♯「過剰適応」という「守り・工夫」をして、生きのびた、あなた
マイナスなイメージに捉えられがちですが、「過剰適応」は、ひとつの防衛策でもあります。小さな子どもだったあなたが、与えられた環境のなかで育ち、生きのびるために、必要な「守り・工夫」であったかもしれません。この点は、とても大切な、大事にあつかっていきたい点です。
「過剰適応」傾向のある方は、自分に自信がなく、自分は無価値であるといった嫌悪感や、自己の存在とのつながりを希薄に感じているような場合もあります。「自分という所在がない」感じです。
そのため、適当な加減がわからず、場に過剰に適応し、何らかの任務や暗黙のような役割をこなし、自己効力感や万能感を得ている場合もあります。それにより、むなしさや無力感、「所在のなさ」を、知らず知らず、補おうとしている可能性も考えられます。
同時に、厳しい批判者や評価者を、自己の内面に、内在させ、場をコントロールしようとすることもあります。批判や評価を、自己だけでなく、他者に対しても持ち、内心では、他者に、なぜそうなのか? と厳しい視線や不満を抱いていることもあります。
ただ、自己効力感や万能感は得られても、過剰な適応であれば、いずれは、できない…という無力感のサイクルへと陥る可能性もあります。
また、そうしたがんばりは、本来の自分から発したものではないため、「がんばっても、むなしい」という気持ちが募ってくるかもしれません。
親や世の理想を満たすことを優先して自己を形成したきた部分が強い場合、たとえ優秀で裕福な、いわゆる「勝ち組」であっても、認められるほど「むなしい気持ち」、になるのも同様の理由が考えられるでしょう。
♯「自信がない」は「自身がない」。自分を知るには、他者が必要です。
「自信がない」という言葉は、心理面接の場面で、よくきかれる言葉です。「自分を信じる力」が「自信」です。「自信がない」は、言い換えると「自身がない」。「信じる“自分”がない」。ゆえに、「自分を信じることができない」とも、言えるかもしれません。
今まで、「自分がどうしたいか。どう感じているか」を手がかりに、行動・選択することを、誰かに親身になって応援された経験が少ないとしたら、「“自分”がよくわからない」と感じても、無理はないことかもしれません。
なぜなら、<自分とは、自分一人で作りあげるものではない、からです>。
<自分を知るには、“あなた”という存在を、映し返すように、言葉を返し、“あなた”という存在を映し出す他者が、必ず必要です。>
<非言語的にも言語的にも、あなたの存在を肯定的に認め、あなたの心をおもんぱかる他者がいることにより、自分の気持ちを理解したり、要となるような自己の存在が、穏やかに形作られていきます。>
<心の成長に、これらの過程が必要です。>
これらの過程が、心理面接室O.C.WORK の目指すところです。
その過程が十分に体験されていないとき、自分ひとりで自分を見つめつづけ、落とし所のない思考の無限ループのような、グルグルと終わりなき世界に、苦しむことになりかねません。
これが、「過剰適応」の方の、大きな苦しみのひとつではないでしょうか。
