財務省・造幣局の通貨発行権を日銀に400兆円で売るべし!
経済学者は、日銀の財務諸表の読み方がわかっていない。
報道によれば、自民党の菅義偉選対副委員長ら14人が「政府紙幣・無利子国債発行」の勉強会を始め、3月末までに麻生総理に提言するという。その他にも、自民党の一部では、政府紙幣の発行による景気対策を集中的に勉強しているグループがあるという。
政府紙幣とは、日銀の発行する日銀券とは異なり、政府の発行する紙幣(貨弊を含む)で、10円玉や100円玉、500円玉がそうである。これを大量に、たとえば50兆円分刷る、と言っても1兆円札を50枚刷って日銀券と交換してもらい、その日銀券を市場に流通させるというような案が有力らしい。ここに至る過程には、様々な問題が折り重なっており、これを機会に整理しておくことが必要と思われる。
先ず、何故、政府紙幣発行というような考えが出てきたかというと、景気対策をもっと大胆にしたい、ただし、国の借金は増やしたくないという想いからであろう。国債のように返済義務のある借金でなく、政府が直接、紙幣を発行することが出来れば、その発行差益分は、税以外の収入として、ほぼ無尽蔵に使えるというのが、元大蔵官僚・現東洋大教授の高橋洋一氏らの主張である。
だが、財政規律を無視し、全体の通貨供給量に対する管理を無視したこの主張は、悪性のインフレを招来しかねないものである。
では、どうするか? 局面打開のための私なりの提案をしてみたい。
GⅮΡ重視の見直し
まず、景気対策への考えであるが、もうGⅮΡ(国内総生産)重視の考えは見直した方が
よい。今回、GⅮPが年率換算で12.7%も下がったのは、言うまでもなくアメリカ依存の輸出減少である。これを補うため内需拡大だと言っても、日本の各家庭には物が充分にあり、あらためて買うものがない。だから、どれほど定額給付金などで景気回復を謳おうと、ほとんどが実需には結びつかない。
それでも景気回復のための財政支出が必要だと言うなら、製造業の派遣禁止や従業員のリストラ防止を行うべきであろう。国民は、一方で雇用維持に不安を抱えたまま過度の消費を行う気にはなれない。この点で、日本の消費を支えてきた中間層が、近年の「新自由主義的な競争政策の推進」で、若者を中心に大挙して貧困層に転落しつつあるのは日本経済にとって致命的である。何故なら、外資も交えた大競争政策では、敗者の方が圧倒的に多くなり、幅広い中間所得層がいなくなるからである。
GⅮΡ重視の考えは、その他にも数多くの矛盾を抱える。
たとえば家庭で母親が、夫や子供達に、毎食、コンビニ弁当や外食を勧める。これは手作りの料理を食べる家庭より、はるかにGⅮΡアップに貢献するが、子供達の健康は明らかに損なわれる。
結果、各人は、栄養バランスを崩して医者通いが続くとする。これも病院の売り上げ増加となって明らかにGⅮPアップとなる。だが、どちらが健全な家庭かというと、毎日、母親の愛情ある手料理を食べ、医者通いのない家庭であるのは言うまでもない。
また、毎晩飲み歩き、喫煙する亭主は、晩年になっての介護も含めて、下戸で禁煙派の亭主に比べてどの面でも売上増⇒GⅮΡアップに貢献する。だが、人間としてどちらを評価するかは議論の分かれるところである。
終戦後しばらくは、日本の農業人口は1千万人を超えていた。その農家は食糧を外部から買う必要はほとんどなかった。農村社会は食糧を自給できるため、絶えず外部から買わざるを得ない都市社会に比べてGⅮΡは明らかに低い。だが、食糧危機に陥って真っ先に餓死するのは都市生活者である。
さらに地球環境の存続を考えれば、省資源、省エネルギーの「倹約を美徳とするモッタイナイ精神」が必要であるが、それはGⅮΡの大幅な下落を意味する。
このようにGⅮΡ重視の考えは、しばしば個人の幸せや地球生命の存続とは明らかに矛盾する。だから「GⅮΡが低い国=貧しい国」という観念を捨て、逆に「GⅮΡの高い国=高コレステロールで血糖値の高い、短命な国」という考えを持った方が健全である。
【造幣局を400兆円で日銀に売る!】
さて、この考えを前提に、国民が財布のヒモをゆるめて消費に向かうには、どうしても国・地方の800兆円にも及ぶ借金が重荷となる。これだけ借金があると、将来の年金はまともに貰えず、重税か超インフレあるいは預金封鎖を想像し、国家を信用できない、ゆえに消費に回すよりは自己防衛せざるを得ないと考えるからである。
従って国民の不安を取り除く意味でも、国の借金の清算は、この20~30年以内にやっておくことが必要である。その方法として、財務省の造幣局を、通貨の発行権を含めて、日銀へ400兆円で売ることを提案する。
何故、造幣局を日銀に売るかというと、通貨の発行権を日銀に一元化し、政府はこれを、今後、行使しないためである。どだい、政府が通貨の発行権を制限なく持つと、官僚の天下り先へのばらまき、政治家諸兄の選挙対策としてのばらまきなど、あまり良いことは無い。政府は税収の範囲で運営し、足りない時はコスト削減か増税で対応するというのが財政規律の原則であり、後世にツケを残さない賢明な国家経営である。
アメリカのFRBは、政府は1株も持たず、ロスチャイルド系とロックフエラー系で議決権のほとんどを握る、れっきとした民間銀行であるが、1913年の設立後、何度も政府が戦争をしながら、一度もハイパーインフレを起こさずに来た。これは、政府に軍隊内部でのみ通用する軍票は認めても、通貨発行権を認めなかったからである。
一方、日本は、先の戦争遂行で政府紙幣(軍票)をばらまき、終戦直後にハイパーインフレになって金融非常措置をとることになった。「新円切り替え」の名目で政府は預金を封鎖、10万円を超える資産には重税を課し、郵便貯金は10年間払い戻しが拒否された。わずか3年半で物価は約100倍に上がり、庶民は多大の迷惑をこうむった。
日本は日露戦争時にも国家破産直前まで行っている。これは軍資金がほとんどないのに戦争を決断したという無責任な政府と、通貨供給の一元管理がしっかりできていなかったためである。このような経験に鑑み、財務省・造幣局の持つ通貨発行権を日銀に売って、通貨管理を一元化するのである。
