
町田市の事件と「世間」2
*「個人」と「社会」
(『日本人の歴史意識』阿部謹也 岩波新書 から)
「明治10年にソサイェティーの訳語として『社会』という言葉が誕生し、
明治17年にはインディヴィデュアルの訳語として『個人』という言葉が
生まれた。」
つまりそれまで日本には個人という概念はなかったわけだからもちろん
個人はいなかった。もちろん「社会」もなかった。
(多分「社会」もどきは「世間」とか「世の中」であっただろうが、
「個々の人」はいても、「個人」とは認識しなかった、認識出来なかった、
またその必要がなかったわけだ。)
*ヨーロッパの12世紀、キリスト教の浸透により人々は、「贖罪規定
書」などに記された「罪」を「告白する」(『告解』)ことを強制された。
この「告解によって一人一人が自分の内面と向き合うことになった。」
(向き合わざるを得なかったわけだ。)
*「個人の成立とは、、内面の発見である。」この他人の前で「自己を語
るという行為こそ個人と人格の出発点にあった」
これまで人は「他の人間たちに基準を求め、また他者との絆を顕示する
事で(家族、忠誠、庇護などの関係)で自己の存在を確認してきた」まさ
に「世間」の中の個人・自己であったわけだ。
「個人の成立」は「世間」の中の自己の解体であり、「世間」の解体で
あった。(この過程が当然日本にはない。)
「ヨーロッパでは個人という言葉に対して社会や国家の側から抵抗が大
きく、この言葉と実態が大地に根を下ろすためには数百年の年月を必要と
した」
これに対して「日本で生まれた個人という言葉は『世間』という固い外皮
に覆われていたからヨーロッパのように国家や社会の側からの抵抗もなく」
「数十年で」「普及していった」
要するに「個人」という言葉はでき、そして「普及」したけれど、その
中身は数百年に渡る「抵抗」を跳ね除けて徐々に根付いたヨーロッパの
「個人」とは全く別物だということだ。
ヨーロッパの「個人」には当然その「人格の尊厳」「個人の権利」が
伴っているわけだが、「世間」の中の個人は、独立した「個人」ではない
からその尊厳や権利は曖昧模糊としたままである。
「世間」に埋没し、自己を独立した人格として捉える事が出来ないこの
町田市の男はまた、他の人間の人格、命の尊さ、尊厳も感得することすら
出来ないから、弱くて抵抗出来そうもないお婆さんを無惨に刺し殺してし
まう。まさに理不尽。
独立した「個人」が曖昧なままではその尊厳や権利も曖昧なものになる
のは至極当然のことだ。
また世間に埋没した個人はその権利を主張することもできない。これが
町田市の事件を起こした男に典型的にみられる。
私たちは日本の個人がヨーロッパの個人とは全く異なることを知り、こう
した事件を契機に「世間」(の中の個人)とは何かを解明し、自己が世間に
埋没していないかを自覚し、世間と訣別していかなくてはならない。
** 阿部謹也に学ぶ
「世間」の中に生きている人には三つの行動原理がある。
* 贈与・互酬の原則(お中元、お歳暮、何かもらったらお返しをしな
ければならない。企業献金と自民党議員からの便宜のお返しなど)と
*長幼の序(いうまでもなく先輩後輩、目上目下)、を守り、
*共通の時間意識(「先日はお世話様」「今後ともよろしく」ーこれは日本
人固有の表現である)に生きる。
