『30の励ましメッセージ』
→ こちら
灼熱の日々が続いていた数日前に
ラジオのパーソナリティが
大阪のあるタコ焼き屋さんの
下記のようなXを紹介していました。
↓
今、駐車場で車に乗ろうとしたオバチャンが
「シート熱っ!焼けるわ!誰が焼豚や!」と。
これを聞いてから、
午後に洗濯物を取り込むとか、
雨戸を閉める時に
「焼けるわ!誰が焼き豚や!」
と下手な関西弁で
一人ノリツッコミ(?)して、
体温並みの気温をやり過ごしましたが、
予想外にこの言葉でパワーが出ました。
でもこちらは昨日から
梅雨らしい気温と空模様です。
あえてテーマ無し、筋(すじ)無し
さて酷暑の月曜の午前は
エリアマネージャーと
オンラインミーティング、
「マサコの部屋」、
通算18回目を開催。
→ こちら
(↓今回はお一人欠席で下記のメンバーで。私は上段右)
今回は特にテーマは設けず、
情報交換や日々の雑感を。
でもこれには意味があって、
この内容にしたのです!
というのは久しぶりに
聴きごたえ(見ごたえ?)があった
先月のEテレ「100分de名著」の中で
名もなき地域での風習を
綿密なフィールドワークで書き残した
『忘れられた日本人』
(宮本常一/民俗学者)の中の一節に
思うところがあったから。
それは「講」。
今日はこの「講の効用」について。
よかったらお付き合いください。
「横のつながり」としての「講」
講と聞くと
「講義」とか「講座」を
思い浮かべがちですが
上記の本の中では
「グループ活動」のこと。
古代から昭和まで各地で行われていた
村の若い旦那衆や未婚女性、
隠居組といったように
同じ年齢層が集まる「寄り合い」を
指します。
番組で紹介されていたのは
福井県敦賀の海岸町の「観音講」。
これはお寺のお堂で行われていますが
仏教を勉強するわけではないのです。
比較的年配女性が集って、
と、ある老婆から説明を受け、少々面食らう著者・・・。
しかしそれをやんわりと
訂正する者もいます。
↓
「年寄りは愚痴が多いから、
こうした場で話すことで
外で嫁の悪口を言わなくなるために」。
これ以外にも各地に
「伊勢講」
(伊勢神宮を参詣するための情報交換)
「頼母子(たのもし)講」
(金融システム。民間の互助組織)
「月待(つきまち)講」
(特定の月齢の夜に飲食しながらよもやま話)
というように少し前の世代まで
「講」のもとに何かにつけて
人々は定期的に(あるいは不定期に)集い、
経験や知識の情報交換してきたようです。
今は「コミュニティ」なんていう
こじゃれた名前がついてますが
それよりもずっと以前に、
私達の祖先は集うことの意義、
話すことの浄化作用、
聴くことの重要性を
暮しの中に取り込んでいたのだと
改めて思いました。
私のやりたいこともある意味「講」
そういう意味を込めて、
雑多な話をしながら、
ワンセルフカードを引くことで、
頭の中が整理され、
自分の深いところから承認と
励ましのメッセージが受け取れるという
月曜のオンラインミーティングでした。
(↑当日の私のカード展開)
こうした流れを
カードセラピーに落とし込んだ
更新トレーナー用の新ワーク
「Detour(ディートワ)ワーク」を
8月から公開予定です。
Detourとは寄り道。
前のマサコの部屋で
「小石ワーク」と仮でつけて
試験的にやったもの。
→ こちら
(↑月曜に出たそれぞれのカード、
意味が深くありました!)
更新トレーナー用のポストカード
「海辺のユニコーン」→ こちら
も使いたかったので
全員にこれが行き渡るまでに
およそ一年がかかるので
(8月末の一期生から
それぞれの更新月に配布のため)
公開が遅くなり、
首を長くして待って下さった
トレーナーとシニアトレーナーさん、
申し訳ございません。
近日中に告知をここに書きますね~!
(って、前もそう書いて口番長でごめんなさいね)
さてさて月曜の午前のマサコの部屋で、
午後の予定をお聞きしたら
お一人は午後から個人セッションを対面で、
お一人はHPメンテナンスの先生が来て
レクチャーを受ける、
とのこと。
エリアマネージャーさんは
売れっ子講師、セラピストさんなので
お忙しい中を縫っての
「ワンセルフ講」(笑)参加でした。
ありがとうございました。
余禄:母も生前、観音講に!?
私の母は中高年になっての一時期、
浅草の浅草寺に「観音講の日だから参拝に」
と言って当時仲の良かった奥さんと
年に数回、ちょっとおしゃれをして
いそいそと出かけてました。
(↓昨秋の浅草寺)
もう母は亡くなっているのに
未だに浅草寺からはその日程が
郵送物で届きます。
この浅草の観音講は
純粋に観音様の教えを学ぶ会のようで
今日書いた「講」とは異なりますが、
それでも拡大解釈すると
母は行き帰りにその奥さんと
おしゃべりしたり、
ランチを食べたりが
頑固者の父の仕事のお手伝い、
という日常から解放されて
楽しかったのでは?
そして日頃の愚痴や不安は
街の雑踏の中に置いて来ていたのでは?
スマホやSNS等、
何もなかった時代には
こうしたことが人々にとって
すごく大切だったんだろうなぁ、
って思います。
そして今も大切!、とも思います。
今日も最後まで読んで下さり、
ありがとうございます。
