心理面接室O.C.WORK『過剰適応あるある。』ブログ -7ページ目

心理面接室O.C.WORK『過剰適応あるある。』ブログ

自分を押し殺し、周囲に合わせすぎて、苦しいあなた。『過剰適応』していませんか? 
『過剰適応』にまつわる困り感をわかちあい、
ゆるやかな緩和を目指すために、こころに役立つ情報を紹介するブログです。

♯「ミラーリング」されることに慣れていない

もし、この「ミラーリング」の機能が、

幼少期のなんらかの過程で、十分に行われていなかった、

与えられていなかった、受け取れていなかった場合、

どうなるでしょうか。

 

自分自身では、分類できない情動で、

心がいっぱいになってしまい、

さまざまな、弊害がでる可能性があります。

 

特に、「過剰適応」の傾向のある方は、幼少期から、

自分がミラーリングされるより、他者をミラーリングする

立場になっていた場合が多くあります。

 

両親の夫婦関係を保つため、あるいは、

不安定な親の気持ちを守るため、

親の理想、父母の気持ちを察し、応えようとしてきた

幼少期が過ごされた場合、

 

ミラーリングする立場〜相手の気持ちを察しようとする立場〜

に、なることは少なくないでしょう。

 

それにより、他者へのミラーリングに長けていても、

自分自身に必要なミラーリング機能が、

十分に働いていないことも考えられます。

 

●ミラーリングの機能を十分に与えられていない影響に、

(※1より抜粋し引用)

 

・自分自身の感情調整が苦手。

 

・無条件に愛されても良いという、基本的な自分への信頼感が弱い。

 

・自己評価がもろく、不安定で、疎外感を感じやすい。

 

・自分と他人、という自他境界の感覚が弱い。

 

・すべてを満たす100%がどこかにある、という気持ちが強い。

 

などが言われています。

 

 

●また、ミラーリング機能を与える立場になる影響として

(※1より抜粋し引用)

 

・自分の感情に気づきにくく、自分の気持ちを度外視

してまで、環境に合わせようとする。

 

・こういう自分のときだけ自分を認められる、という

条件付きの自己承認に陥る。

 

・共依存や、他者コントロールといった、関係性のなかの

嗜癖傾向に陥る。

 

・ああかな、こうかなといった、幅をもたせた思考が苦手で、

こうあるべきといった、厳しい「白黒思考」に陥りやすい。

 

などがあげられます。

 

 

心理面接室O.C.WORKでは、

自分の気持ちや存在を、殺してまで、いい人をしてしまう、

あるいは、ときに強迫的ともとれる、厳しい思考傾向、

他者との関係において、なぜ嗜癖性を帯びてまで、

過剰に適応しようとするか、

 

などに理解を示し、ともに考えてくれる他者の存在が、

「過剰適応」傾向の緩和に、必須と考えています。

 

そして、こころの根底を築く、

質の良いミラーリングを受け取れる関係。

この関係性を、心理面接で積み重ねることが、

メンタライゼーション力をうながし、心の苦痛を和らげる、

「過剰適応」傾向を緩和する、大切な要素と考えています。

 

 

「過剰適応」に苦しみ、ぐるぐる思考に歯止めをつけたい、あなた。

O.C.WORKで、一緒に、自分の心を、育てていきませんか?

 

参考 :

【ブログ】こころをつくる① メンタライゼーション

【ブログ】こころをつくる② ミラーリング

 

※(※1)参考文献:『メンタライゼーションでガイドする外傷的育ちの克服』(チェ・ヒョンイン著・星和書店出版)

 

今回は、「ミラーリング」について、お伝えします。

 

ブログ『こころを、つくる ① メンタライゼーション』も、

参考になさって下さい。

 

「メンタライゼーション」について、少し復習すると…。

 

「メンタライゼーション」は、
人が行動をとる背景には、何かしらの理由や意味があるだろう、

それって、どんな理由や意味があったんだろう…、

と考えてみたり、思いを巡らせてみたり、

気にかけておくこと、と言えるかもしれません。(※1)

