鬼川の日誌 -333ページ目

黒部川東沢

 黒部川東沢 伊奈.横山例会 09,8,20夜~24  10名

  私にとって今年の山行で最も記憶に残るのがこの黒部川東沢と
 剱岳北方稜線かな?東沢の激流は怖かったけどわくわくしましたね。
 今年はIさんやOzさんのおかげで沢山沢登りを楽しませてもらいました。
 
*  奥黒部ヒュッテまで

  前夜仮眠し、21日黒部ダムから奥黒部ヒュッテ(標高1500m)まで。
 雨模様の中合羽を着たり脱いだりしながらかなりの悪場を行きます。崖に
 つけられた桟橋や梯子を上り下りしますが、ざっくりえぐられた崖の桟橋を
 見るとよく取り付けたものだと思うほどすごいところを渡っていく。ヒュッテに
 着いた頃から一晩中雨がひどく降り続き明け方まで降っていた。
  
  * 渡渉を繰り返しテント場へ

  22日心配していたとおり、東沢は増水しかなりの激流で迫力満点。すぐに
 渡渉する以外進めないところに来ました。あまりの水量に皆ビビリまくり
 でしたが、 ここはまず最高の経験と力を持つOzさんがロープを付けビレイ
 して渡渉、突破口を切り開きました。
 ロープを張り、これに確保されながら渡りますがこれでも怖いと感じるきつい
 渡渉です。

  遡行は伊奈さんがルートを探しながら先頭に渡っていきます。伊奈さんは
 足が長いので平気でも、皆は一人では厳しいところがいくらでもあります。
 そこでスクラムを組むことにして渡って行きました。お互いのザックの肩紐を
 掴むのですがスクラムを組むと一人よりはずっと安定します。

  また渡渉の困難なところに差し掛かり、あちこち渡渉点を皆で探している
 うちに渡れそうなところを私が渡り、ロープを投げてもらいこれを張って皆を
 渡しました。渡る途中一度流されそうになりました。ビレイなしでは厳しかったです。

  さらにその後も何度もスクラムを組みながら渡り返し、またまた行き詰った
 ところで、上流に見える流木の丸木橋に私が壁をへつって乗り移りこれを渡って
 ロープを張りました。この壁のヘツリが危なかった。壁がとても脆く、危ない石を
 崩し掃除しながら乗り移ったのですが、最後足を丸木橋に伸ばすとき、右手に
 掴んだ石が崩れれば激流にドボンで相当流されたでしょう。

  ロープを張った後出来るだけ写真を撮ることにしました。これはとても
 いい記念になりました。 

  その後も危ないと感じたらスクラムを組みながら、深すぎるところは高巻きし
 岸をヘツリ進みました。この辺のルートファインディングは伊奈さんの独断場です。

  この日はいい天気になり、1937m付近二俣の手前の左岸の高台にテント
 を張り、キャンプファイアーしながら乾杯です。
 とても楽しいひと時でした。私は名にし負う黒部川の流れを男3人を先頭に
 皆で協力し、突破してここまでこれたということで満足感を味わっていました。
 久しぶりの高揚した感覚でした。おかげでつい飲みすぎてしまいましたが。
 夜は星空に流れ星を見ました。

  (奥黒部ヒュッテに上の廊下に行くグループがいましたが、彼らはウエット
 スーツを着用していました。用意からして私達とは段違いです。黒部の水は
 本当に冷たいですから、泳ぐのでは私達にはとても無理です。彼らに東沢でも
 下手をすれば黒部ダムまで流されるぞと威されましたね。)
 
   * 野口五郎小屋へ

  次の日テン場(1900m付近)から東沢乗越(2700mくらい)まではロープ
 を張るようなところはありませんでしたが、まだまだはるか遠いです。

  登っていくと雪渓も出てきます。最後の二俣からはとてもきつい登りになります。
 途中水涸れからは登山靴に履き替えました。

  急な沢を詰めていくと前方にハイマツの丘が出てきます。乗越から野口五郎
 へは左に行くので、ハイマツを左に回りこんだ先発組みはハイマツを藪漕ぎ
 する羽目になりました。
 乗越の少し右に出ますが、右に回りこめば薮漕ぎなしで登山道に出られます。
 登りの途中振り返ると立山から針の木、蓮華、遠く鹿島槍まで展望は最高でした。

  東沢乗越から野口五郎岳(2900mくらい)までもきついのぼりが続きます。
 ここはやたらと風が強く、テント装備で荷が重いので相当疲れました。
 この日の標高差は1000mです。

  烏帽子小屋にはとても届かず野口五郎小屋に泊まることになりました。
 この小屋に泊まるのは私は初めてです。日曜日の晩でしたがとても混雑して
 いました。そうは言っても他の山小屋から見ればゆったりかな? 

