ぴょんのうつ病日記  ~うつ病は絶対に治る!!~ -26ページ目

イライラの日々。

平成15年に入り、頭を抱えることが沢山ある事がありました。

そんな中で、いつも最初に思いついていた事は、

「何で、自分だけ。こんなに忙しいの?」

「何で、自分だけ。誰も仕事を手伝ってくれないの?」

「何で、自分だけ。自分のペースでなく、お客様のペースで退社時間が決まるの?」

「何で、自分だけ。売上を上げているのに、足を引っ張る部署があるの?」

「何で、自分だけ。真紀、俺の疲れも分かってくれよ。」

「何で、自分だけ。ランドリーは、俺の売上を上げる範囲だけど、人事権は同期の奴にあるのに。」

「俺は、どうみんなに見られているのだろう?」

「俺は、みんなからどう評価されているのだろう?」

「俺は、売上を上げてる(会社に貢献している)のに、何で給料が低いのか?」

 

 

いつも、頭に最初に浮かぶのは、何で、自分だけ?どうして自分なの?という自分を攻める言葉、そして、周囲の評価が気になっていたのです。

だからなのか、常にイライラしていて、支配人室のスタッフに冷たくあたる事が度々ありました。仕事に責任感を持っているからなのか、売上に対して、執着心があったからなのか?自分の思い通りにいかない場面があると、後輩でも同期でも、先輩でも、とにかく文句を言っていた様に感じます。

そして、朝出勤する時に、コンビニでタバコを2箱買うのが日課だったのですが、会社にいる間に全部吸ってしまうほど、タバコの本数が増えてしまったのです。(今は、20本~30本程度)

 

イライラする、頭痛はする、めまいはする、他人の評価を気にする、物忘れが激しい。

 

そんな状態で毎日を過ごしていたのです。

 

集客は、カプセルホテル630個あり、630人の男性が1日に宿泊する事ができるのですが、日曜以外、毎日が満室になる状態に、1月からなりました。

日曜は、それでも、前年に対して、150人程度増加していましたので、稼働率という点でいくと、満点に近い状況になっていました。

 

そんな中、ばあちゃんから正式な継いで欲しいという話があり、親戚で集まって、話し合いをする事になったのです。それが、2月の上旬だったはず。

 

その話は、また次回に・・・・

人間を育てるって難しい

平成15年1月の下旬。

お正月の祖母からの話、真紀と初詣にも行って、お互いの気持ちは通じてると感じてました。

しかし、実際に結婚するとなると、ぴょんには貯金も無いし、会社に残るか家業を継ぐかで、女性は現実的に物事を考えるので、不安に感じていました。

 

仕事は順調で、集客も売上も右肩上がり。ぴょんの部門は・・・・・ぴょんの部門の売上増加分で、他のマイナス部門をカバーするという形になっていました。

カプセルホテルでも、予約サイトからのリピーターのお客様も増えたのが嬉しかったです。初めて利用したけど、ホテルの様なプライベート部分が少ないけど、風呂は広いし、新宿の高層ビルの夜景を見ながら、お風呂に入る楽しさ、気持ち良さがBBSなどに書かれて、それを見た人が泊まるという好循環が生まれてきたのです。

 

その頃、ぴょんの次の仕事はスタッフの教育が必要だと思ってました。まずは売上を増加させ、それからスタッフの教育という逆の順番になってしまったのですが・・・・

真紀の様に本社採用の新入社員は、ぴょんが教えた様に時間を割いて研修をする事も可能でした。しかし、現場採用の新入社員は、研修も無く、現場に入り仕事をこなすという形になってしまい、彼女達が会社を辞めて、次の仕事をする際に必要な、最低限な社会人としてのルール、仮説・検証という物の考え方を教えていく必要があると感じていたのです。

ぴょんは、9月くらいから、やる事が多く、自分とスタッフの間にチーフの様なスタッフを欲しいと五郎ちゃんに相談をしていて、それを承認してもらい、島ちゃんという35歳の男性が入社してくれました。

しかし、入社3ヶ月目から使い始めようとしたら、体調不良などから休みがちになってきたのです。

そして、本社採用の新入社員のノグが自分の下に付く事になりそうだったので、ノグに仕事を振り分ける準備を始め、一緒に仕事をするようにしていたのです。

 

フロントと密接な関係にあったのが、ランドリー部門でした。会社の売りは、夜にクリーニングを出して、翌朝仕上がりという事で、「手ぶらで出張」という事で集客を図っていたのです。しかし、ランドリー部門に欠員が出てしまい、クリーニングが回らないという状況になったのです。売上は必要。しかし、欠員の状態。

フロントからスタッフを出して、簡単な軽作業(専門的な仕事では無い部分)をさせていたのですが、フロントから人が出せない場合は、ぴょんが自分の仕事を終えた後にランドリーを手伝うという状況になったのです。とにかく、家に帰れない状況が少し続いたのでした。

