帯ひろ志の漫画放浪記Powered by Ameba -127ページ目

持ち込み第2段

完成したギャグマンガの持ち込み先はどうしよう.............。
僕は決められぬままに神保町に着いた。

前回、けんもほろろに追い返された少年サンデーに持ち込むか..........。
小学館の電話ボックスの前でしばしうろうろ。
しかし、良く考えると小学館の隣は集英社、わざわざ追い返された小学館に持ち込むのも
なんだし、ここは集英社がいいかも!
と思い、まず本屋さんに直行、側にあった月刊少年ジャンプを買い、電話ボックスに駆け込んだ。
トルルルルル..............

「はい、月刊少年ジャンプです」

あの、漫画の持ち込みをしたいのですが.........。ドキドキ。

「いいですよー、何時来れるのかな?」

あの、今下の公衆電話にいるのですが..........。

「それじゃ、上がって来てくれるかな6階の編集部に居るから」

はい、宜しくお願いします。

ガチャ。

心臓ドキドキバクバク。
僕は集英社に入り、エレベーターに乗った。

今は受付で身元を書き、バッチをつけてから入るが、当時はまだ素通りできる状態だったのだ。

編集部に着き、「あの~、持ち込みで電話をしたものです」

あっ、こっちこっち
と、手招きをする優しそうな編集さんが待っていた。
その人は、今ではかなり偉くなられた、吉倉さんだった。

早速原稿を見せた。
パラパラと原稿を確かめると、「飲み物頼むけど、何がいい?」
と、聞かれビックリ。
まさか、飲み物を頼んでくれるなんて思ってもいなかったので、超恐縮。
「オ、オレンジジュースを」と言うのが精いっぱい。

作品についても色々とアドバイスを頂いた。
総合的には、ギャグとして成立はしていなかったと思われた様で、もっぱら絵の評価に終始。
でも、やはりアシスタントとして学んだ技術は評価され
「これだけかければ、あとは描くもの次第じゃ無いのかな」
と、上々の褒め言葉。
次はストーリーものを描いてみなさいと言われ、もうすっかりその気になってしまいました。
単純。
最後に名刺を頂き、「じゃ、描けたら僕のところに持って来てね」の言葉を貰い、
埼玉のアパートに帰るのでありました。
帰りの電車の中は、もう次回作の構想で頭はパンパン。
興奮で鼻血が出そうでした(笑)

そんな持ち込みから一週間もしないある日、出先からアパートに帰ると、部屋の入り口に
一通の電報が張り付いていた。

生まれて初めて貰う、電報..........誰からだろう。
明けてビックリ、

シキュウ ヘンシュウブニ レンラクサレタシ ヨシクラ

げげーっ。吉倉さんだ、何事だろう!!
当時貧乏だった僕は、電話も引いてなかったのだ。

慌てて近くの公衆電話に駆け込み、電話を入れた。
しかし、吉倉さんは外出中で編集部におらず、やむ了えず次の日電話することに。
確か次の日も捕まえる事が出来ず、ようやく電報を貰ってから三日後に連絡が
捕れたと記憶している。
で、用件を聞くと、アシスタントが出来る人を探していて、僕を思い出してくれたと言う。
もちろん、時間が経ってしまったので、その件はもう済んでしまたのだが、
とっさに思い出してくれたと言う事で、僕は益々やる気を出した。

次に原稿が完成したのは、2ヶ月後だった。
それも31ページのストーリー物で。
前回15ページで5ヶ月も掛かったのに、見てくれる人がいるだけでこんなにスピードアップ
出来るなんて、と自分に驚いた。

この作品は、漫画大賞に回され「選外佳作」となり、小さく紙面に掲載されることに。
つづく。

極貧生活

アシスタントを辞めた後、埼玉にアパートを借りた。
家賃は1万6千円。
かなりのオンボロアパートだったが、6帖あったし銭湯も近くにあった。
ひばりケ丘の駅から9分ぐらい。

仕事は、アニメの背景をフリーとして受ける事にした。
仕事をくれたのは、飛び出した背景スタジオだった。
仲間がいたので、遊びに行っていたのだが、人手が足りないから戻ってこいと
社長に言われたのだ。

しかし、またスタジオに入ってしまっては漫画が描けないのは目に見えている。
それで、フリーで良いならと仕事を請け負う事にしたのだ。

これが極貧生活の始まりだった。
仕事はサザエさんの背景を請け負った時だった。
通常サザエさんは一週分3本作られる。
そのうち一本を丸々やらないかと言われたのだ。
報酬は9万円。
それは嬉しい申し出だった。
その一本やれば、あとは漫画描きに集中できる。
まず、一本アップした。
社長が背景を引き取りに来た。
そこで、僕を地獄に突き落とす一言が放たれた。