 

前回と別の言い方をすると、「メンタライゼーション」は、

「心で心を思うこと(holding mind in mind)」。(※2)

 

自分の心で、相手の心を、思ったり。

自分の心で、自分の心を、思ったりすること。

 

「メンタライゼーション」に、決めつけや、絶対こう、

ということはありません。

…こうかな、ああかな…、と思いを巡らしながら

心を理解しようとすること、と言えるもしれません。

 

♯「ミラーリング」の仕組み

 

メンタライゼーション、メンタライズする能力を育てる背景に、

「ミラーリング(mirroring)」という、

こころを育てる仕組みがあります。

 

この言葉は、いろいろな業界で用いられているようです。

 

ここで用いる「ミラーリング」は、養育者と子どもとの関係や、

心の発達において、重要とされる考え方です。

 

例えば、赤ちゃんが、ぐずって、手足をバタバタさせ、

ワーンと泣き始めたとします。

 

それを見た養育者であるお母さんは、

「あらあら、泣いちゃったの。

 どうしたんだろうね。ヨシヨシ…。」

 

お母さんは、赤ちゃんに声をかけるとも、

自分の心にきいてみるとも、とれるような声を発したとします。

 

お母さんは、赤ちゃんをさすりながら、

赤ちゃんが苦痛な状態に、<①共鳴>しました。

 

そして、「おっぱいが欲しいのかな? 

それとも、おむつかな? お熱があるのかな?」

 

お母さんは、赤ちゃんのご機嫌が斜めになった理由を、

ああかな、こうかな? と考えます。

赤ちゃんに何が起こっているのか、<②省みています(リフレクト)>。

 

すると、おむつが濡れていたとします。

「あぁ、おむつが濡れていたんだね。気持ち悪かったね」

 

お母さんは、赤ちゃんが泣いていた理由がわかり、

それを、子どもに、返してあげます。

これが、ここで言う、こころをつくる仕組みの、

<③ミラーリング>です。

 

お母さんは、赤ちゃんの、おむつを交換してくれたとします。

赤ちゃんは、さっぱりしたおむつで、ニコニコ笑顔に戻りました。

 

すると、お母さんは、

「あぁ、気持ちいいね。おむつがキレイになって、さっぱりしたね」

と抱っこしながら、声をかけるかもしれません。

 

これも、①共鳴、②リフレクト、③ミラーリング、が行われています。

 

♯「ミラーリング」は、苦痛を和らげ、存在を確かにしてゆく

赤ちゃん自身は、いろいろなことがわかる存在ですが、

身体的な快・不快の感覚を中心に、

世界と関わっている段階があります。

 

赤ちゃんの、身体的な快・不快の世界は、

まだ、言葉の世界に至っていません。

自分の気持ちを、消化し、言葉の世界に分類していくことは、

多くの積み重ねが必要です。

 

人は、気持ちの通った言葉によって、苦痛が和らいだり、

自分の気持ちを理解し、符号化することによって、

不安や恐怖をある程度内在させ、自分という存在を

確立してゆくと考えられています。

 

ここで示した例では、子の未分化な情動を、

母が自分の心を通して推察し、まとまりのあるものにして、

鏡に映してあげるように、子どもに示してあげています。

 

お母さんの心に、ああかな、こうかな、といった、

赤ちゃんへの気持ちを推察していく心の積み重ねが

できることによって、また、赤ちゃんも、それを取り込んで、

自分が、おむつが濡れて気持ちが悪かったんだ、

ということを、理解できるようになっていくわけです。

 

ミラーリングの積み重ねによって、心は、

身体的な快・不快の世界から、より『精緻な心』へ

発展していきます。

 

これは、ミラーリングの一例です。

 

こうした、良質な映し返し・ミラーリングは、

大人にも、良質で健康的な自己愛を保っていくために、

必要な過程です。

 

そして、ミラーリングの体験には、

どうしても他者との関係が必要です。

 

