そしてGW。
平成15年のGW。
ぴょんは、GWになると病気をします。
大学生の頃は麻疹。1人暮らしだったので、入院したかったけど、入院不可と診断されました。
社会人2年目は、40度の熱が4日間も出て、全部休んでしまいました。GW後に会社に行ったら、「サービス業でGWを全部休むとは・・・自己管理がなっていない。」と、みんなから言われたのでした。
そして、この年は・・・・淋しさの反動で80kmも離れた松本まで行って、欲求を満たした反面、病気を移されてしまったのでした。
また、この頃から、頻尿と残尿という事に悩み始めた時期でした。30分に1回はトイレに行く有様。そして、もう出ないだろうと思っていたら、ズボンをシタッテ・・・・・・・
後から知ったのですが、自律神経失調症という病気の体の異変として、上記の2つが入ってました。
そして、移された病気の為に、仕事の後に、木曽郡で唯一の緊急病院に緊急外来で診察。
こんな病気で、緊急外来に行くのは、恥ずかしかったです。ブッチャケ。
しかし、ゴルフ場のスタッフは優しいですね。仕事が終わって、家に帰る途中に病院があるので、ワザワザ寄って、状態を聞きに来てくれたり、小さな町なので、会社から電話をして緊急外来で1人行くからと、電話もして貰ったし。
とにかく、そんな不完全な状態で、GWの繁忙期の仕事を終えたのでした。
5月4日に真紀が遊びに来て、6日に帰京。だから、彼女もGWに出勤して、代休を1日取ってくるのでした。
真紀が来る事で、これもまた小さな町。近くにある御嶽山に上るロープウェイに知り合いがいるからという事で、往復2400円の料金を無料にして貰ったりと。ここのスタッフの暖かさには、本当に感謝しています。
GWの前に休みがあったので、近くの観光地。馬籠宿や妻籠宿などに行ったり、日帰り温泉に行ったりと、休みの日には、可能な限り外に出る事にしていました。また、ガリバー支配人と一緒に、仕事の後に食事に行ったり、日帰り温泉に行ったり、支配人自体も、ぴょんの事を心配してくれていました。が、ぴょんの心の中までは、知る事は無かったです。
コンビニに行くにも往復40km。とにかく、車の利用が多く、ここにいたら、車がローンを支払う前に壊れてしまうのではないか?という、心配もありました。また、ゴルフ場は、春から秋までの営業。冬になったら、クローズして、社員は他の現場に行く事になります。という事は、ぴょんも冬になったら、またどこかに異動するのか。俺の安定地の何処だろう?という不安というか、将来の不安がありました。
真紀と結婚した際、生活の拠点が定まらない事。好きな人と一緒にいられない淋しさ。結婚の話が何も始まらないもどかしさ。心理状態としては、そんな感じでした。
体調面では、頭痛が酷い、やる気が出てこない、集中力の低下、イライラ。そんな状態でした。
ゴルフ場の仕事
平成15年4月下旬
長野県は御嶽山の麓にある、ゴルフ場で勤務をする事になりました。
歌舞伎町にいた時は、どちらかというと夜型の仕事だったのですが、ここでは、まったくの逆。朝、8時に出勤というシフトでした。
とにかく、フロントの仕事を覚えて、目前に迫っているGWまでに、一通りの仕事を覚えるのが、自分自身に与えた課題でした。山の中。社員よりも、季節社員が多く、唯一のフロントの女性も、既婚者。一緒に遊んでくれる人がいないという、ストレスの溜まる環境でした。また、みんな、ゴルフが好きで、ぴょんもここで、ゴルフを覚える事になるのでした。
フロントのスタッフという事で、現場に来ています。兵庫のホテルに売店の責任者として出向した時。データ整理や業者交渉などで、ほとんど売店で販売という仕事をしていませんでした。その時に言われたのが、「PCを売店のレジで打ってら。貴方は、売店のスタッフなのだから」と、女性スタッフから言われた言葉を思い出していました。今回は、それを言われない様に、フロントのシフトの間は、フロントの仕事。その後に、データの整理を行うという形で仕事を進めていました。
