
10回にも渡った「コラールカンタータ」シリーズが、
今週末の演奏会(3月7日サントリーホール/8日神戸松蔭大学チャペル)を持って締めくくられます。
J.S.バッハは、1724-25年の1年の間で、
(1年は、私の知る限り48週ほどしかないのに)
なんと、毎週のように、
40ものカンタータを書いたのです。
しかも、その丁度40という数のカンタータ作曲を成し遂げた(独: vollbracht)のち、
《ヨハネ受難曲》の第二稿を書き上げ、初演しています。
これがどれほど驚異的な創作か、
もうこれからの人類史上、
そのようなことを成し遂げる人は
絶対に現れないだろうと断言してしまえるほどの業なのです。
しかし、なぜ「40」だったのでしょうか。
40という数字が持つシンボルに基づく、という説、
この頃のカンタータ作曲に寄与(つまり作詞)していた詩人がこの世を去ったことによる、やむを得ない打ち切り、という説、
諸説ありますが、
どちらにしても、この度の演奏会で、
その最後の4つのピースをBCJの皆様、
演奏会にお運びくださる皆様と共有できますこと、
万感の思いです。
言葉に言い表すことができませんが、
言い表せませんのでおしまい、
とすると、
ここで記事が終わってしまいますので、
ぺちゃくちゃと書き散らしていこうと思います。
本演奏会で演奏されます4つのカンタータは、
時期として2月から3月にかけて作曲されました。
前回(1月-2月)のような「ポストクリスマス」感はもはや無く、
完全に、来る受難節および復活祭を見据えています。
前半に演奏されます
カンタータ126番と127番(連番だと覚えやすいですね)では、
Letzte Not 最後の苦難 am Kreuz 十字架に於いて
Die Posaunen 最後のラッパ(=終末、最後の審判の場面で語られる)
と、これから直に起きる受難を強く意識させられる言葉が並びます。
カンタータ126番は、ルターによるコラール(賛美歌)が主題です。
ですが、冒頭合唱のテキストを読んで、
度肝を抜かれる方もいらっしゃるでしょう。
Und steur’ des Papsts und Türken Mord
そしてローマ教皇とトルコ人の殺戮から守りたまえ
「・・賛美歌の「賛美」、とは一体・・?」
と思ってしまうほど、どぎついテキストですね。
正直、どんな気持ちで歌えばいいのか分からない時があります。
ですが、このテキストはルターによって(1542年、つまりほぼ500年前)書かれたものですが、
ローマ教皇、トルコ人は当時、キリスト教を迫害する敵、
つまりは異教徒の代表だったのです。
そういった迫害に打ち勝って、
平和を授けてください、アーメン
というのが、このカンタータの主軸です。
そして、そのテキストが全く耳に入らないほど、
冒頭合唱では輝かしくトランペット(斎藤 秀範さん)が鳴り響きます。
リハ中にご本人からお話を聞かせてもらいましたが、
この合唱の「イ短調」という調性は、トランペットにとってはかなり特殊な調性で、
つまるところは不慣れな音がとても多く、非常に難易度が高いとのこと。
(ちなみにヘンデル《マカベウスのユダ》のアリアも同じイ短調で難しい、とのこと)
難易度を全く感じさせない、斎藤さんの英雄的なサウンドをお楽しみください。
冒頭合唱に負けじと、
第2楽章のテノール独唱アリアでは
力強く、神の御力への絶対的な信頼が歌われます。
このアリアは、
バッハ学者マウル氏によると「最多記録保持者」とのこと。
何の記録かと言いますと、
ひとフレーズ(zerstreuenという言葉に当てられた音符の数)の中で歌われる音符の数の多さなのです。
その数なんと、
109個。(豆を数えるごとく、自分で数えました)
これは、バッハの声楽曲において最多を誇るとのこと・・。(これより多くあっても困るわ)
敵を打ち砕く zerstreuenと歌われるフレーズにおいて、
5小節にもわたって、延々と、細かいメリスマと共に、
まさに敵を執拗に笑い嘲るごとく歌われる様子は圧巻です。(・・うまく演奏できれば、の話)
第4楽章はバス独唱アリア(加耒徹さん)で、
Stürze zu Boden, schwülstige Stolze!
