兵どもが夢のあと2〜花巻
二日目、7時起床。曇。
朝10時までめいっぱいだらだらして出発。

高村光太郎山荘を訪れる。どこかで見たことのある風景だと思うのは、きっと教科書か何かで見たことがあるからだろう。

高村光太郎というのは木彫【老猿】を作った明治彫刻界の雄・高村光雲の息子だ。もっと身近なところだと上野の西郷さん像を造った人だ。手の彫刻などは美術の教科書にも載っている有名人で、オレはナマズや柘榴という木彫の作品を見て、光雲という人は天才なんだと思ったことがある(西郷さんを除く)。
その光雲の息子・光太郎が実際に暮らしていたという山荘、ちょっと信じがたいほどにボロい。いったい冬には何度になっていたのかと思うと、マイナス20度と説明書きにあった。だからといってたいした防寒をしているふうでもない、風の直撃を受けないで済む程度のボロ屋だった。いわゆる清貧ですかこれ。オレは無理。まだテントの方が暖かいんじゃなかろうか。



資料館を覗く。高村光太郎はここで暮らした7年間、しっかりと地域に関わって生きていたようだ。大正時代の矍鑠たる御仁ということか。現代にこういう生き方をしてなお大業を為す人物というのはもういなんじゃないかという気がする。

車で移動し、賢治が散歩していたというイギリス海岸(北上川)を散策。どうせ普通の川縁だろうくらいに思っていたが、蕩々と流れる姿(北上川)はなかなかだった。

花巻の観光というと、宮沢賢治を表としたら、裏に新渡戸稲造がいる。新渡戸記念館は新渡戸家としての記念館だが、とてもわかり易く展示された良い資料館だった。いつも思うのだが、昔の人がやけに簡単そうに「アメリカに留学した」的な学歴がさらりと書いてあるのを読むと、むかしの勉強は簡単だったんじゃないかという気がしてしまう。今ほど外国との接点が濃厚でない時代に留学に出るなんてとんでもなくすごいことだと頭では分かっていても、あっさり「現在の東京大学を卒業」みたいな肩書きがあると、当時の東大は今の高校くらいの勉強してたんじゃないかとか、そんなふうに思ってしまう。ミスター武士道・五千円・新渡戸稲造という人もまさにそんな感じの人だった。資料館は小さいけど良質という意味では、網走の北方民族博物館に通じるものがあった。
続いて宮沢賢治記念館へ。花巻の観光ルートになっているようで、大きな観光バスがたくさん停まっていた。この中でどれくらいの人が宮沢賢治を読んでるんだろなと意地悪なことを考えつつ、注文の多い料理店・山猫軒で昼食。白金豚のカツカレー。
記念館は賢治の世界観を再現する形だったが、なんというか、鉱物標本が並べてあったり、プラネタリウムに見立てた天球型の星座図(ペイント)があったりと、雰囲気先行の微妙な内容。文学者の資料館となると、その作家の内面的な世界観などになるのでこういうことになってしまうのだろうか。旭川の三浦綾子記念文学館は硬派で良い展示だったが、ここは観光スポット的なものだと思った方がいいかも。メルヘンチックなイメージでとらえられる宮沢賢治だからこそ純粋な作家像を追っかけたら面白さが増すと思うんだがな。新渡戸記念館に比べればちょっとミーハーな感じ。

↑宮沢賢治記念館からの眺め
花巻市内へ。ヨメが雑誌で見て食べたいと言っていた、10段とぐろのソフトクリームを食べに、市街地にあるマルカンデパートというダイエーみたいなところへ。
そこの最上階の展望レストランにそのソフトクリームはあった。190円。安!
二日目の宿・鶯宿温泉へ向けて移動開始。
雨が降り出し、18時過ぎに鶯宿温泉・長栄館に到着。ずいぶんと広い旅館でロビーのソファ群の居心地がとても良い。
温泉は昨日の愛隣館に比べれば地味だが十分に広い。夕食のまかないさんも、足と頭のマッサージを頼んだ女性もとても美人だった。東京で勉強して岩手でエステティシャンになったという彼女と話が弾み、90分という長時間も揉んでもらった。オレっていいカモだな。
雪国の女性は美人が育つって本当だった。
ぐったりして寝酒飲んで就寝。
つづく・・・
朝10時までめいっぱいだらだらして出発。

