半径3メートルから宇宙の果てまで -12ページ目

山道具の話

登山に持っていく、いわゆる山道具はけっこう金がかかる。冬山テント泊の装備をゼロから買いそろえようとしたら、ざっと20万近い金がかかってしまった。

・冬用シュラフ/35000円
・冬用ブーツ/49000円
・12本爪アイゼン/17000円
・70リットルザック/26000円
・エアマット/10000円

デカ物だけで137,000円。
必要なものだとこれ以外に防寒関連のアイテムが出てくる。これがまた山用と銘打ったものは高いのだ。同じようなものが釣具屋だと一桁安いものがあったりする。たしかに釣りは登山のようなサバイバル要素はないのでそこまでの機能を保証されてないってのもあるかもしれないが、つくづく登山というのは貧乏人の道楽じゃないなと実感する。

事実、山岳会に入って思ったのは、いわゆる世間的に言うエリートが多いことだった。行政機関、教育機関、医療機関、外資系の勤め人など、ちょっと引くような人も少なくない。さすがにいろいろ教わるときも要点を絞り、無駄がない。山行ごとのレポートを読んでもしっかりした文章ばかりだし、なるほど山屋は実社会でも十分に戦える人たちばかりなのだ。すごいもんだな。
ただしそういった彼らは皆、定年するかしないかの年齢で、40代以下はみな転職したり仕事が減って休みばかりだったりと、お世辞にも裕福とは言えないようで、社会の縮図だなあとしみじみ思った。

道具ってのは何でもそうなんだけど、使ってみると工夫する余地が生まれ、自分なりの使い方というのを考えるようになる。たとえば、人によって個性が出るのが行動食だったり救急装備の内容だったりする。例えばオレの場合、行動食に入れているのは・・・

・カロリーメイト
・飴
・キャラメル
・板チョコ(明治ミルクチョコレート限定)
・魚肉ソーセージ

パンなどはあまり持たない。SOYJOYが好きじゃないこと、歩きながら食べられるもの、ソーセージ最強説に則り、現在に至っている。その手の本にあるとおり、チョコレートは疲労した時に囓ると、ぱっと目が覚めるように元気になるが、持続しない。一方ソーセージは腹にもグッと貯まるし、パワーが沸いてくる気がする。山頂でザックを下ろしてナイフで切り裂きながらかぶりつくソーセージは格別。

救急装備(ピンチパック)入ってるものは、

・三角巾(大)2
・滅菌ガーゼ2~3
・絆創膏(いろんなサイズ形)
・火傷用軟膏
・抗生物質
・消毒
・ポリグローブ
・サバイバルシート

くらい。幸いまだこれらのお世話になったことはないですが、いざとなったら滅菌ガーゼ2,3枚なんてへの突っ張りにもならんだろうなと思ってたりもする。

直接登山には関係ない道具などにもいろいろと思うことが出てくる。例えばナイフの使い勝手は思った以上に大きい。歩き疲れて休憩中に行動食を採る時に、ソーセージのようなねじり止めたものはいちいち綺麗に開けようとかいう気力すらないことがほとんどなので、包みの上からナイフでザッと切り開いてしまう。それでいい。だからあまりでかいナイフはかえって使いにくいことこの上ないと思う。バカでかいナイフで安心できるのは、やむを得ず熊と格闘せねばならないとか、野犬に囲まれるとか言ったときくらいだろう。

道具は本来は単一機能が一番使いやすいと思っている。ナイフは純粋にナイフであることが一番だと思うのだが、実際使っているのはビクトリノックスの多機能ナイフだったりする。ハントマンライトという型だ。一応ついてます的なLEDライトが付いている。ブレードはほとんど場合、小さい方を使っている。ナイフ的な道具を使用する際に一番気になるのは握り心地だ。握ってぐっと力を込めて使えるものなら、別に多機能でもいい。ビクトリノックスが握りやすいとは言わないが、機能と実用のバーターだろう。