次に何故、400兆円で売るかというと、国・地方の借金を半減させるためである。半減して400兆円以下となればGⅮΡ比80%以内となって、他の先進国と比べても多すぎることは無い。このくらいは政府のやりくりで償還するのが筋であろう。
問題は400兆円の根拠であるが、日銀は1万円札を原価20円で刷りながら、その通貨発行益9980円に見合う法人税や納付金をこれまで政府に全く納めていない。これは通貨発行による収入を売上げとせず、「発行銀行券勘定」として負債に計上しているためである。
しかし、この負債は法律的に支払い義務のある債務ではなく、備忘記録として「負債の部」に計上しているに過ぎない。
つまり日銀は、本来、売上として計上すべき通貨発行益を、会計上のトリックで内部にため込んでいる。―この点につき、日銀は、「将来、日銀券需要が減少した際に、売りオペをして日銀券を回収することを考慮し、保守主義で通貨発行益を計上していない」との主張のようである。だが、日銀は創立以来126年間、一度も通貨発行益を利益計上していないので、「保守主義」の度を超えているし、日銀券回収のリスクには準備金積立で対応すれば良いだけである。―このことを指摘し、過去の納付金未納分の清算の意味をも込めて、通貨発行権付きの造幣局資産を400兆円で売るようにするのである(但し、他の利益については日銀は95%近くを政府に納付している)。
次に支払方法であるが、まず、日銀の保有国債の残高が約65兆円(平成20年度上期末)ある。この即時返還で、政府は65兆円分の国債償還義務を逃れる。
残りの335兆円については20~30年間の、国債での分割払いとする。今、日銀は月に1.4兆円、年間16.8兆円ほどを国債買いオペに充てている。このペースを低く見積もって年間12兆円の買いオペを続ければ28年間で336兆円となる。新発債を買うのではなく、通貨供給量を監視しながら既発の国債を買うだけだから、政府の国債残高が増えたり、インフレになることはない。この国債を支払に当てるのである。
日銀は現在、企業の発行する社債やCΡ(コマーシャルペーパー、大企業の発行する無担保の手形)を直接買い取りする話を進めている。だが、企業の社債の直接購入などは証券会社や投資家、銀行のやることで、日銀がやるべきことではないだろう。
白川日銀総裁は、アメリカ発のサブプライムローン問題の誤りが何であったか、キチンと分かっているのだろうか。サブプライムローン問題は、「証券化と直接金融の行き過ぎ」によって起こったのだから、日銀が企業の直接金融に手を貸すことはせず、政府国債だけを買い増して国債償却に協力すべきである。そうすれば、国債を持つ銀行に資金的余裕ができ、企業にもお金が回るのである。
結論として、日銀は民間銀行からの買いオペを政府国債に限り、その国債を造幣局の買取り資金400兆円の分割支払に充てる。結果、造幣局は日銀に移って通貨管理が一元化し、国・地方の借金は400兆円ほどに減少する。もちろんインフレの懸念もない。三方丸く収まると思うのだが、如何だろうか。
道州制は日本を解体する!/ 3大政党制のための選挙制度改革を!
年明け早々、自民党の渡辺喜美氏が離党した。最初は「新党ひとり」などと言われていたが、その後、無所属の江田憲司氏、政治評論家の屋山太郎氏らと共同記者会見をし、「国民運動を起こす」とのことである。
渡辺氏の離党は、民主党などにとっては歓迎すべきことであろうが、彼の政治理念については大いに疑問がある。何故なら、彼の後見人として一緒に記者会見をした人物が、あまりにも問題が多いからである。
その人物とは、PHP総合研究所代表の江口克彦氏である。彼は強力な「道州制推進論者」で、自ら道州制推進の本を執筆しており、かつ、麻生内閣の「道州制ビジョン懇談会」座長までしている。
だが、彼の主張する道州制は、下記のような問題点を抱えている。渡辺氏はそこまでの認識はないかもしれないが、江口氏は渡辺氏を支援することで道州制を進めようとしていることは間違いがないだろう。
道州制は日本を解体
道州制とは、明治以来の中央集権制への批判から、地方分権を進めるため、日本を10~12のブロックに分けて府県を統合し、それを道州として国の権限を大幅に移譲する制度である。
国は外交と防衛、司法と通貨管理などの特定業務に限定し、他は道州に委譲する。すでに小泉内閣で北海道をモデルとして先行実施する法律が施行されており、麻生内閣では、さらに推進する予定である。
道州制では、地方分権を大胆に進めるだけでなく、税源まで移譲する。それで地域間競争を促そうというのであるから、中には夕張市のように倒産する道州も出てくる。
国が助けようにも税源の大半は各道州に行っているから、国には救済財源がない。
また、この年末年始の「年越し派遣村」であった様に、国が簡易宿泊所を提供しようとしても、主要施設はすべて各道州に移っている。
それゆえ、国は各道州に頼むしかないが、依頼した先から「彼らは、他道州の派遣切りで難民化したのだから、他道州で面倒を見るべきだ」と言われても、返す言葉がない。
道州制の施行後は、もはや国は地方自治体に強制力を発揮し得る何の権限も持たないからである。
それだけではない。道州制で分割されるブロックは、それぞれ地域益が異なる。たとえば九州は、道州制が実施されると、朝鮮半島や中国と友好関係を大胆に推し進め、ついには安保条約も彼らと結ぼうとする。その方が、これまでの歴史的経緯を考えると自然だからである。
また、新潟は北朝鮮と友好関係を推し進め、安保条約も彼らと結ぼうとする。その方が拉致の危険を回避して、地域住民の安全を確保できるからである。
さらに北海道はロシアと友好関係を進め、安保条約も彼らと結ぼうとする。漁民の漁の安全を考えると、日米安保より有効と考えるからである。
このように地域益が異なるから、統一した外交政策は困難になる。外交が分裂すれば防衛も混乱するのは当然で、税源を充分に持っているから「道州独立」となりやすい。結果、日本国は容易に解体する。
企業の本・支店を見習って、中央分権型の道都庁制を!