 

この頃になると、プライベートの部分が重荷になってきました。真紀は一緒の職場だから、ぴょんの状況を分かってくれていると思っていたし、話もしていました。しかし、彼女は淋しさを感じていた様でした。

ぴょんの生活サイクルは、

9時過ぎに起床

11時出社

24時退社できれば良い方・・・・・相変わらず終電に走って乗る状況

1時半に晩御飯

3時に寝る

という状況でした。この状況では、真紀の家に平日に泊まりに行く事ができなくなってました。

1週間のサイクルは、

金曜の夜に、真紀と一緒にぴょんの家に行って、車を出して、真紀の家に帰る。

土曜は、何処に遊びに行く。

日曜は、二人で家でマッタリした時間を過ごす。

月曜は、9時に彼女を会社に送り、ぴょんは車を置きに家に帰って、11時に出社という状況でした。

 

そして、真紀を淋しくさせているという、自分を責める気持ちからなのか?真紀と一緒にいるのがストレスと感じたのか、真紀と一緒にいる時でも、頭痛が出る様になってきたのでした。

ばあちゃんの思惑?理想?

平成15年の元旦。

親父は、アメリカのピッツバーグという所に単身赴任をしているので、お正月は帰国なし。毎年、親父がいない正月なので、特に違和感はなし。が、ぴょんがお正月を東京で過ごすというのが違和感あり。

高校時代は、郵便局の年賀状の配達。大学時代は、沖縄にいたので帰省はなし。というか、スーパーでバイトをしていたので、休みが取れないという状況だったのです。

と言っても、一度、バイトが終わった後に東京に帰るエアーを予約していたのですが、那覇空港の駐車場が満車で止めれなく、チェックインを済ませ、荷物も預けていたのに、搭乗できなかったという経験はあります。

社会人になってから、毎年、会社の運営しているスキー場で過ごしていたので、久しぶりでした。

 

酒飲んで、おせち料理を食べて、寝て。翌日から仕事なので、ゆっくり休む事はできなかったですが。

その後、真紀から体調が回復したからと、メールが来たので、彼女の実家の近くまで行って会って。

千葉の野田は、東京から遠いと感じた一瞬でした。

 

その後、母方のばあちゃんのいる親戚の家に行ったのです。

そこで出た話が、祖父が経営を始めた会社と言っても、家内事業で、酒屋と甘栗の販売をしているのですが、そこを継いで欲しいという内々の話が出たのでした。

 

ぴょんは、今の仕事はイライラして、自分だけなんでこんなに仕事をしているのに給料がみんなと一緒?という疑問を持ちながらも、金を貰いながら社会人としての勉強、経営の勉強をさせて貰ってるという気持ち、今の仕事は数字が上がってるので、それが楽しいという意味で、断ったのです。

 

しかし、自分が中学生の頃から酒屋でバイトをしてくれていた竹ちゃんと、「将来は2人で酒屋以外の仕事をしていこう」という話をしていたので、今は継がないけど、もう少し待ってくれないかな?という、気持ちもありました。

 

そして、短い正月休みは終わり、また、日常の仕事に戻ったのでした。

 

 

3連休に、真紀と初詣に行きました。付き合う時にデートをした、鎌倉の鶴岡八幡宮に行き、その後、伊豆に1泊で行ったのです。

いのしし鍋を食べて、ペンションだったので、一緒にお風呂に入って。その時に、上記の話が親戚の中から出ている、それでも、結婚してくれる?と確認をしたのを覚えています。その時は、「うん」と言っていたのですが・・・・・・

プライベートの12月

真紀とは順調に行ってました。

この月、従姉妹の結婚式がありました。ぴょんは、花嫁姿を真紀にだぶらせて、見ていたのが事実です。

早く、現実のもの、彼女の両親に挨拶に行きたいと考えておりました。

 

クリスマスよりもちょっと早く、TDLに行ってきました。駐車場に1時間。チケットを買うのに1時間。駐車場から出るのに1時間。なんとも、疲れた1日でした。でも、好きな人と一緒にTDLに行き、最高のクリスマスイベントでした。この時に決めました。TDLに行くのは、好きな人、愛している人と行くという事を。

それから、1度も行っていないです。だって、待ってる間、友達だと会話とか手を繋ぐとかね。考えてしまうからね。でも、この時のTDLは、今でも記憶に残っており、楽しい思い出にひとつです。

 

この頃は、真紀に依存をしている自分に気がついていませんでした。その反面、怒られたり、泣かれたりすると、面倒と感じるぴょんがいました。彼女の気持ちを思う事ができなかったのでしょう。

 