「その上で『世間』は社会の現在の秩序を前提としているから現在の秩序
に従って暮らさなければならない。たとえばそれぞれの人の地位に相応しい
礼儀・作法を守って付き合う、、、協調的な姿勢を常に示し、、、できるだけ
大勢に従った意見を表明し、、、特に葬式などには必ず出席し、仕事には熱心
である、、、しかし仕事と宴席との別ははっきりとし、宴席では時に酩酊する
、、、自分については他言を控え、謙虚であるという評判を得、、、特別収入が
あったときには、、、お裾分けをし、、、人の悪口をいわず、人を褒める時には
言葉をおし(まず)、、、神仏に対しては敬虔な態度を維持し、、、しかしどの
ような宗教にせよ、熱中してはならない。どのような思想でもそこに自分を
賭けてはならない、、、時に自己を恃み、正しいと自分が考えることのために
大勢と異なった行動に出ようとする者がいるが、そのような人はその行動の
ために『世間』からはみ出ることを覚悟しなければならない。」
これが「世間」の中で生きるということであるが、まさに思い当たること
ばかりではないだろうか?私たちは育つにつれ自然と「世間」の中に生きて
きたのである。
そしてこの「世間」が人々を大勢に従わせる大きな力を持っているが故に、
「世間」の中の「個人」は社会や国家の側からは問題になる、脅威となる
ものではあり得なかったのだ。
まさにこれがヨーロッパの個人との決定的な違いである。
何処にもヨーロッパ的な「個人」はいない。
ノーベル賞が欲しいがために「8つの戦争を終わらせた」などと有る事
無い事吹きまくり、アピールし続けて止まないトランプのような人格は、
まさに「世間」の目からすれば「恥知らず」そのもの、唾棄すべきやからで
ある。そしてノーベル賞は当然ならなかった。
まさに「世間」の中の「個人」とは正反対の極に位置する。
(ともかくその強欲とハマス、イスラエルの双方の疲弊と思惑が一時的に
合致し、危うい停戦が実現したが、ガザ市民の人道状況が少しでも改善する
なら、これに越したことはない。
だが、人質解放が実現すればしたで、その後ネタニヤフが再び戦闘を開始
しないという保証は何処にもない。13日時点)
トランプは極端ではあるがこれがヨーロッパ的な個人の一つのありかたで
あるというなら、むしろ願い下げである。そんな「個人」にはなりたくは
ない。
キリスト教という背骨がなく神々が死んでいない日本にはヨーロッパ的な
個人は存在しえないし、追い求める必要もない。
問題はヨーロッパ的な個人とは全く異なる今の日本の個人のありさま
(「世間」の中の「個人」でしかない現実)を認識し、そのありさまの問題
点(時に町田市の事件のような男を生み出す)を暴き共有することによって、
自己を独立した人格として自覚し、「世間」の中の自己(自己の中の「世間」)
を解体して、新しい個人として自立する事に他ならないだろう。
町田市の事件と「世間」1
町田市の事件を「世間」論から見る
「誰でもいいから人を殺して人生を終わりにしたかった」などというとん
でもない理由で、しかも抵抗されそうもない人を物色した挙句お婆さんを
殺してしまったこの何とも言えない理不尽な事件、しかも似たような事件
「誰でもいい」と人を襲う事件、が最近の日本で頻発している様に思える。
いったい何故こんな無惨な事件が起きるのだろうか?