では、どうすれば良いかというと、地方分権ではなく中央分権型のシステムにすれば良い。具体的には企業の本店・支店の形にならって国の機関を再編する。各地方に置くのは、地方分権型の道州ではなく、中央分権型の道都庁とする。つまり、都道府県を廃しして国の機関としての道都庁を置き、そこに一定の権限を委譲するのである。
こうすれば、地方が公平に必要最低限の公共サービスを受けられるように交付金で調整出来るから、夕張市のようになることはない。突然の雇用解雇や派遣切りで難民が生じても、いずれも日本人として、国の施設や制度を使って救済できるのである。
また、行政は国と市町村の2層になるから、真の住民自治を行うことができる。
都道県議会廃止で、日本に3大政党制を!
もちろん、都道府県の廃止に伴って都府県議会は無くなるから、その受け皿として国会議員の増員は必要となる。中央分権型の道都庁制にすれば、ブロック選出の国会議員と市町村長が、各道都庁による地域行政を指導・監視すればよいのである。
先日、麻生首相は「ねじれ国会」の問題点を挙げて、選挙制度の改革を訴えた。確かに今の似通った衆参の選挙制度、ならびに小選挙区制を基本とする選挙制度は問題が多い。
「時には政権交代が必要だ」というのは当然としても、絶えず選挙を意識して必要な妥協が出来ない、妥協すれば政策の一部実現が可能であるが、それでは政権交代しなくとも良いということになり、国益を無視しても非妥協・対立型の政治にならざるを得ない。
国民はいい迷惑であるが、結局、2大政党制を前提とした制度に無理があるのである。
2大政党制は絶えず2元論で物を考え、社会的にも労使や階層が2分化した国には有効である。何故なら、それは社会の反映だからである。
だが、日本のように、社会的に中流層が多く(?)、勝負事はグー、チョキ、パーの3つの選択で決めるという国は、3大政党制が合っている。日本人は中庸を好むが、2大政党制では対立した意見のままで中庸を選びようがない。それゆえ、3大政党制となり易い、「1つの選挙区から2人ずつ当選」の準小選挙区制が似合っている。
これに得票率がキチンと議席に反映するように比例代表併用制を加味すれば良いのである。
今は総選挙間近かのため無理であろうが、落ち着いたら道都庁制と、1選挙区2人当選の3大政党制の採用を検討して頂きたい。それが国益を考えた政治というものである。
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2009年2月26日、政治評論家・森田実氏と佐野雄二のジョイント講演会
2009年2月26日、政治評論家・森田実氏と佐野雄二のジョイント講演会
世界を不幸にする『市場原理主義=新自由主義』に決別せよ!
リーマンショックのツケをアメリカは日本に払わせようとしている!
アメリカ発世界同時不況で岐路に立つ日本、このピンチをチャンスに変えろ!
日 時:2009年2月26日(木)、PM6:30~9:30
場 所:北トピア7階:第2研修室(JR王子駅北口1分:北区王子1-11-1)
参加費:当日4000円、前払い3000円(事前振込 三菱東京UFJ銀行
田無駅前支店 普通 №3826681 サソウ クニオ
参加申し込み(先着120名): e-mail: y-sano@sage.ocn.ne.jp
電話090-7401-0416
共催:ワールド・フオーラム(代表:佐宗)(http://ww.worldforum.jp
)
王道日本(代表:佐野雄二)( H.P:http://ameblo.jp/ohdoh/
)
【森田実プロフイ―ル】
昭和7年静岡県伊東市生まれ。東京大学工学部卒。日本評論社出版部長、経済セミナー編集長を経て、1973年政治評論家として独立。著作・論文・テレビ・ラジオ・講演活動と、幅広い活動を行っている。特に小泉元総理の進めた郵政民営化は、外資に日本の郵貯・簡保の資金を売り渡すこと、市場原理主義(新自由主義)は日本を崩壊させる危険性があること、地方の活性化のために公共事業が必要であることを熱心に説く、数少ない愛国の政治評論家である。
主著に『小泉政治全面批判』、『新公共事業必要論』、『森田 実時代を斬る』(以上、日本評論社)、『アメリカに食い尽くされる日本』(副島隆彦氏との共著)、『アメリカに使い捨てられる日本』、『脱アメリカで日本は必ず甦る』、『崩壊前夜 日本の危機』(以上、日本文芸社)。森田総合研究所主宰。(http://www.pluto.dri.ne.jp/~mor97512/
アメリカの金融危機に、何の反省もないのか?(20.12.20)
メルマガ(1)
●アメリカの金融危機に、何の反省もないのか?