奈落へと突き落とされよ、膨れ上がった驕りよ
と歌われます。
ここで目に付くのは、単語の頭のSの多さです。
Stürze schwülstige Stolze
どれもSから始まっていますね。
こういった詩の技法は頭韻(アリタレーション)と呼ばれます。
ミッキーマウス Mickey Mouseなんかもそうですね。
こういった詩の技法が、音楽とマッチすることで、キャラクター付けに大きく貢献しているのが、
聴いて頂くとよくわかると思います。
技術的に非常に難しいアリアですが、劇的効果がある名アリアです。
続く第5楽章、テノール独唱レチタティーヴォの締めくくりに、
遂に、このカンタータの終着点である
Frieden 平安
という言葉が、このカンタータで初めて歌われます。
ここ数日の、穏やかでない世界の状況を見ると、
私たちがこのカンタータの最終コラールで
平安で静かな生活を送れるように
と声を合わせて演奏できることは、
なんと恵まれたことなのだと、強く感じざるを得ません。
続くカンタータ127番では、
2本のFlauto dolce、
所謂リコーダーが登場します。
このカンタータが、唸るほどの極めて高い完成度を誇る作品で、
この冒頭合唱から格別なのです。
何が格別かと言いますと、曲の始まり1小節目からいきなり、
別のコラール(賛美歌)“Christe, du Lamm Gottes“が、ヴァイオリンパートにて歌われるのです。
(この賛美歌もまたルター作曲によるものなのですが、
このカンタータが初演されて間もなく《ヨハネ受難曲》第二稿版にて、終曲に用いられることになります)
つまり、ふたつの異なる賛美歌がひとつの楽章に織り込まれているのです。
続く第2楽章でテノール独唱によりしめやかに「死の安らぎ」が用意されると、
いよいよ、世にも美しい(鈴木雅明氏インタビューより引用)ソプラノ独唱(松井亜希さん)によるアリアが始まります。
【鈴木雅明氏が語るコラールカンタータ300年Ⅹ】
2本のリコーダーに支えられて始まるこのアリアは、
一度耳にすれば二度と忘れることができない魅力があります。
同じ音が刻々ときざまれるモチーフは、
Todes(或いはSterbe-)glocke 死の鐘 と称されています。
最期の刻が、もうすぐそこまで近付いている様子が描かれています。
限りなく安らかな前楽章と対照をなすように、
続く第4楽章ではバス独唱とともに「最後のラッパ」が鳴らされます。
こちらはヨハネ黙示録に描かれている場面で、
《レクイエム》(それがモーツァルト作曲であれど、ヴェルディであれど、ブラームスであれど)では必ず音楽再現されています。
Himmel und Erde im Feuer vergehen 天と地とが炎へと消え行く
のテキスト通り、
終末的であり、劇的極まれり音楽です。
後半の2つのカンタータは、どちらも聖母マリアにまつわる日のためのカンタータです。
125番は「マリアの浄めの日」のためのカンタータで、2月2日(1725年)に初演されました。
(なお、名カンタータ82番 Ich habe genug 私は満たされて も、この日のために書かれています。)
この日は、クリスマスよりちょうど40日経った日、と言われています。
マリアが神殿を訪れたとき、境内で老人シメオンと出会います。
このシメオンという人は、
メシアを見るまでは死ぬことがない
というお告げを聖霊から受けていました。
ですが、幼子イエスを見て、
「今、遂に安らかに去ることができる」
と祝福します。
遂に、メシア(救世主)になる幼子を目の前にしたからです。
これが、カンタータ125番の表題 Mit Fried und Freud ich fahr dahin 平安と喜びとをもって私は往こう
であり、主題なのです。
(日本語にすると、逝こう の方が直接的で分かりやすいかもしれませんね。)
