心理面接室O.C.WORK『過剰適応あるある。』ブログ -8ページ目

心理面接室O.C.WORK『過剰適応あるある。』ブログ

自分を押し殺し、周囲に合わせすぎて、苦しいあなた。『過剰適応』していませんか? 
『過剰適応』にまつわる困り感をわかちあい、
ゆるやかな緩和を目指すために、こころに役立つ情報を紹介するブログです。

♯「過剰適応」という「守り・工夫」をして、生きのびた、あなた​

 マイナスなイメージに捉えられがちですが、「過剰適応」は、ひとつの防衛策でもあります。小さな子どもだったあなたが、与えられた環境のなかで育ち、生きのびるために、必要な「守り・工夫」であったかもしれません。この点は、とても大切な、大事にあつかっていきたい点です。

 

 「過剰適応」傾向のある方は、自分に自信がなく、自分は無価値であるといった嫌悪感や、自己の存在とのつながりを希薄に感じているような場合もあります。「自分という所在がない」感じです。

 そのため、適当な加減がわからず、場に過剰に適応し、何らかの任務や暗黙のような役割をこなし、自己効力感や万能感を得ている場合もあります。それにより、むなしさや無力感、「所在のなさ」を、知らず知らず、補おうとしている可能性も考えられます。

 

 同時に、厳しい批判者や評価者を、自己の内面に、内在させ、場をコントロールしようとすることもあります。批判や評価を、自己だけでなく、他者に対しても持ち、内心では、他者に、なぜそうなのか? と厳しい視線や不満を抱いていることもあります。

 ただ、自己効力感や万能感は得られても、過剰な適応であれば、いずれは、できない…という無力感のサイクルへと陥る可能性もあります。

 また、そうしたがんばりは、本来の自分から発したものではないため、「がんばっても、むなしい」という気持ちが募ってくるかもしれません。

 親や世の理想を満たすことを優先して自己を形成したきた部分が強い場合、たとえ優秀で裕福な、いわゆる「勝ち組」であっても、認められるほど「むなしい気持ち」、になるのも同様の理由が考えられるでしょう。

 

♯「自信がない」は「自身がない」。自分を知るには、他者が必要です。

 

​ 「自信がない」という言葉は、心理面接の場面で、よくきかれる言葉です。「自分を信じる力」が「自信」です。「自信がない」は、言い換えると「自身がない」。「信じる“自分”がない」。ゆえに、「自分を信じることができない」とも、言えるかもしれません。

 今まで、「自分がどうしたいか。どう感じているか」を手がかりに、行動・選択することを、誰かに親身になって応援された経験が少ないとしたら、「“自分”がよくわからない」と感じても、無理はないことかもしれません。

なぜなら、<自分とは、自分一人で作りあげるものではない、からです>。

<自分を知るには、“あなた”という存在を、映し返すように、言葉を返し、“あなた”という存在を映し出す他者が、必ず必要です。>

<非言語的にも言語的にも、あなたの存在を肯定的に認め、あなたの心をおもんぱかる他者がいることにより、自分の気持ちを理解したり、要となるような自己の存在が、穏やかに形作られていきます。>

 

<心の成長に、これらの過程が必要です。>

 

 これらの過程が、心理面接室O.C.WORK の目指すところです。

 その過程が十分に体験されていないとき、自分ひとりで自分を見つめつづけ、落とし所のない思考の無限ループのような、グルグルと終わりなき世界に、苦しむことになりかねません。

 これが、「過剰適応」の方の、大きな苦しみのひとつではないでしょうか。

 

心理面接室O.C.WORK

 

「過剰適応」は、「過剰」と「適応」の組み合わせで成り立っている言葉です。

 

 辞書で調べると、「適応」は、『ある状況に合うこと。また、環境に合うように、行動のし方や考え方を変えること』を言います。「過剰」は、『適当な分量や程度を越えていること。多すぎること。また、そのさま』を意味します。(※大辞林より引用)

 

 つまり、「過剰適応」は、「ある状況や環境に合うように、行動の仕方や考え方を変えることが、適当な分量を超えていること」であり、「過剰な適応」や、「適応が過剰」な状況をさしています。

 

 「過剰適応」傾向のある方は、外界や他者にあわせすぎて無理をする、そのやり方が、「習慣的」に、「反射」のように、身についていて、心の柔軟性が欠いた状態になっていることがあります。

 

