帯ひろ志の漫画放浪記Powered by Ameba -123ページ目

テレビ出演

ゴエモンを描いている時、テレビ局から取材の申し込みがあった。
テレビ局は今何かと問題のNHKだった。
とは言っても、取材は番組制作会社。
お電話を頂き、事前にディレクターの方が打ち合わせに自宅まで来られました。
内容は、僕がメインではなく、僕のところに居た元アシスタント君の漫画道を追っていると言うもの。
つまり、漫画家志望者のA君が、夢を描き奮闘する姿を紹介する内容だったのだ。

それで、取材中に僕のところに居たと言う話が出て、その師匠筋の僕を取材に来たと言う訳だ。
ディレクターの方にも正直に話したが、A君はウチでそんなに長く修行した訳ではない。
実は使えなくてクビにしたのだ(^_^;

最初、知り合いから紹介された時は、絵のセンスも良く、素直そうなので磨けばモノになると思い、随分目をかけたと記憶している。
ちょっと気掛かりだったのは当時彼はまだ大学生だったのだ。

だから、授業があると言えば睡眠時間などを考慮し、こちらの作業に関係なく帰ってもらっていた。
もっとも、まだ満足に線の1本も引けなかったので、ウチにいる殆どの時間は練習あるのみだったけど。

雇いはじめて程なく期待は崩れ去った(^_^;
僕や他のアシさんがせっせと仕事をしている横で、大あくびを連発
練習は全く進まない。
注意すると返事だけはいい。

学校の話をすると、帰ったはいいが、面倒臭くて学校に行って居ないと言う。
びっくりした。
親御さんは大枚はたいて学校に通わせて居るのだろうに。
さらに聞くと、単位もほとんど取っていないと言う。
もう、すでに4年で卒業するのは不可能な単位の取得率だったのだ。

それを聞き、僕は彼をクビにすることに決めた。
ちゃんと学校に行けと。 
ウチにいても、ボーッとしてやる気は感じられず、本当に何をしに来ていたのか。

ディレクターさんから聞いたのは、ウチの練習の思い出を「なんでオレがこんなことしなきゃならないんだ」と言っていたと。
漫画家に成りたいんじゃ無いのかよ(^_^;

番組放送には「A君は怠け者」の下りは話しませんでした(^_^;
番組収録後、ディレクターさんから電話がありました。
お礼の言葉と、質問でした。

あの、A君、絵は上手いと思うんですが、プロに成れないのは何でですか?
プロに成れる人と、プロに成れない人の差は何でしょうと............。

正直、ハッキリした事は分りません。
ただ、どんな状態だろうと、楽しんで漫画を描きつづけられる事じゃ無いでしょうか。
簡単そうだけど、没が出ている時にも楽しんで描くと言うのは、結構大変なんですよ。

そんな風にお答えしたと記憶しています。


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在庫切れ。

久しぶりにAmazonでやわらか忍法の検索をしてみた。

あれ、第二巻が在庫切れになっている。
うーむ、本来なら売れているなーとか、うれしいなーとか言うところかも知れないけど、
実は喜べない。
なにしろ、発行部数が滅茶滅茶少なかったからね。
まさか講談社がその部数でコミックスを出すの?
と、聞き返したぐらい少ない部数だったのだ.................。

編集さんいわく、まだ少ない作家さんいらっしゃいますよ、との事。
コミックス全体の売り上げが落ちているとは言っても、なんだかなー。
ケジメのためだけに出しましたと言う感じがして、屈辱的。

連載が終わっているコミックスの増刷は現在考えられないので、売り切れたらお終い。
ミラクル・ランジェリーよりも入手困難になるのは間違いないなこりゃ(苦笑)

しかし、もう1回ボンボンでオリジナル漫画の描く気を起こすのは至難の業だ。

サスケ改造計画

がんばれゴエモンシリーズ連載中、大反響のあった企画があった。
それは、読者参加型の企画、「サスケ改造計画」でした。

企画は、そのタイトル通り、皆のアイデアでサスケを楽しくカッコよく面白く改造して
楽しもうと言うもの。
担当さんと軽い気持ちで募集を掛けたのだが、その反響にビックリ。
そのころ、一ヶ月に貰うファンレターの数は30~150通ぐらい。
物凄く多くて300通ぐらいだった。

それが、この改造計画期間中は1ヶ月に1000通を軽く超える応募が!
期間は3ヶ月間でしたが、トータル5千通近くのお手紙を頂きました。
その中から漫画の中に登場したアイデアは僅か3つ(^_^;
コミックスの収録時にアイデアの紹介も少しはしましたが、とても紹介しきれず、
申し訳ない気持ちで一杯でした。

それにしても、本当に目を通すだけで大変でした。
どの作品も子供達が一生懸命考えて送って来てくれたのですから、選ぶのも真剣です。
選定基準は、漫画として描いて面白くなるか.........その一点で選びました。

もし、ここを読んでおられる方の中に、当時応募したと言う方がいらっしゃいましたら、
そんな事情でしたので、載せられなくてご免なさいねー。

こんなに読者の皆さんからお便りを頂けるのは漫画家冥利に尽きると思いました。
これから先、またこんなに反響を貰うのは難しいでしょうが、おしろい漫画を描いて喜んで
貰えるように頑張ります。

これからも、帯ひろ志を宜しくお願い致しますねー!!

