MAD AS A MARCH HARE -2ページ目

自存自衛と大東亜の解放を掲げて戦われた日本の戦争は、アジアの諸国民や各国の識者からどのように受け止められているのだろうか-。

■イギリス
◎アーノルド・J・トインビー 歴史学者

「第2次大戦において、日本人は日本のためというよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために、偉大なる歴史を残したといわねばならない。その国々とは、日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれていた国々である。日本人が歴史上に残した業績の意義は、西洋人以外の人類の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去200年の間に考えられていたような、不敗の半神でないことを明らかに示した点にある。」
(1956年10月28日/英紙「オブザーバーL)

■アメリカ
◎ジョイス・C・レプラ コロラド大学歴史学部教授

「日本の敗戦、それはもちろん東南アジア全域の独立運動には決定的な意味をもっていた。いまや真の独立が確固とした可能性となると同時に、西洋の植民地支配の復活も、許してはならないもう一つの可能性として浮び上がってきたのである。民族主義者は、日本占領期間中に身につけた自信、軍事訓練、政治能力を総動員して、西洋の植民地支配復帰に対抗した。そして、日本による占領下で、民族主義、独立要求はもはや引き返せないところまで進んでしまったということをイギリス、オランダは戦後になって思い知ることになるのである。」    (「東南アジアの解放と日本の遺産」)

◎ジョージ・S・カナヘレ 政治学博士
「日本占領軍がインドネシア民族主義のために行った種々の仕事のなかで、最も重要なものの一つは、正規軍及び准軍事組織を創設して、それに訓練を与えたことである。…このような機会がなかったならば、戦後のインドネシア民族革命の経過は違ったものになっていたであろう。」    (「日本軍政とインドネシア独立」)

■オランダ
◎サンティン・アムステルダム市長 現内務大臣

「本当に悪いのは侵略して権力を振るっていた西欧人の方です。日本は敗戦したが、その東亜の解放は実現した。即ち日本軍は戦勝国の全てを東亜から追放して終わった。その結果、アジア諸民族は各々独立を達成した。日本の功績は偉大であり、血を流して闘ったあなた方こそ最高の功労者です。自分をさげすむことを止め、…その誇りを取り戻すべきであります。」
(1985年日本傷痍軍人会代表団がオランダを訪問した時行われた市長主催の親善パーティの歓迎挨拶)

■タ イ
◎ククリット・プラモード 元首相

「日本のおかげで、アジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジア諸国民が、アメリカやイギリスと対等に話ができるのは、一体だれのおかげであるのか。それは『身を殺して仁をなした』日本というお母さんがあったためである。12月8日は、われわれにこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して重大決意された日である。さらに8月15日は、われわれの大切なお母さんが、病の床に伏した日である。われわれはこの2つの日を忘れてはならない。」

■マレーシア
◎ラジャー・ダト・ノンチック 元上院議員

「私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声をあげました。敗れて逃げてゆく英軍を見たときに、今まで感じたことのない興奮を覚えました。しかも、マレーシアを占領した日本軍は、日本の植民地としないで、将来のそれぞれの国の独立と発展のために、それぞれの民族の国語を普及させ、青少年の教育をおこなってくれたのです。」

◎ガザリー・シャフィー 元外務大臣
「日本はどんな悪いことをしたと言うのか。大東亜戦争で、マレー半島を南下した時の日本軍は凄かった。わずか3カ月でシンガポールを陥落させ、我々にはとてもかなわないと思っていたイギリスを屈服させたのだ。私はまだ若かったが、あの時は神の軍隊がやってきたと思っていた。日本は敗れたが、英軍は再び取り返すことができず、マレーシアは独立したのだ。」

◎ザイナル・アビディーン 歴史学者
「日本軍政は、東南アジアの中で最も政治的意識が遅れていたマレー人に、その種を播き、成長を促進させ、マラヤにおける民族主義の台頭と発展に、大きな〝触媒″の役割を果たした」