やっぱり、報酬は5万円にしてくれ。

はっ?
鳩が豆鉄砲くらった様な顔をしていたと思う。

ブロロロロローッ
ボー然としている僕を残し、社長の乗った車は走り去りました。
そうだった、この社長は以前にも歩合が多くなりそうな時に、固定給を持ち出して
賃金カットした、ケチ臭い社長だったのだ。

今なら文句の一つも言うであろうが、やはり情けないかな、そのまま受け入れて仕事をする
事になってしまいました。
受取額は源泉を引かれて4万5千円。

家賃、電気代、水道代、風呂代、食事代、漫画の為の資料や画材...........。
とても足りなかった。
しかし、生活の質を追いかけるととても漫画が描けそうもない。
僕の選んだのは、食事の質を落とし、回数を減らす事だった。

一日一食。ほとんどインスタントラーメン。卵を落とした時はご馳走。
腹が減ったら水を飲む。
それでも給料日前は2~3日絶食せざるおえない状態に。
58キロあった体重はみるみる落ちて、49キロになってしまった。
50キロ切ると、もう風に煽られただけで、ふらふらと違うところに歩いていきそうである。

そんな状態の中、半年ほどかけて要約15ページのギャグ漫画が完成。
アシスタントで覚えた技術を投入して描いたので、部分的に変にリアルな
へんちくりんな作品だった。

初めてのアシスタント

アニメの背景を仕事にしている時は、兎に角一日中仕事で休みが無い。
とてもじゃ無いけど、漫画に割く時間が無かった。
おまけに給料は固定になっちゃったしね(苦笑)

アルバイトニュースを買い、なにか漫画を描けそうな仕事はないかと探した。
すると、そこには漫画家アシスタント募集の記事が!
「月給10万~」
おおっ、漫画の仕事が覚えられて、しかも給料が出るのかぁ!

僕は早速電話をした。
面接をしてもらえる事になり、その先生の仕事場にお邪魔した。
物凄く緊張する。
だって、漫画を仕事にしている、本物のプロ漫画家に会えるのだから。

かなり舞い上がっていたと思う。
色々言われたが、条件は住み込みで働くと言うことを呑めば、雇ってくれそうだった
ので、即決で返事をした。
「はい。お願いします」

早々にアニメスタジオを辞めた僕は、先生の仕事場に転がり込んだ。
もちろん、アパートも解約して。
いま思うと、計画性も何にも無い、滅茶苦茶な行動だった。

漫画の現場は予想を遥かに上回り大変だった。
アニメ時代は5~6時間は睡眠時間が取れたが、アシスタントは3~4時間ほどの
睡眠時間。
おまけにまだ原稿を手伝える技量が無いので、ほとんど一日中つけペンの練習に明け暮れる。
これが単調で、物凄く眠くなる。
時たま廻ってくるベタやトーン貼りが天国のように楽しい作業になった。
食事はもちろん、新入りの僕が先輩の分も作った。
ただ、先輩は一人しかいなかったが(笑)

ペンが慣れてくるようになると、背景のバンクを描かされるようになった。
描き方を教えてくれるのは、先輩で、先生は出来上がりを見て、採用か不採用を決めるだけだった。
ここでのアシスタント作業は物凄く大変だったが、漫画素人の僕を一人前に近づけてくれたと、
今でも感謝している。

ただ、当時の若い僕はこの住み込みの内弟子の生活が本当に息が詰まりそうで、反発してしまったのも
事実である。
お使いにちょびっと時間オーバーしてみたり、そのついでに買い食いしてみたり。
買い食いはもちろん、自分のお金でである。
食費はきっちり管理されていたので、余計な予算は無かったのだ。

お金について、ついでなので書くが、確かアルバイトニュースには「月給10万~」とあった筈が、
受け取ったのは「5千円」だった。
一ヶ月の報酬である。
先生の話だと、先輩ぐらい上手くなれば、10万円だと言う。

教えているんだから、授業料が欲しいぐらいだとも言われたが、素直だった僕は、ちぇ、と思いながら
その5千円を受け取った。
確かに寝るところ、食べることに関しては保証されているので、お金は必要なかった。
多分、今の常識で考えると、あり得ないとは思うが(^_^;

しかし、いつも先生の管理下にあると言う状況がどうにも我慢できず、僅か3ヶ月勤めただけで
初めてのアシスタント生活をやめてしまった。
本当にこのころの事を思い出すと、自分の未熟さが恥ずかしい。
ご迷惑掛けました、先生。