あなたの心を、こうかな、ああかな、と省み、

『おもんぱかられる』こころの動きは、

大人の心の健康にも、とても重要な要素なのです。

 

自分がまだ、はっきりとわかっていない気持ちを、

ああかな、こうかなと、考えながら、話し合いながら、

映し返してくれる、良質な他者が、こころを育て、

こころを発展させていくために、どうしても必要な存在です。

 

 

「こころを、つくる③ ミラーリングされることに慣れていない」へ、つづく。

 

 

 

※1 参考文献:『メンタライゼーションでガイドする外傷的育ちの克服』(チェ・ヒョンイン著・星和書店出版) 

 

※2 参考文献:『メンタライジングの理論と臨床』(J.G.アレン他著・北大路書房)

「こころを、つくる」、なんて、すごいことですね。

どうやって、つくっていくのでしょう。

 

こころは、つくられながら、つくっていくもの。

育まれながら、育つもの、といってもいいかもしれません。

 

農作物を手塩に育て、つくっていく。

そのような感覚に近いかもしれません。

 

でも、確実に、こころが育っていく方法があります。

それは、『人の力によって、おもんぱかられることによって』

です。

 

これは、『過剰適応』傾向を、ゆるやかにする

要素のひとつと考えます。

 

人は、自分の気持ちを感じますが、感じられないこともあります。

はっきりと言葉にするのに、難しい。

でも、なにか、変だな、モヤモヤするな、とか。

逆に、何も感じない。感じてもいいはずなのに、感じない。

あるいは、まったく無意識的に

話題をそらせてしまうことは、ないですか。

 

それにはいろいろな理由があります。

 

1つは、心にフタをして、ある感情を、

積もらせて、ため込んでいるような場合。

 

この場合、フタをとって、押さえ込んだ感情を

解き放つことにより、生き生きとした感情が、戻ってきます。

 

心理学の言葉では、“抑圧”という仕組みです。

 

カタルシス(浄化)作用が生まれ、心につまった、

わだかまりのようなものを取り除く、大切な作業です。

 

 

今日、お伝えしたいのは、また、別の仕組みです。

 

『人の力によって、おもんぱかられることによって』

こころをつくっていく方法です。

 

『過剰適応』傾向を、ゆるやかにする要素のひとつです。

 

♯メンタライゼーションとは?

『過剰適応』傾向のある方にとって、こころの中に、

自分や他者の感情や行動の背景を、感知するセンサーのようなものが、機能しにくい時があります。


そのため、なにか、不都合なことや違和感を感じても、

そのときに、自分の気持ちが、わからなかったり、

何事もないかのように、違う話題へ移ったり、

頭が真っ白になったり、

話題によって、全く記憶していない、ということもあります。

 

本人は、覚えていないことも多く、

そのような機序が働いていることに

気づくことは、なかなか難しいのですが。

 

誰よりも、他者のことを優先しがちな『過剰適応』の方に

とっては、意外とも思えることかもしれません。

 

『過剰適応』傾向のある方にとって、物事にうまく

対処できないとか、なにか、自分の心の深い所と

関わってくる内容があがったときなど、

 

自分の気持ちで判断がつく以前に、

瞬時に、場をかえてしまうくらい、無意識的、反射的に

自分自身を、断ち切ってしまうことがあります。

 

意味はわからないが、笑顔をふるまってしまう、とか。

なんとなく、うなずいてしまうとか。

自分の気持ちは度外視して、こうしなければ、

この人が困るから、こうしよう、とか。

 

苦しくても、自分が、がんばればすむ、とか

(自分が忙しさに忙殺されても)。

 

逆に、黙り込んで、コミュニケーションを流してしまう、

こともあるかもしれません。

 

 

心理学の言葉で、「メンタライゼーション」という言葉があります。

 

これは、「自己・他者の行為を、心理状態(欲求・感情・信念)に基づいた意味のあるものとして理解すること」と定義されています。(参考文献)

 

「どうして、○○さんは、あんな行動をとったのだろう? 