■インドネシア
◎モハメッド・ナチール 元首相

「アジアの希望は植民地体制の粉砕でした。大東亜戦争は、私たちアジア人の戦争を日本が代表して敢行したものです。」

◎アラムシャ 元第三副首相
「我々インドネシア人はオランダの鉄鎖を断ち切って独立すべく、350年間に亘り、幾度か屍山血河の闘争を試みたが、オランダの投智なスパイ網と、強靭な武力と、苛酷な法律によって、圧倒され壊滅されてしまった。それを日本軍が到来するや、たちまちにしてオランダの鉄鎖を断ち切ってくれた。インドネシア人が歓喜雀躍し、感謝感激したのは当然である。」

◎サンバス 元復員軍人省長官
「特にインドネシアが感謝することは、戦争が終わってから日本軍人約1000人が帰国せず、インドネシア国軍とともにオランダと戦い、独立に貢献してくれたことである。日本の戦死者は国軍墓地に祀り、功績を讃えて殊勲章を贈っているが、それだけですむものではない。」


◎プン・トモ 元情報相
「日本軍が米・英・蘭・仏をわれわれの面前で徹底的に打ちのめしてくれた。われわれは白人の弱体と醜態ぶりをみて、アジア人全部が自信をもち、独立は近いと知った。一度持った自信は決して崩壊しない。…そもそも大東亜戦争はわれわれの戦争であり、われわれがやらねばならなかった。そして実はわれわれの力でやりたかった。」         (昭和32年の来日の際の発言)

■インド
◎ラグ・クリシュナン 大統領

「インドでは当時、イギリスの不沈戦艦を沈めるなどということは想像もできなかった。それを我々と同じ東洋人である日本が見事に撃沈した。驚きもしたが、この快挙によって東洋人でもやれるという気持ちが起きた。」      (昭和44年、日本経済新聞)

◎ハビプル・ラーマン 元インド国民軍大佐
「ビルマ、インドネシア、フィリピンなどの東アジア諸国の植民地支配は一掃され、次々と独立し得たのは、日本がはぐくんだ自由への炎によるものであることを特に記さなければならない。」

◎グラバイ・デサイ インド弁護士会々長
「インドは程なく独立する。その独立の契機を与えたのは日本である。インドの独立は日本のお蔭で30年早まった。これはインドだけではない。インドネシア、ベトナムをはじめ東南アジア諸民族すべて共通である。インド4億の国民は深くこれを銘記している。」
(1946年の軍事裁判に出廷した藤原岩市氏らに)

■スリランカ
◎l・R・ジャヤワルダナ 大統領

「往時、アジア諸民族の中で、日本のみが強力かつ自由であって、アジア諸民族は日本を守護者かつ友邦として、仰ぎ見た。…当時、アジア共栄のスローガンは、従属諸民族に強く訴えるものがあり、ビルマ、インド、インドネシアの指導者たちの中には、最愛の祖国が解放されることを希望して、日本に協力した者がいたのである。」 (1951年、サンフランシスコ対日講和会議演説)

■ミャンマー
◎バー・モウ 元首相

「歴史的に見るならば、日本ほどアジアを白人支配から離脱させることに貢献した国はない。しかしまたその解放を助けたり、あるいは多くの事柄に対して範を示してやったりした諸国民そのものから、日本ほど誤解を受けている国はない。」 「もし日本が武断的独断と自惚れを退け、開戦当時の初一念を忘れず、大東亜宣言の精神を一貫し、商機関や鈴木大佐らの解放の真心が軍人の間にもっと広がっていたら、いかなる軍事的敗北も、アジアの半分、否、過半数の人々からの信頼と感謝とを日本から奪い去ることはできなかったであろう。日本のために惜しむのである。」(「ビルマの夜明け」)

■シンガポール
◎ゴー・チョクトン 首相

「日本軍の占領は残虐なものであった。しかし日本軍の緒戦の勝利により、欧米のアジア支配は粉砕され、アジア人は、自分たちも欧米人に負けないという自信を持った。日本の敗戦後15年以内に、アジアの植民地は、すべて解放された」(「諸君!」平成5年7月号)

