自立・共生をうながす日本型システムを!
自立・共生をうながす日本型システムを!
先日、ある講演会に出かけ、今をときめくケインジアン、政府紙幣発行論者で有名な丹羽春喜大阪学院大学教授の経済講演を聞く機会があったので、論評させて頂こう。
まず、彼の講演を聞いて全くがっかりした。日本の代表的ケインジアンの一人と聞いていたので、どんなものかと多少は楽しみにしていたのであるが、残念ながらオールド・ケインジアン(とにかく大型の財政出動せよと叫ぶ)の欠点ばかりが目立ち、彼らに日本経済の処方箋は書けないな、と実感した次第である。
丹羽氏を筆頭に、昨年のアメリカ発の金融危機を捉えて、「もう新自由主義の時代は終わった。これからはケインズの時代だ」と叫ぶ人が多い。確かに世界的な不況に陥って、ある程度の財政出動をしないと企業や雇用がもたないと言うのは事実である。
だがアメリカを見れば、別にフリードマンやハイエク流の新自由主義が敗北して、ケインズ理論が勝ったわけではない。そのいずれの理論も、それらをあやつる多国籍企業から見れば、自分達の利益を最大化するための表向きのスローガンに過ぎない。
事実、彼らは一般の事業活動においては、これまで新自由主義を叫んで途上国に市場開放を迫り、弱肉強食の競争を推し進めて、世界に貧困と格差拡大を広めてきた。
しかし、市場原理の働かない、たとえば軍需産業においてはケインズ理論をふりかざし、軍事費の増大が消費や雇用の拡大で経済成長をもたらすと主張してきた。さらに戦争をして、その後の復興も受注すればGⅮPの拡大に大きく貢献するというのが、いわゆる「軍事ケインズ主義」である。
つまり両方の理論は、多国籍企業や商売至上主義者にとって、場合に応じて使い分けてきただけだと言えよう。彼らの頭にあるのは経済哲学や理論ではなく自企業の利益であるから、新自由主義を気取っていても、サブプライム・ローンで失敗すれば、臆面もなく政府に資金援助を求めることが出来るのである。
このことは、世界統一政府の進展についても言える。好景気の時は各国政府の力をはぎ取り、WТO(世界貿易機関)やIMF(国際通貨基金)、世界銀行などがあたかも世界統一政府(本拠はアメリカ)であるかのように振舞おうとするが、今回の様にアメリカ発の経済危機となれば、アメリカが世界統一政府の司令塔であるかのように、各国に財政支出を強いる。これを見れば、新自由主義もケインズ主義も、アメリカ主導の世界統一政府にすでに組み込まれていると言わざるを得ない。
日本は「世界の景気回復に協力するにしても、年次改革要望書は廃止しよう」ぐらいはアメリカに言うべきであるが、そんな傾向は全くない。中国の急速な台頭、オバマ大統領になってアメリカ自身にも変化の兆しが見えるなど、世界のパワーバランスに変動もみられるが、今回の世界不況に限って言えば、新自由主義がダメというだけでなく、アメリカ型の金融資本主義の欠陥が明らかになったことだろう。
金融は産業の補助者、脇役、後見人であるべきなのに、アメリカ型は、金融とくに直接金融が産業をリードした。その結果、短期利益の追求、雇用重視より株主利益重視、株式上場の大企業重視、モノ造りや勤労所得より不労所得重視、貯蓄より消費や投資を重視する価値感が行き渡った。
サブプライム・ローンを証券化して転売する、それを商業銀行ではなく証券会社や投資銀行を通じて扱う、モノ造りを縮小して金融業へシフトするなどの直接金融的手法が問題を大きくしたわけで、日本も猿マネをして「間接金融から直接金融へ」、「貯蓄から投資へ」と直接金融への流れをあおってきたのが、ここ10数年の歩みである。
この間の麻生政権や野党の経済政策を見て、これらの点への反省が全くなく、公的資金による株式の直接買い取りや株譲渡益の低率課税など、相変わらず直接金融重視の政策を続けているのは残念なことである。
結局、日本の経済学者が、「新自由主義はダメだとわかったが、直接金融中心の資本主義はまだまだ使えるし、間接金融より優れている」と思っているのかも知れない。絶えず外国を模倣するしか知恵のない翻訳学者には困ったもので、その不勉強の罪は重いと言わざるを得ない。日本は米欧と違って、直接金融よりも間接金融中心にした方が、資本主義がうまく機能するのである。
日本型の経済システム
今回の不況を通して、アメリカ型でもヨーロッパ・北欧型でもない、新自由主義でもケインズ主義でもない、日本型の経済システムが問われている。それを明示できなければ、赤字国債とインフレ懸念、増税懸念が積み上がるだけで問題はさらに大きくなり、政治不信が積み上がるばかりである。
日本型システムを「自立・共生型経済」と名付けて処方箋を書くと、一国の経済は人体とよく似ている。人体に「自然治癒力」が備わっているように、一国の経済にも「見えざる手」による自動調整機能が本来、備わっている。時々、風邪(不況)を引いたり大病にかかるが、投薬(財政出動)は症状を見極めながら必要量に抑えることが理想である。過剰・長期の投薬は薬依存症や副作用=将来のインフレや増税、政府依存症の蔓延、また財政支出を増やし続けないと効かなくなり、自然回復力を極端に衰えさせる=をもたらすから、弊害ばかり目立ってくる。
どの政党も財政出動(投薬)をうたっているが、これらは健康状態が回復すれば、すぐにも止めるべきで、投薬の必要十分量の判断と、停止時期の見極めこそが重要である。必要量を超えて過剰な投薬を行なったり、ダラダラと投薬を続けるのは、副作用の危険が増すだけである。
さて、一国の経済に自然治癒力が備わるためには前提がある。それは、雇用があり、中間所得層が多数を占めることである。なぜなら不況に陥っても、中流層が厚く、雇用が維持されていれば、自国民の消費力に底があり、自律反転の力があるということである。逆に言えば、中間層が存在せず、雇用が維持されなければ自律回復機能はいちじるしく劣化する。この点で、国家の壁を無くして中国などと低賃金の競争を強いる新自由主義は、最悪である。新自由主義とは結局、誰にとっての自由かというと大企業・多国籍企業にとっての自由なのである。
ちなみに、ケインズ主義の問題点をもう一つ言っておくと、絶えず財政で消費を刺激しようとする政策は、発展途上の国には有効であろう。道路や橋も満足にない途上国では1兆円の財政出動で3兆円の波及効果(乗数効果という)は可能だが、一通りのインフラを揃え、モノが行き渡った成熟国家においては、相当部分が無駄に終わる。
特に開放経済で変動相場制をとる国においては、財政出動が輸入品購入で海外の雇用拡大にまわったり、輸出増加で円高となって、逆に景気が悪化する。あるいは電柱の地中化のように10倍のコストとその後の維持費が膨大となるなど、赤字国債を積み上げや地方財政の悪化だけに終わり易い。
今回の不況は輸出減少と建設不況、外資の撤退が3大原因で、これに以前から続く地方経済の劣化が重なっている。そのうち建設不況は、1990年代以降、容積率とけんぺい率を大幅に緩和したことが原因である。ために供給過剰に陥り、外資の撤退も重なって需給ギャップが拡大した。
マネーの供給過剰と同じ現象が起こっているが、この解決は容易ではない。マネーなら過剰分を市場から吸収する策はあるが、ビルやマンションの供給過剰は、倒壊でもしない限り解消できない。値下げ競争で賃料デフレ(それ自体は歓迎すべきことであるが)をもたらし、最後は不良債権化して、融資銀行の財務悪化で企業融資に悪影響を及ぼすことになる。
これらを考えると、対策として建ぺい容積率の規制強化(建設バブルの抑制)、外資規制、輸出入でバランスの取れた経済、変動相場性以外の為替制度の検討などが重要となる。
その他、ケインズ主義に限らないが、GⅮP重視の考えはもうやめた方がよい。彼らは一様に、GⅮPが高い国=幸せな国、低い国=貧しくて不幸な国という図式を描くが、先般、国家破産したアイスランドは、直前まで一人当たりGⅮPは世界第3位であった。金融を外国に頼ったために、自国通貨の激安で、返済債務が倍増したためである。
一方、農業国は食糧を家庭内でも自給できるため、GⅮPは相当低くなる。だが、食糧危機で先に餓死するのは食糧自給のできない国である。
これらは、どれほど自由貿易を進めようと、食糧と金融だけは自国内でまかなうのが国家の自立の基礎であることを教えてくれる。
GⅮP重視を止めた方が良い理由は他にもあり、今のような先進国の消費生活を続けることは、地球環境が許さない。何度も言うが、世界の人類が日本人並みの消費を続けるには、すでに地球が2個分必要であり、アメリカ人並みだと4個分が必要な時代に入っている。これを無視して、「デフレ・ギャップを埋めよ、大型の財政出動で消費の喚起を!」というのは、あまりにもノーテンキで、目先の選挙対策しか考えていないと言わざるを得ない。現代は「量の経済」ではなく、「後代とも共生できる経済」のあり方を追求すべきである。
【精神世界】
これまで、「王道日本」として、何度か講演会を開き、メルマガを発行してきたが、どうも名前の第一印象からか、右寄りと見られたり、あるいはユダヤと対抗する勢力の形成を目指すのか、と聞かれたりする。
それらはいずれも誤解であるので、設立して半年たったこともあり、ここで設立目的などを整理させて頂こう。
「王道日本」の究極の活動目的は、一言でいうなら、「日本主義」の復活である。それは、本文にもあるとおり、経済思想から政治システム、家族や地方のあり方までを対象とする。
これまで日本は明治政府以来、欧米に追いつけ追い越せでやってきた。それは近代化の過程としてやむを得ず、かつ必要な事であったが、1990年代以降のここ20年弱は、あまりにも行き過ぎが目立ってきたといえよう。
かっては西洋を見習うにも「和魂洋才」で、人々は内面に日本人の魂を持っていた。欧米の技術やシステムを学ぶにしても、日本人としての誇りや、善し悪しを取捨選択する能力を持ち合わせていたと言ってよい。
しかし残念ながら最近は、米欧迎合の「洋魂洋才、無魂洋才」で、日本人としての誇りなど、ほとんど無くなったかと思われる人物が多くなった。特にマスコミや学者、財界人、官僚など国の上層部の人物ほど、その傾向が目立つ。これでは、せっかくの日本国・日本人としての伝統が泣くと云うものである。
講演では話したが、日本列島は「国常立之大神という名前を持つ、地球の魂たる存在」である。人は魂があって生命があるように、地球も魂たる日本列島があって維持・発展する。かって「日本は神の国」と言ってヒンシュクを買った総理がいたが、「地球の魂」とは、神の国と呼ぶに相等しい。それは日本人が、というのではなく、日本列島がそうなのである。
その地球の魂の国という高貴な所に生まれ育って、ただ経済と個人的趣味だけを求めて死んでゆくのでは、あまりにもさみしい。特に世界が行き詰まった今日、世界を救えるのは日本である。
「日の元の国」、「神気出ずる国」「世界のひな型をなす国」、「世界の親」たる日本列島に住む日本人が変わることで、世界を変えることができる。日本人にはそれほどの役割を期待されている。
これまではユダヤが世界を仕切ってきた。彼らは「形をつくり、世界に広める役割」、スメラの民はそれを「立て直す役割」。これまでユダヤは充分に彼らの役割を果たしてきた。悪がなければ進歩はないし、悪があることで善も映える。そうした深い考えがあっての陰謀の歴史であったが、その時代もいよいよ終わり、日本の出番である。
日本が「世界の太陽の国」、「世界の魂の国」として輝くか否かは、一人一人の心がけ次第である。試行錯誤をして、神から与えられた試練と役割に気付き、神の子として歩む決意をすることが重要で、「王道日本の会」はその媒介役・道しるべとなる。
おごらず、たかぶらず、「百匹目の猿」への広がりを求めて、歩みを止めずに行動する。そんな人々が一人でも増えてくれることを望む次第である。
財政出動には、日本型資本主義の明示を!
