僕の4年に一度の”オリンピック”は今日、

「再延期なし中止」という形を持って幕を閉じました。

 

 

バッハの聖地ライプツィヒで行われる

国際バッハコンクールです。

 

4年に一度の大舞台。

 

 

今から5年前、2016年に、

23歳にして大会に初出場させてもらい

舞台上でとても悔しい思いを経験しました。

 

 

初出場のライプツィヒの日々から去年までの4年間、

一瞬たりともこの大会のことを忘れたことはありません。

 

 

次回のバッハコンクールでひとつでも良いところまで残りたい、

そして輝かしきバッハメダルが欲しい、という気持ちは

僕を何処までも際限なく成長させてくれるような気がしました。

 

 

 

この大会に向けて準備するすべての時間が

心の喜びであり 青春でした。

 

 

去年の春、僕の元に

胸の躍るような知らせが届きました。

 

「書類とビデオによる審査の結果 貴方を招待します」

それと同時に、コンクールの一年延期を知らされました。

コロナが始まった頃、2020年4月の話です。

 

 

それからはコロナ禍で色々なことがありました。

お客様がいない中でのコンサート仕事。

もう久しく見ていない故郷の夕陽、恋しい父上母上。

二度と会えなくなってしまった人たちのこと。

 

 

日々悲しきニュースが入る混沌とした状況の中でも、

順延してでもこの大会に再び出場できるという喜びを忘れることはありませんでした。

 

 

ちょうど昨日、

大会まであと2ヶ月というところでした。

出場する記念に という思いもあり、

本大会にて伴奏者として支えてくださっている高橋達馬さんと、

録音スタジオで数曲、

コンクールで演奏予定の曲をレコーディングしていたところでした。

音楽への愛に満ちた此の素晴らしき時間を、

切り取って残しておきたかったからです。

 

いつの日か、この恵まれた音楽家人生の道の最後のカーヴに差し掛かる時、

この時のバッハの録音を聴いて何を思うのでしょうか。

 

 

 

 

タイピングをしている今にでも、

目の奥にひそむ熱い雫が溢れ出してきます。

 

 

 

とはいえ、

ベストではないこの状況での強行ではなく

出場者も審査員もお客様も皆揃って安全に開催できることにプライオリティを置いた

開催本部の英断に敬意を表したいと思います。

 

この知らせを僕たち出場者に送ることになった時、

どれほど胸の張り裂ける思いだったでしょうか。

 

 

 

僕は何も失っていません。

勝ちませんでしたし負けもしませんでした。

多くを学びましたしたくさん成長できました。

 

 

でも、いかなる物も、この胸のなかの消失感を拭うことはできません。

5年前にも似たうつろな感情が僕を襲います。

 

 

 

応援してくださった皆様、

本当にありがとうございました。

 

少し休んで、また立ち上がろうと思います。