アメリカ発の金融危機が、その後の米国自動車メーカーたるビッグ3の倒産危機、日本の円高や輸出激減による不況の深刻化などにより、政府は、大して反省もせずに、利下げや景気対策、資本注入など、金融・財政支援的な政策で乗り切ろうとしている。
日本は、1990年代以降、アメリカ型の金融=直接金融への傾斜をモデルとしてきた。そのモデルの崩壊であることを自覚しないと、何の学習能力もない国となりかねないので、改めて、総括させていただこう。
1. 証券化と直接金融の行き過ぎ
アメリカ発の金融危機は、サブプライムローンの大量販売を原因とするが、貸し付け債権の証券化と直接金融への過信が被害を大きくした。その内容は、
① ローンを証券化して、すぐに売却するため、貸付者たる銀行は、日本のように慎重な審査を必要としない。ゆえに、無責任にローンを拡大した。
②同時に債権を売却して新たな資金を獲得できるから、預金を集めずとも良くなった。
③ 預金を預かる商業銀行では、自己資本の10倍弱までしか貸付けできない。貸し付け金額に対してBIS(国際決済銀行)規制を受けるからである。
これを逃れるためアメリカでは、商業銀行をやめ、預金ではなく、借入金などを原資として貸し付けにまわす投資銀行(証券会社に似る)に転換する例が増えていた。その方がBIS規制を受けず、際限なく貸出を増やせるからである。
この傾向は、大恐慌以来、アメリカで守り続けてきた銀行と証券会社との分離を定めたグラススティーガル法の緩和(1980年代以降)と廃止(1999年)が後押ししている。日本でも、アメリカの後追いで、持ち株会社を通じて銀行と証券会社の両方を営めるという改正を行っている。
今回、金融危機で生き残ったゴールドマン・サックスやモルガン・スタンレーが、公的資金の投入やFRBからの融資を受けるため、銀行持ち株会社に移行した。これは、投資銀行から商業銀行中心に変えるということで、直接金融の欠陥を認めるものである。
「貨幣は経済の血液であり、それを流すのは銀行であるから保護しなければならない」と言うのは、預金を預かり、手形割引や決済、運転資金貸し付けなどを行う商業銀行についての表現である。新株引き受けやM&Aなどを主業務とする投資銀行(証券会社)がいくら潰れても、公的資金投入や特別融資は全く必要ない。彼らは、これまでの「新自由主義者」としての主張通り、政府は何もせず、自己責任でリスクをとればよいのである。
2.金融立国の誤り
直接金融とは、株式、社債などで、企業が直接、市場から資金調達すること、間接金融とは、銀行預金を介して企業の貸付けなどに回ることをいう。
日本で、この間、語られてきた「金融立国」は、アメリカ型の「直接金融重視=間接金融軽視」を見本としたものであった。その見本が崩壊したのだから、日本の政府も、直接金融への姿勢を改める必要がある。
無謀な貸出や資金運用は、間接金融でも起こりうるが、直接金融の方がリターンの多さを競い、投資家として素人大衆を巻き込むため、バブルとなり易いし、被害も大きく広がる。
モノ造り軽視
また、直接金融を重視する金融立国とモノ造りは対極にある。この対極性を軽視して、両者は両立可能だとする考えがある。
だが、金融はそもそも不労所得を誘因とする。不労所得の方がより多く稼げるとなれば、誰しも勤労所得を軽視するし、いずれは「勤労=モノ造りへの努力」を止めてしまいかねない。不労所得を極大化した、直接金融中心のカジノ資本主義に走った結果が、アメリカの没落した製造業であることを忘れてはならない。
金融をグローバル化したことの誤り
今回の被害は全世界に広がっただけでなく、アイスランドのように国内金融業者がグローバル化して、国家の規模を超えたため、国としても救済できないという事態になった。ゆえに自国通貨が大暴落し、国民も企業も対外債務の不履行になるというまでに至った。
日本も、株式市場の6割を占めるまでになっていた外資が金融危機と円高で一気に益出しに走り、株価は暴落した。1997年のアジア通貨危機の時もそうであったが、これらは自国の金融市場を外資に頼ったことによる弊害である。
3.日本のあるべき姿
間接金融の再評価
今回の金融危機から学ぶべきことは、直接金融重視を見直すこと、株式も含めて、金融については国内資本中心の市場に戻す事がポイントとなる。
特に間接金融の再評価は、ぜひ、行われるべきで、その理由を列記すると、
(1)株式や社債、投資などの直接金融は、ハイリスク・ハイリターンが当然
である。その分、不労所得志向の度合いは高まるから、勤労所得=モノ造りの努力はおろそかになる。資源の少ない日本は、今後も技術立国で行くのがベストであるから、不労所得願望型となりやすい直接金融重視はやめるべきである。
(2)日本人は貯蓄好きである。その性向は老後の安定、万一のための自己防衛として、国としても歓迎すべきである。各人の貯えがしっかりしていないと、国が生活保護や老後の福祉で高額の支出を余儀なくされる。そのためにも、間接金融重視が国益に沿う。ハイリスクな直接金融では、質素堅実な国民性は失われる。その損失は、あまりにも大きい。
(3)直接金融は、大企業と中小企業の格差を拡大する。何故かと言えば、中小企業が10億円を借入れれば、金利5%、20年間の返済で約16億円を返済する。一方、大企業は同じ10億円を株式市場で調達する。配当5%(額面50円に対して)、時価@1000円で調達すると、20年間での支払総額は、たったの5千万円である。
このように、直接金融は、大企業と中小企業の差が決定的になる。日本の技術力を支えるのは、すそ野が広い中小企業である。その中小企業重視を貫くためにも、間接金融重視が国益に沿うのである。
ちなみに新自由主義とは個人の自由を謳ったものではない。それは大企業の自由主義さらには多国籍企業の自由主義をうたっている。多国籍の企業は上場し、直接金融で資金調達するから、彼らが直接金融を主張するのは当然なのである。
(4)その他、直接金融を重視すれば、経済政策が株価変動の影響を受けやすい。株価は外資や投機筋の意図的な動きに左右されやすいから、結果として、軽薄な、砂上に楼閣を築く政策に陥り易い。
年金なども株式市場で運用すれば、大損失をこうむり易い。いずれも健全さとはほど遠いから、直接金融重視は止めた方が良いのである。
以上のように問題の多い直接金融であるのに、政府は株式売買の10%定率課税の延長や、株式投資の300万円までの非課税など、相変わらず、直接金融重視の姿勢を変えていない。アメリカ発の金融危機に何ら学んでいない証拠で、早急に見直されるべきと考える。
2009年2月26日、政治評論家・森田実氏と佐野雄二のジョイント講演会
森田実氏と佐野雄二のジョイント講演
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アメリカ発世界同時不況で岐路に立つ日本、
このピンチをチャンスに変えろ!