王道日本(5)文責 佐野雄二
当分、先の見えない経済不況が続きそうだということで、各党、経済対策の知恵を絞るのに余念がない。だが、一連の経済対策でもどかしく思うのは、今回の不景気の原因を踏まえた根本的な改善策と、今後の日本の姿がほとんど示されていない点である。
「100年に一度の世界不況で日本の輸出が落ちたから、その減少分20兆円を財政支出で補え!」という、需給ギャップを財政で埋める考えが中心である。これでは「とにかく思いつく経済対策を無理やり並べる」だけで、何の哲学もないと思うで、ひと言述べさせていただく。
⑴ 先ず、今回の不況の問題点は、アメリカ型の金融資本主義の欠陥が露呈したことである。金余りのバブル状態が続いた中、商業銀行による長期保有の貸付ではなく、低所得者向けの貸付けを証券化し、他の債権と混ぜ合わせて転売するという、直接金融的な手法が問題を大きくした。
アメリカ・ドルを中心とした国際マネーフローは、1997年頃から対世界GⅮP比で10%前後上回り、世界的な金余り現象が出現していた。その余剰資金が高利のサブプライム・ローンに向かったが、商業銀行ではBIS(自己資本)規制があり、自己資本の10倍強しか貸せないため、直接金融機関たる投資銀行が円キャリー取引などで資金を集め、自国の低所得者層に高利で貸し出したのである。
こうしたアメリカ型資本主義の欠陥が、今回はすべて露呈した。
直接金融主導の資本主義は製造業中心のそれとは異なり、「短期利益の拡大」を目的として、雇用の維持・拡大を「非効率、悪」とみなす。
何故なら金融とは不労所得を誘因とするから、かける人件費が少なく、いつでも従業員の首を斬れる状態を理想とする。これがグローバル化で勢いを得て貧困層を拡大させ、不況を支える消費力を著しく減衰させる。まさに資本主義の矛盾極まれりというのが、アメリカ型の直接金融主導型の資本主義なのである。
こうした現状を考えると、取るべき政策はおのずと違ってくる。日本でもアメリカ型の金融政策を模倣して「間接金融から直接金融へ、貯蓄より投資を!」と株式市場に重点を移す政策を取ってきた。その行く末は今回、アメリカが陥った姿であるとはっきり認識した方がよい。
「不労所得」を誘因とする金融立国と、「額に汗して働く者がむくわれる」モノ造り重視の技術立国とは両立しない。あくまで金融が従たる存在であるためには、間接金融が適しているのである。
また、株価がどんなに下がっても、銀行が融資をすれば、企業の資金繰りは解決する。そのための銀行指導を徹底すればよいのである。
つまり、先ずもってやるべきは間接金融重視への転換であり、決して公的資金で株価を買い支えたり、日銀が大企業のCP(コマーシャルペーパー)を直接買い取りすることではない。
この転換は同時に、株主重視から従業員・顧客重視の経営への転換、大企業重視から中小企業重視への転換、強欲資本主義から足るを知る経済への転換を意味するものである。
また今回の株価下落は、外資がアメリカの金融不況によって撤退していることが大きい。
今後は逃げ足の早い外資を規制するなどが必要で、外資が撤退して下がったから買い支えるなど、愚の骨頂である。
関連するが、年金資金を株式で運用するのは止めさせた方がよい。株式はハイリスク・ハイリターンの、元本割れが当然の世界であり、国民の大事な年金資金を運用するには問題があり過ぎる。それでは予定利回りを出せないというのであれば、その目標を下げれば良いだけである。
⑵ 次に、不況によるショックを和らげるための財政措置は必要だが、今後、輸出依存型には無理があると考え、輸出入同額でバランスの取れた経済運営を考えること。
輸出が減ったからといって、それに代わる内需を人工的につくりだすのは困難で、あるならとっくに存在している。つまり、GⅮΡの減少分を財政でカバーするという論理は、国の借金を増やすか、膨大な財政支出で再バブルを招来するかのどちらかに終わりやすい。
特に変動相場性をとっている限り、財政支出はほぼしり抜けになる。これは10兆円の財政出動をして輸出が増え、20円、円高になって輸出企業が苦しむケースを考えればよく分かる。変動相場性は為替が投機の対象となるだけでなく、財政の効果を減殺し、外貨準備も減らない欠陥システムなのである。
代替案としては、私の「半固定・半変動性為替システム」をお勧めする(王道日本:政策編 )
⑶ 今回の不況の原因には輸出減少のほかに建設不況がある。これは何も建築確認の期間が長引いたからというわけではなく、1990年代から建ぺい率・容積率を大幅に緩和した結果、供給過剰に陥り、建設バブルがはじけ、これに外資の撤退が重なり、不況に陥っている。
今後は、この反省を生かして、容積率・建ぺい率の規制強化が必要である。なぜなら容積率を緩和した結果、都市中心部への一極集中が強まり、ごく一部の地主や建設会社しか恩恵を受けなかった。建設バブルに陥入らず、広範囲の地主や建設会社に利益が広く行き渡るには、それらの規制は厳しい方がよい。
とくに高層マンションは子供にとってや災害時、経年での住環境が著しく劣化する。人間は土から生まれたのだから、一戸建てに住むのが健全であり、それを擁護する政策が必要である。
⑷ また、麻生政権の対応を見ていると、IMFへの10兆円の拠出、アメリカからGⅮPの2%(約10兆円)程の支出を言われて何の条件もつけずと、これまで以上に、世界のキャッシュデスペンサーぶりに何ら疑問を持たないでいる。赤字国債を大量に抱える国の最高責任者のやるべきことではない。
世界不況に協力するにしても、今回の不況はアメリカ発の金融資本主義に問題があったことを改めて指摘し、
対日年次改革要望書の廃止(郵政民営化や会社法改正、裁判員制度などの根源。自分の国にこそ問題があるのに、日本の制度にとやかく言うのは内政干渉の度を超えている)、
IMFの出資割合の早期見直し(アメリカのみが15%超で拒否権をもつが、見直しはすぐにでもすべき)、
貸出方針の見直し(IMFや世界銀行は貸出に当たり、多国籍企業本位の新自由主義の政策導入を条件として、世界に格差と貧困を広げてきた)などをはっきりと条件化すべきなのである。
⑸ 以上を前提に景気対策を考えると、内需中心の経済転換をする際に、地方経済の活性化に配慮することである。
地方の活性化というと、すぐ道州制を云う人がいるが、税源も地方に移転する道州制にすれば、夕張市のように破産しても、国は税源移譲済みであるから、その道州を救うことができない。
年越し派遣村であふれた人員を国の施設に収容しようとしても、ほとんどの施設が道州に委譲済みであり、「ウチの道州で発生した失業者ではない」とことわられたら手の打ちようがない。このように道州制は日本を解体に向かわせるものだから全くダメなのである。
ではどうするかというと、国の機関を中央分権化した「道都庁制」の採用をお勧めする。大企業が中央に本店、地方に支店を設けるように、国も地方に支店を設ける。
「地方分権ではなく中央分権型」で、この制度の導入により、行政は基礎自治体と中央分権化された国の二層になり、二重行政、三重行政はなくなる。このため地方は明らかに活性化する。これこそが国も地方も良くなる経済対策なのである。
また基礎自治体は300に合併させることなどせず、現状市町村の維持が自然を守る公共事業の一つだと考える。
すでに総務省は昨年暮れに、市町村合併をやめ、人口5~10万人の「定住自立圏構想」を打ち上げている。それをもう一段下げて、人口1~5万人の小規模自治体も大切にする。それこそが、地方の歴史と伝統的な生活形態を守る最大の公共事業だと考えるのである。
『国家の品格』を書いた藤原正彦教授は、「天才は田舎に育つ」と言った。その田舎の自然環境を大切にするためにも、小規模自治体を残すことが重要なのである。
【精神世界】
今号から、現状分析や政策提言だけでなく、新たに「精神世界」についても述べて行きたい。
筆者は1985年の体験以来、『日月神示』ともう一つの人物の書(いずれ明らかにしたい)をハラに入れて様々な事象を分析して来ている。その『日月神示』に「いずれ金でつくって金でつぶす」とある。現在のアメリカ発の金融危機がまさにそれで、この泥沼は当分続く。いよいよ時代の転換も佳境に入ってきたという感が強い。
近い将来には、ユダヤ世界の没落と日本的価値観の復権が予定されるが、残念ながら日本の現状を見る限り、まだまだである。
特に問題なのはユダヤ人というより、内なるユダヤを露骨に示す日本人、大和魂を忘れた日本人の何と多いことか。「内なるユダヤ」とは、拡大欲・支配欲の強い性向を指す。
その例を挙げると、「今こそ積極経済だ!潜在GⅮΡは800兆円もあるから、政府紙幣を刷ってでも財政出動を年50~100兆円単位でしろ!」などというのは典型である。
経済至上主義の、ケインジアンを標榜する学者などの意見であるが、彼らは、「現在はデフレ(需給)ギャップの状態にあり、本来の消費活動が行われれば、GⅮPは800兆円になるはずである。そうなっていないのは、供給側(生産側)は800兆円分の能力があって何も問題がないのに、需要(消費側)が落ち込んでいるからである。この需給ギャップを回復するために、政府は積極財政をとれ!」という。
この論理がおかしいのは、個別の企業で考えると良く分かる。ある企業が、A製品の需要があると見込んで月産10万個の生産ラインを敷いた。ところが現実には1万個しか売れなかった。この需給ギャップの発生につき、「供給側には何の問題もない。需要(消費)の力が不足しているので政府は財政出動すべし」と言っているのと同じである。