以下引用

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【帝国政府声明 午後 零時二十分發表】
恭(やうやし)く宣戦の大詔(たいしょう)を奉戴(ほうたい)し茲(ここ)に中外に宣明す、抑抑(そもそも)東亞の安定を確保し、世界平和に貢獻するは、帝國不動の國是にして、列国との友誼(ゆうぎ)を敦くして此の国是の完遂を図るには、帝國が以(もっ)て国交の要義と為す所なり。然るに、曩(さき)に中華民国は、我真意を解せず、徒に外を恃(たの)んで、帝國に挑戦し来たり、支那事変の発生を見るに至りたるが、御稜威(ごりょうい)の下り、皇軍の向かう所敵なく、既に支那は、重要地点悉く我手に帰し、同憂具眼の士国民政府を更新して帝國は之と善隣の誼を結び、友好列国の国民政府を承認するもの已に十一箇国の多きに及び、今や重慶政権は、奥地に残存して無益の抗戦を続くるに過ぎず、然れども米英両国は東亞を永久に隷属的地位に置かんと頑迷なる態度を新たむるを欲せず、百方支那事変の収結を妨碍(ぼうがい)し、更に蘭印を脅威し、帝國と泰国との親交を裂かむがため、策動至らざるなし、仍(じょう)ち帝國と之等南方諸邦との間に共栄の関係を增進せむとする自然的要求を阻害するに寧日(ねいじつ)なし、その状恰も帝國を敵視し帝國に対する計画的攻撃を実施しつつあるものの如く、遂に無道にも、経済断交の挙に出づるに至れり、凡そ交戦関係にあらざる国家間における経済断交は武力に依る挑戦に比すべき敵対行為いして、それ自體默過し得ざる所とす、然も両国は更に與国を誘引して帝國の四辺に武力を増強し、帝國の存立に重大なる脅威を加ふるに至れり
帝國政府は、太平洋の平和を維持し、以(もっ)て全人類に戦禍の波及するを防止せんことを願念し、叙上の如く帝國の存立と東亞の安定とに対する脅威の激甚なるものあるに拘わらず、隠忍自重八箇月の久しきに亙(わた)り、米国との間に外交交渉を重ね、米国とその背後にある英国並びに此等両国に付和する諸邦の反省を求め、帝國の生存と権威との許す限り、互譲の精神を以て事態の平和的解決に努め、盡し、為す可きを盡くしたり、然るに米国は、徒に架空の原則を弄して東亞の明々白々たる現実を認めず、との物的勢力を恃みて帝國の真の国力を悟らず、與国(よこく)とともに露はに武力の脅威を増大し、もって帝國を屈従し得べしとなす、かくて平和的手段により、米国ならびに與国に対する関係を調整し、相携へて太平洋の平和を維持せむとする希望を方途とは全く失われ、東亞の安定と帝國の存立とは方に危殆に瀕(ひん)せり、事茲にに至る、遂に米国及び英国に対し宣戦の大詔は渙発せられたり、聖旨を奉体して洵(まこと)に恐懼感激に堪えず、我等臣民一億鐵石の団結を以て蹶起勇躍し、国家の総力を挙げて征戦のの事に従ひ、以て東亞の禍根を永久に芟除し聖旨に応へ奉るべきの秋なり
惟に世界万邦をして各各その處を得しむるの大詔は、炳(へい)として日星の如く、帝國が日満華三国の提携に依り、共栄の実を挙げ、進んで東亞興隆の基礎を築かくとするの方針は、固より渝(わ)る所なく、又帝國と志向を同じうとする独伊両国と盟約して、世界平和の基調を劃し、新秩序の建設に邁進するの決意は、益々牢固たるものあり、而して、今次帝國が南方諸地域に対し、新たに行動を起すの已むを得ざるに至る、何等その住民に対し敵意を有するにあらず、只米英の暴政を排除して東亞を明朗本然の姿に復し、相携へて共栄の楽を頒たんと冀念するに外ならず、帝國は之等住民が、我が真意を諒解し、帝國と共に、東亞の新天地に新たなる発足を期すべきを信じて疑わざるものなり、今や皇国の隆替、東亞の興廃は此の一挙に懸れり、全国民は今次征戦の淵源と使命とに深く致し、苟も驕ることなく、また怠る事なく、克く竭し克く耐へ、我等祖先の遺風を顕彰し、難関を逢ふや必ず国家興隆の基を啓きし我等祖先の赫赫たる史跡を仰ぎ、雄渾深遠なる皇謨の翼賛に萬遺憾泣きを誓い、進んで征戦の目的を完遂し、以て聖慮を永遠に安んじ奉らむことを期じさるべからず。