もう一つ気になっている道具がある。カメラだ。山行にはいつも携帯しているが、愛機のパナソニックのLX3、カメラとしては十分なんだけど、あのレンズキャップはやっぱりうっとおしくて仕方ない。場合によっちゃ両手を取られることになって危ないことこの上ない。小さくて写りがよくて出し入れなどの取り回しが楽なこと。でもって今使ってるヤツよりもスペック的に劣らない、となるとcanonのS90くらいしかないのか。リコーのCX2もダイナックダブルレンジショット(なんちゃってHDR)やミニチュアライザー(なんちゃって本条直季)とか、面白そう。安いし。

でもって調子にのって買っちゃうと、ヨメに怒られるので、ここで書くだけっていうシステムです。

初めての雪山テント泊〜八ヶ岳連峰・権現岳

山岳会に入り、やっとこ雪山デビューです。

朝5時過ぎに起床して、身支度をして、ヨメに見送られて出発。JR高尾駅を経由して中央本線で小淵沢へついたのが9時。小淵沢までいく乗客はほとんどおらず、快適なボックスシートでの電車の旅だった。
駅で山岳会事務局で予めお願いしていたピッケルを借り受け、タクシー3台に分譲して標高約1,500mの観音平へ。さすがにじっとしていると肌寒い。登山目的ではない観光客の車が2,3台駐まっていた。

準備を済ませて登山開始したのが9時50分。広々とした遊歩道を抜けると次第に勾配が強くなってくる。何しろ初めて15kgものザックを背負い、初めて履く冬用ブーツも足に慣れておらず、すぐに息が上がってきた。それでも何とか疲れないような体の使い方を考えながら一歩一歩登っていく。チーム登山の辛いのは自分のペースじゃないところ。リーダーの指示で進んでゆく。

登り初めて40分頃、急激に気分が悪くなってきてしまい、登りの途中で休憩をお願いするハメに。自分だけ異様に汗をかいて息が上がっている。皆さんすみません~ 数分の休憩で何とか回復して再スタート。
ポイントの雲海で休憩を一本とり、ソーセージ半分と板チョコ2欠片を補給。リーダーがオレの分の共同装備を別の人にもってもらい重量を下げるよう指示を出た。2kgもないものだったが、かなり楽になり、登りのペースに体が慣れてきたせいもあって、その後は問題なく歩くことができた。ちょっと情けないなと思いつつも無理はあとあと余計に迷惑がかかると思って甘んじた。というかリーダーの指示には従うべし、だし。

ポイント押手川を過ぎたあたりから雪が登山道にまで積もっており、途中でオーバーパンツとスパッツ着用の指示が出る。青年小屋テント場到着直前で、もう一人の新人が顔面蒼白になり完全に停止してしまった。目的地まであと一息ということで、チームの半分は先行してテント場の確保へ。
14時20分頃、全員がテント場到着。踏み跡皆無のふわふわの雪が一面に積もっていた。

すぐさま幕営開始。雪をならして5・6人用のアライエクスペンションドームと、エスパースの5人用を2張。荷物をテントにしまい、早速アイゼンとハーネスを装着し、雪中訓練開始。
15時45分、ピッケルでの滑落停止、確保、救助待機の実践。ロープによるルート確保からのセルフビレイ。日が暮れて急に冷え込んできて、全員が震えだしていた。

急いでテントに戻り、夕食の準備。テント内で冬用ブーツを履いての行動は本当にストレスで、初めての雪山に体が慣れてないのとアイゼン歩行などに脚の筋がいつ攣ってもおかしくない感じ。実際変な体制になると太ももの付け根が攣っていた。痛い。テントシューズは必須と言ってもいいかもしれない。
必須個人装備にはなかったが、どこかでコーヒーでも沸かして飲めるタイミングがあればと思いストーブを持っていた(実際はそんなタイミングは皆無)ので、2口体制で6人分の食事を作る。食事当番の女性からこういう時の食事についていろいろ教わる。ペミカンって言うのな。