日 時:2009年2月26日(木)、PM6:30~9:30
場 所:北トピア7階:第2研修室(JR王子駅北口1分:北区王子1-11-1)
参加費:当日4000円、前払い3000円(事前振込 三菱東京UFJ銀行
田無駅前支店 普通 №3826681 サソウ クニオ
参加申し込み(先着120名):佐野雄二 e-mail: y-sano@sage.ocn.ne.jp
電話090-7401-0416
共催:ワールド・フオーラム(代表:佐宗)(http://ww.worldforum.jp
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王道日本(代表:佐野雄二)(http://ameblo.jp/ohdoh/
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【森田実氏プロフイ―ル】
昭和7年静岡県伊東市生まれ。東京大学工学部卒。日本評論社出版部長、経済セミナー編集長を経て、1973年政治評論家として独立。著作・論文・テレビ・ラジオ・講演活動と、幅広い活動を行っている。特に小泉元総理の進めた郵政民営化は、外資に日本の郵貯・簡保の資金を売り渡すこと、市場原理主義(新自由主義)は日本を崩壊させる危険性があること、地方の活性化のために公共事業が必要であることを熱心に説く、数少ない愛国の政治評論家である。
主著に『小泉政治全面批判』、『新公共事業必要論』、『森田 実時代を斬る』(以上、日本評論社)、『アメリカに食い尽くされる日本』(副島隆彦氏との共著)、『アメリカに使い捨てられる日本』、『脱アメリカで日本は必ず甦る』、『崩壊前夜 日本の危機』(以上、日本文芸社)。森田総合研究所主宰。(http://www.pluto.dri.ne.jp/~mor97512/
『聖書は日本神話の続きだった!』(ハギジン出版) を11/7に出版 ‼
――ユダヤ教の神ヤハウェは日本神話のイザナミだった!――
シュメール、日本、ユダヤをつなぐ歴史の超真相、世界最大のタブーを明かす ‼
【アメリカでの出版決定!】
【ベンジャミン・フルフォード氏による推薦文 】
前から不思議に思った日本とユダヤの古代からのつながりの謎が、佐野雄二さんの本で概ね解決されました。この、人類の歴史を書き換える本を読めば、シュメール文明と日本文明が共通の根をもって持っていることを認めざるを得ない。この本が色々な言葉に訳されて、世界中の人に読まれることを望みます。
【本の概要と目次】
新旧の聖書を読んでいくと数多くの謎があります。いわく、
① 『旧約』の神ヤハウェは何故、アブラハムの長男イサクを生け贄にとろうとしたのか
② ヤハウェは捧げ物として「雄の初子」を好んだのは何故か?
③ 長旅の場合、パン種をきちんと入れて発酵させた方が食糧として長持ちする。だが、ヤハウェはあらゆる場面で「種入れぬパン」に固執したが、その理由は?
④ なぜ、ロトの妻は後ろを振り返って見ただけで塩の柱にされたのか。
⑤ 信仰心を高めるなら、いつでも「神の名を唱えよ」と言うのが普通である。だが、ヤハウェは「神の名前をみだりに唱えるな」と言った。それは何故か?
⑥ 『旧約』において「千や万」という数字が頻出し、『新約』においては「五千」と言う数字が重要場面で出てくるのは何故か
⑦ イエスは何故復活したのか。
⑧ イエスが処女懐妊で生まれたのは何故か。
⑨ ユダヤ教とキリスト教は過去に争いが絶えなかったが、その理由は?
――などですが、これらの謎は、「新旧の聖書は日本神話の続編だった!」と理解することで解くことができます。
これまで新旧の聖書の神は同一であるとされてきましたが、事実は全く違い、ユダヤ教の神ヤハウェは女神、キリストの父なる神は男神と、性別さえ違います。『旧約』で「われわれにかたどって人をつくり、・・・神の形に創造し、男と女に創造された」(創1-26,27)というのは、文字通り、男と女の神がいたことを示しています。
日本神話において妻神イザナミは、夫神イザナギと国づくりの途中、些細なことから大喧嘩となり、「こんな仕打ちをするなら、あなたの国の子供を一日千人殺す」と叫んで、離縁しました。その後、日本神話の中からは一切姿を消しましたが、その恨みを持って物語を始めたのがユダヤ教であります。一方、夫神イザナギは独り身でキリストを産んで『新約聖書』を始めました。
「出エジプト記」の中で「主である私はねたむ神であるから、私を憎むものには父の罪を子に報いて3,4代に及ぼし、私を愛し、私の戒めを守るものには、恵みを施して千代に至るであろう」(20-3)とあります。これは、「父の罪と母の恵み」を対比してあり、ヤハウェが母神であることを示していますし、ヤハウェが「種入れぬパン」に固執したのは、夫の種を拒否する意思表示です。
このことをキリストは知っていて、「女の産んだ者の中で、バプテスマのヨハネより大きい人物はおこらなかった。しかし、天国で最も小さい者も、彼よりは大きい」(マタイ福音書11-11)と、洗礼者ヨハネの神が女神であることを指摘しています。
こうした証拠を多数挙げて、ヤハウェは日本神話の妻神、キリストを生んだ神は夫神であることを証明します。
初めて明かされる秘密ですが、「なぜ、日本神話が新旧聖書の前提を語るのか」というと、原日本人がシュメール人であったためと推定されます。シュメール人とはメソポタミア文明を担った「世界の都市文明の母」とされる民族ですが、聖書はシュメールでの出来事を引き継いで物語が展開されています。そのため、シュメール人が原日本人だったとすると、日本神話が聖書の前提を語っていてもおかしくはないわけです。
その他、ユダヤ人の魂の祖先はケルト人であったこと、原日本人である縄文人と、原ユダヤ人であるケルト人が一体となって人類が始まったこと、など、日本人とユダヤ人の三重の関係を明らかにします。
日本人は騎馬民族が祖先であるとか、縄文人も弥生人も渡来人であるとする旧来の日本人論をくつがえす画期的な書と考えますので、是非、ご覧下さい。
≪目次≫
第1部 聖書は日本神話の続きだった!
