イワナのもっとも堅固な隠れ家は『昔』の中である。
という出だしが良いと、
チャンショーが薦めるので、湯川 豊の『イワナの夏』を読んでみる。
短編集であり、最初の話が、本のタイトルと同じ『イワナの夏』と言うお話で、
この中に出て来る元職漁師の宿屋のオヤジが釣りではなく手掴みで用水路にイワナを捕まえる件は、
イナカの隣町のおじさんとほぼ同じやり方であり、自分と初めて本物のイワナの出会いを思い出し、グイグイと引き込まれる様に読んで行く。
『渓流乞食』『夜のイワナ』も面白い。
だけど、その次に来る『ヤマメ戦記』で、頁をめくる指が止まった。
ヤマメ釣りの話なんてきっと面白くない、という先入観があるから。
ヤマメ釣りが嫌いな訳ではない。
むしろ単純に釣りだけを比べるなら、イワナ釣りよりヤマメ釣りの方が面白いと思う位にヤマメ釣りは好きだ。
普段の釣りも、里川に毛が抜けた様な所が殆どだし、ヤマメの方が馴染みのある魚になっている。
でも、ヤマメ釣りの話はあまり面白く感じない事が多い。
と言うより、イワナ釣りの話に面白いものが多いと思う。
それはおそらく、イワナという魚の持つ独特の風貌と愛嬌とか、神秘性とか、その舞台が源流である事とか、昔のマタギ等人間との関係とか、
ともかく、お話として面白くなる要素が多いのだと思う。
一方、ヤマメの話と言えば、イブニングライズの話であったり、小さな毛鉤の話であったり、少なくとも自分にとってはあまり縁のない話が多い。
それに、ヤマメ釣りの面白さと言うのは、たぶん一瞬、水面に出るにしても、水中で翻るにしても、その一瞬の快楽に凝縮されているものなのかもしれない。
それは文章にするにはあまりに短い瞬間なのだろう。
そんなことはさておき、
共に『イワナの夏』をすごしたNに、こんどは近場だけれども、奥の沢か手前の沢か、どちらに行きたいかと聞くと、
迷わず奥の沢と答えた。
その沢は、去年の春、Nにとっては2戦目となるテンカラ釣行だったのだけど、Nだけでなく自分もボウズを喰らった屈辱の沢だ。
沢とは言っても規模のあるその沢で9寸~泣弱のヤマメも二度釣っているし、とても良い沢なのだけど、人気もあり、なかなかタイミングが難しい川だと思う。
イナカの沢のイワナ釣りで自信をつけたNはあえてその沢でヤマメにリベンジしたいと言うのだ。
そうして、日曜日の朝、うっすら夜が明ける頃、二人で林道を歩き始めた。
とは言っても、目的はヤマメなのであまり上流には行かない。
イワナしか釣れないのでは困るので、下の方でヤマメを釣るのだ。
春に骨折した足は、大分言う事を聴く様にはなってくれたけども、まだ不安が残るので、谷におりる際にもところどころロープを出し慎重に降りる。
良いときならば、その辺の渕尻にヤマメが着いて居る筈だけど、姿が見えないと言う事は、沈んでいる日なのかもしれない。
(おち◯ん◯んまで冠水して震えるN)
魚を一尾も見る事なく、最初の滝釜に着く。
ここの釜の岩盤のぶっつけから、一尾毛鉤を見に来るが、咥える気配はない。
二度目は出ない。
おまけに、最初の足がかりさえ掴めれば難なく登れたはずの滝も、次の足がかりが見つからず、どうやっても取り付けない。
仕方なく巻いた後も、さっぱり魚が出ない。
先行者はいないけど、急に寒くなったせいなのか、前日の物と思われる新鮮なゆで卵の殻のせいなのか。
こんな時は決まって、Nは自分に先をやれと言う。
魚を探りながら先行するも、やっぱり出て来る気配がない。
しばらく進んでから、Nが付いて来ていない事に気付く。
もしや、と思い引き返してみれば、
Nはやっぱり大岩の上で、大の字になって昼寝(とは言ってもまだ朝だけれども)をしていた。
ところで、最近は血液型の性格診断なんてのは全くの無根拠だというのが定説の様で、たしかにそれはそうかも知れないけれど、
自分とは考え方や性格が違う人間が居ると言う事を理解するのには充分役立っているのじゃないかと思う。
現に、目の前の大の字昼寝中のB型人間にO型人間が小石を投げつけるという行為を抑止するのに充分役立っている。
叩き起こすのも悪いので、自分も大淵の高みの見物と座り込んだ。
