そして病院へ
平成15年6月25日(水)
何とか、怖いけど竹ちゃんがいるお店に到着。「レキソタン」という薬を飲んで、少し恐怖心が薄らいだ感じがします。よっちゃんとは初対面。刺青しているので、一緒に行くのが嫌だったけど、人を外見で判断してはいけないですね。今でも、何かあれば相談しているしね。
薬のせいか、一緒に人がいるからなのか、恵比寿まで山手線に乗り、恵比寿から日比谷線に乗り換えて、日比谷にある病院へ。
「ストレスケア日比谷クリニック 」という病院でした。水曜日は、17時から診察と言う事で、2時間ほど、ファーストキッチンで、よっちゃんと、病気の過程などを簡単に説明しました。
初診は、予約が必要なのだけど、ぴょんの場合は、病院を選ぶ段階から、決断できない状態だったので、竹ちゃんとよっちゃんの薦められるままに通院を始めることになったのでした。
予約無しの初診なので、心理テストや簡単なカウンセリングができない状態。そして、信大病院で説明した事と同じ事を話すという、ぴょんにとっては、とても面倒な作業があったのでした。
日内変動で、夕方になると元気になるので、帰りは1人でなんとか帰宅できる状態でした。
薬の量は、信大で処方された種類よりも増えていました。日比谷で処方された薬で、様子を見る事と翌日にカウンセリングを受けて、心理テストを受ける様に指示をされたのでした。
この時の治療代は、3500円くらいでした。(11月になると、病院代が安くなるのでした)
この頃は、本を読む事、新聞を読む事もできない状態で、読んでも頭に入らないという状況で、嫌気がさしてました。
今の時代、メールというのは良い情報伝達ですね。木曽のガリバー支配人にメールで状況を報告し、長野まで行くのは、運転上も危ないし遠いので、本社の人事に引き継いだとの事で、今後は、本社のスタッフと話をするのでした。本社のスタッフも、知らない人はいないので、苦にならなかったのが良かったです。
病気という認識
平成15年6月25日
ぴょんは、自分がうつ病だという認識がありませんでした。
とにかく、「怖い」「何も無い」と意識が強かったです。怖いという感覚が、何から生まれたのか分かりません。しかし、月曜日に渋谷に行くのに、1時間以上もかかるという点で、とにかく、外出をしたくなくなりました。外出が怖い、だから引きこもりになりかけていたのです。
「何も無い」というのは、真紀の事でしょう。一番大切に思っていたのですから、それを失った事を自分が認識できていなかったのでしょうね。
この頃は、信大病院で処方された薬を飲んでました。しかし、改善、効果が現れない。というか、精神系の薬は、作用まで1週間~2週間かかるとの事で、ダメでした。
そんなぴょんの状況は、ばあちゃんや母ちゃんから、親戚などに発信されたのです。が、この情報の発信が良かったのか、家業を継いでと言われていた酒屋に戻った「竹ちゃん」から、電話があったのです。
彼は、自律神経失調症を患っているのですが、彼の友達に「よっちゃん」という人がいるのですが、この人もうつ病で、1年間の引きこもりをしていたそうなのです。
そのよっちゃんが、病院に行く日だから、一緒に連れて行ってあげる。との事なのです。電車にも乗れない、外に出る事も怖い俺が、嫌だ!!!と言ったのですが、とにかく、店に行けば竹ちゃんがいて、薬を貰えるという事で、とにかく、30分かかって、お店に到着したのでした。
広場障害
平成15年6月22日
日曜日でした。とにかく、仕事の事を考えないでいました。そして、精神的に「落ちる」という感覚が、この日くらいから起こるようになりました。
信大病院では、そういう症状の時にどうしたら良いのか教えてくれないという状況。
日曜日と月曜日は、1日中家にいました。何をしていたのか、覚えていないです。
唯一覚えている事は、
・お風呂に入るのが面倒・・・・
・ご飯を食べたくない・・・
・誰にも会いたくない。けど、淋しい・・・・
・外出するのが面倒・・・・
そんな感じでした。母ちゃんに、タバコを買ってきて貰う様な日々でした。
ぴょんの家から、最寄の目黒駅までは歩いて10分で着きます。
渋谷までなら、20分もあれば行ける範囲なのです・・・・・・
そして、月曜日の飲み会。19時に渋谷のハチ公で待ち合わせをしていました。
が、そんな30分の距離を行けないのです。
行きたくないという気持ちがあり、キャンセルしたかったけど、ぴょんの為に集まってくれるという点もあり、無理をして外出をしたのです。目黒駅まで歩いて30分かかりました。周囲の人が、みんなぴょんの事を見ているのではないか?という錯覚。そして、この頃は、外出時はメガネをしていなかったので、一生懸命、歩いてくる人の顔を見ようとして、疲れる。