 自分らしさが失われても、なお適応しようと無理をして、他人に合わせすぎるため、外界でふるまっている自分と、心の内面に次第にズレが生じて苦しんだり、不満をためたり。自分はダメだと一方的に思い込むこともあります。

 

 あるいは、精神的に緊張の強い状態がつづいても、無理していると気づかず、慢性的な疲労感や、抑うつ感など、心身の不調を伴ってくるような場合もあります。

 場合によっては、人と会うこと自体を避けるようになり、職場や学校を変えることにつながることもあるでしょう。

 

♯「過剰適応」する理由・背景に考えられること

 なぜ、自分の気持ちをほとんど脇においてまで、環境にあわせようとするのでしょう。

 いろいろな理由・背景が考えられますが、気持ちの上では、できるだけ人との衝突を避けたい、なるべく場の空気を乱したくない、誰かが嫌な思いをしたり、誰かを傷つけるのではないか。そして、嫌われるのではないか、怒られるのではないか、といった恐れ、怯え、不安などを、慢性的に抱いているなどの理由が考えられます。それは、本人がその気持ちを、自覚している・いないに関わらずです。

 背景には、年齢の幼い子どもの頃、家庭や家族に、病気、事故、転居、出産、離婚、再婚、死など、大きな変化となるような出来事があったり、両親の不仲や暴力、依存症など、家庭になんらかの機能不全の状態があるなどして、親・きょうだいを助けるため、常に人の気持ちをくむよう配慮したり、家族を守る環境側となって、他者を支える立場にあることを、意識せずに選択してきた場合、自分よりも他者を優先する適応方法が、身についたとも考えられます。

 

​ また、親の強い理想に応えることを優先させてきた方にも、「過剰適応」の傾向がみられる場合があります。

 

過剰適応②へつづく

心理面接室O.C.WORK

 

♯ O.C.WORK の理念 ♯

社会や家庭において、より一層の活躍が期待される女性たち。

 

成人女性の心の健康は、社会や家庭の安定に、欠かせないものです。

 

未来を担う子どもの安心感と豊かな心の成育を助け、個人の存在を認め合う、優しさに満ちた柔軟な社会の発展に、とても大切なものです。

 

しかし、時代の求める女性像に応えようと、がんばりすぎ、本来の個性や能力が、十分発揮されない場合があります。

 

その生きにくさや困難さに、より実感をもって寄り添い、

理解を示すことができるのは、同姓である、

女性の年長セラピストではないかと考えます。                    

 

社会生活での不平等感や、家事・育児を両立させるプレッシャーなど、女性として生きる喜びや難しさを、女性セラピストに、理解・共感され、エンパワーメントされる時間と空間が、

社会を支える女性にとって、ますます必要ではないか。

 

そう考え、女性専用カウンセリング・ルームの運営を企画しました。

社会や家庭で、学び・働く女性が、背伸びしすぎない、本人らしい、

生き生きした人生を手に入れることのできる、

心理カウンセリングを目指します。

♯こんな方へ♯

社会や家庭で、学び・働く女性を、お待ちしています。

そのなかでも、「過剰適応」傾向をお持ちの方に特化した、

女性のための心理面接室を運営します。

 

「人や環境に合わせすぎて疲れてしまう」、

「自分の気持ちや行動がわからなくなってしまう」などの特徴をもち、

強い緊張感や不安感、オーバーワークや、

うつ・休職、ひきこもり、家庭内不和のなどの背景に、

「過剰適応」の心理的課題がある場合があります。 

 

「過剰適応」の問題は放置しておくと、心身ともにダメージをうけ、

安定的な勤労が保ちにくくなります。

 

個人が、無理せず、安定的に働くことができ、

生き生きと生きられるようになることを目指します。       

 

「過剰適応」傾向をお持ちの方は、『失敗する』、なんてこと、とても頭にない方が多いかもしれません。

 

何はともあれ、“失敗しないように”生きておられるのではないでしょうか。『失敗、なんて、絶対に、できない。』『失敗なんて、ありえない』…。

 

何かが、うまくいかない。うまい返答ができない、とか、段取がうまくいかないとか、場に何か不都合なことがおこるとか…。

 

決して、そうならないように、自分が想定できる範囲のあらゆることを、思い描き、それに対して、配慮と対策を重ねる。

他の人が気がつかないところまで配慮できる人。

 

先の先をよみ、用意周到。仕事のできる人。要として、頼られる人であるかもしれません。

 

でも、準備に完璧なものはありません。

 

調子が良いときは、準備も適当なところで切り上げられますが、細かいことが気になって仕方ないときほど、準備に準備を重ね、くたびれ果てることはありませんか?