 
 

安濃豊による読み下し文

【帝国政府声明 午後 零時二十分發表】

恭しくも陛下より米英に対する宣戦の大詔が発せられたので、大日本帝国政府は国の内外に対し次の政府声明を発表する。東亜の安定を確保し、世界平和に貢献するのは、大日本帝国の不動の国是であり、それを実現するため大日本帝国は列国との友好を最優先してきた。しかしながら、蒋介石国民党政府は、いたずらに外国勢力と徒党を組んで、我が国に敵対し、その結果、支那事変の発生を見た。しかしながら、蒋介石の反発にも拘わらず、陛下の御威光により、大日本帝国陸海軍の向かうところに敵は無く、支那の重要拠点は、ことごとく大日本帝国陸海軍の占拠するところとなり、大日本帝国と志しをおなじくする人々により、南京に国民政府が樹立され、その支那国民政府と大日本帝国は、現在友好関係にあるのみならず、11ヶ国もの諸国が支那国民政府を支那に於ける正当政府として承認している。そして、これに敵対する蒋介石の重慶政権は、支那の奥地で無駄な抵抗を続けるのみとなってしまった。
こうしてようやく支那に平和が戻ろうとしている情況が出来つつあるのに、米英両国は東亜を永久に隷属的地位に置こうとする頑迷な態度を改めていない。それどころか、米英両国は奸計を労して支那事変の終結を妨害し、オランダをそそのかし、フランスに脅威を与え、大日本帝国とタイ国との親交までも妨害してきた。その目的は、大日本帝国とこれら東亜の南方諸国との共存共栄の道を阻害することである。

こうした米英両国の動きは、大日本帝国を敵視し攻撃しようとするものであるが、今回
米英は「経済断交」と言う暴挙を行うに至った。
国家間において「経済断交」と言うのは、宣戦布告に匹敵する敵対行為であり、国家としてそれを黙認できるものではない。
しかも米英両国は、さらに他の国々を誘い込み、大日本帝国の周辺で武力を増強し、大日本帝国の自立に重大な脅威を与えている。

大日本帝国政府はこれまで、上に述べたよう米英が大日本帝国の存立と東亜諸国の安定とに対して重大な脅威を与えて来ているにもかかわらず、太平洋の平和を維持し、全人類に戦禍の波及することがないよう堪忍自重し、米国と外交交渉を重ね、背後にいる英国並びに米英両国に附和雷同する諸国に反省を求め、大日本帝国の生存と権威の許す限り、互譲の精神をもって事態の平和的解決に努めてきた。

しかし、米国はいたずらに空虚なる原則を弄び、東亜諸国の現実を認めず、大日本帝国の真の国力を悟ろうともせず、武力による脅威を増大させ、大日本帝国を屈服させようとしてきた。その結果、大日本帝国は、平和的解決手段を全て失う事となった。
東亜の安定と帝国の存立とは、今まさに危機に瀕している。それ故米国及び英国に対し宣戦の詔勅が発せられたのである。

詔勅を承り、まことに恐懼感激に堪えないものがある。

帝国臣民は、一億鉄石の団結で決起勇躍し、国家の総力を挙げて戦い、東亜の禍根(白人支配)を永久に排除、聖旨にこたえ奉るべき状況となった。
世界各国が各々その所を得るべしと言う詔勅は、日星の如く明らかである。
大日本帝国が日満華三国の提携によって共栄の実を挙げ、進んで東亜諸国の興隆の基礎を築こうととしてきた方針は、もとより変るものではない。
また大日本帝国は、志を同じくするドイツ、イタリア両国と盟約し、世界平和の基調を糾すべく新秩序の建設に邁進する決意をますます強固にしている。

