ぴょんのうつ病日記  ~うつ病は絶対に治る!!~ -21ページ目

たまには街へ・・・

平成15年6月中旬。

山々の生活からたまには出たい!!!!と思うのはいつもの事。東京にいれば、どこかに行きたいという気持ちにも似ているのかな?


休みの前日の松本まで行きました。寮から木曽高速を走り、松本まで70kmくらいかな?


なんだか、普段は食べないケンタに行きたくなったのです。松本まで行かないと、お店が無いからね。

ケンタを食べ、夜の歓楽街(?)には行かずに、マックスバリューでお菓子などを購入し、レンタルビデオを借りたのでした。借りたのは、「MI2」。借りたお店は、塩尻にあるのですが、長野県に身分証明が無いぴょんがレンタルビデオを借りるのは、至難の技であります。


そして、木曽高速を走りながら、久しぶりに真紀と電話で話しをしたのです。(その頃は、まだ、携帯運転は規制されていませんでした)電話の声のトーンが違う、休みに木曽に来ると話していたのも、なんだか、有耶無耶。真紀と話をするたびに、嬉しい反面、切るときの切なさ。そして、歌舞伎町のスタッフに追いていかれるのではないかという不安。ぴょんの仕事は、歌舞伎町を10としたら、木曽は2くらい。だから、後輩に追いてかれる、抜かれるという不安ばかりありました。

しかし、この時は、プライベートで衝撃的なものでした。真紀から、別れ話が電話であったのです。


とにかく、その週の週末は真紀が来ると思って休みを取っていたので、東京に行くと話しをして、電話を切ったのであります。



木曽高速を南下し、「元橋」という交差点を右折すると、橋があります。その先にトンネル。そのトンネルの手前で、姫に電話をしました。実は、こういう事があって、どうしよう・・・・・みたいな、相談というか愚痴というか、アドバイスを貰うというか。



とにかく、ブルー以上の気持ちで、トンネルをくぐり、寮に帰ったのでした。

山々・・・なんだよね・・・・

平成15年6月中旬。

目が覚めて、外に出ても山と緑。車で県道まで出る道路は、林の中の道。木曽高速は、谷を走るので、山と木と緑と川しか見えない風景。


そして、体の体調は変だし、精神的にもおかしい状態でした。昨日のブログの様な感じで。


そんな中、6月21日の土曜日に真紀が木曽に来るとメールしてきました。


その前の週の土曜日は、「今夜、飲みに行くから、電話して出れないよ」と、今までに無いメールが来た後。そして、土曜日以降も、電話をしても真紀が電話に出ない状態。メールをしても、返信が無い。


どうしてるのだろう?何をしているのだろう?

病気になったのかな?以外と、体が弱いからなぁ・・・・

事故にあったのか?そしたら、歌舞伎町の敵から連絡が来るよな・・・・・・


真紀に対しての心配という「ストレス」まで増えてしまったのです。

七夕がちょうど、真紀と付き合い始めて1年目の日。その日に、付き合うきっかけになった「平塚七夕祭り」に行こうね。と、恵比寿で会った時に話してもいたので、「お金が勿体無いよ」とも言いつつ、真紀とどこに行こうか。高山に行くかな?白骨温泉も良いな。なんてポジティブに思いたくても、なんだか、楽しくない、ネガティブな気持ちであったのでした。





山々

平成15年6月中旬。

この月は、東京に行ったり、沖縄に行ったりと、プライベート部分で忙しくしていました。


木曽に帰ってくるのは、本当に嫌でした。前にも書きましたが、「元橋」という交差点を右折する時の憂鬱感。周囲を見回しても、山と木だけ。閉塞感を強く感じました。


この月も、社内コンペがあるので、フロントのスタッフとコースに出ました。その前の日に、練習場に行って、ドライバーを折ったぴょんは、勝手に別の人のドライバーを借りて使用。

ドライバーで打つのって気持ちよいですね。それも、打ち下ろしの場合。しかし、ドライバーを使用しても、スコアは、アイアンだけのコンペと同じくらいのスコア。140。勉強が足りないですね。


・ネットワークビジネスの事

・家業の事

・歌舞伎町(前の現場)のスタッフが敵に思えてきた気持ち

・真紀との将来

・お金の問題

・趣味である車が、会社での使用の為に廃車が近い。維持費が高い。

・寮に帰ると、誰もいない。淋しい。


淋しい気持ちや将来の事、なんだか様々な事で悩んでいました。

真紀との電話も繋がりにくくなり、メールが多くなってきた様に思います。というか、メールも少なくなっていっていたなぁ・・・・

真紀は、同期の奴と付き合い始めたのではないか?という、疑心暗鬼。


そして、とうとう、うつ病の前触れが現れました。

・夜中に目が覚める

・目覚ましよりも早く起きる

・目が覚めても、行動する気力が無い(仕事に行きたく無い)

・現実に戻るのが嫌。夢を見続けたい

・頻尿、残尿

・目眩、頭痛

・食欲不振

・ご飯を食べるときに、1人になりたい。

・淋しいけど、人と接するのが面倒

・1日中、やる気が出てこない。仕事を行うことが難しい。 

・仕事中も疲れを感じ、無気力になる。

・自分に価値が無い、自分はここに必要が無いなど、否定の気持ちがある。

こんな状態が始まり、持続するようになったのです。その時に、ぴょんが思った事は、「気合が足りない」の精神論でありました。

ネットワークビジネスの講演

平成15年6月8日(くらい・・・)


