパンとの演奏会が控えている。
今年の受難節は3月下旬から、13回にもわたるマタイ受難曲のツアーbyオランダバッハ協会が控えているのだから、
今年、ヨハネ受難曲に浸ることができるのは、
おそらく今日までだろう。
さて、ヨハネ受難曲との出会いは、
マタイ受難曲とのそれよりもずっと早かったが、
ここ数年マタイ受難曲の演奏機会が一気に増えたせいか、
実際に演奏会で歌った回数は同程度だ。
あくまで今の段階での意見に過ぎないが、
テノールにとって、ヨハネ受難曲の方が難易度が高い、と思う。
とにかく、休みがほぼないのだ。
マタイ受難曲は、途中に他の歌手によるアリアが演奏されるため、その度に一息付く余裕がある。
そういった心の余裕が一切ないのが、ヨハネ受難曲の難しさ。
一方、演奏が終わった後の疲労感を比較すると、
意外なほど、ヨハネ受難曲in現代ピッチは健康的な印象だ。
マタイ受難曲in現代ピッチも、演奏会の翌日、そこまで大変な疲労感が残っていることはない。
気をつけるべきは寧ろ、
古楽ピッチでの演奏会の後だ。
高音のアクロバティックがない分、
演奏会ではリラックスできると思いがちだが、
却って中音域低音域を鳴らし過ぎて、翌日朝起きたらバスバリトンヴォイスに変容している現象がしばしば起きる。
台本上、ほぼひと時たりとも明るい気持ちで歌える場面がないのも、ヨハネ受難曲の演奏を難しくさせる。
マタイ受難曲では、受難の物語とはいえ、「最後の晩餐」場面までは割と朗らかな音楽が展開されて(長調も多い)、
歌声にも良いリラックスをもたらしていると私は思う。
それと比べて、なんというか、
ヨハネ受難曲は常時戦闘モードなのだ。
そしてなによりも、二つ目のアリア Erwägeが、屈指の難しさを誇る。
このアリアを現代ピッチで歌えと言われた時には、少しだけ構えてしまう。
(注: 私の意見では、どんなテノールであっても、たとえワーグナーを歌うテノールであっても、このアリアを現代ピッチで綺麗に歌えるべきである。正しい技術なしでは絶対に歌い切れない、教科書のような試練のアリアなのだ)
調子が悪い時にこの曲を歌うと、リアルに地獄に身を置いている気分を味わえる。
早く終わってくれ、と歌いながら願っても、生憎、このアリアは繰り返し付きアリアで、10分にもわたる苦行なのだ。
ただ、このアリアは、歌う側にとってだけの苦行ではない。
テノールが苦しみ喘ぐのを見ていると、聴衆にとっても、
共に演奏している音楽家にとっても、合唱団の皆様にとっても、
その空間にいらっしゃるありとあらゆる人にとっての10分間の受難なのが、このアリアなのです。
このアリアが楽〜に、麗しく演奏されることは、とても、とても稀であることを強調したいと思います。(このアリアに苦しみ喘ぐ全テノールを代表しまして)
・・まぁそういうテノールの悩ましい話は置いておいて、
この度、新鮮な気持ちで、
聖書や磯山雅先生の本と共に、
ひとつひとつの音を見直してみた。
すると、磯山先生が書いておられることに、とても新鮮な発見があった。
それは、一つ目のテノールアリア Ach, mein Sinnの中でのことだ。
このアリアは、とても思い出深いアリアで、
とは言ってもまだ遠い過去の話でもないのだけれど、
2024年夏にバッハコレギウムジャパンのEUツアーに参加した時に、このアリアを歌わせていただく名誉に浴した。
世界最大の音楽祭であるイギリス・BBCプロムスにて、《ヨハネ受難曲》のテノールソロを歌わせて頂くことは、
とんでもないことであったが、同時にとても大きなプレッシャーを(勝手に)感じていた。
雅明氏から、演奏会直前に「志門くんね、最初の歌詞“Ach“がドラマチックに欲しいよね、気持ちを込めて」とお言葉を頂き、
張り切り過ぎて、とんでもなく前のめりなAchを歌ってしまったのだ。
その程度たるや、放送事故レベルだ。
しかも、その演奏会はライブ中継されたとか。(しばらくアーカイブスに残っていたが、今もまだネット上にあるのかどうか)
さて、本記事でお話ししたかったのは(ようやく本題)、
そのアリアの直前に起きることである。
少しマニアックな内容かもしれないが、私にとっては大きな発見であったので。
そのアリアの直前、受難曲のハイライトの一つである、弟子ペトロがさめざめと泣く場面のことである。
このシーンはマタイ受難曲にも、ヨハネ受難曲にも、どちらにもある。
(ただ、マタイ受難曲では、ペトロの気持ちの総括として、アルト独唱による名アリアErbarme dich憐れみたまえ が用意されている。)
磯山先生の著書を読むまで恥ずかしながら気付かなかったことであったが、
テキストが、
ヨハネ受難曲では
und ging hinaus und weinete bitterlich
そうしてそこから出て行って さめざめと涙を流した
一方のマタイ受難曲では
und ging heraus und weinete bitterlich
そうしてこちらへと出てきて さめざめと涙を流した
…お気づきだろうか?