ここは、とにかく一番酷い出向先でした。お風呂は、ホテルのお風呂まで行かないと入れない。しかも、23時までと時間が決まっている。コンビニやスーパーまでは遠い。台所も無ければ、トイレも無い。という環境でした。ここまでの場所とは、正直思っていませんでした。
でも、ここのスタッフは、みんな打ち解けやすく、話がしやすい方ばかりでした。それが、本当に嬉しかったです。兵庫のホテルの時は、敵(本社からスタッフが来るのが初めてなので、どう接して良いか分からなかった。と、後から言われました)の様に思われていたので。
しかし、仕事が終わって部屋に帰れば、電話も繋がらない。お風呂に入りに行くのも面倒。テレビを見るか、PS2をするしかなかったのです。話相手もいなかったので。
しかし、GWの前に、真紀と会えないという淋しさから、松本の繁華街に行って、自分の欲求を満たすことが多かったです。国道17号。通称、木曽高速を何度走った事か。
そんな時、信号で前方を走っていた軽トラを追い越したのを、覆面PCに見つかり、捕まってしまいました。
実は、前年の夏に、駐禁で切符を切られていたので、これで、免停が確定となってしまいました。
兵庫から帰ってくる際に、スピード違反で一発免停を受けていたので、次は4点で免停という法律の為に、その様になってしまったのです。
真紀とは、お風呂に行く時に車で行くので、その時に電話をするという生活になりました。そして、GWの後半に来て、木曽に2泊するという約束をして、すぐに真紀と会えるという楽しみが、ある意味ストレスを維持させてくれていました。この頃は、ストレスという風船が、半分くらいまで膨れていました。多分ね。
異動の日
平成15年4月21日 月曜日
この日は、長野県のゴルフ場に出向というか異動する日でした。
毎回の事ですが、入社以来、週末は軽井沢や白馬などで仕事で仕事をしていました。その頃は、出張という事で、自分で出張申請を提出して、仕事をしに行ってました。
まぁ、軽井沢へ出張で行く場合、仕事に行っているのか、フィリピンパブで飲むために行くのか?と、本社内でも、色々と言われてましたが。(笑)
夏休みや冬休みなどは、出向という形でしたが、業務上で行くので、特に辞令とかも無かったです。
兵庫のホテルに行った際、居酒屋で勤務をした時、歌舞伎町の時も、辞令という物を貰ったことがありませんでした。そして、今回もありませんでした。歌舞伎町に行って、名刺を作って貰ったら、勝手にアシマネの肩書きが。対お客様などに対して、平社員と思われると、問題解決に時間がかかるからという、会社の勝手な判断だったのでしょう。本社に行けば、平社員なのですから。
兵庫のホテルにいた頃、平成13年4月に体重が64kgくらいでした。平成13年10月には、68kgくらいと、太ってました。そして、居酒屋での勤務の半年の間に8kg減の60kg。真紀と付き合い始めた頃は、痩せた状態で付き合い始めたのですが、平成14年4月には、68kgと、「騙された!」言われるほど、太ってしまいました。平成17年5月現在で、多分72kgくらいでしょう・・・
と、体重の話は、また、今後の話題として・・・・・・
長野県は、木曽福島という町から更に車で30分も走った山の中にあるゴルフ場で仕事をする事になりました。13時に到着予定と、メールをしておいたのですが、1時間遅れ。街からゴルフ場まで遠いのが以外でした。
昔は、東京から白馬まで300km(うち高速道路は220kg)を3時間で行っていたので、それくらいだろうと思っていたら、塩尻ICから車でゴルフ場まで1時間半~2時間。
住む場所は、同じ敷地内なので、100mくらいなのですが、坂を上らないといけないので、車で出勤。コンビにまでは、車で30分。距離で20kmも離れていました。ファミレスやモスなどは、塩尻の街まで。車で1時間半、70kmくらい。スーパーは、松本に近い場所で、車で1時間半~2時間。70kmも離れている場所でした。とにかく、山の中で、人よりもサルやイノシシばかりの場所でした。