今回帝国は東南アジア地域に武力進攻せざるを得なくなったが、それは決して東南アジア住民に対して敵意を持つからではない。ただ、米英から東南アジア住民に対し加えられてきた暴政を排除し、東南アジアを白人によって植民地化される前の、明白なる本来在るべき姿へ戻し、ともに協力して繁栄することを願うからである。大日本帝国は東南アジアの住民たちがこの戦争目的を了解し、東亜に新たなる政治経済体制の構築を目差し共に行動することを疑わない

今や大日本帝国と東亜の興廃は、この一挙にかかることとなった。全国民は、このたびの戦いの原因と使命に深く思いを馳せ、けっして驕ることなく、また怠ることなく、よく尽くし、よく耐え、それによって私たちの祖先の遺風を顕彰し、困難にあったら必ず国家興隆の基を築いた父祖の光栄ある歴史と業績と雄渾深遠なる陛下の統治を思い、万事にわたってソツがないようにすることを誓い、進んで戦争の目的を完遂し、陛下の御心を永遠に安んじ奉ることを期待する。

入試の思い出 ブログネタ:入試の思い出 参加中
本文はここから
こういうところで書ける入試の思い出といえばやっぱ中学受験かな。
中学受験の思い出は、合格体験記に「Never Never Never Give Up !!!」って題して作文を書いたこと。

きかんしゃトーマスの歌かよ。元をたどればチャーチルかよ。

とはいってもなかなかいい題名と思うんですけど、ほんとに逆転に次ぐ逆転だったんですよ。
(、、、ルーズベルトゲームかよ。)

麻布の合格の電話を受けたのが筑府の受験の直後で、あの時の驚きと喜びは今でも毎年よみがえってきます。

それからは順調で、広尾学園の医進サイエンスにほぼトップのA特待生合格したりまあいろいろありますけど!!!

最終的には麻布中学校に入れて、それでこうして生きてるわけですから、「麻布に入ってよかった」では言い切れない思いがあります。


ついに昨日、大阪から帰ってきました。
おばあちゃんたちがすき焼きやローストビーフや何やいっぱい用意してくれて、とても楽しかったです。
今年は受験勉強もしつつ、受験勉強や受験勉強に励みたいと思います。
抱負としては、10年連続になりますが早寝早起きでいきたいと思います。
それでは、本年もよろしくお願いします。
今日は少し、政治でひとつ、話題を紹介したいと思います。長文すみません。
まず、今ツイッターでちょっと話題のこの画像を見てください。
{079FDAC4-8BC6-4774-9843-B4343C99CF6E:01}

この文章の背景を少し説明しておくと、ジュンク堂書店難波店では、少し前に反「嫌韓」のようなテーマで棚を作ったという事件があったそうです。
その騒ぎがひと段落するかしないかのタイミングで、こうして声明のようなものを出したそうです。
画像がみにくいひとのために以下、かいつまんで説明します。

最近、書店に「中立ではない、偏っている」などの意見がたくさん寄せられるなど、中立こそ正義だという風潮がみられるが、そもそも中立というのは、相対する二つの論があった時の真ん中、つまり意見がないことをいう。双方の論を併記するのは中立ではない。書店は本と本、意見と意見の交戦の場、民主主義社会におけるひとつの場所だと考える。意見を表明するとき、クレームは当然覚悟すべきであり、それどころか真正面から向き合って対話をする機会だと捉えるべきだ。
出版や報道に関わるとき、その覚悟は不可欠だと思う。

あまりうまい要約ではないですが、要点は全て抽出したつもりです。

僕だったら中立とは、「永世中立国」という言い方があるように、「どの勢力にもくみしない」という意味だと定義します。無関心とももちろん区別します。
今回の書店だったら例えば、SEALDsに肩入れしない、みたいに、相対する二つの論があったら一方の論に肩入れしない、というのが書店における中立ではないでしょうか。その意味において、書店は中立を保つべきだと思います。
この方が仰る通り、「書店は場」なのですから、凝り固まった意見をもって恣意的な選書コーナーばかりを組むのではなく、相対する二つの論があるなら公平に双方の本を置いて戦わせることが、民主主義社会におけるひとつの場所として正しいことだと考えます。大手の本屋がひとつの主張をすること自体、言論弾圧とも捉えられかねないので、この店長にはそこに留意しておいて欲しいです。

