コミックボンボン1992年頃 | 帯ひろ志の漫画放浪記Powered by Ameba

コミックボンボン1992年頃

漫画家デビューして10年経ったころだ。
漫画家としてもあぶらがノリ、身体にも脂がノリ始めたころでした(苦笑)

月刊少年チャンピオンの連載が終わり、新連載のプロレスモノを準備しているころ、コミックボンボン本誌からあるゲーム企画の漫画を描かないかと打診を受けた。
そのころは、デラックスボンボンで「バトルメンカー竜」を連載中で、いよいよ本誌に登場出来ると喜びました。
講談社に出向き、初めての打ち合わせが行われました。
ゲーム会社の方、読売広告社の担当と言う方、講談社の担当と編集長、そして僕が席に着きました。
実は僕はちょっと面を喰らっていました。
何故、たかが読み切り漫画の打ち合わせで、こんなにも大勢の人間が雁首を揃えているのだろうかと。

ちなみに、話の流れ場こうでした。
ゲーム会社のコナミさんは、ゲーム「がんばれゴエモン」発売5周年を記念して、是非ゴエモンを漫画化したいと読売広告社さんに相談したそうなんです。
そこで、読売広告社さんは、児童コミックならコロコロかボンボンのどちらかと言う話になり、結果、ボンボンに話を持ち込まれたのです。
信じられないかも知れませんが、当時のボンボンはコロコロと同じ程度の発行部数を誇っていたのです(^_^;

キャラクターデザイン表や設定資料、そして記念ゲームとなる「がんばれゴエモン・ゆき姫救出絵巻」のゲームカセットを頂いたと記憶しています。
実は、この打ち合わせが終わるまで、僕は連載になるとは全く聞いてなく、4月号から連載お願いしますしと言われ、ビックリしたのを覚えています。

チャンピオンのプロレス漫画が始まる前に、読み切りの1本と考えていたので、正直パニックになりました。
まあ、結果はプロレス漫画は読みきりを発表、連載はゴエモンを選び、予定とは逆の結果になってしまいました(^_^;
講談社の方が原稿料も良かったし(笑)

こうして漫画版「がんばれゴエモン」はスタートしました。
連載そうそうアンケートでも上位を頂き、担当さんも大喜び。
デラックスボンボンの「バトルメンカー竜」が終わった翌月からは「がんばれゴエモン・天下の財宝編」をスタートし、それぞれ一位の人気を頂くようになりました。

翌年の忘年会、コミックボンボンはついに念願の100万部を突破し、ライバル誌のコロコロを抜いたと報告されたと記憶しています。