食事のあと、11名全員がテント内に車座になり、初めて同士の自己紹介を含めた酒盛り。たまたまなのに梅酒率高い。テント内、軽く酸欠状態に。

用足しに外へ出ると夜空は満点の星空。天の川がこんなに明るいなんて・・・しばし感動。ピッケルにつるしていた気温計をみたらマイナス10度、表面に氷がこびりついていた。この気温が「全てが凍る世界」の入り口なんだろうな。

21時、就寝。

2日目、4時起床。薄曇。夜中2度目が覚めるも疲れは取れた。
起き抜けにシュラフをたたみ、速攻で湯を沸かす。軍隊みたいでしょと20代の先輩。その通りです。
食事を終えてコーヒーを飲んでいると隣のベテラン組のテントはすでに身支度を終えてテントを出ていた。さすがに要領がいい。

6時、山頂へ向けて出発。青年小屋に泊まっていた別チームはすでにアイゼンを履いて登っていった。たぶん縦走組だろう。
ポイントのろし場を過ぎたあたりでアイゼン・ハーネス装着、鎖場でのビレイの実践をしながら90分のルートタイムを倍の時間をかけて権現岳登頂。氷点下の風がとても心地よい。

今回の山行の最大のミスが、雪山にハイドレーションのみで来てしまったこと。これは単独登山だったら大変だった。ザックから伸びた給水チューブは完全に凍り付き、吸っても吹いても一滴も出てこない。生存に関わるミスで我ながら愚かなミスだった。ちゃんとしたテルモス買おうと決心。

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山頂でツエルトビバークの方法を学ぶ。風を巻き込まないって本当に大変。
雪の塊を使ってロープを縛る方法など、なるほどと思える知恵があちこちにあった。

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12時45分、青年小屋に戻り、テントをたたんで下山準備。最後に大鍋で黒糖を溶かしたコーヒーを皆で飲む。たぶん山の中で疲れてるから飲めるんだなという味。

下りは超ハイペース。山のエキスパートたちはこの下りのスピードが凄い。ベテランたちも下りについて行けなくなったら引退だと言っていた。一方自分も山岳会なんぞに入ってついて行けるようになったんだなあと、ちょっと感激していた。

押手川で携帯が一時的につながり、15時半に観音平にタクシーを呼んだ。あと一時間で下山できるか? 雪もなくなり、汗だく。オーバーパンツもスパッツも、インナー一枚も全部外して逆に止まってたら寒いくらいになる。そしてこのあたりまで下りてきたら凍ったハイドレーションがとけ始め、ザックから自分の水が飲めるようになっていた。とけたての冷たい水がとても美味い! 生き返った。

雲海で5分の小休止。板チョコ3欠片補給してラストスパート。ますますスピードアップ、早い早い! 数回よろけながらもなんとかついて行く。

15時20分、観音平に到着。体ほかほか。タクシーのシートがとても気持ちよく感じられる。
16時20分小淵沢発の電車で酒盛りしながら帰京。電車にステッキ忘れるおまけ付き。

兵ともが夢のあと3〜角館・盛岡

三日目、雨。

朝から秋田・角館へ向かう。金沢の武家屋敷はぎゅっとつまった住宅街って感じだったが、ここ角館の武家屋敷は広々として、趣いっぱいな感じ。なんせ角館の武家屋敷は実際にまだ子孫が普通に暮らしてるんだからすごい。青柳家や石黒家という主立ったところを見るが、さすがは武家、武器倉ってのが充実している。刀剣甲冑いっぱい。

角館・武家屋敷

角館・濡れ紅葉

角館・武家屋敷

冷たい雨に昼食は蕎麦に決定。

角館・武家そば

帰り際に食べた「ぬれおかき」という串に刺さったおかきがやけに美味かった。200円。
何もない山の中を走り、杜氏資料館に寄るも、酒を買って帰る気力が沸かずに資料館を眺めて盛岡へ向かう。

