大学・学問裏街道 -3ページ目

どうしてもダメ

やってもやってもダメ。


どうにもならない。


結果がついてこない。


どうしてか。


宣伝力か。


運か。



やめた!!

オリンピックのフィギュアを見ていてアホらしなった。


彼女らは、点数のためメダルのために競技しているのか。


そんなことのために、営々と努力してきたのか。


評価というのは、競争して順位をつけることなのか。


わたしも、同じことをやっている。


くだらないアマゾンの順位に一喜一憂して、そんなことのために本を書いているのか。


神でも世間でもなく、認めるのは自分だ。


それは、真の意味での自己責任だ。


自分が悪く、自分で自分を認めるのだ。


他人ではない。


競争ではない。


自己満足でいい。


それでは、市場や貨幣で評価されない。


しかし、逆説的にもっともよく自己満足したものが、もっともよく他者に評価される。


いや、評価のために仕事しているのではない。


共同体のために仕事しているのではない。


ジコチューで仕事しているのでもない。


では、何のためか。


自分のためだ。


それは、高校生の言いそうな幼稚な答えかもしれない。


しかし、いまの時代の「自分」を日本的に問い直す価値はある。


個人とか自己とは違う。


「分を知れ」


敗北

ついに、アマゾン10万位圏外に。


やはり、知名度内容ともに絶対的に貧弱だった。


宣伝力の問題ではない。


市場の時代のニーズを把握できていない。


これで、報酬を求めるほうがおこがましい。


では、どうすればよいのか。


市場ニーズの声に耳を澄ますか。


自分の信念を貫き通して孤立化するか。


というほどの信念もないか。


売れたらいいというものではない、と言うが。


売れなければどうしようもない。


生活も成り立たない。


アカデミック・ライターと自称したのだから。


どうするか・・・


悩むなぁ。


何がいけないのだろう。


素直にアカデミズムに屈服するべきなのか。


学会でまめに報告するとか。


大先生に取り入るとか。


なんて、わたしがやるはずないよね。


栄光ある孤立なんて、そんないいものではない。


栄光なんてないし。


神の栄光のために孤立してでも信念を貫き通す。


クリスチャンならばそういう道もあるだろう。


何のためにものを書いているのだろう。


就職対策ではないのは当然。


売らんかな、でもないよね。


自分の思想的見解がどれくらい流通するのか。


時代は何を求めているのか。


そこに自分はどうコミットするのか。


プライドが満たされるとやる気がでるだろうに

今の状態は、やってもやっても報われないこと。


お金も地位も見返りもなんにもない。


いい年をして、ほめられたいではあるまいが、なにか結果の報酬がほしい。


なんにもないと、何しにやっているのかわからなくなる。


神の栄光のため、とあるクリスチャンがいっていたが、それってすごい気力だ。


こちらは、世間に認知してくださいというところか。


みなさんの日々の行動のやる気の源泉はなんでしょうか。


家族との安らぎ?


仕事仲間の励まし?


給料日の快感?


わたしは、アマゾンの順位を見ては一喜一憂しているのだから、レベル悪いよね。


それでも、なんにもなくても自信を持っている大学教授にはあきれかえる。


自分が大学を動かしてると思ってるのか。


それとも教授という肩書きに酔いしれているのか。


なんの業績がなくても、すごい威厳を保っている人の精神構造を疑うよ。


まあ、大学に限らないか。


子どもの成績でプライドを満たす母親もいるしね。


男的な生き方で、なにが自信の源か。


やっぱ、仕事できることかな。


そしてお金稼ぐこと。


フリーターはいくら能力高くても、収入面でモチベーション下がるよね。


神の栄光・・・・か。


凄いなあ。


なぜか記事がアップされない・・・


もう一度


心の不安

このブログの趣旨はひとことでいえば、不安。


お金も仕事も家族も景気も人間関係も、みんな不安。


ところが、世の中には不安を感じない人がいるらしい。


どういう人なのか。


自信家?


鈍感?


能天気?