この先生が誰なのか、先生と約束したので名前は明かせません............。

世の中は甘くない。

専門学校を卒業したあと、僕はアニメの背景スタジオに就職した。

就職と言えば聞こえはいいが、給料は採用された背景分と言う出来高制。
当然、背景初心者の僕に、採用される背景なんて中々描けるものではない。
最初の初任給は、1万5千円と言うお小遣いにも足りないと言う額だった。
しかも手取りは税金で10%取られて1万3千5百円。

オマケに就職した僕は、スタジオに近い場所にアパートを借りて一人暮らしをはじめたばかりだった。
家賃は1万6千円。

うーん、家賃にも2千5百円足りない。

実は、高校生の頃、バイトで買った中古車を所有していたので、そいつを売って、生活資金に
充てていたのだ。

就職2ヶ月目、給料は3万2千円に上がった。
3ヶ月目、4万5千円。
4ヶ月目、ついに6万円を超えた。
そのころには、仕事にもなれ、この調子なら給料が10万円を確実に超える.........そんな期待が僕の胸を躍らせた。

ある日、スタジオの社長がこう切り出した。
「良く頑張った。もう、そろそろいいだろう。これからは固定給にしてあげるよ。」

素直に喜んだ。
仕事がハードな割りに、休みも無く、没になれば描いた背景はその場で破かれる。
入っても三日で逃げ出すヤツも居ると言うその現場で、頑張りが認められたのだ。
しかし、給料日に夢は打ち砕かれた。

7万5千円..............?

出来高制で描いていた時は、一枚5百円だったのに、7万5千円?
その頃には、すでに月産300枚程度は描けるようになっていたのだ。
単純に計算すると、15万円になるのでは無いか?

正直、腹が立った。
しかし、まだ社長にものを申すほどの勇気もなく、甘ちゃんだった僕は、悔しさを飲み込む事しか出来なかった。
しかし、この事がキッカケで、また漫画を描こうと言う気持ちが沸々と湧いてきたのであった。

持ち込みチャレンジ

初めての持ち込みは、専門学校卒業間近のある日。
作品は18ページのハチャメチャナンセンスギャグ漫画。
持ち込み先は.......................

少女コミックだった(笑)

事前に予約し、日にちも決まり、鼻息も荒かった(笑)
もちろん、少女漫画として描いた訳ではない。
これは、素人の完全な錯覚だったのだが、少女コミックに自分の描く様な
ハチャメチャなギャグ漫画が載っていない!
動機はそれだけだった。

つまり、その本に無い漫画を持っていけば、バッティングする漫画が無いから
採用率が高いのでは無いかと考えたのだ。
実際には、そんな漫画は要らないから載っていないだけなんだけど、
その時は、自分の作戦に「よし」なんて思っていた(^_^;はずかしい。

そして、もう一つやってはいけないミスをしでかしてしまっていたのである。

持ち込み日が決まった僕は、それを学校でしゃべったら、持ち込みに興味を持った友人が二人、
一緒に行きたいと言う。
一人で行くよりは心細くないと思い、二人の同行にOKを出した。

でも、これはダメ。
持ち込みはあくまで作品の売り込みで、ビジネスとして会社に行くのである。
関係のない人間を連れていって良い分けが無い。
編集者に特に注意された訳ではないが、後々営業で出版社を回る時、
あれはまずかったなぁと、思い出す。
もちろん、組んで描いたとかなら大丈夫だけどね。

さて、持ち込み当日、小学館に到着。
受付で担当編集さんを呼び出してもらった。

ロビーに通され、早速挨拶を交わす。
ドキドキワクワクの僕に、難しい顔の編集さん。

物凄く物腰柔らかに、「ウチではちょっと、こう言う作品は求めて無いんだよ」
言われて初めて浅はかさに気がついた。
顔から火が出る思いだった。

「少年漫画の方が向いていると思うから、サンデーに行ってみなさい」
と、わざわざサンデー編集部を紹介してくれたのだ。

お礼を言って、ぞろぞろとサンデー編集部へ向かう3人。
そこには、怒った顔のサンデー編集者が待っていた。

お願いします..............と、僕。

むすっとしたまま僕の原稿をチラッとは見たが、読みもしないでどんどんめくって行く編集さん。
「オレはな、男のくせに少女漫画に持っていく様なヤツは嫌いなんだよ」
そう言う事かーっと、思ったがもうどうしょうもない。

女の人がお茶を持ってきてくれたが、「いいっ、こいつらにお茶はいらん」
と、さらに現場の空気を凍りつかせる。
実は、ここから記憶が定かでない(^_^;
どうやって小学館を出てきたのであろう。
正直頭が真っ白になって、覚えていないのである。
取り敢えず、その怒った編集さんの名刺は手に持っていた。

こうして、僕の恐怖の初持ち込みは終わった。
きっと、同行した二人も、しまったと思ったに違いない。