第1章 新旧の聖書で神の性別は違う
日本神話と聖書の類似性 /『新約』の神は男の神 /金、銀、宝石を好む『旧約』の神 /ヤハウェによる食べ物や着る物へのこだわり /胎内に造られた主 /「子を産む時の苦しみ」を多用 /白髪になるまでの母性愛 /「父の罪と母の恵み」の対比 /ヤハウェは「男の神」を偽装 /キリストはヤハウェが女神であることを見抜いていた
第2章 新旧の聖書は日本神話の続きだった !
日本神話の概要 ⁄『旧約』の神ヤハウェは日本神話のイザナミだった /女神が「見ないで!」と言ったとき /イサクの生けにえ /神ヤハウェへのお供え物 /「全きもの」を好む /一日に千人を殺す /差引き、五百人が生き残る /ヤハウェの残虐さ /なぜ「父の罪」なのだろうか? /ヤハウェの功績 /神の名前をみだりに唱えると・・・ /閉じた園、うまずめなど /種入れぬパンの秘密 /聖書の神は、なぜ雲の形をとるのか /ヤハウェもキリストの父なる神も日本神話の豊雲野神 /聖書はなぜ地球の天地創造から始まっているのか?
第3章 キリストは何故、復活したか?
キリストは独り神イザナギから生まれた /修業して戻ってくる /キリストはスサノオのように現界から追放された /山川が震えた /スサノオは「現生(あらぶ)る神」/一時、世が暗闇となった ⁄奇跡の復活をした /ヤハウェの生んだスサノオ ⁄ユダヤ教徒がキリストの処女生誕を認めない理由
第2部 シュメール人は原日本人だった!
第3部 日本とユダヤの三重の関係
宇宙論について
●地球は本当に月から生まれたのですか?
私の論文「月は地球の母だった」を見ていただければ、わかります。
これ以外に、月の6400キロを超える割れ目の存在、地球上の生物と「月を母とする母子関係」が成立する根拠を説明できる理論はないはずです。
よく、「月より地球の方が大きいのだから、月が母だったというのはおかしい」という人がいますが、現代宇宙論の主流であるビッグバン理論は、昔、米粒一つより小さいところにすべての惑星が入っていて、ある日、突然、グーンと大きくなって今日に至っているとしています。それに比べれば私の説は極めて穏当で、何の問題もありません。
人でも親より子供が大きくなるという例は一杯あります。人が成長するように、地球という星も成長を遂げたのだと考えれば、理解は容易です。
●潮の干満は、本当に静電気の原理で起きるのですか?
この件も、前著を訂正させていただくものですが、何度もの海洋調査の結果、静電気の変化は見られませんでした。
この件に関して、「もし静電気の電位差があれば、先に雷が起きて放電するだろう」といった人がいましたが、雷が起きる電位差は、数十万ボルト以上です。
実際に空中電位と地中電位が存在し、生物に多大の影響を与えていることは、ハロルド・サクストン・バー博士の『生命場の科学』P201を見ていただければ明らかでしょう。
潮の干満については、調査の結果、
① 月の引力で起きるのではない
②空中電位と水中電位の電位差で起きるのでもない
③一方、潮の干満に合わせて、近くの陸地も1日2回、約20㎝も隆起している(地球潮汐という)――
ことから、「潮の干満は月の引力ではなく、海底隆起で起きる」と結論づけ、JAXAでの講演でも、そのように発表しております。
本来ならば、海底隆起を裏付けるデータがほしいところですが、個人では収集困難であり、しかるべき機関などにやっていただくしかないでしょう。
実際、一つの仮説を証明するために実験を重ねたり、調査を実行するというのは、個人の行為としては相当のエネルギーを要します。
「ローマは一日にして成らず」という言葉は、科学の面にも当てはまることを実感しています。
宇宙論について
●『誰も知らない本当の宇宙』のその後を聞かせて下さい。
私は2006年に上記の書名の本を書きましたが、その後、実験や調査を重ねたこともあり、何点かの誤りに気付き、最近は大幅にバージョンアップしております。
その内容は、今後、徐々に明らかにしていきます。
宇宙論を出版してわかったことは、こと宇宙論については素人相手にいくら共感を得ても、自説をひろめることにはならないということです。
現在の定説を頂点で支えている学者や専門家を相手に論争し、彼らにこちらの説を認めさせねば、真実の宇宙の姿を広く知らせることはできないと知りました。
そのため、H20年8月7日には、JAXA(ジャクサ、宇宙航空研究開発機構)の「月惑星シンポジウム」で、「ジャイアント・インパクト説を超えて―月は地球の母だった」というテーマで口頭発表をしてまいりました(別掲)。
他にも「潮の干満は月の引力ではなく、海底隆起で起きる」(11月1日、日本惑星科学会、於:九州大学-にて発表)、
「宇宙は地球を中心に原子・ダルマ型をしている」、「宇宙の創生・宇宙の出産」などのテーマで、今後、専門家の集まる場で講演や発表の機会があれば、積極的に出る予定です。
そして、2年以内に国内で「佐野説」が有力説と評価されること、5年以内に海外でも認知されることを目標にしています。これらが達成されれば、広く真実の宇宙の姿が認識されることになりますので、楽しみです。
●宇宙論の中で、重力波は無いと言いますが、本当ですか?