クリスマスイブ。彼女は、体調が悪いと早めに帰宅。ぴょんは、いつもランチを食べる同じ建物の中にある中華料理屋の店長からクリスマスケーキを貰っていたので、仕事も途中で、0時に帰宅したのでした。

そして、ケーキを持って、とにかく彼女の家に行き、二人でケーキを食べて、クリスマスを過ごしたのですが、彼女は熱があったので、二人で寝るだけ。そして、インフルエンザだかなんだかと、病院で診断され、年末はその後、自宅療養する事になり、ミレナリオにも、初日の出、初詣にも行く事ができなかったのです。

 

ぴょんの休みは元旦だけ。新年は2日から営業するので、責任者のぴょんが休む訳にもいかず・・・・

真紀の実家は、埼玉と千葉の県境。ぴょんのお正月は、毎年市川の祖母の家で過ごすのが行事なので、夕方から彼女が調子が良いというので、会いに行ってきたのでした。顔色は悪かったけど、元気そうで。

とにかく、彼女の体だけが心配でした。

 

 

年末の歌舞伎町

平成14年12月。

皮ジャンを着て出社していたので、多分寒かったのでしょう。

 

12月もクリスマス前までが忘年会のピーク。そして、ビジネス利用でのカプセルホテル利用者が少なくなる季節だと考えていました。

集客自体は、日曜、月曜、火曜以外は、630個のカプセルが全部満室という状態。そして、予約サイトを利用されるお客様の比率が上がり、予約の管理、ノーショー、キャンセルの作業といった予約管理系の作業が手作業となり、毎日、頭を痛める原因でした。

10月に、ぴょんの手伝いをする為のスタッフを雇用したのですが、体が弱い、借金に追われていた。という状況で、仕事をしっかりとこなす事ができずに、困ったものでした。採用する際には、そこまで確認をしない裏をかかれた状況でした。

 

この頃のぴょんの1日の行動は、

11時出社(フロントスタッフはシフト制、運営スタッフは9時出社)

12時まで、日報のチェック、予約サイト、自社サイトの予約状況の確認。BBSへの書き込みのチェック

13時。フロントに初めて下りていき、その日の問題、状況をスタッフから確認

14時。館内の自販機やゲーム機の故障、売り切れ、とうのチェック

15時。業者さんとのアポが無ければ、ランチタイム

16時。集客へPDCAの確認。立案。

17時。フロント早番スタッフの終礼。

18時。予約サイトからの予約手配書の作成。(手作業)

20時。支配人とちょっと話し。

23時。遅番の終礼と、深夜番の朝礼。深夜番のエガちゃんとの情報交換。

24時。その日の反省。問題点の抽出。翌日の予定チェック。

 

といった感じで、終電で帰宅。みんな、酒を飲んで浮かれている隙間を縫うように新宿駅を目指し、山手線内回りの終電1時の電車で帰宅。

駅から家までの10分間が、真紀との電話タイムでした。

また、早く帰れる時は、23時30分前後に退社する事もありました。

 

11月までの集客、売上は前年単月を上回る状態だったので、精神的には余裕があっても良かったはずなのに、11月に感じた気持ちが、更に強くなっていくのでした。

・なぜ、ぴょんだけこんな時間まで働くのか?友達と飲みにも行けない。

・集客が多いのに、俺だけに負担がかかって、誰も手伝ってくれない!

・これで、給料が一緒なの?

・自分の価値観が絶対で、他の責任者は何故、間違った事をするのか。

・運営スタッフとの談笑でも、うるさく感じ、冗談を言う気持ちが無かった。

 

という事で、どんどん、自分と周囲の間に壁を作るようになっていったのでした。そして、どんどん孤立していく事になってしまいました。

仕事の話では、五郎ちゃん(支配人)と、経理課長との話くらいになってしまってました。

 

 

12月の売上、集客ともに予想に反して、前年対比プラスで終わり、残りの問題は、日曜、月曜の集客をいかに満室に近づけるかが問題でした。この頃は、日曜の宿泊が350名程度、月曜が400名程度だったので、これを100人増やす方法を考え、1月から実施する算段で、社内からの承認は得ていたのでした。

 

大晦日は、営業は午前10時に終了し、大掃除。とにかく、ゴキブリの多い地区なので、強力な殺虫剤をまくので、館内に滞在することが難しく、20時に帰宅することができました。

こんな時間に帰れるなんて、考えていなかったので、得をした感じでした。

 

そして、真紀とは会えずに、大晦日は実家で過ごす事になったのでした。

 

情緒不安定、目眩、ドライアイ、頭痛、肩こり、イライラ、周囲の話に関心が持てない。だんだんと、自律神経失調症に落ちていったのが、11月から12月にかけての事だと、今になると思えます。

この頃は、寝不足が原因だと思っていて、病気、まして「自律神経失調症」なんて、思いもよらなかったです。