早速、ゴルフ場に到着し、挨拶も終わり。ガリバー支配人は、仕事で白馬に行っていたので不在。特に仕事を言われるまでもなく、またもや赴任した日にやる事がないという、歌舞伎町の時と同じ羽目になりました。
モチベーションを無理に上げていたのに、一気に下がった感じでした。
一応、ここでの業務は、
・フロントの改善(スタッフの意識改革など)
・売店の売上改善
を言われました。歌舞伎町と比較すれば、歌舞伎町での仕事が10とすれば、1か2くらいの仕事量。しかも、本格的なホテルのフロントなので、予約システムも勉強しないといけないし、ゴルフ場という特異な場所で、会員を見分ける(覚える)必要性もあり、なんとも不安な出だしでした。
この日、ガリバー支配人とここで最初の飲みをしました。異動したくなかった話、会長や常務から嫌われているから、左遷させられた気持ち。ここも冬は営業をしないから、また異動するのが面倒。早く、どこかの現場なり本社で落ち着いて、仕事と生活をしたい。将来が不安など、愚痴というか、自分の素直な気持ちを話したのでした。
ガリバー支配人からは、既存のフロントを仕切ってるスタッフの下で、問題点の抽出と改善、売店の売上増加を図って欲しい。営業面は、今までのスタッフで行っていくという説明を受けたのでした。
ちなみに、ここは山の中。自分の部屋は、携帯は圏外。外に出ても、アンテナ1本。車で山を下りないと、(10分くらいかな?)バリ3にならない場所でした。
そして、標高1200m。裏の山では、スキーをしている様な場所。夜になると、気温が0度くらいまで下がるという、気候の変化に対応するのが大変でした。
フロントスタッフからの送別会
平成15年4月。
フロントスタッフから、送別会をするので来て下さい。と、言われました。スタッフと飲むのは、最初で最後の機会でした。スタッフからは、ノムさんを追い出したのがぴょんのせいだという、思い込みがあったので、プライベート面では、ぴょんが逃げていたのかもしれません。夜7時から飲みはじめ、シフトの関係上、翌朝5時まで飲んだのでした。
その時に貰った、色紙は今でも大事に持っています。嘘でも良いから、ぴょんの事を書いてくれてあるから。
そして、歌舞伎町で最後の出勤日に、支配人室のスタッフから、簡単な送別会の儀式がありました。送別会をされると、その現場に戻ってくることが出来ないのでは?という思いから、送別会という物で、自分が主役になるのが嫌いだったのに・・・・そして、引継ぎも不十分に終わり、歌舞伎町の仕事を終えたのでした。
翌日から5日間の休みに入り、とにかく、長野に行くと出来ないことを済ませるために、車の保険の更新などを行ったのでした。
入社以来、お世話になっていた「ぶーちゃん」から飲みに行くぞ!と、誘われ、居酒屋で一緒に働いた健仁と3人で飲みに行きました。どういう気持ちで、ぶーちゃんは誘ったのか、今は分かりません。しかし、歌舞伎町を出て行く事を悲しんでくれていたのかもしれません。主観ですが。
飲みに行った翌日は、真紀と最後の旅行に行ってきました。
当分の間、二人で旅行に行く事もないだろうという事で、奮発して、伊豆の土肥温泉に行きました。家族風呂がついている旅館をいつも選んでいた二人。今回も同じ様にして宿泊。イセエビとあわびの料理のコースを食べて、御殿場のアウトレットで買い物をして。そして、恋人岬で、二人で幸せのベルを鳴らして、もう真紀と結婚するという意志が固まりつつあったのに・・・・・
当分、訪れないであろう二人の時間を楽しむ為に、異動の間に休んだと言っても過言ではありません。
まぁ、いつも異動の前には、3日~5日間くらい連続して休む事にしているぴょん。現場が変われば、休みの取得ベースも変わるので、公休消化も含めて。この会社に入り、年間で公休を100日以上取得した事がないのです。沖縄旅行に5日間行ったのも、公休でした。
「911テロ」の前年に、アメリカ・デトロイトの親父の家に遊びに行った際も、3泊5日で行きました。この時も月の公休5日を当て、後は週1回休むか休まないかという感じでした。