hinausそこから(我々に背中を向けて)出て行く
heraus そこから(我々の方向へと)出て来る
という絶妙な視点の違いがあるのだ。
そして、「我々に背を向けて」視点のヨハネ受難曲では、続くアリアで
Bleib ich hier, oder wünsch ich mir Berg und Hügel auf den Rücken?
ここに留まるべきか、それともこの背に山と丘とを背負うべきか
と、ペトロの背中にのしかかる重い悔恨が歌われる。
……そう、
私たちに、ペトロは背中を見せているのだ。
今回、この事実を確認できた時、
私の目には一層クリアに、その情景が3Dに浮かんできたものだった。
加えて、ヨハネ受難曲の
hinausそこから(我々に背中を向けて)出て行く
の音楽部分は、
7度跳躍であるものの、
取り留めのない感覚と共に音が過ぎる。
まるでペトロが、私たちの元から少し離れたかのように、うつろに。
一方でマタイ受難曲の
herausそこから(我々の方向へと)出て来る
の音楽部分は、
テノール歌手界隈には有名な難所であり、
作品中ここにしか出てこない最高音Hに達する、まさにクライマックスである。
ヨハネ受難曲と比較すると、文字通り、悔恨に顔を顰めたペトロがこちらに近寄ってくるようであり、鬼気迫る。
私はこれまでの演奏で、この最高音Hを割とすっと抜くイメージで歌っていたけれど(そのあとのさめざめと泣く情景にドラマを入れたかったため)、
これからは、もう少しペトロに寄り添うことができるような気がする。
そんな2026年のヨハネ受難曲の演奏は、
数年前だったら即コロナ認定されていたであろうレベルのしぶとい風邪を拗らせ、
とても良好とは言えない状態で臨んだ本番だったが、
沢山の学びを得ることができた。
何より、
演奏会場であった、ベルリンから南方向へ100km程離れた街リュッベンLübbenの教会が、
かのP.ゲルハルトのお膝元だと知った時、言いようのない感銘を受けたものだ。
教会前のゲルハルト像を拝むことができたり、
ミュージアムで、彼が書いた詩による有名な讃美歌を確認することができたり、
そんな貴重な記念館の中で(良いんです、全ドイツ人の皆様の所有物と言って良いのですから)、
ごった返して演奏会前に持ち寄りのケーキやコーヒーを楽しむ合唱団の皆様と
和やかな時間を過ごすことができたのも、只々有り難い時間だった。
最後まで読んでくださった方限定で、おまけとして、
今回の演奏会のライブ録音の一部をお聴きいただけたらと思う。
携帯電話での録音なので、音質については目を瞑ってくださると幸甚です。
今回の記事で触れた、
ペトロが我々に背を向けて一歩外に出て
悔恨にさめざめと涙を流す場面と、
受難曲の終盤、
イエスの十字架で立ち尽くす母マリア(はじめ、赤の他人のマリアなどが一緒にいるのでややこしい)の場面です。