しかし、最近、本来の中立とは違う意味での「中立」が使われていることも確かだと思います。この用法は、「私は中立だ」とか「彼は中立だ」みたいな文脈で使われています。
慎重にいうと、この場合の中立は「右翼」「左翼」のちょうど真ん中に位置する立場だと理解されていると思います。
どうして慎重に言ったかというと、個人的にはこの一般的理解は要素が足りないと思うからです。
例えば、保守にとって青山繁晴さんは偏ってないでしょう。
革新にとって池上彰さんはなんら偏ってないでしょう。
池上彰さんなんて、一部のひとから「うそだったのか」(注:そうだったのか!池上彰の最新ニュース)と揶揄されていることを知らない人もいるでしょう。
彼らは「青山繁晴は、池上彰は中立だ」と思っている、まさにこれが、あたらしい「中立」の意味なんです。
つまり言葉にすると、自分と、自分と意見を同じくする人が中立で、それを基準として右翼や左翼がその人の中で決まっていくのです。マスコミが護憲派に寄った報道をしたときに偏向報道だと叩かれるのは、まさにマスコミが「自分」と違う考えを報道したからです。そんなのは傲慢だと仰るかもしれません。しかし、人間たるもの、誰しもが少なからず傲慢なのです。個人的にゴーマニズムの小林よしのりは好きではありませんが、僕が彼に共感するのは、まさに「『自分が傲慢だ』と認めない傲慢さ」を指摘した点にあります。
もうひとつ例を挙げると、あるtogetterの記事で見たのですが、一部の左翼の方はフォロワーに
防衛省
法務省
総務省
首相官邸
防衛省
陸上自衛隊
首相官邸
安倍晋三
田母神俊雄
なでしこアクション
とかあったらもう「『ガチの』ネトウヨ」認定されるそうです。
もうこうなったら所謂レッテル貼りの世界ですからコメントすべきことはありません。レッテル貼りは差別の一形態です。

ただ、ひとつ言いたいことは、現代における「中立」とはなにか。それは、
①相対する複数の立場があったとき、そのどれにも肩入れしないこと
②右翼、左翼の軸上で、自分、また自分と思想信条を同じくする人々の立場
ということなのではないでしょうか。
久しぶりです。

もう僕は年末の大掃除やらなんやらを全て終えて、昨夜なんか、余裕でラジオなんて聞いてたんですが!

このブログをはじめてからもう約1年、受験までもうあと約1年ということで、最近はなかなか更新できなくてすみません、、、
まあそんなにたくさん読者がいるわけでもないんですけどね!

討論部はもう夏の終わりに、管弦楽部は今月の8日に無事引退しました。
4年半も、過ぎてみればはやいもんですね!

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ところで、この楽器は銀メッキ。写真のシートは楽器の上に置くことで、銀の黒ずみを防ぐ効果が期待されている。
銀はご存知の通りイオン化傾向が小さいので、よほど高温じゃないと酸化されない。でも硫化水素とは割と簡単に反応して黒色の硫化銀になってしまう。これがいわゆる黒ずみ。
実際は、皮脂などに含まれる硫化物や空気中にある亜硫酸ガス(SO2、二酸化硫黄)と銀が反応して黒ずみができると言われている。だから、よく肌に触れる銀食器はよく黒ずんでいる。
ちなみに亜硫酸ガスは普通、石炭を燃やしたら出てくる。
だから中国では今亜硫酸ガスによる大気汚染もすごいらしい。


以上ほとんど受け売りでした。
皆さんにとって2016年がすばらしい一年となりますように、良いお年を!

......ヒルナンデスのエンディングかよ!

喪中なので、あけおめ系は言えないんですが、本当に、良いお年をお迎えください。