 どういう気持ちからだったのだろう?」

「どうして、今日わたしは、こんなにイライラしているのだろう?」

など、日常的に行なわれている心の作業のことです。

 

でも、もしかしたら、この、日常的に心をふり返る、作業が

過剰適応の方は苦手かもしれません。

 

このメンタライズする力は、『過剰適応』傾向を、

ゆるやかなものにしていく重要な、こころのつくりかた、

の1つの要素として、取り上げていきたいと思います。

 

聞き慣れない言葉もあるかと思いますが、

どうぞ、読んでみて下さい。

 

「メンタライゼーション」、メンタライズする能力を育てる背景に、「ミラーリング」というこころを育てる仕組みがあります。

 

 

「こころを、つくる」② 「ミラーリング」へ、つづく。。。

 

 

 

参考文献:『メンタライゼーションでガイドする外傷的育ちの克服』(チェ・ヒョンイン著・星和書店出版) 

「過剰適応」の傾向をお持ちの方は、心理面接の場面でも、過剰に適応しようとすることがある、このことをご存じですか。

 もし、あなたが、カウンセリングを受けようと思ったとき、このことを知っている心理療法家を選ぶことは、とても大切です。

 なぜなら、知らず知らずのうちに、クライアントは、セラピストの満足をうながすような関係性、今までの周囲に配慮した、過剰に適応した関係性を、セラピストにも築こうと努力するかもしれないからです。

 これらの点に、留意できないセラピストは、「過剰適応」の方が抱える、複雑な感情に気づくことができないでしょう。

心理面接室 O.C.WORK では、クライアントの「過剰適応」傾向を、急いでやめさせようとはしません。何を言っているのだろう、と思われるかもしれませんね。

 もし、心理面接場面において、「過剰適応」をすべて否定し、「過剰適応」しない状態を目標に掲げるとしたら、クライアントの方は、自分が「過剰適応」しているのではないか、それをしている自分はダメではないか、と自分を責めるかもしれません。そして、「過剰適応」しないようにするための努力に、再び「過剰適応」する可能性があるのです。

​​

 「過剰適応」は、ひとつの防衛策であり、小さな子どもだったあなたが、与えられた環境のなかで育ち、生きのびるために、必要な「守り・工夫」であったかもしれない、と述べました。まわりのことをうかがったり、まわりの気持ちを優先することで、自分の存在を、守ってきたかもしれないのです。

 そして、あなたは、他者と自分について分かち合うことが、苦手かもしれませんね。家族や誰かに話したり相談しても、あなたにとって、今まで、あまり良い結果が導かれなかった可能性もあるでしょう。恥ずかしい、嫌な体験、という記憶もあるかもしれません。だからこそ、今まで、自分ひとりで問題を抱え、一人で判断し、いろいろなことを決めてきたのかもしれません。誰にも邪魔をさせないように。でも、得てしてそれは、高いハードルを設定しがちで、息も絶え絶え、もう無理…ということを、繰り返していませんか。

 

 もしかすると、あなたは、子どもの頃の延長で、無自覚に、反射的に、「過剰適応」を行っている可能性もあります。その「守り・工夫」は、大人になった今のあなたには、小さくなった洋服のように、窮屈で、違和感を感じる、なにかおかしいと感じる、やり方になっているかもしれません。

 

♯穏やかに形つくられてゆく、あなた

<選択は、過剰適応するか、しないか、の二者択一ではありません。>

​​

 急激に、なにかを正そう、改めようとするのではなく、心理面接に通いながら、「過剰適応」のサイクルや方法が、ゆるやかになっていくような、あまり気にならなくなっていくような方向を目指したいと考えています。

 あなたが、あなたのままであっていい、いろいろな自分があっていい、わからないことがあってもいい、何かしていなくてもいい、…etc、安全な感覚を抱けるような、<あなたの所在>を、ゆっくりとつくっていくことが、「過剰適応」の緩和につながると考えています。