夕暮れ直前に盛岡到着。
車を公営駐車場に駐めてプチ散策。裁判所の石割桜を見て、盛岡の写真には必ず出てくる岩手銀行の建物を見る。

盛岡・石割桜

岩手銀行中ノ橋支店

車に戻るころには日が暮れ、車を返す時間になった。

盛岡・中津川

盛岡駅前は十分に都会。というかこれくらいの規模の都市が一番住みやすいんだろうなと思いながら新幹線に乗った。

2泊3日という贅沢な東北旅行はプログラムいっぱいでとても楽しい旅だった。
今度来るときは天気がよいといいのだけれど。

兵どもが夢のあと2〜花巻

二日目、7時起床。曇。
朝10時までめいっぱいだらだらして出発。

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高村光太郎山荘を訪れる。どこかで見たことのある風景だと思うのは、きっと教科書か何かで見たことがあるからだろう。

高村光太郎山荘入り口

高村光太郎というのは木彫【老猿】を作った明治彫刻界の雄・高村光雲の息子だ。もっと身近なところだと上野の西郷さん像を造った人だ。手の彫刻などは美術の教科書にも載っている有名人で、オレはナマズや柘榴という木彫の作品を見て、光雲という人は天才なんだと思ったことがある(西郷さんを除く)。

その光雲の息子・光太郎が実際に暮らしていたという山荘、ちょっと信じがたいほどにボロい。いったい冬には何度になっていたのかと思うと、マイナス20度と説明書きにあった。だからといってたいした防寒をしているふうでもない、風の直撃を受けないで済む程度のボロ屋だった。いわゆる清貧ですかこれ。オレは無理。まだテントの方が暖かいんじゃなかろうか。

高村光太郎山荘

高村光太郎山荘

高村光太郎山荘


資料館を覗く。高村光太郎はここで暮らした7年間、しっかりと地域に関わって生きていたようだ。大正時代の矍鑠たる御仁ということか。現代にこういう生き方をしてなお大業を為す人物というのはもういなんじゃないかという気がする。

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車で移動し、賢治が散歩していたというイギリス海岸(北上川)を散策。どうせ普通の川縁だろうくらいに思っていたが、蕩々と流れる姿(北上川)はなかなかだった。

花巻・イギリス海岸

花巻の観光というと、宮沢賢治を表としたら、裏に新渡戸稲造がいる。新渡戸記念館は新渡戸家としての記念館だが、とてもわかり易く展示された良い資料館だった。いつも思うのだが、昔の人がやけに簡単そうに「アメリカに留学した」的な学歴がさらりと書いてあるのを読むと、むかしの勉強は簡単だったんじゃないかという気がしてしまう。今ほど外国との接点が濃厚でない時代に留学に出るなんてとんでもなくすごいことだと頭では分かっていても、あっさり「現在の東京大学を卒業」みたいな肩書きがあると、当時の東大は今の高校くらいの勉強してたんじゃないかとか、そんなふうに思ってしまう。ミスター武士道・五千円・新渡戸稲造という人もまさにそんな感じの人だった。資料館は小さいけど良質という意味では、網走の北方民族博物館に通じるものがあった。

続いて宮沢賢治記念館へ。花巻の観光ルートになっているようで、大きな観光バスがたくさん停まっていた。この中でどれくらいの人が宮沢賢治を読んでるんだろなと意地悪なことを考えつつ、注文の多い料理店・山猫軒で昼食。白金豚のカツカレー。

記念館は賢治の世界観を再現する形だったが、なんというか、鉱物標本が並べてあったり、プラネタリウムに見立てた天球型の星座図(ペイント)があったりと、雰囲気先行の微妙な内容。文学者の資料館となると、その作家の内面的な世界観などになるのでこういうことになってしまうのだろうか。旭川の三浦綾子記念文学館は硬派で良い展示だったが、ここは観光スポット的なものだと思った方がいいかも。メルヘンチックなイメージでとらえられる宮沢賢治だからこそ純粋な作家像を追っかけたら面白さが増すと思うんだがな。新渡戸記念館に比べればちょっとミーハーな感じ。

宮沢賢治記念館からの眺め
↑宮沢賢治記念館からの眺め

花巻市内へ。ヨメが雑誌で見て食べたいと言っていた、10段とぐろのソフトクリームを食べに、市街地にあるマルカンデパートというダイエーみたいなところへ。
そこの最上階の展望レストランにそのソフトクリームはあった。190円。安!