高村光太郎山荘を訪れる。どこかで見たことのある風景だと思うのは、きっと教科書か何かで見たことがあるからだろう。

高村光太郎というのは木彫【老猿】を作った明治彫刻界の雄・高村光雲の息子だ。もっと身近なところだと上野の西郷さん像を造った人だ。手の彫刻などは美術の教科書にも載っている有名人で、オレはナマズや柘榴という木彫の作品を見て、光雲という人は天才なんだと思ったことがある(西郷さんを除く)。
その光雲の息子・光太郎が実際に暮らしていたという山荘、ちょっと信じがたいほどにボロい。いったい冬には何度になっていたのかと思うと、マイナス20度と説明書きにあった。だからといってたいした防寒をしているふうでもない、風の直撃を受けないで済む程度のボロ屋だった。いわゆる清貧ですかこれ。オレは無理。まだテントの方が暖かいんじゃなかろうか。



資料館を覗く。高村光太郎はここで暮らした7年間、しっかりと地域に関わって生きていたようだ。大正時代の矍鑠たる御仁ということか。現代にこういう生き方をしてなお大業を為す人物というのはもういなんじゃないかという気がする。

車で移動し、賢治が散歩していたというイギリス海岸(北上川)を散策。どうせ普通の川縁だろうくらいに思っていたが、蕩々と流れる姿(北上川)はなかなかだった。

花巻の観光というと、宮沢賢治を表としたら、裏に新渡戸稲造がいる。新渡戸記念館は新渡戸家としての記念館だが、とてもわかり易く展示された良い資料館だった。いつも思うのだが、昔の人がやけに簡単そうに「アメリカに留学した」的な学歴がさらりと書いてあるのを読むと、むかしの勉強は簡単だったんじゃないかという気がしてしまう。今ほど外国との接点が濃厚でない時代に留学に出るなんてとんでもなくすごいことだと頭では分かっていても、あっさり「現在の東京大学を卒業」みたいな肩書きがあると、当時の東大は今の高校くらいの勉強してたんじゃないかとか、そんなふうに思ってしまう。ミスター武士道・五千円・新渡戸稲造という人もまさにそんな感じの人だった。資料館は小さいけど良質という意味では、網走の北方民族博物館に通じるものがあった。
続いて宮沢賢治記念館へ。花巻の観光ルートになっているようで、大きな観光バスがたくさん停まっていた。この中でどれくらいの人が宮沢賢治を読んでるんだろなと意地悪なことを考えつつ、注文の多い料理店・山猫軒で昼食。白金豚のカツカレー。
記念館は賢治の世界観を再現する形だったが、なんというか、鉱物標本が並べてあったり、プラネタリウムに見立てた天球型の星座図(ペイント)があったりと、雰囲気先行の微妙な内容。文学者の資料館となると、その作家の内面的な世界観などになるのでこういうことになってしまうのだろうか。旭川の三浦綾子記念文学館は硬派で良い展示だったが、ここは観光スポット的なものだと思った方がいいかも。メルヘンチックなイメージでとらえられる宮沢賢治だからこそ純粋な作家像を追っかけたら面白さが増すと思うんだがな。新渡戸記念館に比べればちょっとミーハーな感じ。

↑宮沢賢治記念館からの眺め
花巻市内へ。ヨメが雑誌で見て食べたいと言っていた、10段とぐろのソフトクリームを食べに、市街地にあるマルカンデパートというダイエーみたいなところへ。
そこの最上階の展望レストランにそのソフトクリームはあった。190円。安!
二日目の宿・鶯宿温泉へ向けて移動開始。
雨が降り出し、18時過ぎに鶯宿温泉・長栄館に到着。ずいぶんと広い旅館でロビーのソファ群の居心地がとても良い。
温泉は昨日の愛隣館に比べれば地味だが十分に広い。夕食のまかないさんも、足と頭のマッサージを頼んだ女性もとても美人だった。東京で勉強して岩手でエステティシャンになったという彼女と話が弾み、90分という長時間も揉んでもらった。オレっていいカモだな。
雪国の女性は美人が育つって本当だった。
ぐったりして寝酒飲んで就寝。
つづく・・・