 「過剰適応」の傾向の方は、「本音が自分でもわからない」こともあります。

 心理面接で取り入れている、[描画療法]や[身体感覚のアプローチ]は、「過剰適応」の方が、他者に向けて表現しにくい、攻撃性やネガティブな感情などを、間接的に、遊びの感覚で、安全に扱えるため、有用です。

 また、今まで、使っていなかった感覚や無意識にアプローチするため、奥底に留まらせていた記憶や、置き去りになっているあなたへのつながり、心の柔軟さを導き、<新しい、自身の形成>に役立つと考えます。

 心理面接を通して行われる、言語的・非言語的なコミュニケーションの過程により、あなたの感性や、本来もっている、あなたの根幹、あるいは、奥底にある恐れのようなものと、しずかに、ゆっくり、対峙し、あなたという心の器の育みにつながることを目指しています。<信じられる自分>づくりの過程です。

 固く、こわばった心が、少しずつ、溶け、柔らかさを取り戻し、つながりを結びゆく過程に、<穏やかに形つくられてゆく、あなた>の存在があると考えます。

 長い文章を読んでいただき、ありがとうございました。「過剰適応」と心理面接について、今後も、さまざまな視点から、ブログなどで発信していきます。

 

心理面接室O.C.WORK

正倉院展(奈良国立博物館)へ、初めて行ってきました。

奈良時代から受け継がれた宝物の数々に、すっかり魅了されてしまいました。

 

ウミガメの甲羅に夜光貝の螺鈿、琥珀の装飾、象牙や木画を組み合わせた細工。

鳥や雲、草木の文様の美しさ、自然の世界の美しさが、表現されている。

 

技工は超絶なのですが、風情はおおらかな雰囲気を感じます。

その宝物が、時間と手間をかけ、脈々と受け継がれていることにも、心うたれます。

 

写真の「玳瑁螺鈿八角箱(たいまいらでんはっかくのはこ)」は、かつて、螺鈿の半分以上が剥がれ落ちていたそうです。それを、明治の職人たちが、新しくパーツを作りだし、古来のオリジナル作品にあうように、心血を注いで修復されたものなのだそうです。

 

新旧の技術が折り重なって、新たな息吹が吹き込まれ、その姿を伝えてくれる。人が、価値を受け継ぎ、かつての姿をおもんぱかりながら、技術を集結して修復し、新たな命をよみがえらせる。尊い存在を確かなものにする。

 

そうした過程に、心理面接(心理カウンセリング)と重なるものを感じます。

 

人のこころも、時に、バラバラになってしまいそうになることがあります。

バラバラになってしまうかもしれない、という恐怖を抱えながら生きていくことは、とてつもなく苦しいものです。

そのために、それを感じないように、心の機能を部分的に切り離し、

部分的に溝をつくりながら、割れた心の部分で、懸命に生きることもあるのです。

 

危機的な状況が過ぎた後、割れてしまった心を、あるいはバラバラになりそうな心を、もう一度、手間暇かけて、修復し、メンテナンスすることは、その後のあなたの人生と、あなたという尊い存在に、大きく関わってくるでしょう。

 

人の心を癒やし、割れてしまった心の部分を、心の修復の専門家と一緒に、ああかな、こうかなと探りながら、修復していく作業が、心には必要です。

小さな傷から大きな傷まで、心のケアは、大事なのです。

 

他者に、おもんぱかられ、映し返されることにより、自分への信頼感は築かれていきます。

オリジナルな存在を、修復し、維持していくこと。

手間暇かけて、心血を注いで、あなたを、再生しませんか。

あなたの、自分への信頼感を取り戻していきませんか。

 

芸術の修復と、心の再生には、共通する心が、あるように感じます。

あなたの心の片隅で、壊れたままになっている、宝石が眠っていませんか。

あなたのなかで放置されている宝石を、新しく輝かせませんか。

 

壊れて、あきらめていた心をよみがえらせ、一生使える名品を生み出すのは、あなた自身の第一歩からです。心理面接を一緒にはじめてみませんか。

 

心理面接室O.C.WORK