二日目の宿・鶯宿温泉へ向けて移動開始。
雨が降り出し、18時過ぎに鶯宿温泉・長栄館に到着。ずいぶんと広い旅館でロビーのソファ群の居心地がとても良い。
温泉は昨日の愛隣館に比べれば地味だが十分に広い。夕食のまかないさんも、足と頭のマッサージを頼んだ女性もとても美人だった。東京で勉強して岩手でエステティシャンになったという彼女と話が弾み、90分という長時間も揉んでもらった。オレっていいカモだな。

雪国の女性は美人が育つって本当だった。

ぐったりして寝酒飲んで就寝。

つづく・・・

兵どもが夢のあと1〜平泉

一度行ってみたかった、奥州平泉へ旅をした。福島以北のいわゆる〝東北〟へ行くのは初めてだ。今回は登山は一切関係なく、出産が近くなってきたヨメのための旅行でもある。

新幹線で一路、一ノ関へ。駅前のレンタカーで例のごとく車を借り、厳美渓~毛越寺~中尊寺
~花巻温泉とまわる予定を立てた。厳美渓に着いた頃にはすでにひんやりと冷え込み始めていた。盥に400円を入れ、板をたたくと川向こうの団子屋がその盥を引き寄せて、だんごとお茶をスルスルと送ってよこすというのが名物で、オレたちの後に京都から来た観光バスの一団がひっきりなしに盥を行き来させていた。

ぐるりと厳美渓を一周し、さっさと毛越寺へ向かう。
その途中、達谷窟(たっこくのいわや)へ寄る。岩壁の傾斜に合わせて切った壁板がなかなかすごい。ほんとうに岩壁に寄せて建っているのな。ここはマイナーなのか観光バスはスピードを緩めて車窓から眺めて通りすぎるだけ。厳美渓は見るけどここは見ないという判断基準はどんなもんだろう。ああ、あっちは無料だからか。

達谷窟

達谷窟

そこから毛越寺まではすぐ。14時前についたが、太陽はもう夕焼けに近い色だった。
1,200年前にここに十万人以上が暮らしていたとは、今ではもう考えられない土地だが、ほとんどが礎石くらいになってしまった伽藍に夢を馳せてみたりする。当時の平泉なんて今よりうんと寒かったろうに。

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毛越寺から中尊寺はすぐ。あまりに腹が減ったので、中尊寺駐車場に面したうどん屋でうどんを食べる。
月見坂を登っていくとだんだん冷え込んできた。途中の坂から平泉の平野を見下ろすと、かつてはぎっしりと家並みが並ぶ街だったのが、田畑の風景になっている。国破れて山河ありとはまことにこのことだな。

中尊寺

中尊寺・嶺薬師堂参道

讃衝蔵を拝観。平泉の歴史って、結局は藤原という豪族の三代の歴史なんだよね。1200年前にたった100年で滅びた幻のような都が、ここ平泉。

中尊寺

金色堂はマジ金色堂。金箔貼り散らかしたお堂は過去の権勢もここまでだったのかと実感させてくれるに十分。金が取れるのはわかるけど、取れたからってここまでやるかと、現代の感覚でいうとちょっと呆れるほどだ。秀吉の茶室にしろ、ここにしろすごいもんだなね。権力者ってのは。

金色堂を覆う、覆い堂を見た後、山を下りて黄昏時の無量光院跡で夕日を眺める。美しい。

平泉・無量光院跡

日暮れの瞬間、柳の御所跡を少し見てから高速にのり、本日の宿である花巻温泉へ車を飛ばす。

泊まったのは新鉛温泉・愛隣館。花巻南ICから小一時間くらい、豊沢川の一番奥にあるでかい旅館。信楽焼の釜風呂が最高でした。

つづく・・・