電車に乗る事はできました。渋谷まで、山手線で5分。が、なんと、恵比寿に着く前に、脂汗が出て、気持ち悪くなり、吐き気を覚えました。そして、恵比寿駅で降りて、外の風に当たる。なんと、30分も恵比寿駅のベンチに座って、休むのでした。
そして、何とか、渋谷に到着。待ち合わせ場所に行くも、人が多くて怖い。みんなが見ている、笑っているという錯覚。怯えてました。
友達のリュックの紐を握って、後ろから付いていく始末。
飲み屋について、5人で飲んだのですが、ぴょんが話始めたのが1時間後。
それまで、何も喋れない。怖い、みんなに申し訳ない。狭い場所が怖い・・・・・・・
そんな状況でした。が、帰りは、普通に電車に乗って帰ってこれたのでした。
日内変動が起きていたのでした。
そして・・・
平成15年6月21日土曜日です。
親に病気と診断され、会社から一旦東京に戻り、休養しろと言われた。長野病院まで行くのは、交通費が大変。収入が無いから、どうしよう・・・目先の事を考えると、死んだ方が楽でした。
夜になると、少し情緒が安定するのですが、人に会うのが大変という事があります。
その日、メーリングリストでできた仲間にメールをしました。
「ぴょんは病気になってしまった。病名は、うつ病。死にたい・・・・」と。
メーリングリストに加入したのが、平成14年3月。1年くらいの付き合いなので、気心しれた仲間達でした。
その中で、1人の友達が、家まで来ないか?話をしようよと誘ってくれました。
彼も、うつ病をした1人で、アドバイスなどをしたいからだと思ったのと、本当に心配して声をかけてくれたのでしょう。
彼の部屋で、話をして、本を何冊か借りて帰宅。しかし、運転中も、ハンドルを・・・という気持ちがあるのでした。
その日から、車でないと外出ができない体になってしまいました。
そして、ぴょんがこんな状態だということで、メーリングリスト でも、特に仲の良いメンバー4人と月曜日に渋谷で飲むことになったのでした・・・・・・・
親への報告
平成15年6月21日
この日は、土曜日でした。真紀の家を午後1時くらいに出発して、目黒の実家に帰るのですが、家には誰もいませんでした。そして、シャワーを浴びていない、薬を飲んでいない事に気づき、としあえずシャワーを浴びる事にしました。
今でも何故か分からない。真紀を失ったから?俺の仕事が否定されたから?人生を否定されたから?
シャワーを浴びながら、泣いていました。俺、こんなに泣き虫だったかな?
そして、外出をしたくないけど、ばあちゃんの家に行きました。同じ目黒に住んでいるので、家から歩いて10分くらいかな?その頃、ぴょんは、車の運転や映画館で映画を観る時以外は、メガネをしてませんでした。
が、外を歩いていると、向かってくる人の顔が見えない。俺の事を見て、笑ってるの?
なんだか、みんなに見られている気持ちになりました。
ばあちゃんの家に行ったのは、会社を当分の間休む事になりそうなので、お金を借りに行ったのでした。
ぴょんの為の結婚資金を貯金していてくれたので、それを前借したのです。事情が事情なだけに・・・・・
おばあちゃんの前でも泣いてしまいました。
そして、家に帰ると、両親が帰ってました。
「俺、病院でうつ病と診断された。長野の現場から帰って、東京で静養しなさい。」と言われた旨を伝え、どうなるか分からないという事を伝えました。
そりゃ、息子が「うつ病」となれば、心配しますよね。
何でうつ病になったのか?ぴょんの場合は、自律神経失調症からうつ病になってしまったと、今になると考えられます。歌舞伎町でイライラしたり、頭痛があったりとした、体に異変、サインがあったにも関わらず、誰も気づかなかった。ぴょんさえも。
ぴょんは、寝不足、仕事の疲れ(精神的にね)が原因だろうと考えていました。
体の異変、精神の異変は、周囲の人が早く気づくと思うのです。が、ぴょんが不幸だったのは、
・仕事が半年で職場や人間関係が変わるので、「ぴょんがそういう感じの人間だと思われていた」
・家族よりも真紀との時間が多かったので、家族が気がつかなかった
・真紀も、昔のぴょんを知らないので、変化に気がつかなかった。
事があると思います。そして、この時の原因は、
・真紀との別れ
・会社、仕事の内容(クレーム処理の負担、異動の負担、会長から嫌われていた点)
・真紀との将来、仕事の将来の不安(生活の基盤が作れない)
・借金の問題・・・・
があったのだと思います。