ぴょんのうつ病日記  ~うつ病は絶対に治る!!~ -20ページ目

そして帰京・・・

平成15年6月20日

病院で「うつ病」と診断され、会社に戻って報告するも、情緒不安定の為に泣いてしまい、報告というか泣いてしまうという状況になってしまったのでした。



その後、気持ちを落ち着かせる、借りていたビデオを返却することもあり、部屋で映画を見て、何とか、気持ちを落ち着かせました。

17時くらいに、必要最低限の荷物だけ車に積み、東京に向かうのでした。

相変わらず、木曽高速を走っている時は、「トラックに突っ込めば・・・」という気持ちになりつつ、塩尻市になんとか到着。ビデオを返却し、薬局へ行き処方箋を渡して、薬を買ったのです。


その後、甲州街道を走り、一路東京へ。



その途中で、真紀とメールで会う約束をして、歌舞伎町の4月までいた現場に行ったのです。

真紀は、1人で飲んでいた様です。ぴょんがこんな状況になっているとは、思っていなかった様です。


ぶーちゃんと健仁に会いました。「何で、ぴょんがここにいるんだ?」という話から、風船を針で割られて、「うつ病」と診断された。と伝え、真紀と会って、真紀の家に一緒に帰ったのでした。


この2週間前、真紀と東京で別れるときには、「来月の七夕祭りは一緒に行こうね」と約束をしていたにもかかわらず、今は、別れての話。女性は、こういう時の気持ちの切り替えが早いですよね。



真紀の部屋で、ぴょんは泣いていました。「別れたくない。失いたくない。実家に帰っても、居場所が無い。真紀を愛している」しかし、彼女は、別れるの一点張り。


その日は、とにかく、真紀の家に泊まったのですが・・・・・・ベッドは別。キスも無し。




嫌いになった男の事を、女性は本当に冷たく接しますよね。。。。。

宣告。

平成15年6月20日

金曜日でした。まず、朝起きれなかった。目覚ましよりも前に起きているけど、布団から出れない。やっとの思いで、内線で病院に行く事を話すも、布団から出れない。


病院は、長野県松本市にある「信州大学付属病院」(通称:信大病院)に行くつもりでいました。長野県は田舎。そして、その頃住んでいた寮は、その中でも、最も田舎に属すると言っても過言ではない地域。(長野県の方、ごめんなさい)だって、木曽郡には、木曽病院があるけど、そこには精神科が無いからね。


診察受付が11時半だろうと勝手に推測。松本まで80kmくらい。自分で車を運転していきました。


結局、寮を出たのは何時だったのだろう?9時くらいなのかな?

何かをするにしても、大量のエネルギーが必要となっているぴょんがいました。



その病院に行くまでが大変でした。このまま、運転操作のミスでトラックに突っ込んで死んでしまえば、楽になれる。木曽高速は、事故が多いから、誰も自殺と思わないだろう。即死が良い。そんな死にたいという気分だったのです。が、なんとか、病院に到着。

とにかく、病院に着く事で、その時の気持ちが晴れると信じていたからです。

病院に着いて、初診なので症状などを話して、カルテを作成してもらい、精神科に行きました。


大学病院の精神科というのは、酷いものです。あれでは、ますます、鬱が酷くなります。

狭い部屋に案内されて、医者2人とぴょんの3人。ドラマの警察の取調室みたいな場所で、診察が行われるのです。家族構成から、仕事の内容、症状がいつからだったか、自殺したいか。

聞かれるのは、主に上記の4つです。

しかし、辛いという気持ちが強く、辛い状況を脱するのは死ぬしかないという気持ちに支配されていたので、「自殺したい」と答えました。


1時間くらいで問診が終わり、「次回は、2週間後の水曜日に木曽病院に行くので、来る様に。紹介状を自分自身に書くから、それを持って来なさい」と。そして、薬を処方するから、それを飲むようにと言われたのでした。「仕事は?」と聞いたら、「自分を騙し騙し、仕事をして、2週間後に来て下さい。神経系の薬の作用が現れるのが1週間から2週間だから、それからもう一度、考えましょう」と言われました。そして、この病院で、「うつ病だね。その症状は」と言われたのでした。



病院を後にして、薬は院外処方だったのですが、車に乗ったら、下りるのが面倒という気持ちが強くなりました。そして、朝から何も食べていなかったので、食べたくも無いのに、ラーメンを食べてね。確か、13時前くらいだったと思います。



真紀には、その段階で、「うつ病と診断された」とメールを入れました。彼女自身も、うつ病という病名の内容まで知らないだろうし、それを隠して(真紀と会う時は、基本的に元気に。でも、イライラしていたけどね)いたから、ビックリしてました。そして、彼女は、自分の別れ話が原因なのか?と、思ったみたいでした。



会社を休んで病院に行ったので、会社の事務所に行って報告をしなくては。と思い、寮に帰る前に、ゴルフ場の事務所に行きました。帰りも死にたいという気分がありましたが、病院に行く時よりかは緩やかになっていました。また、この時点では、まだ、薬を買っていませんでした。


