いざ始まってしまえば早いもので、
すでに折り返し地点の7公演(in ティルブルク)、8公演目(inアールデンブルク)が終わりました。
さて、YouTubeでのライブ配信は、
オランダのみならず日本の皆様、
世界中の皆様にも《マタイ受難曲》の雰囲気を味わっていただけるとっておきの機会です。
(見逃し配信なし、というのもライブ感があって良いですね)
ライブ配信はこちらから
(29日日曜日、日本時間21時半より開始)
演奏者側から見て、本配信の個人的な聴きどころを書き散らしてみたいと思います。
《マタイ受難曲》は、イエスを取り巻く登場人物の紹介(イエスに香油を注ぐ女、裏切者ユダ、熱心な弟子ペトロ)から始まり、
民衆に嘲られ、殴られ、唾を吐きかけられ、
最後には十字架に架けられるイエスの様子が描かれます。
終局では、イエスはすでに息を引き取り、今埋葬されようとしています。
ただこれは全て、
その先の「復活」が起こるために、必然な出来事なのです。
全ては、神が啓示したことが成就されるための段階に過ぎないのです。
それ故に、最終曲では、
じきに訪れる復活への確信と共に、イエスを埋葬します。
この曲こそ、今回の配信を最後まで(あるいは、最後だけでも笑)見て頂きたい最大の理由であり、
3時間にわたる演奏のハイライトだと思います。
以下、ごくごくパーソナルな小話も交えての個人的聴きどころです。
いわゆる表題役であるイエス役のステファン・マクロードは、硬質で威厳のある声を存分に聴かせてくれます。
後半に歌われるアリア「Komm, süßes Kreus 来れ、甘き十字架よ」では、彼の声が持つ渋味を堪能できます。
前半のテノールアリアは、スイス人のテノールであるラファエル・フェーンが務めます。
この方は私の大ヒーローのような方で、
10年前のライプツィヒ・バッハコンクールにて、まだ23歳と若かった私にとって、
彼の歌を聴いたことは衝撃的な出来事でした。
私の音楽人生に多大な影響を与えた音楽家がたった何人かいるとすれば、彼はそのうちの1人です。
(10年前の、興奮そのままに綴った稚拙な記事ですが、貼っておきます。)
今回、これほどの大きな舞台で彼と同じ空気を吸っていること、言い表せぬ感慨があります。
僕のヒーローであるラファエルと数日前に撮ったおバカ写真を掲載しちゃいます。
後半も名アリアが並びます。
今回、機会を伺っては同僚に「1番好きなアリアはどのアリア?」とアンケートをしているのですが、
ユダの自殺後、加耒徹さんによって歌われる
“ユダのアリア“こと「Gebt mir meinen Jesum wieder 私のイエスを返しておくれ」(後半始まって20分ほど)と、
終盤にアレクサンダー・チャンスによって歌われる「Sehet, Jesus hat die Hand 見よ、イエスが手を伸ばして」
が(意外にも)人気でした。
意外にも、と書いたのは、
人気ナンバーワンはやはり、超有名曲である「Erbarme dich 憐れみたまえ」、
イエスの無実を訴える絶美のアリア「Aus Liebe 愛ゆえに」かなと予想していたからです。
演奏する側としては、テーマがテーマだけに重苦しい雰囲気が漂う受難曲演奏において、
長調のアリアである上記二曲は一種の清涼剤の役割を担っているのかもしれないですね。
そして何を隠そう、
私が《マタイ受難曲》の中で最も好きなアリアは、
最後の二つのアリア、
アルト独唱「見よ、イエスが手を伸ばして」と、バス独唱による、所謂大トリのアリア「清めよ、わが心」なのです。
まあ、演奏家の心情として、「そろそろこの曲も終わりに近づいて来た」という安堵と共に、
より音楽に入り込むことができるのかもしれません。
ちなみに、
ユダが自殺した直後に歌われる超絶技巧的なアリア「私のイエスを返しておくれ」(ユダのアリア)は、
短いながらも実に聴きごたえがあるアリアで、
特にヴァイオリンのソロと加耒徹さんの絶好調な歌唱の応酬は、聴いていて(歌詞の内容はともかく)清々しい気持ちになります。
私が独唱を担当するアリア(後半開始直後)は、
「Geduld 忍耐」という、まぁ私も長い付き合いのアリアなのですが(辛酸をなめた7年前の拙記事参照)、
難易度がとても高いアリアです。
何回か、このアリアに(自分の力不足ゆえに)殺されかけ、泣かされてきました。
まずそもそも、
この「忍耐 Geduld」という非常に特殊な名前のアリアは、
そのタイトルが体現する通り、非常に抑制的な音楽で、
聴いていても爽快だとか、晴れやかだとか、そういう感覚が全くないアリアなんです(何がなんでも正直すぎるだろ)。
イエスはいかなる苦難におられようとも沈黙を守った。
だから私たちも、いかなる嘲りを受けようともそれを黙して受け入れようではないか。
愛する神様が我々を護ってくれるのだから。
そういった、禁欲的で内省的なアリアなのです。
…なんかもう少しポジティブなこと書けよって感じですね。
このアリアの難しさは、
詩の内容に引っ張られすぎると、歌声まで過度にストイックになり、
テノールの伸びやかな声が聴かれなくなってしまう危険がいつも潜んでいることです。
と言いますか、私も学んだのですが、
歌の内容がいかに悲劇的で、忍耐を強いられるものであろうと、
テノール歌手である限り、その歌声は限りなく解き放たれたもので、
伸びやかに響かなければナンセンス、本末転倒だと思います。
短調の曲こそ、声の煌めきが欲しいです。
その時、舞台で感じていることがそのまま反映されたような歌になったら素敵だなと思います。
どちらにしても、ヴィオラ・ダ・ガンバという渋味のある楽器に支えられながら歌うことができる時間を、有り難く味わいたいと思います。
昨日の8公演目、アールデンブルクの教会での演奏は、
最後の音が鳴り終わって、教会にいらした聴衆の皆様が、一切の拍手をすることなく、
ただ、立ち上がって私たちに無言の敬意を示す、見たことのない光景でした。
ここに至るまでの7公演はすべて「ホールでの演奏会」でしたが、
今日、教会で会衆の皆様と経験したのは他でもない、神の子イエスが亡くなるという「受難劇」でした。
さて、日付が変わって日曜日。
約束の地に私たちは辿り着きます。
聖地ナールデンの教会より、
画面越しの皆様と共に、
バッハが私たちに残してくれた音楽を通して、
その時間を享受できますように。















