そして、悩みの日々
平成16年6月上旬。
沖縄から帰ってきて、また、日々の生活に戻りました。山の中の生活。イノシシとサルしかいないゴルフ場。
相変わらず、集客は上がらず、自分の仕事のミッションも目処が立たない状況です。
次の週、東京で社長の講演会があるからということで、出席する事になっています。
また、休みを貰って、行く事になりました。ぴょんは、平成13年の4月から(入社3年目)から、自分でシフトを決める事ができるので、仕事とプライベートを上手に両立できる環境にありました。
そんな時、実家の店を手伝わないという話をしていたところに、昔からバイトをしていた竹ちゃんが戻ってきました。竹ちゃんとは、一緒に店を盛り立てようと、居酒屋勤務時代(平成13年秋)に話をしていたので、俺も戻らないと。という焦りの気持ち、マッチーの仕事の話、今の仕事の現状。将来の不安(結婚やゴルフ場が冬場はクローズとなり、どこに異動するのか分からないという不安もありました。
「何もかも白紙にして、俺に構うな」という気持ちが強かったです。
身体的には、イライラ、焦り、集中力・記憶力の低下、周囲の評価、頭痛、めまい、ふらつき、頻尿・残尿、夜中に目が覚める、目覚ましより先に目が覚める、起きても、布団から出る元気が出ない、夜、誰にも会いたくない、けど、誰かと話をしたい。など、自律神経失調症特有の症状が出ていました。しかし、自分がそんな病気になっているとは思っていなかったですし、「気合が足りない」という風に感じていました。
ガリバー支配人とは、ご飯を食べに行く事が何度かありましたが、正直行くのが嫌でした。誰にも会いたくないという気持ち。何か言われるのではないか?という不安。そんな気持ちがありました。
そんな時、現場の先輩社員から、「おでぶちゃん」と言われていました。体重は、70kgくらいだったので、少しポッチャリしていたのです。普段は、冗談として捕らえていたのですが、この頃、マジで切れて、殴りそうになりました。まだ、ギリギリで理性が働いていた時期でもあったのかもしれません。
調子が悪いけど、内科や外科では問題が無いと言われた人は、自律神経失調症を疑う事を薦めます。
自分では気がつきにくい病気ですから。
この頃、ストレスという風船は、8割くらいまで膨らんでいたと思います。そして、それを支えてくれていたのが、真紀という存在です。翌月の七夕の付き合い始めて1周年を、お互いに楽しみにしていたのですから。
事業の説明
平成15年6月。
マッチーに呼ばれて、沖縄まで来ました。真紀と来て以来なので、9ヶ月ぶりかな?
新しい那覇空港には、今だに慣れないのですが、受け入れないといけないですからね。
事業の説明は始まっていて、話を聞きました。2時間くらいかな。
その後、マッチーと、マッチーの友達と3人で2時間くらいまた、説明を受けて・・・
ホテルに着いたのは、20時頃でした。この頃は、まだ、モノレールが走っていなかったので、移動はタクシー。で、この日は、沖縄での親友のなり子と会ってご飯を食べる予定になっていたのでした。
沖縄で食べたいのは、タコライスなのですが、そのお店まで行くのが大変なので、ステーキとブルーシールを食べてきたのでした。これを食べただけでも、沖縄に帰ってきたという気持ちになるのです。
翌日は、学生時代に好きだったみっちゃんとその子供達と那覇で出会い、久しぶりのデートを楽しんできたのでした。沖縄に来た理由も話してね。
そして、午後の飛行機で東京に戻り、その日のうちに木曽に帰る予定だったのですが、真紀から電話があり、仕事が終わったから少しでも会いたいという事で、目黒で待ち合わせて、恵比寿のホテルへ。真紀と一緒にラブホに行ったのは、これが最後になってしまうのですが・・・・・・・・
来月の七夕は、付き合い始めて1年。一緒に平塚の七夕祭りに行こうねと、笑顔で約束をして、別れを惜しんで、恵比寿駅で別れ、彼女は電車。俺は、車で家路に向かうのでした。
沖縄へ
平成15年6月上旬。
マッチーからの誘いを断る事ができず、沖縄に1泊で行く事になりました。
会社には、結婚式と嘘をついて、3日間の休みを貰ってね。土曜の夜に、木曽を出て、木曽高速と甲州街道を走って、真紀の家に。
この頃、真紀からの口からは、付き合い始めて1年が経過するね。喧嘩もしたし、悲しい思いもさせたけど、俺は愛してるよ。と伝えてました。そして、初めて付き合う事になった、平塚の七夕祭りに行こうと約束をしていたのです。そのために、免停講習の日時をずらしてまで・・・・
