ごぶさたです
仕事それなりにしてます。
給料はあいかわらず低いです。
でも、人間関係は面白いです。
やっぱり、「顧客満足」を追求する人が、いちばん仕事でノッっているのだな。
権力闘争や出世欲や、カネのために働くのではダメ。
そういうと、「消費資本主義」の罠にはまったみたいにいう人がいるが。
まあ、クレーマー対策が一番のリスクマネジメントだね。
なかなかです
組織の中で主張を通すのはむずかしいのは、当たり前。
そこを、政治的に妥協すると、自分の意見なんて形が変わってしまう。
それくらいなら、はじめから主張しないほうがましだ。
自分の思ったように人や組織を動かすのは独裁者だ。
民主主義って結局、何もまともに機能しないんじゃないか。
意見と利害の調節だね。
妥協の産物だね。
いろいろやってみたのだが・・・
ホームページを開設して10年。その後、ブログやツイッターもやりはじめたが、全体としてさほど仕事につながった感じはない。
その間に、多くの友人・同僚が大学に就職していった。
そして、生活の安定をえて、何も書かなくなった。
大学内部に閉じこもって、外からは何をしているのかわからない。
わたしはといえば、たしかに「外部」に発信はしたが、たいして有効性はなかった。
ストレスと借金だけが膨大に増加した。
どちらの生き方が「正解」だったのか。
それでも、何かを世の中に発信していきたいのだが、紙媒体の限界も見えてきた。
ネット社会にも独特の「掟」があるようで、なかなかむずかしい。
ようするに、大学でもマスコミでも「閉鎖的身内集団」が跋扈していて、「仲良しクラブ」の一員にならないと認知されないのだ。
ツイッターもほんと、仲良しのおしゃべりごっこだもんねぇ。
自己愛
自己愛というキーワードで考察している。
「自分のことが好き」「わたしを見て」そんな単純なイメージから出発していいと思う。
これって、最近増えているパーソナリティ傾向なのかな。それとも、時代環境がそれを生み出しているのか。
どうもよくわからないのが、時代の産物なのか個人の傾向性なのか。
たしかに、政治家も芸能人もそういう性格でないと目立たないから生きていけない。
でも、全世界的にこの自己愛が問題になっているらしい。「後期近代」の特徴だとも。
ひとつには、家族や親密性の変容があるだろうな。幼児期の生活や家族の育みの変化というか。
それと、共同体や集団でみんなで助け合って生きる生活が少なくなってきた。
それが、自立や主体性をつくりだすのではなく、自己愛的態度を強化した。
やはり、社会学と心理学の両面からの分析が必要だ。
仕事は自分で見つけるもの
この仕事思想に悩まされる。
言われたこと、決められたことだけをやっている人間は最低。
自分で積極的にひとの仕事を盗んで、自分のものにしていかないと育たない。
このへんが、伝統的欧米型の職務主義と全く違うところ。
仕事を切り分けるのは、マネジメントの仕事。それを誠実に遂行するのが現場の労働者。
日本では、仕事なんてきまりがない。だれが何をしても、円滑に職場が回る限り問題ない。
むしろ、各人が自主的に自分のポジションをつくりあげていく。
わたしは、生来のサボり癖もあって、最低限の仕事しかしたくない。
あるいは、何をやっていいのかわからない。
たしかに、これやってと頼まれたら断りはしないが、こちらから○○やろうかなどと言うことはまずない。
先輩の仕事ぶりをよく観察して、いま何が求められているかを機敏に判断する。
めんどくさいなぁ。
こんな働き方だから、いつまでたっても職場での地位が確立しない。
みんな、どうしてそんなに自分から仕事を探せるのだろうか。
好きでやってるの。それとも、ピア・プレッシャー??
OJTもまともに機能しない現代、若者が仕事を覚えるのは至難の技だろう。
やっぱり金じゃないか!