 

それは、調子が悪いのかもしれません。とても疲れているのかもしれません。でも、自分では、それが、わかりにくい。

 

自分に対しても、<ダメ出しの嵐>で、<心は半べそ>。

<厳しい暴君>と、<何も言いかえせない囚人>のような関係が、心のなかで繰り広げられてしまう…。

 

『失敗してもいい』などと、ひとしずくほども、思えないあなた。

…苦しいですね…。誰にも、助けを求められません…。しんどいですね。。。

 

『失敗してもいい』なんて思ったこともない。

『失敗してもいい』と思えるようになる、などと、とても信じられない、かもしれません。

 

でも、『失敗してもいい』と思えると、本当に、楽になりますよ。

『失敗してもいい、幸せ』が、この世の中にはあるのです。

 

失敗を、奨励しているわけではありません。

失敗しないよう工夫することは、大切ですし、才能です。

ただ、失敗という出来事は、全く想定外とも言いきれない現実。

だからこそ、失敗も、想定内とする方向性をもってみるのは、どうでしょうか。

 

失敗することで、違いやズレが生まれ、新しいことが生まれます。

そこに、間が生まれます。違う局面が生まれます。違う風が吹くのです。

 

新しいことは苦手ですか。

 

失敗するのが、恥ずかしい。その空気に耐えられない。

無力な自分に耐えられない。誰かに批判されるかもしれない。

無能だと思われるかもしれない。

 

さまざまな嫌な気持ちが渦巻くだろうことにも、予測として、耐えられない…。

そう感じること自体、辛いかもしれません…。

だからこそ、がんばり続けてきたのかもしれません。

 

でも、それは、本当のことなのでしょうか? 

今のあなたは、本当にそうでしょうか?

自分の信念のようなもの、こう…だからこう、と思っていることを、少し疑ってみませんか?

 

…失敗したら、そこで、また考えて、リカバリーすればいいのです。

何度、やってもいいのです。

なかなか、そうは思えないかもしれません。とても、信じられないかもしれません。

 

でも、今すぐ、信じられなくてもいいのです。

本当なんですよ。失敗しても、いいんです。

 

小さな勇敢なチャレンジなのです。

失敗と思っていたことは、失敗ですらなくなっていく。

 

心が楽になります。自分を許し、許されます。

 

もし、この内容に興味を抱いておられる方、どうぞ、ご相談にいらしてください。

心より、お待ちしております。

 

自分が、誰かに支えられていることを、感じますか。

家族、親、パートナー、子ども、友人、ペット…

どんな方が、思いつきますか?

 

それとも、誰にも支えられていない、と感じるでしょうか。

支えられることを、どんな風に感じますか?

 

支えられることは、怖いことですか?

過剰適応の傾向をお持ちの方にとって、誰かに支えられることは、

誰かを支えるより、簡単なことではないかもしれません。

 

自分ひとりで、自分を支え続けていますか。

時々は、そうしたものを、解き放って、からだを解き放てる時間がもてるといいですね。

 

支えてもらうのは、なにも、人間でなくてもいいのです。

公園の樹木や、草花。空の上の、太陽や星や月や雲。

風や鳥の声、噴水のしぶきに、耳をすませてもいいのです。

 

いつものジムのプール、温泉やお風呂…、あなたの身体に水が触れていますね。

その感覚は好きですか? …嫌いですか? 庭木の土に触れたり、雨を感じたり。

いつもより、感じることに、時間をつかってください。

深呼吸してみましょう。空気の存在を、感じますか。

 

亡くなったご家族や、おじいさん、おばあさん、

遠くに住む、おばさんやおじさん、古い友人、

小さい頃の先生。小さい頃にやさしくしてもらった記憶。

 

もし、たった1人と感じても、あなたを支えている何かがあります。

 

あなたは、きっと、誰かを支えていることでしょう。

たとえ、あなたが、誰かを支えている、と気づかなくても。

 

そのことと同じように、

 

あなたが、気づいていなくても、知らなくても、

必ず、あなたを支え、見守っている存在があります。

目に見えない存在かもしれませんが、それは、本当です。