もし、釣り人が入らない様な川だったら、きっと何十匹もの魚が見られるだろう立派な淵だ。
だけど見る事が出来た魚は一尾だけ。
それも、かなり水深のある淵の中央の、真ん中にある大きな沈み石の下のスキマから
時々は顔をだして捕食している様だけど、また直ぐに隠れてしまう。
しばらくぼんやりその淵を眺めているうちに、Nがちんたらと上がって来た。
試しに、毛鉤を遠くの緩い流れに落として沈めてみるが、やはり魚のレンジまでは届かない。
ガン玉なんかを使えば(持ってないけど)、底まで沈める事は出来るかもしれないが、反応させることは出来たとしても、釣れるかどうかは別の問題だと思う。
眺めるだけにして、その先に進んだ。
まだ8月だというのに、曇り空で肌寒い沢床にも少し陽が射したのは良い兆候だったみたいで、少しずつ魚は上向きになって来た様だ。
もうすぐ釣れると思い、リベンジ目的のNに先を譲ろうと思うけど、
たぶん、現物をみないとモチベーションも上がらないだろうから、その前に小場所から小さなイワナを釣る。
もう、イワナとかヤマメとか、大きいとか小さいとか、そんなの二人ともどうでも良くなっていた。
Nに先を譲って、後ろから付いて行く。
自分は人に釣りを教える事が出来る様なウデも経験もないけれど、
その自分が見ても、Nの釣り方ではこの沢のこの状況では通用しないのは明らかだった。
11尺の短めの竿のクセに、アプローチをびびりすぎて、ポイントに毛鉤が届いていないのだ。
かろうじて届いたとしても、目一杯張ったラインはすぐに毛鉤を引きずってしまい、
表層にいるならまだしも、底に沈んでいる魚が仮に出たとしても、まず咥えることは出来ないだろうという流し方だった。
その釣れない釣りの道は、自分も通って来た、というよりまだ出口が見えない道だけど、
その原因の一つは、あまりに渕尻の魚を走らせてきた為に、番兵以上にこちらが魚を警戒しちゃっているのだ。
もう一つは、どんな本にもうるさい程繰り返されて述べられるアプローチについての注意書きだ。
だけど、アプローチが大切と言う事は、単に距離をとると言う事だけではなく、少なくとも沢での釣りでは、ギリギリのアプローチを楽しむと言う事も含まれているのではないかと自分は思う。
そもそも、今日は渕尻に魚はいない。
どんなにアプローチが大切だとしても、沈んだ魚には毛鉤をちゃんと気付かせてせてやらなければ、その為にはなるべく一カ所に毛鉤を留める様な流し方をしなければ釣れる筈がないと思い、
へっぴり腰で流心を挟んだ反対側を狙うNに
それじゃぁ、やっぱり毛鉤が直ぐに表層の速い流れにさらわれてしまうから、
”あと五歩前じゃ!!”
と叫んでみる。
あっけなくヤマメが釣れた。
(写真ではカワイコちゃん風だけど、良いヤマメだった)
大きくはないけれど、まぎれも無くNが求めていた格好の良い沢のヤマメだ。
ホントなら、さあこれからって所なんだろうけど
ガレ場を越えた先はなぜか堰堤上の様なチャラ瀬が続き、
その先には泳ぎの淵。
この寒さじゃ、さすがに泳ぐ気にはなれず、
来年の夏にでもこの先は、できれば沢泊なんかしちゃったりして、
ゆっくりやろうと言う事になり、
Nが拾った鹿の角を土産にして引き返した。
この日は一度は戦力外通告したトランクスを久しぶりにローテーション入りさせようと履いてきたのだけれども、
駐車場で着替える時に、どうした訳かおしりの部分がボロボロに破けているのをNに発見され、
自分のお尻はきっとこの日のヤマメと共に永遠にNの脳裏に焼き付いた事だろう。
家に帰って
再び頁をめくった。
面白い事が書いてあった。
イワナは毛鉤にコンニチワと言いながら出て来る。
ヤマメは毛鉤にサヨウナラと言いながら出て来る。
確かに、そんな感じかもしれないと
この日の釣れない釣りを思い出しながら
薄ら笑いを浮かべる自分を
B型のカミさんはどんな風に思い、見ているのだろうか。
(ところで)
あなさんが、先日の釣行での自分のヒットシーン(チビヤマメ)を撮影してくれて
ブログと
YOU TUBEにアップしてくれました。釣っている自分を初めて見るので、嬉しくてリンク張っちゃいます。