事務所に入って、社員の方の顔みたら、何故か大泣きをしてしまいました。机に伏せて、大声で・・・・・

みんな、ビックリしていました。自分自身もビックリ。



病院で、「うつ病と診断された。薬の処方箋を貰ったけど、薬を買ってきていない。2週間後に病院に来いと言われているけど、それまでは、騙し騙し、仕事をしなさいと言われた。でも、騙し騙し仕事をして、昨日の件があり、仕事をする自信が無い。でも、するしかない」と泣きながら話たのですが、戻ってきた答えは、「ガリバー支配人には、うちらから報告しておく。だから、一旦東京に戻って、家族の元に戻った方が良い」と、命令に近い言葉で言われ、その日から休む事になったのでした。




最後の仕事・・・・

平成15年6月19日。


朝、起きれなかったです。夜、寝れなかったからね。それまで、不眠というか、夜中に目が覚めて、起きても疲れている状態でした。

だんだん、それが酷くなり、この日は、7時20分に目覚ましが鳴っても、布団から出るのに20分かかりました。


8時の出勤ギリギリに出社しました。が、なんだか、全然、やる気が出てこない。



この日も、通常通りに2人でフロントの業務を行っていたのですが、相手は残業代が出るスタッフ。いつもどおり、時間になったから帰して、お金の計算に入りました。

しかし、7000円もマイナスが出たのでした。その時に、「ぴょんが悪いんだ」「ぴょんがいなければ、マイナスにならない」「みんなに迷惑をかけなくて済む」という思考回路が働いたのか、泣いてしまいました。自分でも分からないけど、どちらかのミスかもしれないのに、自分の責任だと感じたのでしょう。

涙を流しながら、計算が合わない事を、別の社員に話て、再度計算。


そしたら、単純なケアレスミスでした。なのに、それを解決できなかったぴょん。



そして、この頃は、うつ病という病気の名前と症状をおぼろげながら思い出しました。「死にたい気分」になるというキーワードで・・・・・


早速、会社のPCでネット上で簡単な質問事項に答えるだけで分かるうつ病診断をやってみました。

そしたら、病院へ行く様に・・・とのメッセージ。

しかし、次の休みは当分無いし・・・・・・・・しかし、ここで、その涙を流しながら話した社員の方に、事情を説明し、明日は、病院に行くかもしれないと話して、寮に帰りました。


お風呂も入りたくない、食事もしたくない、誰にも会いたくない。死にたい。消えたい。そんな気分でした。

ちょっとコーヒーブレイク

今日は、今までのお話を簡単にね。


平成13年の頭痛の日々。平成14年のイライラ、孤独感、自己否定の日々。平成15年の不眠(寝れない、夜中に目が覚める、目覚ましより早く起きる)による、集中力、記憶力、やる気の低下。周囲の人の評価を気にして、人に会いたくない。


そんなストレスという名の風船は膨らんだり、縮んだりしていたのですが、真紀からの別れ話が出た段階で、風船に針が当たった感じです。

その続きは、また明日から書きます。


平成15年6月に「うつ病」と診断されて、来月で2年。この病気は、本当に治るまでが長い。周囲の協力が必要という事を、今後は書いていきたいと考えています。


そんな中、ぴょんが参考にしたのが下記のサイトです。


こころの薬箱

http://utsu.jp/index.html

UTU-NET

http://www.utu-net.com/index.html

げんのホームページ

http://www.ohhori.com/depression/


を参考にしました。簡単に、「うつ病」がどうかを判断する目安として使用していました。今は、「うつ状態」ではないですね。


また、うつ病は、薬で治す事から始まるので、薬の作用、副作用をネットで確認する事をお勧めします。



でわ、また、明日から、続きを書きます。明日から、ぴょんの生活が豹変するのであります。


表紙というのかな?写真を変えました。ぴょんの家から歩いて20分くらいの「恵比寿ガーデンプレイス」の写真にしました。でも、また、海の写真に変えるかも・・・・


読者になって頂けると、嬉しいです!!!よろしくお願いします。

たまには南へ・・・

平成16年中旬。


真紀から別れ話があった翌日は、お休みでした。そして、ETCの助成金開始日だったので、木曽高速を南下し、中津川のオートバックスに行ったのですが・・・・・・お休みでした。


仕方なく、更に南下し、多治見という街にあるオートバックスで、ETCを購入。しかし、その場では付けられないという事で、後日、その店に行く事で伝票を切って貰うのですが・・・・・・・・・・・・・



真紀との喧嘩や別れ話は、今まで無かった事はありません。何度も喧嘩したり、別れ話をしたりしました。だから、ぴょんは、週末に東京に行けば、解決できるだろう!!と、考えていた反面、精神状態が不安定だったからなか?ネガティブに考えてしまう状況でした。


名古屋まで行き、「きしめん」夏なのに「味噌煮込みうどん」を食べたりと、何とか、真紀の事を忘れようとしていたのかもしれないです。


そんな状況なのに、岐阜までドライブしてしまい、空白の1時間の後、寮に帰るのですが、車線がどんどん減っていくにしたがって、そして、標高があがるにしたがって、正直、帰りたくない。今、この状況から逃げ出したいという気持ちになっていたのです。