伊豆旅行から土曜日に戻り、真紀の家の駐車場を解約して、日曜の午後に目黒の実家に帰ってきました。長野に行く自分の荷物を用意する為に。
ぴょんは、このフロントスタッフからの送別会を受けた際に、本当のスタッフの気持ちを少し分かった気がします。
ぴょんの仕事の上での信条は、
・飲みニケーションを行わない
・業者さんからの誘いに応じない
というものです。だから、本来のスタッフの気持ちというものを、最後に知ったのかもしれないです。
やはり、真紀と遠距離恋愛はしたくない。という気持ち。仕事に関しては、何とかポジティブに気持ちを移す事ができたのですが・・・・・・・
そして、4月21日月曜日。異動の日になるのでした。
異動の準備
平成15年4月。
歌舞伎町での仕事も2週間。スタッフにも、異動の話をしました。みんなの反応は、やはり「残って欲しい。ノグじゃ不安。」というものでした。しかし、会社は、人が異動や辞めたとしても、何とかなるものなのです。
そして、業者の方にも、「商売の話ができる人がいなくなって、困る」と言われていました。
実際、3月末の年度決算が出た結果、カプセルホテルの稼働率は、前年対比で117%。2月には、単月で95%という高稼働率の結果を出し、8年間毎年1億円ずつ減収していた施設を、約半年で2億円を上げる事ができたのです。
そして、兵庫のホテルでも、半年しかいなかったですが、商品の入れ替え、業者の入れ替えなどで、売上が前年対比で118%、粗利益で128%の結果を出したにもかかわらず、毎回途中で異動。最後まで、しっかりとやらせて貰えれば、もっと結果を出す事ができると考えているのに。
ぴょんは、仕事をゲームと考えています。負ける事の出来ないゲーム。とにかく、机上の空論で終わらせるのでなく、何事もやってみて、目標に達しない場合は、「何故か?」と考えて、期日を決めて、業者にも売上を確保して下さい!というスタンスで仕事をしてきたのです。
真紀と、この時期に静岡の清水までイチゴ狩りに行きました。ぴょんの夢であった、イチゴ狩りデート。三保の松原で海を見て、真紀と付き合う事になったのも海。プロポーズしたのも沖縄の海。そして、異動の話を決断したのも、羽田の海でした。海と真紀とぴょんは、縁があった様です。
そして、仕事の引継ぎに入りました。
フロントのスタッフ管理・教育などは・・・・・五郎ちゃんとノグ
付帯売上(自販機など)・・・・・・・・・・・・・・・兵庫のホテルにも一緒にいった先輩社員
予約サイトの管理、自社HPの管理等・・・・チップ
その他経理(サイトの清算など)・・・・・・・・・経理課
と、ぴょんの仕事が振り分けたのでした。ノグに全部任せることが出来なかった事、スタッフの教育が完璧でなかったので、運営系の仕事を任せる事を避けたのでした。
そして、送別会の話が出ました。支配人室のスタッフから。しかし、ぴょんは断りました。「半年で異動して、その度に送別会して貰ってるから良いよ」と。しかし、本音は、「笑って追い出して、みんなが楽しく飲むのでしょ?」という被害妄想(?)がありました。
イライラしていた部分で、職場の雰囲気を壊していたので、素直に送別会に行く気にならなかったのです。
頭痛、イライラ、目眩、睡眠不足、記憶力・集中力の低下。完全に自律神経失調症でした。この時期は。
ストレスの原因は何だったのだろう?
仕事の辛さ?(自分だけ、こんなに忙しいのに何で給与が一緒なの?)
祖父のお店?(継いでと言われて、断った際に泣いたばあちゃんの涙)
異動の多さ?(ぴょんの生活は、どの場所で確立できるのか?)
恋愛の問題?(結婚という現実を前に、夢だけで超えられない問題)
とにかく、様々悩みがあったのでしょう。今になると思い出せないですね。真紀をストレスと考えた、感じた時期もあったと同時に、何でも分かってくれている理解者という、心の安心があったので生活を送られていたのかもしれないです。