このように自らの予測の間違いを相手側になすりつけるのは、個別の企業では倒産必至で、ただの自己中である。
これまで経済学者の予測がほとんど当たらないのは、実体を充分把握せずに理論を振り回す彼らの教条ぶりにあるのかも知れない。
このようにケインジアンを批判したからといって、私はフリードマンが良いと言っているのではない。米欧のサルまねではない「逆張り経済など、日本型の資本主義システム」こそ重要と説いているが、いずれにしろ、自分の頭で検証することをせず、教条的に盲信して、他を受け付けない頑固頭が自分を狭くすると言っているのである。
『日月神示』に「メクラがメクラの手を引いて、一体どこへ行くのやら」という文がある。この言葉は、国の上層部にいる人たちだけでなく、知識人を目指し、人に意見を言う人々全員に当てはまる。「王道日本」の読者は、心して頂きたい。
3大政党制(2)=小選挙区2人:比例代表併用制のススメ
3大政党制(2)=小選挙区2人:比例代表併用制のススメ
結論として全体を700、そのうち選挙区を全国300として2名ずつを選出し、残りの約100名分を比例代表「併用制」を参考にして選出する、小選挙区2人・比例代表併用制の制度をお勧めします。最後は比例代表部分で人数調整するという点が、若干、ドイツ型と違います。以下に詳述しますと、
投票は一人2票制で行い、1票は選挙区の候補者に投じ、1票は比例代表で、比例区の政党名を書きます。
比例区は、現在は11のブロックに分割されており、これを全国一区にすれば死に票が無くなるとの意見もありますが、逆に選挙区が広くなり過ぎて選挙運動や後援会維持に費用がかかり過ぎること、道都庁制の地域割との関係もあり、この辺は、国会で充分討議していただければよいでしょう。
当選者の数は比例代表での政党票を優先して決定しますが、まず選挙区での1位、2位の当選者は当然、当選です。そして全体の700から選挙区での政党当選者の数を差し引いた残りを、比例代表の政党得票数に割り当てて調整します。
話を分かりやすくするために、全国1区の比例代表併用制の例で示しますと、A党~E党の5党があり、全300選挙区での当選者数がA党290人、B党170人、C党138人、D党2人(計600)で、他の党はゼロだったとします。
一方、比例代表での得票は、A党40%、B党30%、C党20%、D党7%、E党3%とします。これを700名の総定数に按分し、出た数字から選挙区での各党の当選者数を引いた数字が、各党の比例区での当選者数です。
ドイツでは、小党乱立を避けるため、比例区で得票率5%未満の政党には議席が与えられていません。日本でも参議院比例区では3%未満の政党はカットされます。これらを参考に多少の足切りをすれば、小党乱立の弊害は避けられます。
ここで、1選挙区2名の定数だけでなく、比例代表併用制の枠を別に設けることが、3大政党制の実現のために重要な意味を持ちます。
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先の例で、全体の得票率がA党40%、B党35%、C党25%だとして、選挙区ではA党300、B党300、C党ゼロということがあり得ます。つまり、各選挙区の1位、2位をすべてA党・B党の候補者が占め、C党分はすべて死に票になるケースです。
このように1選挙区2名制だけでは3大政党制の実現が保証されませんが、比例代表併用制を採用することにより、C党は700×25%=175の議席を得ることができ、全体としての死に票が無くなると同時に、3大政党制が実現することになります。
ただし、このままでは合計当選者数が300+300+175=775名と、定数を大幅に上回ります。そこで比例配分の議席枠を、得票による算出仮議席数の合計で割り、その割合(例:100÷175=57%)を、比例配分仮議席数に乗じて算出すれば、700に近い数字にまとまります。この調整部分がドイツ型と異なります。
4.小政党の存在意義
最後になりますが、「小政党の存在意義」を述べておきます。
この間の小選挙区比例代表並立制の中で生き残ってきた小政党を見ると、国民新党、社民党、共産党、公明党、新党大地と、どの政党も、自民・民主の2大政党ではカバーできない存在価値を示してきました。
その詳細は省きますが、これらの小政党が示してきた活躍ぶりを見ると、基本的には3大政党制を志向しつつも、一定の得票率を獲得する小政党が生き残れる選挙制度が、長い目で見て日本全体の国益にかなうという推定が働きます。
2大政党、3大政党と言っても、上位の2政党、3政党が、絶えず国益にかなう政治を継続するとは限りません。その点でも国会内に、別の競争者であり、かつ大政党の監視者である第4、第5の政党があるというのは、健全な民主主義の発展にかなうものであります。
大政党の政治家諸兄は、国益を考えて、この点を理解していただき、一定の得票率を得る小政党も生き残れる、本制度の採用を検討して頂きたいものです。
なお、本稿での定数700名への拡大というのは、道都庁制の導入により都道府県会議員がゼロになった場合の受け皿を兼ねたものであり、それ以前であっても3大政党制を目指した選挙制度の変更が必要だというのであれば、上記を参考にして、現行定数の範囲内で経過措置として実施されれば良いと思います。
道州制否定(3)= 企業の本・支店制を見習って、中央分権型の道都庁制を!
道州制否定(3)=企業の本・支店制を見習って、中央分権型の道都庁制を!
警察・検察監視委員会
これは警察や検察による悪質な国策捜査や冤罪事件の発生を防ぐための機関です。
冤罪事件は、無実の人を長期間拘束して、その人の一生を台無しにします。また、権力者の仲間に警察や検察の捜査が及んだ時には圧力をかけて、捜査を思いとどまらせたりします。そうした冤罪事件や不当な捜査介入がないよう監視するのがこの機関です。
ある大学教授は、のぞきと痴漢容疑で2度逮捕され、33日間、132日間と膨大な期間、勾留されました。驚くべき拘留日数です。
元早大教授の植草一秀氏ですが、彼が逮捕・拘留される過程は警察権力の横暴の度を超えています。何故なら、2004年の一度目の逮捕の時、警察は植草教授を、3人で2時間近くも尾行した後、「エスカレーター上の数メートル先の女性に対し、のぞきがあった」として逮捕しています。
エスカレータ―で見上げた時、数人おいて5~6メートルにミニスカートの女性がいた。「それに目が行っていたからノゾキだ」という訳です。そうして、逮捕直後の会話で「・・前に神奈川で事件を起こしていますね」と話しています。
これでは、当時、彼が小泉政権下の竹中平蔵氏による金融行政や埼玉りそな銀行への処理を批判していたため、かっての事件を利用して、意図的に植草氏を陥れるために尾行し、機を見て逮捕したと言われてもやむを得ないでしょう。
また、二度目の逮捕の時には、被害者が声を出したら、いきなり二人の男に頑強に両脇を固められ、無言のまま駅員に引き渡され、二人の男の顔も被害者をも見ることも出来ないまま、逮捕・拘留されたと言います。
痴漢(覗きもそうですが)という犯罪は、明瞭な場合を除き、ほとんどが混雑した車内で、触れたか触れないかという程度の事件です。だから混雑した車内で、前に立っていた女性が示談金目的で「この男は痴漢だ!」と叫べば冤罪による逮捕が可能で、「痴漢冤罪事件」という言葉があるくらいです。
逮捕後、警察に長期間拘留され、実刑を示唆されれば、誰でも、開放されたくて、やっていなくとも「やったことにする」と認めてしまいます。これで完璧な有罪判決ですが、植草事件はこうしたケースに近いと言えます。実際、彼は、取り調べ中、「犯罪を認めなければ、家庭をメチャクチャにしてやる」と検察からも脅されたと言います。
また2008年10月には、「62億円の麻生太郎邸を見学しよう!」と渋谷駅に集まった若者達が、プラカードを掲げてマイク放送し、振り返った瞬間、歩いている人(私服警官だった!)の肩に腕が当たりました。
すると、他の私服警官が、すぐに「公妨だ!公妨だ!」と叫んで、公務執行妨害罪で3名を逮捕しました。まだ渋谷駅で、これから仲間と歩いて行こうかという所での逮捕です。
彼らは12日間も勾留されましたが、亀井静香議員、鈴木宗男議員らの尽力がなかったら、もっと長期に勾留されていたでしょう。これらは、明らかに警察権力の横暴です。
日本の刑事事件の有罪率は99.9%です。被告人が否認する事件でも97%が有罪です。イギリスでの否認事件の有罪率は約50%であることを考えると、「疑わしきは被告人の利益に」という刑事事件の理念が空虚に聞こえます。
司法の3審制が全く抑止力になっていないわけで、国家公安委員会は警察権力への監視機関としては何ら機能していません。
冤罪や警察権力の横暴を防ぐために、警察・検察監視委員会をつくって、個々に申し立てや疑問のある事件、本人が否認して長期勾留がなされる事件につき、①取り調べの様子を録画する ②否認を理由とする不当な長期拘留を排する―ただし、この監視組織の肥大化を防ぐため、機関新設の周知徹底を条件に、本人または家族、弁護士の申し立てがあった場合にだけ、録画保存を指示するという事で充分でしょう。
その他、冤罪を防止するには、被疑者の署名や指印のない警察官の一方的な供述に証拠能力を認めないこと―などが必要です。こうしたことが「警察国家」を防止する第一歩となります。
⑵ 天才は田舎で育つ、小規模自治体を大切に!