ただ、この老人シメオンは、イエスを産んだばかりの母マリアに、ただならぬ預言を告げます。
「剣があなたの魂さえも刺し貫くでしょう」
出産して40日もしないうちに、
この幼子に将来どれほどの苦難が待ち受けているか、母親に告げるのです。
そんな125番の冒頭合唱では、
偶然なのでしょうか、
数年のちに生み出される最高傑作《マタイ受難曲》の冒頭合唱と全く同じ、
ホ短調、12/8拍子なのです。
まさに、やがて訪れるはずの受難を告示するようにも聴こえます。
この冒頭合唱は、127番のソプラノ独唱アリアに並んで、本演奏会のハイライトのひとつと言って良いと思います。
続く第2楽章はアルト独唱によるアリアです。
本演奏会は、世界的なカウンターテナーであるティム・ミード氏によって演奏されます。
ティムさんとは2024年4月、ボストンで一週間を共にしました。(ロ短調ミサ、鈴木雅明指揮)
濃密で唯一無二の歌声をお聴きいただけることかと思います。
第3楽章のレチタティーヴォが im Sterben 死の床で と締めくくられると、
続くアリア(テノールとバスによる二重唱)では、言い表せぬほどの光が世界の遍く方向へと差し込む如く、
復活が成就します。
・・さて。
この「コラールカンタータ」シリーズの最終回を飾るのは、
カンタータ1番(!!!!!)
Wie schön leuchtet der Morgenstern 暁星はなんと素晴らしく輝き
です。
1番、だからと言って1番最初に作られたわけではありません。
寧ろ、バッハのこの1年での40曲にもわたるコラールカンタータ創作においては、
「1番最後」に作曲されました(3月25日)。
ですが、マウル氏のお言葉を引用させてもらうと、
ただ作品番号がナンバーワンなだけではなく、
「バッハのカンタータの多くの“ナンバーワン“のうちのひとつ」であるのは間違いないでしょう。
このカンタータはまさに暁星のごとく素晴らしく煌めき、
私たちの心をどこまでも引き上げてくれます。
冒頭合唱は、まさに星々の共演!
2本のホルン(福川伸陽さんと向なつきさん)、
2本のヴァイオリン(寺神戸亮さんと若松夏美さん)、
2本のオーボエダカッチャ(三宮正満さんと荒井豪さん)、
輝く星々のごとく、スター奏者の皆様のソロの応酬が繰り広げられます。
第3楽章のソプラノ独唱アリアも逸品です。
珍しく、オーボエダカッチャがオブリガートを務めます。
その独特な、ダークチョコレートのような音色に、
松井亜希さんの涼やかな鈴の音のコロラトゥーラが心地よく絡み、響きます。
さて、最後のカンタータの最後の独唱アリア(第5楽章)なのですが、
Unser Mund und Ton der Saiten 私たちの口(歌)と弦の調べ
と、我々音楽家自身のことを述べているという点で特異です。
そのテキスト通り、この音楽は弦楽合奏と、ヴァイオリン2本のオブリガートに支えられます。
・・これまたなぜ、
テノールの独唱に充てられたのでしょうかね?
(別に、苦言ではないです。決して。)
しかも、技術的には屈指の難易度を誇るアリアです。
バッハにはさして珍しいことではないですが、高音のB音まで達します。
Danklied 感謝と賞賛の歌のはずなのですが、
感謝なんてとんでもない、それどころか歌っていて精一杯、という実演が多いかと思います。(僕も同じく、とは一言も言っておりません。)
・・なんだか締まりのない締め方になってしまいましたね。(自分のせいだろ)
さて、
ドイツ語で「素晴らしい時間」のことを
Sternstunde (星々のごとく)煌めく時間
と言いますが、
文字通り、星々のごとく煌めく時間を皆様と分かち合いたいと思います。
花粉の猛威に負けず、お気をつけてお運びください。
会場でお目に掛かれますこと、楽しみにしております。
吉田志門