翌日の日曜日は、真紀と久しぶりに都内のドライブというか、買い物に出かけました。お互いに、プレゼントを買ったり、幕張の海岸でマッタリと、海を見ながら、膝枕をして貰って、自分の悩み(本心までは言えなかった)や将来の事などを話していたのです。
この頃は、突然起こる事態を予想することはできませんでした。
そして、日曜日は彼女の家に泊まり、翌日から1泊で沖縄に行く事になったのです。
いつもの様に、真紀を家から会社に送り、自宅へ。着替えて、目黒駅から山手線で品川に行き、京浜急行に乗り換え、羽田空港へ。これが、一番近くて安い行きかたなのです。
今回は、マイレージの無料航空券で申し込んでいたのですが、羽田を出る時間が10時15分。家を出たのが、9時半。ギリギリかな?と思っていたら、搭乗締め切り時間の3分後にカウンターに到着。
こういう日に限って、16分で着く、京急の快特が走っていないので、いつもより10分くらい余計にかかってしまったのです。地下2階の京急のホームから、地上2階のJALのチェックインカウンターまで、走ったのですが、乗せてくれませんでした。
この飛行機に乗らないと意味がないのに・・・・・・結局、時間ギリギリだったのと、走ってカウンターまで来たので、グラホンさんの好意によって、40分後に出る飛行機に乗せて貰える事になったのでした。
マッチーには、怒られてしまいましたが・・・・・・
ある休日の1日
平成15年5月の下旬。
会社にいたくない、寮にいたくない。けど、起きられない、ゴルフの練習もしないといけない。
いい様のない不安、プレッシャーに襲われそうになってました。ここから、逃げ出したいという気持ちが日増しに強くなっていく中。
さて、ここで、日本地図をお持ちの方は広げてみてください。
長野県の左下の方に木曽福島、御嶽山という地名があると思います。そこから左上に行くと、岐阜県高山市という街があります。そこから右に行くと、松本、豊科という高速のICがあります。距離は、どれくらになるでしょうか?
この日も、何とか起き出す事が出来て、穂高という駅に行こうと思ってました。白馬に仕事で長期出張していた頃に気に入ったラーメン屋さんが、穂高の駅前にあるので、久しぶりに食べに行こうと思っていたのでした。
しかし、毎回毎回、木曽高速を走るのも楽しくない。という事で、山の上を走って行こうと考えたのでした。開田村から山沿いに白骨温泉に抜ける道があるので、そこを走って行こうと。
しかし、当日は山道は工事中。しかも、対面通行もできない状態で、自分が走ろうとした時間は、通行止め。1時間待たないと、開通しないということで、来た道を戻るのでした。
そして、何を考えたか、左に行けば木曽高速に出るのに、右に曲がったのです。そして、高山に行こう!と、勝手に決めて。中学2年生に行って以来なので、10年ぶりくらいでしょうか?高山ラーメンが、その時は流行っていたので、ドライブがてら高山の観光案内所でラーメンの美味しいお店を聞いて、17時にラーメンを食べるのでした。ぴょん的には、苦手な部類に入る麺、スープでした。
そして、名古屋に出てみるか、松本に出るか、寮に戻るか考えた末に、安房峠を抜けて、松本に出たのでした。この頃、にくにく号には、ナビというものなかったので、道路標識だけが頼り。高山から2時間くらいで、松本に出たのでした。安房峠、上高地、白骨温泉の近くを通り、今度の休みに遊びに来ようと思いながら、穂高駅前のラーメン屋さんへ。お店の屋号も変わらずに「ホヨホヨ」だったはず。
マスターがぴょんの顔を見てビックリ。最後に会った時に、兵庫のホテルに行くと告げていたので、驚きと同時に喜んでくれてました。スープも麺もこっちの方がぴょんには会う。最高の味でした。
そして、また、木曽高速を走って、寮に帰ったのでした。
この頃、夜になるのが怖かったです。誰もいない寮。山の中。帰りたくないという気持ちが強かったです。
ストレスというものは、自分の中では風船と思っています。
自分のストレス発散は、映画鑑賞やドライブ。しかし、それがストレスになるのです。
映画を借りに行くにしても、車で片道70km。塩尻の町まで行かないと無いのです。ガソリン代もかかるし、車の走行距離が増えて、趣味で乗ってるのか、生活で乗っているのか。生活で乗っているなら、そういう手当てを出して欲しいのに、会社からは手当てが出ません。
・車の寿命
・携帯も繋がらない孤独の世界。
・真紀と会えない悲しさ。
上記の3つは、木曽に着てから感じたストレスというか、考え事でした。
そして、
・会長、常務のバカ親子から嫌われているから、半年に1回の転勤に疲れていた
・自分の生活の基盤をどこに作ればよいのか?