話を戻して、道都庁制の導入に当たり、市町村の基礎自治体は、できるだけ「小を生かす」方向で対処します。小規模過ぎて、自立的な自治体運営が出来ない場合のみ、合併を進めればよいでしょう。
『国家の品格』を書いた藤原正彦氏によれば、「天才は田舎に育つ」と言います。また、古代ギリシアで栄えた都市国家は、人口数千人の規模から国家を構えて、数多くの偉人を排出しました。
日本の歴史を振り返っても、江戸時代に280前後あった「藩」は、当時の人口3000万人として、平均10万人超ですが、数では、人口5万人(5万石相当)未満の藩が全体の64%(177藩)、1万人(1万石相当)ほどの藩が51藩(18.5%)もありました。
それで治安を維持し、充分な藩運営が出来ていたことを考えると、行政の区割りは効率性だけでなく、地域の独自性・歴史性を考慮して、できるだけ「小を生かす」方向でなされるべきと考えます。
なぜなら住民自治の理想は参加型の自治であり、集団の規模が小さいほど、参加型の自治を実現しやすいからです。たしかに人口20~30万人の規模にすれば一人当たりの行政コストは最も低下するでしょうが、それでは画一的な自治しか育ちません。
都市が大規模化すれば人口1人当たりの公園面積は明らかに下がり、子供達にとって良い環境ではありません。
行政コストが最もかかるのは、24時間連続運転のごみ焼却炉の維持や介護保険サービスの維持、救急対応の大病院などであり、それらを共同経営でコスト低減できるなら、必要人口はもっと下がります。
人類は外見的には猿から進化したわけですから、森の中で生まれました。現在でも、森林には人に対する癒し効果があるのはそのためです。松、ヒノキなどの針葉樹にあるフィトンチッドは免疫力向上効果がありますし、最近では、2泊3日の森林浴によって人体のNK細胞(ナチュラルキラー細胞:がん細胞やウイルス感染細胞を殺す)が5割以上も活性化し、その効果が1ヶ月以上も持続することが明らかになっています。
人間が吸う酸素を作るのも森の役割であることを考えると、豊かな自然環境は、人類の存続と健康維持に欠かせない役割を持っている訳です。
人口の少ない村には豊かな自然環境が残っており、それ自体、貴重な資源です。多少、行政コストがかかっても、その4~5割は人件費ですから、それを維持すること自体が村の雇用と内需を支え、同時に将来の天才を育てながら「人類の生存に必要な自然を守る重要な公共事業」であるという認識が必要です。
⑶ 全体として3割のコスト削減を!
本稿の行政大改革を実行するに当たって、官僚などの焼け太りを許さないためには、人員・予算面での、トータルな監視が必要です。
具体的には、現状の都道府県と国の機関と議会運営の総予算を出し、特殊法人などを含めた道都庁制移行後の経常経費の総予算が、3割前後は減少するように監視します。独立行政法人設立などがあったとしても、それを含めての削減であることが重要で、官僚の焼け太りを許してはなりません。
とは言っても行政コストの5割弱は人件費ですから、一気に雇用喪失とならないよう、余剰となった人員を、一時的に農業要員に振り向けるなどは一つのアイデアです。
現在の日本の食料自給率はカロリーベースで4割を切っており、とても先進国の自立した国家と言えません。これまでの減反政策と後継ぎ不足で、耕作放棄地と休耕田を合わせた面積は東京都の3倍近くに達しており、ここで飼料用の作物などを作れば、一気に自給率を高めます。職員が定年退職する都度、民間にバトンタッチしていけば一石二丁でしょう。
道州制否定(2)=企業の本・支店制を見習って、中央分権型の道都庁制を!
道州制否定(2)=企業の本・支店制を見習って、中央分権型の道都庁制を!
では、どうすれば良いのかというと、中央集権と地方分権の間に「中央分権」があります。その例として、大企業の組織を見ると良いでしょう。大企業は全体を運営するに本店と支店に分け、地方の支店はある程度の裁量を任される一方、重要なことは本店が決定します。
これは中央集権と地方分権の、統一性と多様性を考えた中央分権型の知恵あるシステムであり、国も見習うべきであります。
多様性だけがあって統一性のない共同体組織、統一性だけが強調され、多様性に対応できない組織は、いずれもが矛盾を抱え、長く存続できないことを民間企業ではすでに体得しています。
これを知れば、地方に置くのは「別会社・関連会社としての道州」ではなく、本店機能を一部分割した「支店としての道都庁」が正しい選択だと言えます。
つまり現在の地方自治体としての都道府県を廃止し、地方には分権化された国の機関としての道都庁を置くことになります。
道都庁制の概要
共同体の組織は人体のようでなければ上手くいかない。これは真理です。その言葉にしたがうと、人の脳は大きく右脳と左脳に分かれ、内省と外交を分担します。同じように国家も大きく内政省と外政省に分け、内政省の中に経済産業、水産、厚生、文部、国土、交通などの各部局を置きます。
現在はこれらは別々の省ですが、都道府県は廃止され、地方の道都庁に大幅に権限と人員を移転しますので、中央の組織は相当スリムになります。
ちなみに戦前の内務省は強大な権限を持ち、戦後、自治省や厚生省、警察庁に分割されました。実力組織たる警察や高度に専門的な部署を分離すれば、戦前のような懸念は起きないでしょう。以下に詳細を述べます。
⑴ 国の「第3の眼」たる未来環境平和研究所
人間には「真理を見通す第3の眼」があります。これまでの政府組織に特に欠けているのは、この「第3の眼」に相当する機関です。人間の第3の眼が物事の背景を見通し、未来を洞察するように、国家にも国営のシンクタンクを設置して、これを第3の眼とします。
かっては経済企画庁が国の未来予測をしていましたが、経済予測に限定していただけでなく、晩年は大蔵省の税収確保の要請に見合った経済予測をするという、まことに本末転倒したものでした。
新たなる国営のシンクタンクは未来環境平和研究所と命名して、経済や雇用、産業や食糧などの未来予測と環境への影響評価、国の内外の不安定要因の分析と警告を、幅広く行います。
特定の権限や実行部隊を持たない、純粋な分析研究と予測の機能に限りますが、現代国家を構築する上で、極めて重要な組織と言えます。
⑵ スリム化して内政省
内政省については、地方の各道都庁に大半の国の人員や権限が分割されるだけでなく、これまで本省に属していた厚労省薬務局、総務省の情報通信部門、科学技術庁(現文科省)、などは別組織とします。農林水産省や労働省もそうですが、これらは高度に専門的で独自の知識と経験の集積を必要とするため、独立した組織を構築した方が、目的達成が容易と考えます。
また、現在は経産省にある貿易局は後述する理由から外政省に移管すべきと考えますので、この点からも内政省肥大化の懸念はほとんどないと言えます。
民間の大企業を見ても、総務部、経理部、営業推進部、管理部、コンピュータ部、人事部、研修部などの各機能部門は、どれほどの大企業でも独立・閉鎖的な組織となることはあり得ず、相互の人事異動もしばしばで、一つの統一的な組織の一部であるという位置づけです。
これまで「局あって省なし、省あって国なし」とうたわれた官僚の省利省益的行動は、この改革により、ほぼ無くなります。
⑶ 独自の専門知識を要する業務は独立の省庁へ!