アインシュタインの重力理論にしろ、ニュートンの万有引力にしろ、その引力を伝えるのは「重力波」とされていますが、これはどんなに調べても存在しません。
地球の引力圏を離れた宇宙空間は人が宙に浮く、水が玉になって宙に浮くという無重力の空間ですから、その空間を経由しては重力は働かないからです。
これまでは、潮の干満など月や太陽の引力にもとづくとされてきましたが、よく調べると中学生でも分かるような論理矛盾で、強引なこじつけの説明です(詳しくは別掲「月は地球の母だった」を参照)。
こうした欠点があっても、これまで通説とされてきたのは、他に説明する方法がなかったためですが、現代はもう違います。もはや真実の宇宙や地球をキチンと知るべき時期になっていると言えましょう。
重力の話に限りますと、重力波は波ですが、宇宙空間に波を伝える媒質たるエーテルは存在しないことが、マイケルソンとモーリーの実験で明らかとなっています。
また、空間を伝わる波は、音のような縦波に限ります(横波は液体や固体を伝わっても、気体中は伝わりません)が、これでは速度に限界(音で秒速340m)があり、とてもアインシュタインの言うように、光速で伝わることは不可能です。
また、縦波は「吸い寄せる力ではなく、押し出す力」として働くのが一般的ですので、とても引力とはなりえません。
似たようなものに「電磁波」があります。素人は混同しやすいですが、これは波と言っても、言葉がそうなだけで、通常の波とは全く違います。
電磁波は電流の向きの変化により、電場と磁場が交互につくられていきます。それが真空中でも為されることから、媒質がなくとも伝わります。
このことは、「電気力や磁気力は真空中でも伝わる」と言い換えてもよいでしょう。いずれにしろ、媒質を必要とする波=重力波とは全く違います。
いまだ日本の研究機関で、「重力波を検知する」などと言って、多額の予算を使っている所がありますが、税金の無駄遣いですからやめた方がいいでしょう。
また、「地球表面で真空の容器の中で物を落とすと、物体は地球に引かれて落下する。真空中でも重力は働いているのだから、媒質がなくても重力波は働くはずだ」という人がいます。
こう考える方は、重力を伝えるのは重力波である、と言ったのはアインシュタインであることを忘れています。また、地球の引力圏内で物体が垂直落下するのだから、無重力の宇宙空間においても同一の運動原理が存在するはずだ、と考えるのは、素人の短絡思考です。
あくまでアインシュタインやニュートンの重力理論が普遍的だという方は、私が拙著のP.71で掲げた、「月と地球の1億分の1のミニチュアをつくっての無重力空間での実験」をやってみるとよいでしょう。
この実験は、JAXAの講演(別稿)でも紹介しましたが、無重力空間の創出は、「お風呂に浮かべる、プールに浮かべる」ことで可能です。
この実験により、誰でも、これまでの重力理論は誤りだったと気づくでしょう。なぜなら、ミニチュアの地球と月の間に引力は一切働かないわけですから。
ごく初歩的な実験で存在を証明できない、再現できない理論は捨てられます。それが科学というものです。
アインシュタインやニュートンの重力理論は、計算結果は適合しても運動原理としては存在しない、近似式にすぎないわけで、こうした実験結果を見せられても固執するのは、似非科学であり、真の科学者ではないと言えます。
●アインシュタインの理論を在野の人間が批判するのは、言語道断ではないですか?
時々、そのように言う人物が多いのには閉口します。そういう付和雷同型の精神では科学は全く進みません。
かってガリレオは地動説を説いて宗教裁判にかけられましたが、彼は信念を曲げませんでした。後に彼の正しかったことが科学的に証明され、後世の人々は、彼の前にひれ伏し、かつ、多大な恩恵を受けました。
アインシュタインの重力理論がおかしい証拠は、重力波の不存在だけでなく、彼の「質量のある物体(太陽)によって時空がゆがむ。その歪みの測地線に沿って地球や月は公転する」という説明にも見られます。
それを図にすると、太陽系の軌道は、太陽を最下点として、すべての惑星が順序よく、スリ鉢状に並ぶはずですが、そうはなっていません。
そもそも、無重力の宇宙空間を経て、月や太陽の引力が地球に伝わると考えるのは、宇宙空間に人が行ったことのない時代の考えです。
アインシュタインの活躍した頃は、まだ宇宙に誰も行っていませんから、彼の誤りは責められませんが、現代は明らかに違います。そういう意味でも、彼の重力理論に代わる「新しい理論」が求められている訳です。
●光は磁気で曲がらないのでは?