最近はあまり「世間」という言葉は聞かれなくなっているが、町田市で殺人
事件を起こしたこの男は、まさに「世間」から疎外され生きる場を無くしたと
感じ、絶望した男と捉えることが出来るのではないか。
「誰でもいいから人を殺して人生を終わりにしたかった」「人生に絶望感があふ
れてた」とかいうほど「絶望」した男があげたらしいことは「行政の窓口など
で自分だけ違う対応をされたと感じた(冷たく扱われた)。自分にだけ配送
物が届かなかった」とかいうひどく些細な事なので驚くしかない。
もちろんこれだけではなく、「自分だけが!まともな人間として扱われな
かった」とこの男が受け止める様な様々な出来事があり、仕事の上でも何か
躓くような事があったらしい。
ともかく「自分だけが疎外されている」かのように落ち込んでいる。こう
した些細な事態を「自分は『世間』の一員として認められていない」という
メッセージとして受け止めている、そして「絶望」しているようなのだ。
まさに男が自分を「疎外」していると感じているのが、自分の周り、自分
がそこに生きていると思っていた「世間」に違いないのである。
それは非常に狭い世界であるのが特徴だ。
しかもすでに40才にもなる男が起こした事件に両親がマスコミに引っ張り出さ
れて謝罪する(させられる)などというのも、男が個人として自立してないこと
を鮮明にしている。
またマスコミも事件を男「個人」のそれではなく「家族」にも責任があるかの
ように扱って何の違和感も感じてない。
また私たちももし当事者であったとしたら何らかの形で、被害者家族にお詫び
しないで済むとは思えない。もう「40才にもなる独立した男が起こした事件で
ある」と突き放せるかというとどうもそうはいきそうにない。
私たち自身がその後「世間」で生きていくためには多分そう(おわび)せざる
を得ないのだ。
そこには強い「世間」からの圧力があるばかりでなく、圧力があると感じるよ
うに私たちは「世間」に生きてきたのだ。
どう見ても日本では「世間」から独立した「個人」はいないかあるいは「はみ
出しもの」として生きるとなる。
それではこの様に私たちを縛っている「世間」とは何か?となると分かってい
るようで分からない。昭和歌謡には「貧しさに負けた、いえ世間に負けた、この
街を追われた、、、」などという歌があったくらいだが、言葉としては最近あまり
耳にしなくなっているのも事実。
表向きは日本も個人が社会を作っているような体裁を取っているからなのだが。
「西欧では社会というとき、個人が前提となる。個人は譲り渡すことのできな
い尊厳を持っているとされており、その個人が集まって社会をつくる、、、個人の
意思に基づいてその社会のあり方も決まるのであって、社会をつくりあげている
最終的な単位として個人があると理解されている。日本ではいまだ個人に尊厳
があるということは十分に認められているわけではない。しかも世間は個人の意
思によってつくられ、個人の意思でそのあり方も決まるとは考えられていない。
世間は所与とみなされているのである。」「何となく自分の位置がそこにあるもの
として生きている」のである。 (『「世間」とは何か?』 阿部謹也)
(続)
神話の墓場(ヨーロッパ)
神話の墓場ーヨーロッパ (古田武彦)
これも「日本中世史」の勉強と同じ頃(2010年)に書いたもので、この間
追求してきたテーマ(日本人の歴史、日本人とは何か)は同じですので、再録
します。細かな字句の修正、さらに補筆があります。
**
歴史特に古代史を解き明かしていく上で神話をどのように位置づけるかと
いうことはかなり重要です。
とりわけ日本の場合『古事記』『日本書紀』の神話が「皇国・神国日本」
「現人神・天皇」の戦争に国民を動員するための精神的な支柱として扱われて
きたがために、(いわゆる「皇国史観」)
戦後は一転して津田史学により、「日本神話は8世紀天皇家の史官による
造作」として切り捨てられ、歴史とは無縁のものとされ教科書などにも神話は
一切登場することはなく、省みられることもなくなった。
「産湯と一緒に赤子まで捨ててしまった」ということらしい。
しかしメルヘンは創作であっても、神話はその核に歴史的な事実や真実を
背景として持っている。
例え古事記、日本書紀が8世紀に記されたもので、それまでの「倭国」から
権力を簒奪した(7世紀)近畿大和王権が、「倭国」を歴史から抹殺し、永劫の