内政省には含まれない、独立の省庁もいくつかは必要です。まず、法務省、検察庁は3権分立の司法に係わることですから、現行と変わりません。但し、冤罪防止を防ぐための機関は後述します。
農林水産省と労働省(移行後、労働庁)は、独自の専門知識と経験を必要とするので独立組織が良いでしょう。
大蔵省は、外政省や内政省、その他の省庁の予算配分をするわけですから、依然として独立した組織が理想です。名前は、橋本内閣時の意味のない再編を見直すためと、平安時代以来、継続してきた名称に敬意を表し、「大蔵省」に復活させます。組織の伝統と誇り、仕事をする上でのプライドは、名称の継続によっても維持されます。
悪名高き社会保険庁は、保険料の徴収部門を国税庁に移管し、預かり資金の運用・支払い業務に特化します。国税庁は、税務調査の際に必ず源泉所得税の調査をしますから、社会保険の徴収に何の支障もありませんし、強制力が強く、滞納率は大幅に下がること請け合いです。なお、混乱を避けるため、名称は国税庁のままとします。
年金預かり資産の運用・支払業務は、各道都庁の中に設けることも可能ですが、その一貫した管理責任を明確にするために、独立した庁とするのが良いでしょう。
その他、新設の庁は薬務庁、情報通信庁(放送行政・郵政を含む)、科学技術庁で、これらは従来、厚労省、総務省、文科省の一部局でしたが、高度に専門的で独自の知識と経験の集積を要するため、人事異動を内部のみとするよう独立した庁とします。
消費者庁は、これまでの生産者重視の行政から、消費者行政とのバランスを
図るため、独立した庁とします。
資源エネルギー庁は環境省と合併させて、「資源環境エネルギー省」としま
す。これは、資源エネルギー問題が廃棄物処理や環境問題と密接不可分のため、一つの省に収めて対応することが適切と考えるからです。なお、この組織を「庁」ではなく「省」とするのは、その対象とする問題の国家的重要性を考慮するためであります。
⑷ 中央分権としての道都庁で、行政の二層化
各地方には国の分権機関としての道都庁を置き、県は廃止されます。これにより「国―県―市町村」といった三重行政はなくなり、行政は「国と市町村の2層」になります。
特に、これまでは住民に一番近い市町村が何かやろうとしても、県がこれを承認しないということが多々ありました。それが簡素化され、行政の風通しが良くなり、真の住民自治の実現が容易となります。
また、これまでの論義で東京都に税収が集中し過ぎて、分権化すると他の地域に税収が配分できなくなるという問題がありました。道都庁制の実施によって東京都そのものが国の分権機関の一つとなるわけですから、税収の不均衡は自動的に解決します。
私の道都庁案は、現在の衆議員の比例ブロック11に、沖縄庁を独立させたものです。
沖縄は、琉球王朝時代から本州・九州とは相対的に独自の歴史を持ってきただけでなく、戦後の一時期はアメリカの領土となってきました。現在でも在日米軍の大半が設置されるなど、日本の中でも特殊な歴史を歩んできました。
この地域を独立した庁とするのは、その歴史的独自性と、過去に負ってきた負の側面に対する謝意ならびに日米安保の重要性にかんがみてのものであります。
なお、東京都のみ「都」としたのは、天皇家の住まう地という意味を込めています。東京は日本列島のほぼ中心、心臓の場所に当たり、心臓に人の魂が住むことを表してもいます。
これら12の各ブロックに、大半の国内行政は移管されますから、地方は大幅に活性化します。
各業務のどこまでを道都庁に移すかは、業務に即して個々に検討されます。これらはいずれも国の機関ですから、各道庁の経済格差を埋めるために基準財政需要額に満たない地方には、これまで通り交付金による配慮が為されます。
道州制では、各道州の経済格差を埋めることは困難で、逆にそのことが競争を促進する活力と捉えますので、将来、夕張市のように倒産する州が出て、住民が被害を受けても救済は困難ですが、道都庁制ではこのような心配は不要です。
また、各道都庁に分割されても行政職員は国家公務員であり、大臣は、当然、衆参の国会議員です。予算は国=道都庁全体の予算案が審議の対象であり、国会で制定された法律は、特に地域を限定しない限り、全国に及びます。
もちろん地域限定の法律や税は、各道庁の意向を尊重しながらも国会での議決を経ることになります。したがって地域限定の行政は、主に通達で為すことにすればよいでしょう。税制では標準税率と違う税率は、制限税率の範囲内で、各道都庁の大臣決定でなされることになります。
⑸ 各道庁の監理委員会に地域選出の国会議員と市町村長を!
中央分権型の道都庁制を導入すれば、県は無くなりますから、自動的に都道府県会議員(2874名)は不要となります。従って彼らは拡大される衆院選挙に打って出るか、市町村議員を目指すことになります。行政は基礎自治体たる市町村と、国との2層になるのですから当然です。
ただし、それでは各都道庁の運営を直接監視し、民意を反映できる制度がないという懸念が生じます。それに対しては、各道都庁の長官は、国会議員がなることと、もう一つ、各地域選出の国会議員と域内の市町村長で、ブロック監理委員会をつくり、そこに行政監視と民意反映の機能を持たせます。
いわばミニ議会的な役割を果たすもので、決定権はありませんが、質問権、説明・調査請求権、陳情・請願取次権などを持たせ、より、住民意思を反映した道都庁の運営ができるようにします。
⑹ 平和庁を傘下の外政省
外政省による外交の従来と大きく違う所は、これまで経産省下にあった貿易部門を傘下に移します。この移動は、これまでの経産省主導下の「輸出超過型経済」から、「輸出入バランス型経済」への転換を目指す意味もあります。
また、平和庁を新設し、傘下に収めます。平和庁は途上国への経済援助やインフラ整備の支援、災害などによる人道支援、各種NGOや平和活動への支援を業務とします。この機関を新設することは、これまで以上に平和外交を基軸に据えることを意味します。
独立国である日本は、今後、日米安保の大幅縮小の方向に向かうべきと考えます。それは同時に、独自の平和外交を進める意思表示でもありますが、その時、平和庁の役割は重要です。
中国や韓国との領土問題も、平和外交先行で議論されれば、解決の方途は見えてくるでしょう。それを軍事力を背景に交渉しよう、時には経済封鎖も辞せずというのでは対立は深まります。
防衛省は文民統制の本来の趣旨からすると外政省の傘下に入るべきですが、これまでの経緯並びに軍事力が外交交渉に顔を出すことのマイナス面を考慮し、従来通り、独立した組織とします。
ただし、防衛省は、かっての防衛庁から「防衛省」へと昇格してから不祥事続きであり、これは「不適切な昇格」であったと理解し、防衛庁に戻して専守防衛の任に当たります。
⑺ 行政検査院
これは現在の会計検査院です。会計検査院では、文字通り「会計検査」だけしか行われませんが、それでは不充分です。行政全般の恒常的なチェックが必要とされているため、名称を「行政検査院」として、業務と権限の大幅なレベルアップを図ります。
かって民主党はアメリカの会計検査院にならって、国会所属の行政監視院を創設すべしとしました。しかし国会に所属すれば、議員の干渉を大いに受けます。中には「その問題には触れないでほしい」というような悪い干渉もあるわけで、国会には検査結果の報告だけで良いでしょう。今は内閣だけへの報告ですから、公平ではありません。
つまり、この機関は国会からも独立して組織し、行政への不服や苦情処理を受け付けるようにします。
厚生年金のデータ喪失や記録改ざんも、もし、政治家ルート以外に行政検査院で不服を受け付け、必要とあらば検査を実行するというシステムになっていれば、被害や不正は最小限で済んでいたでしょう。
三権の中でも肥大化しやすい行政のチェックや税金のムダ使いの指摘は、国会議員だけでは足りません。また、悪質で不正な手口は専門化しやすいですから、常設のチェック機関が必要です
。
この機関の充実により、国会議員は行政のムダを指摘する役割と労力を半減させ、もっと大局的見地から必要とされる政治活動に専心することが可能となります。
道州制は日本を解体する!(1)
行政改革の手段して、最近、自民党の中で「道州制」の議論が進んでいます。
これは日本を9~12ほどの地域に分けて国の権限を大幅に移譲し、地方分権の受け皿にするというもので、小泉内閣の時に、「北海道を道州制の先行的モデル地区に!」という掛け声のもと、2006年12月に道州制特区推進法を成立、並行して「道州制推進本部」を発足させています。
当初は「1~2年の検討期間を設けて2010~11年に国会提出」としていましたが、麻生内閣になって予定を前倒しし、次期衆院選の看板政策として折あらば 法案を提出したい意向です。
一方、民主党も、過去に「道州制の実現」を述べています。状況によっては、ごく近い将来、自公・民主の大連立で道州制実現の方向に進む可能性もあり得るので、この問題点を指摘させていただきます。
まず、認識として、これまでの明治以降の行政は中央集権的なものでした。それは、明治以降ならびに戦後においても日本の発展の原動力でしたが、同時に、東京一極集中と地方の衰退をもたらしました。
その反省を踏まえて、道州制推進論者は、地方経済を活性化するため日本全国を9~12の地域に分けて、地域主権型の道州制を導入すべしと言います。
国は外交と防衛、司法と通貨管理など、限定的な役割に限り、その他の、生活に係るものは、すべて各地の道州自治体が行うものとします。
課税権・徴税権・税率決定権も分権化された道州が行使し、国は上納を受けるか、徴税する税を全く分けるかします。
合わせて全国を300程度の基礎自治体に再編し、国家公務員は半減させ、国会議員は衆院300名、参院120名に減少させる―というものです。
格差拡大で倒産する道州も!
道州制を導入すると、企業誘致や住民サービスの競争が激化し、各地域間の格差は拡大します。中には夕張市のように、経営が上手くいかず、倒産する道州も出てきますが、その場合、どこが面倒を見るのでしょうか?
