帯ひろ志の漫画放浪記Powered by Ameba -125ページ目

秘密兵器

初めての連載を貰った時、僕のペンネームの上にある言葉が踊った。

月刊ジャンプの秘密兵器。

どうやら担当の吉倉さんが付けたらしい。
集英社の中を移動していて、他の編集部員にあったりすると
「彼、ウチの秘密兵器」と紹介してくれていた。

かなり期待してくれていたらしい。
が、しかし、初めての連載でガチガチに緊張した僕は、今は見返すのも嫌になるほど縮こまった漫画を描いてしまっていたのだ。
丁度その頃、担当さんが代わった。
入社したての新人編集さんを育てると言う名目で、僕の担当になったのだ。
しかし、僕もその時は暗中模索の連載の中、アドバイスがほしくてしょうがなかったのに、打ち合わせが中々かみ合わなくなってしまったのだ。

そりゃそうだ、お互い新人では漫画が迷子になるのも無理はない。
目出度く連載が終わる事に成った。
あっけない幕切れだった。
連載終了は、副編集長がやってきて僕に告げた。

傷が浅いうちに、早く終了し、次回作で頑張りなさい..............。
そんなお言葉だった。

新人担当さんは、すまなそうに僕をご飯に連れて行ってくれたっけ。
何か声を掛けてもらったと思うが、ボー然としていたのでハンバーグを食べた事しか覚えていない(^_^;

少しして、そう言えば「月刊ジャンプの秘密兵器」って呼ばれたっけなぁと思い出した。
あのまま本当に秘密にしておけば良かったと思われたんじゃ無いかと思うと、顔から火が出るほど恥ずかしかった。

出世はしない自由業

サラリーマンだと勤めているとそれなりに出世の機会もあるだろう。
出世したいかは本人に因るだろうけど。

漫画家って出世するのだろうか?
もちろん、世間の認知度によって出世を感じる事はある。
あと、原稿料がアップしたりするとね。

しかし、連載も永遠に続く訳でも無いので、当然終わりがやってくる。
僕の場合、恵まれていたのか連載が終了してもすぐに新連載の依頼があったりと、なんとか漫画でここまで喰ってこれた。
ありがたい事だ。

しかし、連載の合間がある時もある。
雑誌の漫画連載だけが漫画の仕事ではないので、色々なタイプの仕事も引き受ける。
もちろん、向うから勝手に仕事がやって来ると言うのはほとんど無いので、営業活動をする。
漫画雑誌への営業も、もちろん含まれる。

ここで感じるのが自由業の保証の無さだ。
失業保険も無いので、仕事を失う事は即、ご飯が食べられない事を意味する。

若い頃は、漫画家に憧れ、漫画家に成れれば幸せだと思っていたが、今や家族を養う身、夢じゃご飯は食べさせられない。
そう思うと、給料が頂けるサラリーマンに憧れたりもするのだ(苦笑)

今更サラリーマンが勤まるとは思わないので、このまま頑張るつもりだが、もう25年も漫画家やってるのに未だに持ち込みとかやって、キャリアを覗けば新人の頃と同じ事をやってる自分がいるのだ。
そして、出世はしてないなーと感じるのである(^_^;

昨年、昔描いていた出版社に挨拶に行った。
ものすごく久しぶりにそこで担当さんがついたからだ。
上司に紹介しますと言うので、編集部に向かった。

そこに居たのは、なんと昔の担当。
副編集長になっていた。

いやーっ、なんかすごく照れた。
その副編集長が僕の担当になった時、彼は大学を卒業したばかりで、まだほんとうに何にも知らないド新人だった。
僕も初めての連載をしているほぼ新人。
打ち合わせがかみ合わなくて困った事を思い出した(苦笑)