・真紀との結婚に関して、生活の場、収入が少ないので養えるか。
・借金
・木曽のゴルフ場も冬は閉鎖。冬になったら、どこに異動するのか?仕事が中途半端に終わるのが嫌。
・歌舞伎町とゴルフ場の仕事の質などを比較して、俺じゃなくても良いでのはないか。という自己否定。
・マッチーからの仕事の誘い
・家業を継いでという話を断ったのに、ゴルフ場で仕事をするから断ったのではないのに。
・俺が断ったから、昔から家の仕事を手伝ってくれていた竹ちゃんが戻ってくることになった事。
ストレスという風船は、萎むこともあったけど、膨らんでいくことが多かったです。
身体的には、だんだん、起きれなくなる。寝ても、途中で目が覚める。頻尿、残尿。やる気が出てこない。
気持ちは、「気合が足りない!」という焦りもあったのでした。
どう思われているのだろう?
平成15年5月も下旬。
この頃は、何事もやる気がでてきません。人に会うのも嫌。
目覚ましが鳴り、起きるのだけど、2度寝をしたりという感じ。昨日も書いたけど、仕事が終わり、従食で食事をする時も、誰かがいると嫌でした。話をしたくないという気持ちでした。
ガリバー支配人の視線を気にしつつ、仕事をしているフリをして、データの整理が大変という理由で先延ばしにしていました。しかし、それも限界があります。
入社以来、自分の上司だったKさんは、別の現場で支配人をしていました。Kさんとガリバー支配人とぴょんは、一緒に食事をしたり飲んだりとしていた仲です。Kさんの噂などは、自然と自分の現場にも届いていました。メールや本社からの出張組の話などで。そんな中、ガリバー支配人は、ぴょんとKさんとを比較しているのだろうか?Kさんがいたから、ぴょんの評価があったのか?ぴょんだけの評価だったのか?
そんな事を考えて、毎日を過ごしていました。
ぴょんが、木曽のゴルフ場に出向する前年、兵庫のホテルでも一緒だった、同期の奴が出向する予定だったのです。しかし、彼は、それを拒否をしたと、真紀から聞かされました。真紀と同期の奴が歌舞伎町にいるので、そんな話があったのでしょう。
何故、俺は、拒否をしたのに、出向を命じられたのか?俺の仕事内容だったら、俺じゃなくても良いじゃないか。ガリバー支配人は、俺じゃなくて、Kさんと一緒に仕事をしたかったのではないか?
そんな思いの中、毎日を過ごしていました。
ガリバー支配人とは、週に1回程度、ご飯を食べに行ったり、松本のスーパーまで買い物に行ったりしていました。食事に誘われる度に、「怒られる」のではないか?と怖かったです。仕事をサボっているのは、分かっている筈(仕事のスピードが遅い)なので、ビクビクしながら食べに行ってました。本音は行きたくない。けど、ゴルフ場のスタッフが、誘われたら一緒に行って欲しい。こっちも、その方が仕事が行いやすいと言われていたので、極力行く様にしていたのです。
しかし、怒られることも無かったし、「なんか悩みがあるのか?」という問いかけもないままでした。