その時は「国が面倒を見てくれ」と言うのでは、初めから、地方分権に限界を設けなければなりません。各地の道州は自由気ままに行動するが、その結果のツケは国に回すと言うのなら、国が十分な税財源は持っていないと、救済の原資が無くなってしまいます。それを考えると、道州への大胆な税財源の移譲はできなくなります。
また、2009年初頭の「年越し派遣村」は、1月5日朝までは厚労省の講堂を臨時宿泊所として借りましたが、それ以降は都知事や中央区長に空き施設の提供を懇請せざるを得ませんでした。国が施設を持っていないためで、道州制が実施されれば、「他の道州で発生した失業者だからウチは関係ない」とか、「国の頼み方が悪い」と言って、各道州が国の依頼を拒否するケースも考えられます。何故なら道州制を敷いた場合、各道州が重要施設を所有し、国はほとんど何の施設も持たず、かつ、さほどの権限も残らないからです。
全国300の自治体への再編も日本文化を破壊
道州制と合わせて、全国を300の基礎自治体に再編する(内閣官房・道州制ビジョン懇談会座長 江口克彦氏)と言いますが、これも多いに問題です。
総務省は、これまで合併を進めてきました。平成11年に3232あった市町村は、1773まで減り、合併により、職員数削減による効率化は見られましたが、財政状況が悪い自治体同士による合併や、合併特例債の「ばらまき」で財政がさらに悪化したり、都道府県並みの面積の自治体が増え、周辺地域の衰退や公共サービスの低下を招くなどの弊害も見えてきました。
実際、大分県が旧町村の住民を対象に05年から始めた聞き取り調査では「住民検診の実施個所が統合されて不便になった」、「道路の整備がおくれるようになった」、「職員や役場の注文がなくなり、売上が減った」などの弊害が寄せられています(毎日新聞、20.11.18より)。
それを受けて総務省は、人口5万~10万人程度の「中心市」と周辺町村が連携する「定住自立圏構想」を進めれば、合併せずとも市町村の体力を高められるという見通しが出来たことから、1773まで減ったところで合併打ち止めとしました。
道州制と並行して、基礎自治体を300に減らすという発想は、行政コストの低下のみを根拠としていますが、それによって地域の公共サービスの低下を招くだけでなく、名称変更などで、地方の文化の連続性を断つことになります。地域主権と言いながら地方の文化の連続性を破壊する結果となりますから、全国300の自治体に再編するというのは多いに問題があると言えましょう。この問題は後にも述べます。
道州制による地方分権は、時代の逆行
課税権・徴税権を道州に完全移行すれば、各道州ごとに税率や税目、法律が異なり、対応する企業の事務は極めて煩雑となります。
歴史を見れば、日本の江戸時代は地方分権でした。各藩が課税権や徴税権を行使し、藩札も発行するなど、各藩の自由裁量は大幅でありました。それでは効率ある資本主義が発達しないということで、明治政府は全国一律の中央集権的な国家を築きあげたわけです。
今、中央集権がだめだからと言って、すぐにまた地方分権というのは江戸時代への逆行です。中央集権の弊害が大きくなったからといって地方分権しか選択肢がないと言うのでは、あまりにも知恵がありません。
地方議会はオール与党化で道州知事に強大な権限
道州制を敷くと、そのトップたる道州知事に強大な権限が集まることも問題です。道州制を主張する政治家に「県知事の経験者が多い」というのは一つの特徴です。確かに、予算をもらう側がヒモ付きを嫌って自由に使えるお金を好む、というのは当然です。だが、今でさえ強大な権限を有する県知事が、道州制で、さらに肥大化するとどうなるか。議会がチェックするといっても、これまでのオール与党化した地方議会を見れば、空論に近いと言えます。
最近の事件をみれば、2003年7月の土屋義彦埼玉県知事による政治資金規正法違反事件、2006年9月の佐藤栄佐久福島県知事の談合事件、同11月の木村良樹和歌山県知事談合事件、その他、茨木県、宮城県、秋田県、徳島県など、公共工事にからむ県知事の不正関与は枚挙にいとまがありません。
これらは地方で強大な権力をもつ県知事を、議会がほとんど監視できないことの証明です。それが道州制でさらに強化されたらどうなるか?
道州議会のみならず、国でさえも道州知事を制御できない事態になりかねません。国に頼らずとも独自の豊かな財源を持つために、逆に国への上納を拒否したり、道州の独立を叫ぶということも予想されます。
道州制は日本国を解体
さらに言えば、この道州制は,事実上、日本国を解体させるものとなります。なぜなら、日本を各道州に分割すれば、各地域益が異なり、結果として外交は道州ごとに異なってきます。外交が異なれば防衛の方向も異なるのが当然で、結果、一元的な外交や防衛策は困難となります。
具体例を見てみましょう。道州制が実施されれば、たとえば九州や中国地方は、これまでの歴史的付き合いの古さから、南北朝鮮や中国と友好関係を推進し、将来的には安全保障条約も彼らと結ぼうとするでしょう。その方が、自らの軍事的安全を確保できるからであります。
また、新潟は朝鮮半島が近いから、やはり南北朝鮮と友好推進、安保条約を結ぼうとします。その方が、拉致や砲撃の危険を回避して、自分たちの安全を確保できるからであります。
さらに北海道はロシアと友好推進、安保条約を結ぼうとします。ロシアによる漁船拿捕の危険性を回避して、漁業を安全に営むためであります。
このように、各道州の地域益が異なるために、一元的な外交や防衛は困難となります。それを力で抑えつけようとすれば、各道州は独自の税源を持ち、力をつけているだけに、各道州独立となり兼ねません。それは日本国の解体を意味するものであります。
道州制は多国籍化した大企業本位の制度
以上のような欠点を持つ道州制ですが、何故、自民党や財界に根強い支持者がいるかというと、多国籍化した企業には良い制度だからです。
キャノンやトヨタ、ソニーなど多国籍化した大企業は、各国を競わせて人件費や法人税の最も安くて済む国に工場を移転します。
それと同じ様に日本国を分割して各道州に競わせれば、大企業は人件費と税が安く、低コストで優遇措置の多い地域に移転することができます。製造業派遣を認めない州があれば、認める州に移転すると圧力をかけます。
道州知事さえも、政治献金と従業員の票で自由に操れます。従業員2万人もいる企業から、「ウチは家族や親戚、下請けで10万票はある。票と資金で貴方の面倒を見る。ダメなら他の候補を応援する」と言われれば、どんな道州知事も、その大企業の言うことを聞くでしょう。それゆえ、道州制による最大のメリットは大企業が手にします。
道州制は「1国12制度」をつくるとも言われますが、大企業中心の新自由主義者・グローバリストにとって、最も手早く日本国を解体して、企業利益を最大にできる制度であると言えます。
道州制論者は、押しなべて国会議員定数の削減を言っていますが、削減すれば「更なる官僚支配」を許すだけでなく、財界が金と票で政治家をコントロールし易いからだということを知る必要があります。
日銀は、財務省・造幣局を通貨発行権付きで400兆円で買うべし!
日銀は、財務省・造幣局を通貨発行権付きで400兆円で買うべし!
報道によれば、自民党の菅義偉選対副委員長ら14人が「政府紙幣・無利子国債発行」の勉強会を始め、3月末までに麻生総理に提言するという。
その他にも、自民党の一部では、政府紙幣の発行による景気対策を集中的に勉強しているグループがあるという。
政府紙幣とは、日銀の発行する日銀券とは異なり、政府の発行する紙幣(貨弊を含む)で、10円玉や100円玉、500円玉がそうである。これを大量に、たとえば50兆円分刷る、と言っても1兆円札を50枚刷って日銀券と交換してもらい、その日銀券を市場に流通させるというような案が有力らしい。ここに至る過程には、様々な問題が折り重なっており、これを機会に整理しておくことが必要と思われる。
先ず、何故、政府紙幣発行というような考えが出てきたかというと、景気対策をもっと大胆にしたい、ただし、国の借金は増やしたくないという想いからであろう。国債のように返済義務のある借金でなく、政府が直接、紙幣を発行することが出来れば、その発行差益分は、税以外の収入として、ほぼ無尽蔵に使えるというのが、高橋洋一氏らの主張である。
だが、財政規律を無視し、全体の通貨供給量に対する管理を無視したこの主張は、ハイパーインフレを招来しかねないものである。
では、どうするか? 局面打開のための私なりの提案をしてみたい。
GⅮΡ重視の見直し
まず、景気対策への考えであるが、もうGⅮΡ(国内総生産)重視の考えは見直した方がよい。今回、GⅮPが年率換算で12.7%も下がったのは、言うまでもなくアメリカ依存の輸出減少である。これを補うため内需拡大だと言っても、日本の各家庭には物が充分にあり、あらためて買うものがあまりない
(生活に苦しいと云うのは別である)。だからどれほど定額給付金などで景気回復を謳おうと、実需に結びつくのはわずかであろう。
それでも景気回復のための財政支出が必要だと言うなら、製造業の派遣禁止や従業員のリストラ防止を行うべきである。国民は、一方で雇用維持に不安を抱えたまま過度の消費を行う気にはなれない。
この点で、日本の消費を支えてきた中間層が、近年の「新自由主義的な競争政策の推進」で、若者を中心に大挙して貧困層に転落しつつあるのは日本経済にとって致命的である。何故なら、外資も交えた大競争政策では、敗者の方が圧倒的に多くなり、幅広い中間所得層がいなくなるからである。
GⅮΡ重視の考えは、その他にも数多くの矛盾を抱える。
たとえば家庭で母親が、夫や子供達に、毎食、コンビニ弁当や外食を勧める。これは手作りの料理を食べる家庭より、はるかにGⅮΡアップに貢献するが、子供達の健康は明らかに損なわれる。
結果、各人は、栄養バランスを崩して医者通いが続くとする。これも病院の売り上げ増加となって明らかにGⅮPアップとなる。だが、どちらが健全な家庭かというと、毎日、母親の愛情ある手料理を食べ、医者通いのない家庭であるのは言うまでもない。
また、毎晩飲み歩き、喫煙する亭主は、晩年になっての介護も含めて、下戸で禁煙派の亭主に比べてどの面でも売上増⇒GⅮΡアップに貢献する。だが、人間としてどちらを評価するかは議論の分かれるところである。
終戦後しばらくは、日本の農業人口は1千万人を超えていた。その農家は食糧を外部から買う必要はほとんどなかった。農村社会は食糧を自給できるため、絶えず外部から買わざるを得ない都市社会に比べてGⅮΡは明らかに低い。だが、食糧危機に陥って真っ先に餓死するのは都市生活者である。
さらに地球環境の存続を考えれば、省資源、省エネルギーの「倹約を美徳とするモッタイナイ精神」が必要であるが、それはGⅮΡの大幅な下落を意味する。
このようにGⅮΡ重視の考えは、しばしば個人の幸せや地球生命の存続とは明らかに矛盾する。だから「GⅮΡが低い国=貧しい国」という観念を捨て、逆に「GⅮΡの高い国=高コレステロールで血糖値の高い、短命な国」という考えを持った方が健全である。
財務省・造幣局を400兆円で日銀に売る!