不安は高度な人間的感情といってみても、慰めにはならない。


何かが起こるかもしれないという予兆に震える。


一寸先は闇。


未来に慄く。


時間が大きな問題だ。


ハイデッガー


キルケゴール


和辻の時間論は不安がない。


芥川の不安には哲学がない。


不安はどこからくるか。


こころの未来から。


預言者の不安。


世界没落感覚の統合失調症。


では、安心感とは。


生活の安定、こころの安らぎ。


日本的経営の未来傾斜原理。


明日があるから生きられる。


明日なき不安の派遣労働。


その日暮らしの刹那主義。


お一人様の老後。


無縁社会


無縁であるがゆえに、他者とつながれる。


網野善彦


遊女の自由


中世の闊達さ


明かしえぬ共同体、共同性なき共同体


こみゅのて、ぺるでゅ


死への傾斜


つながりはつねに不安、裏切り


それでも人生にイエスという


「売る」っていうことのむずかしさ

とはいえ、この不況のご時世に、そうかんたんに「売れる」ものではない。


自分だって、めったに新刊本を買わない。


せいぜい、新書か文庫、あとは古本。


それを、買ってもらえないからと駄々をこねるのは、子どもじみている。


世の、セールスマンは、いま長時間労働で無理やり営業させられてヒーヒー言っている。


売れない、のだ。


よっぽど、宣伝か戦略がうまくないと売れない。


不況の原因は、単純化すると、売れないこと。


購買力が極端に低下している、いや購買意欲か。


そのなかでも、ネールアートする人もいるのだから、ようは差別化戦略か。


なにをウリにして売るのか。


何に対して、お金を払おうとするのか。


大学教育にお金を払おうとする人は、何を考えているか。


学歴ゲットで、収入増と考えているのか。


大学いかないよりは、就職がいいと考えているのか。


塾もそうだ。


なぜあそこまで狂ったように教育投資するのか。


教育投資が一番回収性がいいと考えているからだろう。


求めるのは、学歴か学力か。


医学部、できる人たちはすぐそう考える。


医学ぐらいしか、勉強する意味がわからない、お金になる。


役に立つ。


自分の本は、どう役に立つのか。


お金を出してそれ以上の効果があるのか。


コンサル会社が、ちょっと買っているらしい。


ま、それもありがたいです。


例によって、「あかんわ」

本を出したけれど、アマゾンではせいぜい2~3万位。


同時期の熊沢本が、数千位。


価値は、10分の1か。


なんぼやっても、「あかんわ」


マイナーなわたしでは、市場価値は出ない。


もちろん、本の内容もたいしたことない。


と、また例によって「ネガティブ思考」


誰がどうやって「評価」するのか。


市場と言ってみたけど、知名度も宣伝力も全然ない。


最初から太刀打ちできない。


それでも、本も出さない教授が1000万以上の年収。


これは、そもそも比較すべき対象ではないか・・・


どうしても、どうしても、あかん。


職場で盗まれた

1万円札と靴がなくなった。


まあ、そういう職場だから無理もないが。


どこまでわたしが許すかを試しているようにも思える。


やさしくすると、つけあがる。


「情けは人の為ならず」


最近の解釈では、人に親切にするのはその人のためにはならない、だそうな。


教育は訓育。


フーコーのディシプリーヌ。


きびしく怒鳴らないと生徒は言うことをきかない。


先生は、威厳と権威と偉そうさ。


それにしても、先生って偉そうにしてるね。


どこにそんな自信があるのか。


たいした授業をするわけでなし。


生徒より偉いと思い込んでいる。


しあわせなバカですな。ホント


とは、言ってみたものの・・・

まあ、この「攻撃性」は無様だね。


息巻いて「大学教授退散」を叫んでみても、何も変わらない。


それよりも、コツコツと自分の仕事を頑張ったほうが、生産的。


大学を恨んでいるわけではないです。


むしろ、これから大学運営は大変だなあ、自分にはできないよ、というのが実感。


大学って何しにあるのかね・・・


「職業的レリバンス」とか、難しいこと言う人がいるけど、ようするに何の役に立つのということ。


学者を養成する機関だったころはよかったけど、就職の通過点のいまはねぇ。


大学教授が、そもそも学生のお守りをせなあかんから、しんどくなるのよ。


いや、面倒を見なくていいというわけじゃない。


そもそも、研究と教育を同一人物でやってていいのということ。


昔は、研究者を育てる教育をしていたから問題なかった。


いまは、就職のための教育をしないと役に立たない。


そこを、自分の思い入れで教授が役にも立たない知識を伝授するからダメになる。


まあ、研究したことを教育するなんていうのが、そもそもの間違い。


研究の最前線を学生に教育するのがアカデミック・フリーダムだと勘違いした。


いまは、研究もしないから、最前線ですらない。


で、本田由紀さんは、ご自身の大学教育に悩まれていないのかな?


自分の教育学教育がどんな「職業的レリバンス」をもつのかと、考えないのかな?


そこは、東大だから研究者教育でいいと思っておられるのか。


「職業的教育」ってなんだろう。


就活応援の授業でしかないのか。


仕事や職業に役に立つ教育なんて、いまだかつて誰も実践したことがない。


旋盤の扱いを実習するとか、名刺の交換を覚えるとか・・・で、いいわけがない。


芸能やスポーツ以外で、じゃ何をすれば仕事につながるのという「目に見える」教育プログラムがない。


会社員に求められる教育的準備って何?


営業にまわされてノルマと長時間労働で、結局必要なのは「根性と体力」なんて・・・


働くための知恵


攻撃モードへの移行

いままで、フニャフニャと弱気なことを書いてきたのが受けてきた。


しかし、だ。


もういいかげん、がまんできない。


理不尽な収入格差に怒る。


あの、一部の優秀な教授を除く、凡百の大学の先生たちの体たらくはなんだ!!


高給を取って恥じないのか。


研究も教育もしない。


学内政治に明け暮れて、人間関係をこねくり回す。


それで、1000万以上取っていたのでは、誠実な学究は怒るぜよ。


いいかげんにしなさい、ね。