私の宇宙論においては、光の赤方偏移の原因を「光が磁気で曲がるため」としていました。これは重要な問題でありました。
『誰も知らない本当の宇宙』執筆後ではありますが、近くの小学校の廊下を借りて、直線距離80m、往復160mで、業務用のレーザー光線を借りて実験を行いました。
結果は、近くの道路を通る車両のため、レーザー光が絶えず微妙に揺れ、「光が磁気で曲がる」ことを確認できませんでした。
車の来ない、地盤の安定した長い距離で、さらに実験をしてみたいという想いはありますが、レーザー光の到達距離もあり、アマチュアが自費でやるには、ここまでが限界です。
さて、色々とやっているうち、光は磁気では曲がらないとしても、「距離に応じて赤方偏移する」という原因を、他に見つけました。
その内容の詳細は、いずれ正式な学会などで発表させていただくとして、それでも「宇宙が地球を中心に原子・ダルマ型の二重構造」をしていることは変わらないという確信があります。
なぜなら、そう捉えることによって、他のほとんどの現象がうまく説明できるからです。その証明方法も大幅にバージョンアップしており、いずれ全容を明らかにしたいと思っています。
ケルト人とアイヌ人の相似性と対極性
ケルトとアイヌの相似性と対極性
ケルト人と原日本人が一体で生まれたことにつき、特に根拠として挙げたいのは、日本のアイヌとの間に見られる相似性と対極性である。
これは、ケルト人とアイヌ人が歴史的に重要な役割を果たしてきたことを象徴すると同時に、相互に関連性を有する証明でもあると思われる。以下にその点を列記すると、
①まず第一にケルト人は、ローマ帝国に攻め込まれるまではヨーロッパの中心部全域に住む先住民だった。一方、日本のアイヌ人も弥生民族たる大和朝廷に攻められるまで、日本のほぼ全域に住む先住民だった。ともに先住民としてそれぞれのほぼ全域に広がりながら、後続の統一国家に攻め込まれるという相似性を持つ。
② ケルト人はその後、西北の果ての島・アイルランドやイギリスの一部に安住の地を得て、その島でしぶとく長く、生き続けた。
一方、日本におけるアイヌも大和朝廷に攻め込まれ、東北の果ての島・北海道に安住の地を得て、その島でしぶとく長く生き続けた。
ケルト人とアイヌ人は似たような時期に、ともに西洋と東洋の果ての島に押しやられ、安住の地を得たという相似性と対極性を持つ。
③ ケルト人は新興勢力たるギリシア・ローマの民から保守的で野蛮な民とされ、差別された。一方、日本のアイヌも新興勢力たる大和朝廷から未開人・野蛮な民・蝦夷として差別された。この点もケルトとアイヌは相似的である。
④ ケルト人とアイヌ人の共通性は「熊祭り」の儀式の中にも見てとることができる。西洋人は日本のアイヌの熊祭りの習慣を知って、「自分たちと同祖ではないか」と感ずるという。
何故かというと、西洋の古代においても「熊祭り」は行われてきた。熊はヨーロッパの最初期の農耕民たる南東ヨーロッパの新石器時代に「産む神」として崇拝され、土偶にかたどられてきた。
スイスのベルン市の近郊ムリから出土した「熊の女神像」を見ると、台座に「女神アルティオにささげる」とある。アルティオはケルト語で「熊」の意味である。
つまり、「果物かご」を膝の上に抱えたケルトの女神は、彼女が豊穣と多産の女神であると同時に「熊の守護神」であることも示している。
ケルトに限らず、エーゲ海地方ではキリスト教時代になっても「熊の聖母」の祭祀が行われ、ベルン市など、今でも「熊祭り」を祝う都市として有名である。
日本のアイヌ人がいつから「熊祭り」を行ってきたのかは、文字の記録がないため不明である。しかし、アイヌが血統としては縄文後期(BC2000年~)よりもズッと前の時代からの生き残りであることは、本書で指摘する以前から明白な事実である。
数ある動物の中でも同じ「熊」を対象とした祭りは偶然とはいえず、1万~3万年前までさかのぼるとなると、日本のアイヌ人とケルト人はかっては一体ではなかったのかと感じざるを得ない。それが「原日本人と原ユダヤ人が一体で人類が始まった」という具体的な意味である。
同時にこのことは、日本人は縄文人(後期以降はアイヌ)と弥生人の、ユダヤ人はケルトを体験した魂とそうでない者との二重構造になっていることを示している。
⑤ ケルト人は文字を残していないため、その民族的歴史はずいぶん浅いものとして扱われてきた。一方、アイヌ人も文字を持たないため、その民族的歴史はずいぶん浅いものとして扱われてきた。この点も相似的である。
そもそもケルト人のいたイギリスとアイヌ人のいた日本は、いずれも陸地を近づけてみれば、イギリスは環大西洋の中心、日本は環太平洋の中心に近い。これは先行する環大西洋時代にあってはイギリス、新たに始まりつつある環太平洋時代にあっては日本が、それぞれ中心的な役割を果たすことを指し示している。
地球にN極とS極の磁極があるように、ユダヤ人と日本人は人類史に存在する磁極であり、電気で言えばプラスとマイナスの極である。それを表すかのように地球の北半球のちょうど反対側にケルト人の生き続けてきたイギリスやアイルランド島があり、一方、アイヌの生き続けてきた北海道がある。
同時にユダヤ人の王ロスチャイルドは、日本列島とは正反対の側にあるイギリスを本拠とする。この面でもユダヤ人と日本人は北半球に存在する磁極であり、陰と陽、プラスとマイナスの極である。これらの二重の相似性と対極性は何か意図的でさえある。
最近のDNA分析の研究により、約5900年前の縄文人の人骨と現代アイヌ人がほぼ同じ遺伝子であることが確認された。つまり、アイヌ人が日本の先住民であるというだけでなく、1万3000年ほど前から続く日本の縄文人であったことが科学的に証明されたのである。本書において、アイヌ人は魂としてはさらに3万年前までさかのぼる民族であることが明らかとなったから、アイヌ人は、いわば旧石器時代から現代に生き残る、地球上最古の民族である。
このことはケルト人についても言えると考えてよいだろう。なぜならケルト人はアイヌ人と相似性・対極性を持つ。それゆえアイヌ人について言えることは、ケルト人についても同様と考えられ、彼らが旧石器時代から生き残る地上最古の民族と推定されるのである。(『聖書は日本神話の続編だった!』より)