さて、この考えを前提に、国民が財布のヒモをゆるめて消費に向かうには、どうしても国・地方の800兆円にも及ぶ借金が重荷となる。これだけ借金があると、将来の年金はまともに貰えず、重税か超インフレあるいは預金封鎖を想像し、国家を信用できない、ゆえに消費に回すよりは自己防衛せざるを得ないと考えるからである。
従って国民の不安を取り除く意味でも、国の借金の清算は、この20~30年以内にやっておくことが必要である。
その方法として、財務省の造幣局を、通貨の発行権を含めて、日銀へ400兆円で売ることを提案する。
何故、造幣局を日銀に売るかというと、通貨の発行権を日銀に一元化し、政府はこれを、今後、行使しないためである。どだい、政府が通貨の発行権を持つと、官僚の天下り先へのばらまき、政治家諸兄の選挙対策としてのばらまきなど、問題のあることが多い。政府は税収の範囲で運営し、足りない時はコストダウンか増税で対処するというのが財政規律の原則であり、後世にツケを残さない賢明な国家経営である。
アメリカのFRBは、政府は1株も持たず、ロスチャイルド系とロックフエラー系で議決権のほとんどを握る、れっきとした民間銀行であるが、1913年の設立後、何度も政府が戦争をしながら、一度もハイパーインフレを起こさずに来た。これは、政府に軍隊内部でのみ通用する軍票は認めても、通貨発行権を認めなかったからである。
一方、日本は、先の戦争遂行で政府紙幣(軍票)をばらまき、終戦直後にハイパーインフレになって金融非常措置をとることになった。「新円切り替え」の名目で政府は預金を封鎖、10万円を超える資産には重税を課し、郵便貯金は10年間払い戻しが拒否された。わずか3年半で物価は約100倍に上がり、庶民は多大の迷惑をこうむった。
日本は日露戦争時にも国家破産直前まで行っている。これは軍資金がほとんどないのに戦争を決断したという無責任な政府と、通貨供給の一元管理がしっかりできていなかったためである。戦争に勝ったから良い様なものの、日本の国際を引き受けたク―ン・ロウブ商会のヤコブ・シフは、「日本がロシアに勝てば良し、負ければ国債を担保に日本を植民地にすればよい」と考えていたと云う。
次に何故、400兆円で売るかというと、国・地方の借金を半分以下とするためである。400兆円以下となればGⅮΡ比80%以内となって、他の先進国と比べても,それほど多くはない。このくらいは政府のやりくりで償還するのが筋であろう。
問題は400兆円の根拠であるが、造幣局の土地・建物だけならば、100億円かそこらだろう。しかし、これまで日銀は1万円札を原価20円で刷りながら、その通貨発行益9980円に見合う法人税や納付金をこれまで政府に全く納めていない。これは通貨発行による収入を売上げとせず、「発行銀行券勘定」として負債に計上しているためである。
しかし、この負債は法律的に支払い義務のある債務ではなく、備忘記録として「負債の部」に計上しているに過ぎない。つまり日銀は、会計上のトリックで通貨発行益を内部にため込んでいる。このことを指摘し、過去の納付金未納分の清算の意味をも込めて、通貨発行権付きの造幣局資産を400兆円で売るようにするのである(但し、日銀は、国債利息などの利益については95%近くを政府に納付している)。
問題は支払方法であるが、まず、日銀の保有国債の残高が約65兆円(平成20年度上期末)ある。この即時返還で、政府は65兆円分の国債償還義務を逃れる。
残りの335兆円については20~30年間の、国債での分割払いとする。
今、日銀は月に1.4兆円、年間16.8兆円ほどを国債買いオペに充てている。このペースで買いオペを続ければ20年間で335兆円前後となる。新発債を買うのではなく、通貨供給量を監視しながら既発の国債を買うだけだから、政府の国債残高が増えたり、インフレになることはない。この国債を支払に当てるのである。
日銀は現在、企業の発行する社債やCΡ(コマーシャルペーパー、大企業の発行する無担保の手形)を直接買い取りする話を進めている。だが、企業の社債の直接購入などは証券会社や投資家、銀行のやることで、日銀がやるべきことでは断じてない。
白川日銀総裁は、アメリカ発のサブプライムローン問題の誤りが何であったか、何ら総括していないようである。全く困ったものであるが、サブプライムローン問題は、バブルを前提に、証券化と直接金融の行き過ぎによって起こったのだから、日銀が企業の直接金融に手を貸すことはせず、政府国債だけを買い増して国債償却に協力すべきなのである。そうすれば、国債を持つ銀行に資金的余裕ができ、企業にもお金が回るのである。
結論として、日銀は民間銀行からの買いオペを政府国債に限り、その国債を造幣局の買取り資金400兆円の分割支払に充てる。結果、造幣局は日銀に移って通貨管理が一元化し、国・地方の借金は400兆円ほどに減少する。もちろんインフレの懸念もない。三方丸く収まると思うのだが如何だろうか。
日銀の通貨発行益について(3)
デフレ・ギャップについて(日銀の通貨発行益に関する質問より)
・・・現在はデフレ気味であるとして、一般的な事を云うなら、デフレもインフレも事実上の損得はありません。何故ならインフレになって物価が上がり、売上げが上がったからといって、半年~1年もすれば経費も上がり、いずれは給料も上がりますから相対的な利益は変わりません。
一方、デフレになって物価が下がり、売上が減っても、いずれ経費や給料も下がるので相対的な利益は同じとなります。
ここで困るのは、インフレ時に借りた借金をデフレ時に返す場合です。デフレで売上が下がったのに借り入れ返済は元の金額のまま、という訳で、この負担が大きいために、多少、インフレ気味の方が利息を含めた借入返済が楽であり、経済的にも好ましいとされます。
そうすると経済運営としては、「悪性のインフレは慎重に避けながら、金利程度のインフレにする(⇒調整インフレ)」というのが最も好まれる金融政策となります。
このことを知ると、最近の金融政策での大きな誤りは、1986年から始まったバブル経済です。1985年、中曽根内閣は、アメリカからの「内需拡大」の要請に答えるべく、前日銀総裁の前川春雄氏に指示して「前川レポート」を書かせました。
これは「規制緩和し、通貨供給を増やして内需拡大すべし」とするもので、1986年末から1991年2月の間、バブル経済がもたらされました。この間のマネーサプライは前年比10%以上の増加を示し、人々はバブルに踊りました。
上昇したのは株(日経ダウで3万8千円超)と土地で、そのバブル時に借り入れた借金がバブル崩壊後も重荷となって、後の「失われた10年、不良債権問題」につながります。
合わせて経済が縮小傾向となったのは、同じ時期に大企業の中国やベトナムへの進出により、国内の仕事や雇用が失われためです(産業の空洞化)。
一方、バブル経済時から、土地や株は上がっても消費者物価は上がりませんでした。これは、すでに中国などからの安い産品が国内に出回っており、これが消費者物価を抑えていたためと言えます。
さらに1990年代後半には、橋本内閣のもと、金融ビッグバンが実施され、個人が制限なく外貨預金をできるようになりました。これらの政策により、金持ちの多くは余剰資金を海外で運用することになり、通貨供給が増えても国内消費には向かわず、インフレも起きないという「流動性の罠」と呼ばれる現象が起きていると思われます。
以上の点から、次の結論が導き出せます。
⑴ 通貨管理は政府か日銀かのいずれかに一元化すること、金融の歴史を知れば政府に通貨発行権を認めず、日銀に一元化するのが妥当である。
一元化に当たって、今の国・地方の借金約800兆円が国民意識に重くのしかかっているため、造幣局の資産を通貨発行権付きで400兆円で日銀が購入するよう提案する。支払いはインフレにならぬよう手持ち国債と買いオペの対象とした国債に限り、30年分割にすればよい。
⑵ 金利程度の調整インフレは良いが、それを超えるインフレは実物経済の裏付けのないバブルなり、バブルはいずれ弾けて、後遺症の回復に10年以上を要する。現在のデフレ・ギャップ(不景気感)は、企業の海外進出による売上げ減や雇用減少など、金融政策以外の理由で起きているのであるから、それらを認識した政策が必要である。
⑶ 無制限に外貨預金を認める現在の政策では、低金利下、金融政策がしり抜けになる可能性が大きい。株式市場も含めて金融を外資に頼れば、日本の国益を著しく害することにもなるから、いずれの面からも金融ビッグバンの見直しを考えるべきである。
⑷日本の企業の多くが海外に工場移転している状況では、伝統的なケインズ政策は通用しない。たとえば、国民全員に40万円ずつ定額給付金を配ったとしても、ある者はアップルや東芝、ソニー(いずれも台湾にて製造)のパソコンを買い、ある者はユニクロや青山(いずれも中国で生産)で洋服を買い、ある者は豪ドルで預金する。