コミックボンボン1992年頃

漫画家デビューして10年経ったころだ。
漫画家としてもあぶらがノリ、身体にも脂がノリ始めたころでした(苦笑)

月刊少年チャンピオンの連載が終わり、新連載のプロレスモノを準備しているころ、コミックボンボン本誌からあるゲーム企画の漫画を描かないかと打診を受けた。
そのころは、デラックスボンボンで「バトルメンカー竜」を連載中で、いよいよ本誌に登場出来ると喜びました。
講談社に出向き、初めての打ち合わせが行われました。
ゲーム会社の方、読売広告社の担当と言う方、講談社の担当と編集長、そして僕が席に着きました。
実は僕はちょっと面を喰らっていました。
何故、たかが読み切り漫画の打ち合わせで、こんなにも大勢の人間が雁首を揃えているのだろうかと。

ちなみに、話の流れ場こうでした。
ゲーム会社のコナミさんは、ゲーム「がんばれゴエモン」発売5周年を記念して、是非ゴエモンを漫画化したいと読売広告社さんに相談したそうなんです。
そこで、読売広告社さんは、児童コミックならコロコロかボンボンのどちらかと言う話になり、結果、ボンボンに話を持ち込まれたのです。
信じられないかも知れませんが、当時のボンボンはコロコロと同じ程度の発行部数を誇っていたのです(^_^;

キャラクターデザイン表や設定資料、そして記念ゲームとなる「がんばれゴエモン・ゆき姫救出絵巻」のゲームカセットを頂いたと記憶しています。
実は、この打ち合わせが終わるまで、僕は連載になるとは全く聞いてなく、4月号から連載お願いしますしと言われ、ビックリしたのを覚えています。

チャンピオンのプロレス漫画が始まる前に、読み切りの1本と考えていたので、正直パニックになりました。
まあ、結果はプロレス漫画は読みきりを発表、連載はゴエモンを選び、予定とは逆の結果になってしまいました(^_^;
講談社の方が原稿料も良かったし(笑)

こうして漫画版「がんばれゴエモン」はスタートしました。
連載そうそうアンケートでも上位を頂き、担当さんも大喜び。
デラックスボンボンの「バトルメンカー竜」が終わった翌月からは「がんばれゴエモン・天下の財宝編」をスタートし、それぞれ一位の人気を頂くようになりました。

翌年の忘年会、コミックボンボンはついに念願の100万部を突破し、ライバル誌のコロコロを抜いたと報告されたと記憶しています。

講談社・コミックボンボン

秋田書店でミラクル・ランジェリーの連載がまだ続いている頃。
レコーディングで知りあった(笑)漫画家・佐藤元先生の紹介でコミックボンボンの編集部に行った。

漫画家なのに何故レコーディングと思われるだろう。
では、ちょっと解説します。

漫画家の友人で、あろひろし先生が当時月刊少年ジャンプで連載していた「優&魅衣」と言う作品の
イメージレコードが制作される事になったのです。(CDじゃ無いよ(笑))
そのレコードには合唱部分があり、一緒に歌ってくれないかと言うお誘いがあったのだ。
共通の友人として、レコーディングに参加し、僕は佐藤元先生と出会ったのです。

その佐藤先生が言うには、今度ボンボンで新しく本を出すと言う。
描き手を探しているみたいだからよかったら紹介してあげるよと言うありがたいお誘いだった。

もちろん喜んで伺った。
児童誌と言う初めての分野、どんな風に描けば読者に喜んで貰えるだろう。
何本かゲーム漫画のネームを描き、打ち合わせをした..............。

しかし、その雑誌「デラックスボンボン」で実際に連載になったのは「メンコ」漫画だった(笑)
切っ掛けは、子供の頃どんな遊びをしてましたか?
と問われたので、メンコとか、ビー玉とか...........年代が知れるな(笑)
そう答えたところ、数ヶ月後には「バトルメンカー竜」の連載がスタートしていました。

当初は3回で終わる予定でしたが、3話目には2色カラーを貰い、結果1年間の連載をさせて頂きました。
しかも、その連載の途中には、コミックボンボン本誌で僕の記念的作品となる「がんばれゴエモン」シリーズの
連載を開始。
デラックスボンボンのバトルメンカー竜が終了したその翌月には「がんばれゴエモン・天下の財宝編」の連載も開始。
その頃には長男も生まれ、ガンガンに忙しくも充実した時期を迎えたのでした。
つづく