年は僕が3つ程上だけど、再開した時は貫録がついた彼に思わず嫉妬してしまいました。
こっちはまだ平漫画家のままだけど、せめて漫画が上達したことは見せたいと思う。

さて、まだまだ頑張ろう。

ネームの描き方

漫画家は、兎に角沢山のネームを描く。
もちろん、これからデビューしょうとしている新人さんも。

賞を取ったり持ち込みで担当さんが付いたりすると、そろそろネームで漫画の打ち合わせをするようになる。
いままで、勝手気ままに一人で描いていた時とは違い、プロの編集者を納得させなければ成らない。
実はこれが結構なプレッシャーになる。
新人の時は特にね(笑)

僕にも経験があるが、面白いものを描かなきゃと思えば思うほど、自分から湧き出るイメージに
納得出来ない。
そう、頭にあるうちはいいけど、紙に向かって鉛筆を走らせるともう、笑っちゃうほど違うのだ。
もちろん経験不足もあるし、出来たと思っていたイメージが実は中途半端だったって事も。
中には、イメージのギャップに苦しみ、漫画が描けなくなってしまう人もいる。

さて、納得行かなくてネームが進まないなんて事は、誰でもが経験しているが、プロは〆切りがあるので
進まないでは済まされない。
なんとしてでも原稿はきっちりあげるのだ。

たまに落としちゃう先生もいるけど(^_^;
ま、その話は今回関係ないので飛ばします(笑)

さて、ネームが詰まってしまい、先に進めないと言う方はよく読んで、出来れば実践してみて下さい。

作品を作り上げる時、一つのキモを作ります。
一番描きたいところね。

それを中心に、盛り上げるためのパーツを揃え、それを読者が道に迷わないように順序よく並べていきます。
ここまでが、プロットにあたります。
これを基にネームを起しますが、様々な演出にセリフをつけて展開する上で、ぴたりと来るイメージが出るとは限りません。
ここが、ネームの止まるポイントになります。

さて、どうするか?
答えは簡単、取り敢えずの答えを用意するのです。
ぴたりと嵌まらなくても、意味が通るようにまずは埋めてしまうのです。
ネームは決定稿ではありません。
納得行くまでまだ直す機会は幾らでもあるのです。
そして、取り敢えずの完成をさせてしまいます。

それを基に、担当編集者と打ち合わせをするので、こちらが悩んでいたアイデアも担当さんの助言で
解決出来る事も稀ではありません。
また、話し合う事に因って見えそうで見えなかった山も見えてくる事もあります。

 つまり、そんなに納得が行かなくても、ネームが取り敢えずでも完成していれば、それを基に
打ち合わせをして意見が貰えるのです。
そうすれば、早く直す事も出来、結果的にクオリティの高いネームが出来る事になります。

まだ担当さんが付いていないと言う人も、一通り出来上がったものを見直すと、どこをどう直したら良いか見えて来たりします。
最初から完璧を求めても、中々思い通りに描けるものではありませんから、まずは、取り敢えずでいいと言う「勇気」を持つこと、これが出来ればネームを描く時間は短縮されるでしょう。

間違った打ち合わせ

デビューして間も無い頃のお話です。

前にも書きましたが、ネームを沢山書くと言う誓いを立て頑張ったつもりでした。
頻繁に編集部に通い、担当さんにネームをチェックしてもらいます。

チェックを受けている時、どちらかと言うと僕は無口でした。
言うなれば、まな板の上の鯉。
描いて来たネームを担当さんが面白いと言うかどうか、真剣勝負のつもりでしたから。

そして、ここは、こうした方が面白いんじゃ無いの? とか、
この人物の行動が分からないなぁ............とか言われると、ああ、未熟がゆえに、また
没を喰らってしまったぁと、反省し、気に入って貰えるように直す事ばかりを目標にネームを
描いていました。
しかし、中々ネームは通らず、日々苦しんでいました。

そんなある日、いつものように編集部に打ち合わせに行った時の事です。

僕の前に丁度僕のデビュー作と同じ本でデビューした同期の漫画家さんが
打ち合わせをしていました。
同じ担当さんですから、当然彼の打ち合わせを待つことになります。
そうすると、隣の席に居ましたから、打ち合わせのやり取りが聞こえてきます。

僕は、ビックリしました。
兎に角彼は、僕と違い物凄くしゃべるのです。
担当さんが一言喋ると、その2倍3倍は言い返すのです。
いや、言い返すはちょっと違うかな、説明を念入りにするのです。
つまり、そこはそう言う意味でそうしているのではなく、ここがこうだから、
こう言う意図でわざとこうしているのです。
こんな具合に。

僕は、人事ながらなんで出来上がったネームの言い訳をするのだろうと、
凄く不思議でした。

しかし.......................

