大学・学問裏街道 -41ページ目
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早朝覚醒と自己愛

最近、やや朝早くに目が覚めることがある。

ブログなどを見ていると、3時台、4時台に覚醒する人たちが意外と多いのに驚く。

いわゆる、「躁うつ病」的な初期症状でもこうなることが気になる。

「寝ることができない」という不眠症だけでは説明できない睡眠リズムの乱れが日本人にひろまっているのではないか。

とくに、軽躁状態からくる睡眠の混乱が問題である。

「双極性障害」が最近精神医学で話題となっているが、現代人の特徴としてなぜこれが広まるのか。

唐突だが、成果主義の導入がこれと関係あると考えている。それも、成果主義の結果としてではなく、前提ないし原因として。

私の最近の主張に「自己愛型仕事倫理」と成果主義の関係の問題点がある。

仕事の面でも若者を中心に、「自己中心性」と「妙な羞恥心」が強まっている。

「自分は決してloserではない」という妙な自信と、それでいて対人的な微妙な「はじらい」が入り混じっている。

羞恥心が自信を支えている。

不安が自信を支えている。

自覚されない不安感が底流にあるのに、妙に「強い」人格が増えている。


不安に立ち向かう

いま、お金=収入の見通しのなさが不安でたまらない。

「将来へのぼんやりとした不安」というよりも、目に見える物質的な不安だ。

サルトルやハイデッガーは、「不安に立ち向かう中で創造できる」というようなことを言っているが、ほんとうにそんな強靭な精神が可能だろうか。

「社会不安性障害」=SADというのがあるが、このような「不安」でも創造の源泉になりうるのか。

マルクスは、「社会的必然性から自由になったところで創造できる」という感じのことを言っているように思う。

ようするに、お金が十分にあるときに創造的な仕事ができるのか、貧窮に追い詰められて一発逆転の創造力を発揮するのかの違いだ。

1990年代後半以降の成果主義導入後の日本では、不安が労働生産性を落としているように思えるのだが、どうだろうか。


朝は子どもが先に学校に行く。

水筒を用意してやった。

早朝から原稿が書ける人がいるらしいが、どんな頭をしているのだろう。

といってわたしもこうやって書いているのだが・・・

(早朝ではない)

ブログをやってコメントが来るとうれしいものだ。

誰かがどこかで「私」を見ている。これって典型的な「自己愛性」だよね。

みんなが、人のことを聞いて関心をもつよりも「自分語り」の自己主張の時代だ。

自分ってなんだろうという問いがはやった時期があったが、そこにはあまり有効な答えはなかったようだ。

日本でのブログの文章は単行本2700万冊(!)分に相当するらしい。

こんなに書きまくっているのに、学生の文字力は落ちているのだろうか。

それとも玄人や学者の文章が地に落ちたのか。

最近の出版物は何か質が低下しているようにも思う。

みんなが「金になれば」で動いている。

あっ、そうそう「みんなのバカ」っていう本もありましたね。

「みんな」って一体誰を指すのかって。

「世間」のことかなあ・・・


ひまじん

今日これで三回目の書き込み。

じつに「ひまじん」。

通常人は、時間があるときは何をするのだろうか。

仕事、仕事で追われているのが通常だろう。

わたしは、時間を持て余す。

することがなくなる。

何がやりたいのかわからなくなる。

「無為」がわたしのキーワードだ。

「する」ことに困難を感じる。

いつも「老後」のような気分だ。

それでいて落ち着かない。いつも「時間がない」と焦る。

「時間と不安」は哲学的課題だろう。

「今に集中する」ことができない。

現在よりも未来に時間的志向性が傾斜する。

これが苦しいのだ。


不安

内閣府の「国民生活に関する世論調査」では不安や悩みをもっている国民が7割近く存在するという。

もちろん、老後や失業などの生活設計の不安を反映しているのだろう。

しかし、仕事に関していえば「このまま一生この仕事を続けるのだろうか」という漠然とした不安が頭をよぎることが誰しもあるだろうと思う。

わたしの知り合いの大学新任教員は、「はたして自分が十分な研究業績をあげられるか」「一生こんな環境でやっていけるのか」といった不安を感じている。

転職までいかなくても、何らかの「資格」に走ったり、逆に趣味に「ハマる」ことで不安を解消することがあるという。

自殺した芥川龍之介の語った「将来へのぼんやりとした不安」が、いま多くの若者や国民を覆っている。

おりしも、「蟹工船」的な労働の過酷さや「貧困」の問題。「ワーキングプア」や「ネットカフェ難民」などの明日をも知れぬ生活の目の前の不安定さが現代日本に出現している。

「ぼんやりとした不安」が「はっきりとした不安」として世の中を支配するとき、芥川を「敗北の文学」と批評した宮本顕治元日本共産党議長の展望した「日本革命」が始まるのだろうか。

そこへと到達し得なかった日本の「大衆社会」現象はいつまで続くのだろうか。

「革命」という古ぼけた概念が博物館から妖怪のように立ち現れる日がやってくる予感はしない。

しかし、「犯罪不安社会」はわれわれの前に日々立ち現れている。


よくわからないままに開始

はじめまして。

大学や専門学校で教えています。

学生が勉強しないといわれて久しいですが、まず「文字」が読めません。

「先生、全部画像やビデオにしてください」とすら言われます。

そうでないと、寝るか私語の嵐です。

教師は受難の時代ですね。


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