日曜日の夕方に仕事を早めに終えて、ぴょんは寮を出発し、木曽高速を走って、みどり湖BSに向かってました。新宿行きの最終バスの発車時間は、20時20分くらい。途中のバス停なので、多少の時間の誤差があるので、早めに行かないと・・・という焦りの気持ちがありました。


バスには無事に乗ることが出来て、一路東京に向かうのでした。日帰りや真紀とデートをしない時は、バスで東京に行った方が安上がりなので、これからもそうしようと考えていました。


新宿から真紀の家に向かい、真紀の家で遅い晩御飯を一緒に食べて、次の日は月曜なので、そのまま就寝。七夕の話を、布団の中でしたのを覚えています。しかし、いつもの心安らぐ気持ちは無かったです。ぴょんの精神的な部分が変わったのか、真紀の心が変わったのか、木曽に行く前に過ごした二人の時間とは感覚が違っていたのです。


翌日、真紀と一緒に草加から新宿まで行きました。東武線は、西新井で各駅停車から準急に乗り換えるのですが、相変わらずの混雑ぶり。北千住から日暮里までの常磐線もチョー混み。日暮里から新宿までの山手線は、座れるので、ここでやっと一安心という感じです。


朝の混雑する新宿駅の山手線のホームで、ぴょんと真紀は、二人だけの世界を作ってました。


真紀はそのまま、歌舞伎町の仕事場へ。ぴょんは家に帰り、午後から始まるネットワークビジネスの講演を聴きに行く予定になっていました。マッチーは来れないので、代わりの人を紹介して貰ってあって、講演を聴いた後に、その人と1時間くらい話をして、ぴょんは、そのネットワークビジネスに加わる決意をある程度、固めたのでした。


実家の酒屋に竹ちゃんがいるのは知っていたので、寄って話をして。「ごめんね。一緒に出来なくて」と、ぴょんが最初に発した言葉でした。そこで1時間くらい話をして、帰宅し晩御飯。

その際に、12月に今の現場がクローズしたら会社を辞める話をし、ネットワークビジネスの話を親にしました。親は猛反対。新宿から出る、松本行きのバスは20時20分が最終です。結局、喧嘩別れみたいな感じで、ぴょんは新宿駅に向かうのでした。

イライラ、何故、俺の自由にさせてくれないのか?真紀は、何かが変わった。男が出来たのか?同期の奴が何か言ってるのではないか?歌舞伎町にいたスタッフは、みんなが敵に思えるようになってきたのでした。一緒に仕事をしたにも関わらず。

だからか、山手線で新宿駅に着いた時に気がつきました。車の鍵を家に忘れたのを。

慌てて取りに目黒まで戻るも、バスは無常にも出発。バスなら、2時間半で着いて、2700円で済むのに、最終のあずさ号で帰る事に。


あずさ号に乗るのは、いつも朝でした。長野県白馬村にもホテルがあり、そこに行く時は、朝8時にあずさ号で行くのです。朝早いし、現場についたら休む暇も無いので、とにかく睡眠をとる時間でした。


しかし、その夜は、夜景を見ながら、真紀の事、仕事の事。様々な事を考えていました。

塩尻の駅に着いて、駐車場までタクシーに乗るも、最終的には、バスの料金の倍以上のお金がかかるわ、時間も遅くなるわで、最悪な休みの1日でした。



この頃、真紀は、何を考えていたのだろうか?????

悩みの日々・・・PART2

平成16年6月上旬。


沖縄まで行き、ネットワークビジネスの誘い、説明を受けて帰ってきたぴょん。


実家の家業の件も昨日の様に書いて、悩みは沢山ありました。


ストレスという風船は、8割くらいまで膨らんでいたのでしょう。今だから分かることであって、当時はその様な事を考えたこともなかったです。

仕事の面でも、歌舞伎町でしていた仕事の2割くらいしか回ってこない(企画書や提案をしても、自分の仕事をしろ!と言われる始末)、自分の存在意義を見失っていました。

そして、真紀との電話は、この時も毎日してました。


歌舞伎町で仕事をしていた頃は、駅から家に帰る間の10分の間が、唯一話ができる時間。ゴルフ場に行ってる時は、お風呂に入りに行った帰りにするくらい。

色々と話をしました。新入社員で入ったノグや真紀なども、1人前となりつつあり、色々と仕事を任されている事、俺がいなくても回っている事(会社は人が1人いなくなっても平気なんですよね)、自分の同期の奴は、木曽のゴルフ場の仕事を断って、歌舞伎町の現場に行った事など。

歌舞伎町のスタッフと比較して、自分がおいていかれている・・・という、不安というか焦りの様な気持ちでいっぱいでした。しかし、そんな弱音を真紀に言えない自分もいました。真紀も忙しいから、そんな事を言われるのは迷惑だろう・・・と思ってしまう自分。電話をしているだけでも、迷惑なのでは?という気持ちがありました。


仕事も不安や焦り、疎外感を感じていて、プライベートも真紀が俺から離れていくのではないか?という不安感でいっぱいだったけど、七夕の話をしてきたのは真紀の方だから、という気持ちもあったし、沖縄から帰ってきた日に会い、別れ際の笑顔を思い出して、大丈夫と自分に言い聞かせていたのでした。


GWに真紀が来た時に、写真を持ってきて貰いました。淋しいから・・・毎日、その写真を見ていた感じです。