という結論に達しました。
仕事や業績の社会的評価は、市場と貨幣。
やっぱり、売れなくてはどうしようもない。
芸術家には悪いが、やはり「いいものは売れる」と信じたい。
というか、実際には子どもの教育費が莫大にかかるので、どうしてもお金が必要なんだ。
とすれば、自分の仕事だけ考えていれば、売れなくてもいいということなのかな。
でもね、じぶんの人生や能力の貨幣的価値ってどれくらいかって思うよね。
年間数百万円の価値しかない人間かと思うと、がっくりくるよ。
じゃ、貨幣的でない「価値」って・・・・?
自己満足しかないか。
「売れなくてもいいもの」を作っているのだからという満足感。
「いいもの」って何かというソクラテス以来の問い。
「良い仕事」という言葉があるが、あの本は嫌いだな。
だって、共同体に貢献するのが良い仕事だっていうのだから。
いやいや、共同体に貢献するから金になるのでは?
むしろ、共同体からはずれるから、市場で評価される。
全体性に反逆する思想が、ひっそりと「無縁社会」で評価されるのだ。
ツイッターはじめました
よくわからないままに、はじめました。
ご存知の方は、ご覧ください。って、見れるものなのかどうか。
ブログと違って、人にどうやって見せるのかいまだによくわからない。
返信というのか、ツイートというのか、やってると広がっていくみたいですが・・・
まったくのアウトサイダー・アカデミストに成り下がって、悪戦苦闘です。
そうそう、障害者芸術に「エイブル・アート」とかありますよね。
以前もちょっと書いたのですが、「天才にはかないません」とのコメントも。
天才かぁ・・・
こっちは、天災ですよ・・・
ほんと、正社員優遇の雇用システムが揺るがない限り、チャンスはないか・・・
何がそんなに苦しいのか
何がそんなに苦しいのか、自分でもよくわからない。
ブログを読み返してみると、なんともはや、読むのが嫌悪感なくらい、同じことをフニャフニャと書いてある。
数字が出ない。
年収は300万もない。本の売り上げは最高で2000部。
職場でも活躍しているわけでない。家でも明るくない。学界からは無視。
とくれば、自信のもちようがないじゃないか。
どこに所属して、誰に認められて、何を生きがいに生活しているのかよくわからない。
どこに、自分のアイデンティティを見出せようか。
ようするに、自分は何者なのか。
職場でも、家庭でも、業界でも、自分の賭けるべきポジションがない。
いてもいなくても同じ存在。
自虐的に語っているように見えるかもしれないが、ホントに生き甲斐がない。
裏返しの自己愛なのは、よくわかっている。
こういう語りが無様なのも承知している。
しかし、何とも何とも、苦しいのである。
とくに、休みのときに一人で考えていると、ドンドン落ち込んでいく。
自分って、一体何の価値があるのだろうかって。
たしかに、世俗的に言って、本が売れるか、学界で注目されるか、そんなことを求めているのだろう。
目立ちたいとか有名になりたいとか、そういう子どもっぽい感情ともどこか違う。
どうして、ここまでやってきて、何の見返りもないのか。
いつまで、下積みを経験しなくてはならないのか。
もっと、パッと花咲かせられないのか。
夢見るフリーターが貧困に落ち込んでいくパターンだろうな、これは。下流社会。
売り上げ部数が欲しい
ようやく、自分の欲望に気づかされた。
やはり、出版した本の売り上げ部数を伸ばしたい。
いままでは、せいぜい2000部。
これをまず、1万部くらいにはもっていきたい。
有名になりたいとか、お金がほしいというよりも、まずは売れなくては認知度が低すぎる。
それでどうなるのと言われそうだが、世の中に知られないことにはいいも悪いも始まらない。
世間の評価よりも、学問的な価値だろという意見もあろうが、やはり自分は「市場」に価値をおく。
大学に所属するふつうの学者は、しょせん自分の大学内部でしか労働能力が通用しない。
世間や市場で評価されるのではなく、所属する組織にどれだけ貢献しているかで評価される。
それでも、企業人ならば売り上げや市場評価に直結するからまだわかるが、大学人の評価はせいぜい学界でのポジションくらいだろう。
そろそろ、大学人や学者も市場評価していかないと・・・