少しして、僕が間違っていた事に気がつきました。
ネームは完成品では無かったのです。
そう、つまりこれから育てる漫画のタネ。
編集側がどんな漫画を求めているのかを聞き、自分の中の描きたいものと照合して
よりベストな漫画が出来上がるように調整をする事が打ち合わせだったのです。

僕はそこのところを履き違えて打ち合わせに臨んでいたのです。
彼の打ち合わせを間近に見なければ、きっとそのことに気付くのにもっと時間がかかったでしょう。
素直に感謝です。

もがき苦しむ迷い道。

1982年1月、デビュー作が掲載された。

いままで思い描いていたイメージでは、ここから華々しく漫画家として活躍するつもりだった(笑)
しかし、現実は無情なものだった。
つまり、このデビュー作は人気がほとんど取れなかったのだ。

デビュー作が雑誌に掲載された事態はとても嬉しかったが、それだけで終わってしまっては何にも成らない。
目標は漫画でご飯を食べていく事なのだから。

アンケートの結果を受けて、早速次の読み切りネームを描き始めた。
しかし、ここからのネームチェックはデビュー前のチェックよりかなり厳しくなったと感じた。
スピートもかなり要求されたのだ。
もちろん、そんなに早く出来ませんと言えば、待ってくれる。
しかし、それではズルズルと引き伸ばしてしまうだろう。

そこで、僕は自分だけの一つのルールを作った。
仕事でネームを描けない時以外は、全てをネームに捧げようと。
別にカッコをつけている分けではない。
そうしないと、見捨てられそうで怖かったからだ。
だから当時は集英社に通いまくった。
月曜日に行ったら、次は金曜日までに次を持って行く。
ガンガン持って行ったが、ガンガン没が繰り返されました。

当時の仕事は、イラストにアシスタント、福武書店(今のベネッセ)での漫画などを
して喰っている時代でした。

しかし、あまりの没の多さで、 今まで面白いと思っていた自分の漫画表現や演出に全く自信が持てなくなってしまい、もはや半分ノイローゼの様に悩みまくりました。
そして、もう何回も漫画家で喰っていくなんて不可能だと言う考えに取りつかれ、それでも今まで費やした時間が何だったのか確かめたいだけの、志を失った状態のネーム描きが暫く続きました。

その時、なぜそんな抜け殻状態でネームを描き続けたか.................それは単純に納得していなかったからだと言えます。
同じような作業の連続ではありましたが、自分なりに少しづつ気がついた事を試してみたいと言う一点。
不完全燃焼のまま漫画を描くのを辞めてしまったらきっと後で後悔すると思ったからでした。

気がつくとデビューから2年が経っていました。
そんなとき、ホビーズジャンプに25ページほど空きがあるんだけど、2週間で原稿が描けるか?
と、言う話を貰いました。
もう、是非もありません。
すぐに了解して、ネームに取り掛かりました。
取り掛かると言っても、すでに連載に向けて500ページほどその作品についてはネームを描いていましたから、
尺を25ページに設定して描き直すだけです。
掲載が決定しているその25ページのネームは簡単にOKが出ました。
サクサクとペンを入れて完成、月刊少年ジャンプ増刊、ホビーズジャンプに掲載されました。

今度はアンケートで3位を取り、ようやく評価を得る事が出来ました。
翌年の1985年、この作品は帯ひろ志の初連載作品として月刊少年ジャンプに掲載されました。
しかし、まだまだトンネルは続くのでした。