昔から「日本」が唯一の権力であると主張することを正当化するために、
「削偽定実」(天武天皇)されたものであるとしても、そのことを踏まえて、
その中から真実を読み解くことは可能だと古田武彦は主張する。
もちろんそのためにはこれまでとは全く違う視点が必要で、これまでの歴史
家はすべてそれに失敗してきた。
そこで、いわゆる「邪馬台国」論争に「『邪馬台国』はなかった」
( 『魏志倭人伝』には邪馬台国ではなく邪馬壱国と書かれていることから論議
を始めるべきだという、、、)
という衝撃的な本を皮切りに、日本古代史の解明に画期的な地平を切り開いた
のが、古田武彦である。
今でも日本史学会には受け入れられていないらしいのだが素直な目でその
著作を読めば、推理小説以上に面白いばかりでなく、古代史の闇は解明され
つつあると納得するはずである。
今や古田とともに古代史の解明に力を尽くす大勢の人がいるらしい。それ
でも史学会は受け入れない。それは古田の日本史学者たちへの批判の核心が
戦前はもちろん戦後の日本史学者たちも「近畿天皇家一元主義」から抜け出
せていない」という点にあるからのようだ。
何のかのといっても学者は学者でその「世間」から後ろ指さされるのが怖い
しおまんまの食い上げになることを恐れているからのようなのだ。学者の
「世間」も狭い。
今や古田の学説を知らないでは済まされないはずなのに。
(この点は網野善彦も同じだから情けない。)
CF
** 歴史と神話
その古田が歴史と神話という問題でヨーロッパ社会について触れていること
がある。(『古代通史』 原書房)
それは「ヨーロッパというのは神話の墓場」だということです。
キリスト教によって「神話が追い出され殺しつくされた」世界だということ
です。 (このように捉えた西欧史学者はこれまでいないと思う。)
「中世から近世にかけて人類史上でもっとも残虐なシーンの連続の一つで
ある魔女裁判」によって「何万人にも及ぶと思われる魔女が焼き殺されて
いった」という事実。
魔女とは多神教の世界でその宗教を支えた巫女たちで、彼女らがその世界の
リーダーだった。
「魔女裁判」というのは「多神教粛清裁判」に他ならない。
巫女たちが焼き殺されていったということは、巫女たちが語る「神話」も
放逐されたということを意味するわけで、だからヨーロッパには古代神話
がない。
そのなかでかろうじて生き延びた古代神話が『アイスランドサガ』である
が、ヨーロッパ大陸から追い出され亡命してきた人たちが伝え、12、3世紀
になって記録された。
日本で言うと平安、鎌倉の時代になる。「これは本来の神話の生き残り」と
いっていいが、日本の7、8世紀に記録された『古事記』・『日本書紀』に比較
すれば格段に新しい。
魔女裁判をどう評価するかはいろいろだが、「古代神話を研究するものに
とっては地団太を踏みたいような残念なこと」と古田は言う。
** ヨーロッパ近代社会の成立
中世ヨーロッパ社会の隅々にキリスト教が浸透していくこと(つまり魔女を、
多神教の神々を、迷信として放逐していくこと)によってしヨーロッパ近代
社会が成立ていくと評価する見方がほぼ多数な中で、古田の視点も前提として
考慮しておかなくてはならないことだと思う。
(神々を放逐してしまった西欧社会と神々が死んでない日本社会。)
このキリスト教の浸透によってヨーロッパ的な個人がそしてその個人が作
る社会が成立していくという分析をしているのが、阿部謹也です。
だからキリスト教という背骨を持ってなく、神々が死んでいない日本には
ヨーロッパ的な個人は存在しない。
また「近代的自我の確立」をつまりヨーロッパ的な個人を建前として追い求
める(明治以降の近代的知識人)のではなく、日本は日本の特徴を(日本人の
歴史を)掴むべきだというのが阿部の主張のようです。
「わが国における個人のあり方は、ヨーロッパにおける個人のあり方とは
根本的に異なっているのです。ヨーロッパの個人は欧米にのみ根を下ろし、
それ以外の地域において普遍性をもっているとは考えられません。
それなのにわが国では主として知識人の間で欧米型の個人のあり方が理想
とされ、わが国の個人のあり方は遅れているという暗黙の了解があるように
思われます。」(『西洋中世の男と女』 筑摩書房)
その日本的な特徴として日本人は個人である前に「世間」に生きているの
だというのがそれです。
これから「世間」について考えてみたい。
(了)