結果、GⅮΡの押し上げ効果はあったとしても、日本人の雇用や消費に貢献する部分は、3~4割が良いところである。それらの製品は台湾や中国でつくられているからである。
日本の税金で中国や台湾の雇用や消費力がアップし、それらの国に法人税や所得税が納められるのが大半であるから、経済政策として費用対効果を考えれば、単純なケインズ的政策はもはや効果が薄いと言える。
日本は1992年からの10年間に総額130兆円近くの経済対策を行った。それ以外にもアメリカに言われて(日米構造協議)、91年度からの13年間で630兆円の公共投資を行っている。これらはすべてケインズ流の財政出動として、本来なら景気浮揚効果を持つはずであったが、土木・建設業界の延命と財政赤字の拡大効果しかなかったのは、こうした理由による。
⑸では、どうすれば良いかというと、経済政策として、雇用の維持とセーフティ・ネットの充実に全力を挙げる。そのことが国内消費の下支えとなるからで、デフレ・スパイラルに陥る危険性を回避する重要な政策である。
合わせて、太陽光発電や電気自動車、自家発電装置、高性能蓄電池、高度医療技術などの未来産業に積極的に投資することである。
不景気の時こそ、ピンチをチャンスにして、これまでの産業構造を洗い直し、将来の役立つ産業への転換を図る。それが日本経済を根底から強くするのであって、定額給付金のようにバラマキ型の対策は、費用対効果の点からも意味が薄く、国の借金を増やすだけの愚策であると言わざるを得ない。
日銀の通貨発行益について(2)
政府紙幣発行論===日銀の通貨発行益に対する質問より(2)
日銀の通貨発行益の処理に関連して、「政府紙幣発行論」についても述べておきます。
最近盛んな政府紙幣発行論は、「政府は法律上、いくらでも通貨を発行できるのだ」という解釈のもと、現在は、生産能力に比べて需要が落ち込んでいるデフレ・ギャップ状態だから、景気対策として財政出動が必要だ、その財源として政府通貨を発行すれば、国債と違って借金ではないから良い―というものです。
この考えは「赤字国債をもっと大量に発行して景気対策に充てろ!」という主張よりは、借金を増やさない分、堅実ではありますが、通貨発行はどこが責任をもって管理すべきかが不明な点、また、インフレの懸念が大きい点で問題があると言えます。
先ず、主張のように法解釈として政府貨幣が制限なくできるとして、日銀と政府のいずれが通貨供給について最終責任を持つのかを明らかにする必要があります。
この点につき日銀が通貨供給につき責任を持つべしというのが、現代経済学の到達した水準です。
なぜかというと、政治は絶えず、財政の肥大化の傾向に走りがちです。現在でも財政規律の観点から、財政法4条に「歳入欠陥が生じた時には建設国債を除いて、国債や借入金でまかなってはいけない」という規定があるのに、政府は法律を無視して赤字国債を垂れ流してきました。
もちろん最初は、財政規律を逸脱して法律違反を犯すことに抵抗感はあったのですが、最近は法律違反であることさえ忘れたかのようです。
過去の歴史を見ても日本政府は、通貨の発行権を強力に行使した結果、ハイパーインフレを起こしています。
先の第2次大戦後の「新円切り替え」ですが、3年半で100倍、10年間で300倍にも達した物価上昇は、別に戦時経済で物資が不足したから、という理由だけではありません。
政府は新円切り替えと同時に、郵便貯金の10年間払戻し拒否を実施し、かつ、金額も3分の1をカットしています。
物資不足だけなら預金封鎖の必要など無いのに、こうした手段をとったのは過剰な通貨を吸収するための措置でした。
この過剰な通貨は、戦争遂行に当たって大幅に拡大した国家財政と、政府通貨(軍票)の発行が原因であったと言えましょう。
政府は植民地だった朝鮮半島と満州などで、国内通貨とは違う政府通貨(軍票)を発行しましたが、横浜正金銀行(旧東京銀行)を通じて、国内通貨への両替を公に認めて来ました。
この政府通貨の過剰発行と物資不足が重なって戦後のハイパーインフレになったと思われます。
なお、戦後の賠償金支払いはサンフランシスコ講和条約以降の1955年からですから、ハイパーインフレの時期(1946年に預金封鎖)とは全く関係がありません。
ちなみにアメリカでも政府通貨(軍票)は、1980年近くまで軍人の給与支払いなど、軍隊内部で使われてきました(1991年からプリペイドカードに
変更)。
しかし、これを米ドルと交換することは一切せず、マネーサプライの徹底管理をしてきたためにインフレとはならず、よってドルの基軸通貨としての信用を維持してきたのは知っておくべき知識です。
もし、FRBが日本のように政府通貨(軍票)の自国通貨との交換に無条件に応じていたら、インフレでドルの価値は大幅に下がり、基軸通貨としての地位を早くに失っていたでしょう。
日本は、日露戦争の時も国家破産寸前までいっています。
高橋是清は日露戦争を戦うための戦費を、外債を発行してイギリスの銀行家やユダヤ人ヤコブ・シフ(クーン・ローブ商会頭取)から資金調達します。
戦争に勝ったから良いものの、彼らはロシアが戦争で負ければ良し、仮に日本が負ければ、債権取り立て名目で日本を植民地にするつもりだったと言います。
こうした過去の歴史に鑑み、通貨の発行権を政府が持つべきではなく、日銀に一元化すべきだ、というのが私の考えです。
「経済学が発達した現代に、そんな古い歴史は必要ない」というのは危険です。何故なら政府・財務省は、「外国に資金を頼れば、通貨価値下落時には膨大な負債となる」という高橋是清以来の教訓を忘れて、日本国債をアラブ産油国の政府ファンドなどに売ろうとしています。
彼ら財務官僚は歴史の教訓だけではなく、ごく最近(2008年末)のアイスランド破産の事例にさえ学んでいないと言えます。
アイスランドは銀行だけでなく、国民の多くが外国(特に低利の日本)から借金をして、通貨価値暴落で借金が倍増しました。日本の円が強いからと言って、5年後、10年後も同じ状態が続くと考えるのは、金融史を知らない財務官僚の、楽天的に過ぎる行動だといえます。
日銀の通貨発行益について
日銀の通貨発行益について
「日銀は、財務省・造幣局を通貨発行権付きで400兆円で買うべし!」
という、私の前回のメルマガにつき、何人かからコメント乃至質問を受けました。質問は多岐に渡るため、答えやすいものから答えていきます。
⑴ 日銀券は日銀にとって借用証書であり、債権者は日銀券を保有している人である。それゆえ日銀が発行券残高を負債に載せるのは妥当ではないか?」
・・・・・日銀が、製造原価20円の1万円札で9980円の利益を得ながら通貨発行収入を計上せず、負債の部に計上しているのは法人税逃れであることは間違いありません。民間企業でこんなことをやったら「売上隠し」で、罰金ものです。
「負債」であるという論者は、「日銀券は日銀にとっては借用証書。債権者は日銀券を保有している人」と言いますが、では、その債権者への支払期限はいつで、支払の呈示があったら、日銀は何をもって支払いますか?
日銀券は、「支払手形のような、いずれ満期が来て支払い義務のある負債」とは明らかに違います。
「負債」とは、法律的な支払義務のある債務に限り、それ以外は備忘記録として「貸方」に載せているだけです。日銀発行券残高は後者に当たります。
ちなみに、日銀は、通貨発行益を売上計上しないことにつき、「将来、電子マネーの普及などで日銀券発行残高が減少する可能性を考慮して、保守的な会計を行っている」との主張のようですが、創立以来126年間、1度も売上計上しないのは保守主義の枠を外れています。
政府貨幣もかっては、発行額の100%を準備金として積み立て、内部に利益をため込んでいましたが、1982年からは、回収リスクとして5%の準備金を積み立てるだけにしています。原則として日銀もこれに習えば良いでしょう。
⑵「国債所有者が市中銀行から日銀に移っただけでは、国債の償却にはならないのでは?」
・・・・もちろんなりません。私が述べたのは、「通貨発行権つきで造幣局を日銀が400兆円(金額は少し、落とさせて頂きます)で買い取る。その対価として、手持ちの国債65兆円、残り335兆円は、インフレにならないよう注意しながら、買いオぺの対象を当分、国債に限り、買い取った国債で約30年分割で政府に支払う」という意味です。
買い取った国債を(すぐに対価なしで)政府に渡すわけですから、国債償却になります。
⑶ 日銀が市中にお金を流す方法として、企業の社債やCP(コマーシャルペーパー)を直接購入するのではなく、市中銀行の持つ国債を優先的に買いオペの対象とする。そして取得した国債を造幣局の買い取り資金に充てる。市中銀行は、国債の売却代金を企業の社債やCP購入に充てるよう指導する。
・・・私の言っていることに矛盾は無いと思います。
なお、米国債は金利が高いですが、日本の国債は低金利ですので、銀行も国債の売却代金で企業の社債やCPを買う、というので良いと思います。問題は、日銀は企業金融に直接乗り出すな、市中銀行を通じて行え、という点が重要です。