「こころを、つくる」、なんて、すごいことですね。
どうやって、つくっていくのでしょう。
こころは、つくられながら、つくっていくもの。
育まれながら、育つもの、といってもいいかもしれません。
農作物を手塩に育て、つくっていく。
そのような感覚に近いかもしれません。
でも、確実に、こころが育っていく方法があります。
それは、『人の力によって、おもんぱかられることによって』
です。
これは、『過剰適応』傾向を、ゆるやかにする
要素のひとつと考えます。
人は、自分の気持ちを感じますが、感じられないこともあります。
はっきりと言葉にするのに、難しい。
でも、なにか、変だな、モヤモヤするな、とか。
逆に、何も感じない。感じてもいいはずなのに、感じない。
あるいは、まったく無意識的に
話題をそらせてしまうことは、ないですか。
それにはいろいろな理由があります。
1つは、心にフタをして、ある感情を、
積もらせて、ため込んでいるような場合。
この場合、フタをとって、押さえ込んだ感情を
解き放つことにより、生き生きとした感情が、戻ってきます。
心理学の言葉では、“抑圧”という仕組みです。
カタルシス(浄化)作用が生まれ、心につまった、
わだかまりのようなものを取り除く、大切な作業です。
今日、お伝えしたいのは、また、別の仕組みです。
『人の力によって、おもんぱかられることによって』
こころをつくっていく方法です。
『過剰適応』傾向を、ゆるやかにする要素のひとつです。
♯メンタライゼーションとは?
『過剰適応』傾向のある方にとって、こころの中に、
自分や他者の感情や行動の背景を、感知するセンサーのようなものが、機能しにくい時があります。
そのため、なにか、不都合なことや違和感を感じても、
そのときに、自分の気持ちが、わからなかったり、
何事もないかのように、違う話題へ移ったり、
頭が真っ白になったり、
話題によって、全く記憶していない、ということもあります。
本人は、覚えていないことも多く、
そのような機序が働いていることに
気づくことは、なかなか難しいのですが。
誰よりも、他者のことを優先しがちな『過剰適応』の方に
とっては、意外とも思えることかもしれません。
『過剰適応』傾向のある方にとって、物事にうまく
対処できないとか、なにか、自分の心の深い所と
関わってくる内容があがったときなど、
自分の気持ちで判断がつく以前に、
瞬時に、場をかえてしまうくらい、無意識的、反射的に
自分自身を、断ち切ってしまうことがあります。
意味はわからないが、笑顔をふるまってしまう、とか。
なんとなく、うなずいてしまうとか。
自分の気持ちは度外視して、こうしなければ、
この人が困るから、こうしよう、とか。
苦しくても、自分が、がんばればすむ、とか
(自分が忙しさに忙殺されても)。
逆に、黙り込んで、コミュニケーションを流してしまう、
こともあるかもしれません。
心理学の言葉で、「メンタライゼーション」という言葉があります。
これは、「自己・他者の行為を、心理状態(欲求・感情・信念)に基づいた意味のあるものとして理解すること」と定義されています。(参考文献)
「どうして、○○さんは、あんな行動をとったのだろう?
どういう気持ちからだったのだろう?」
「どうして、今日わたしは、こんなにイライラしているのだろう?」
など、日常的に行なわれている心の作業のことです。
でも、もしかしたら、この、日常的に心をふり返る、作業が
過剰適応の方は苦手かもしれません。
このメンタライズする力は、『過剰適応』傾向を、
ゆるやかなものにしていく重要な、こころのつくりかた、
の1つの要素として、取り上げていきたいと思います。
聞き慣れない言葉もあるかと思いますが、
どうぞ、読んでみて下さい。
「メンタライゼーション」、メンタライズする能力を育てる背景に、「ミラーリング」というこころを育てる仕組みがあります。
「こころを、つくる」② 「ミラーリング」へ、つづく。。。
参考文献:『メンタライゼーションでガイドする外傷的育ちの克服』(チェ・ヒョンイン著・星和書店出版)