   * 高瀬ダムへ

  最後の日朝6時、小屋前の気温はマイナスでした。ガスも出て相当寒かった
 のですが、歩くうちにガスも取れいい天気になり、烏帽子小屋を経てブナ立て
 尾根の急坂を高瀬ダムまで昼前に下りつきました。

  4日目の行動でかなり疲れてはいましたが、前夜五郎小屋でゆっくり出来た
 ので皆順調に足を運びました。

  東沢は以前一度計画され私も参加する予定でした。以前の計画者のOzさん
 と私には長年の懸案で、これが実現でき満足しています。

 黒部川東沢

  

宮路山、大岱山、セイメイバン

大岱山(おおぬたやま) 09,12,8  6名 つくも会

  岱(ぬた)とは普段は使わない言葉で使わない漢字ですが、山に登って
 いると時々ヌタ場に出会います。

  この日は初滑りの計画でしたが雪が無く変更。前から気になっていた
 宮路(地)山、
大岱山、セイメイバンのコースを歩きました。
 のぼろ会でも何回か企画があったようです。

  中央線猿橋駅からバスで林沢戸入り口で下車。少し歩くと取り付きの
 薬師堂がある。今はお堂の裏手に道が出来ている。
 整備された立派な階段を上り、林に入り少しトラバース気味に登ると
 道は尾根に上がっていく。後はひたすら尾根通しの道です。
 
鬼川の山行日誌と独り言-薬師堂

 
  この日はとても暖かくいい天気で気持ちのいい陽だまりハイクになりました。
 とにかく初めから終わりまで落ち葉が凄かった。落ち葉のラッセルですがこの
 ラッセルはちょっと滑るけど疲れない。

鬼川の山行日誌と独り言


  715mピークは登らず過ぎてしばらくするとかなりの急坂になります。
 山神平までは急登に続く急登で結構大変でした。急なところは30度は
 あったかな?これくらいだと落ち葉も滑る。葉の落ちた木々の間から
 富士山が望めます。

鬼川の山行日誌と独り言


  宮路山は広い台地で気持ちのいいところです。宮路山からショウジ峠は
 すぐです。目の前の丘を越えていくとあちこちに窪地が見られこの辺が
 一大ヌタ場になっているのが分かります。多分ここが大岱山と言われる由縁の
 場所で、今は相当数を減らしているのでしょうが夜は動物が沢山来るの
 でしょう。やがて道が不明瞭になります。

鬼川の山行日誌と独り言-宮路山


  私達は大岱山からセイメイバンの尾根方向にコンパスを合わせ小さな
 尾根に乗って進みましたが、窪地沿いで来ても鉄塔にぶつかります。これが
 見えれば抜けられます。ガスっていなければ迷うことはないでしょう。
 ここがこのルートのポイントのようです。

鬼川の山行日誌と独り言

 


  鉄塔から目の前の尾根に登り少し右手に進めば大岱山です。9時少し前に
 登山口を出て12時過ぎ頃到着です。何の変哲もない小さな突起ですが、
 富士山のビューポイントです。富士山は凍りついて光っていました。
 山頂の一角に樹齢300年という白ブナの大木があります。
 これは見事なものです。

鬼川の山行日誌と独り言-富士山


  下りは一部痩せたところもありますが、冬枯れの裸木と落ち葉に包まれ気持ち
 のいい下降路でした。尾根沿いに送電線が走っており何本もの鉄塔に出会います。
 鉄塔の下は見晴らしがよくいい休憩場所です。

鬼川の山行日誌と独り言


  サクラ沢峠から金山地区に下り車道を進めば遅能戸のバス停です。

 でっち上げニュース

    真相は?

  12月3日朝日の夕刊に「『遺体から脂肪』でっちあげ?」という小さな記事が
 載っていた。
 何日か前にペルーの国家警察が「多数の人を殺し遺体から脂肪を取り出して、
 1リットル当たり1万5千ドルで欧州の化粧品メーカーに売っていた犯罪グループ
 を逮捕したと発表した」という記事が載っていた。
 「被害者は60人以上に上る」という説明だった。

  こういった一種異様なニュースに接したとき人はどのような反応をするの
 だろうか?私は「ナチスが殺したユダヤの人々の脂肪から作った石鹸」を思い
 出し「こんなことが今でもありうるの?」とチラッと思っただけで終わっていた。

  このニュースは現地では「悪魔が人々を殺して脂肪を取り外国人に売るという
 アンデス地方の伝説と酷似していたため、市民を恐怖に陥れた」

  「だが医療関係者から人間の脂肪に商品価値はないと疑問視する声が出て
 いた」そうだ。

  脂肪を取り出して売るために大勢の人を殺すという話だが、ちょうど今の日本
 では美容のために脂肪を吸引する外科手術の失敗で人が亡くなったりして騒ぎ
 になっている。よく脂肪吸引美容の話は耳にする。これらからすると欧米、日本
 などでは人の脂肪を買い求めるどころの話ではないようだ。
 「1リットル、1万5千ドル」もすれば、超肥満人間(200とか300kg)の脂肪吸引
 手術ではおつりがくるかも?実際「商品価値」などないのだろう。
 
  『殺人部隊』!

  話の顛末は意外なもので「国家警察内に存在する『殺人部隊』が40人
 以上を不法殺害した疑いがあり、この疑惑をうやむやにするために猟奇的
 事件をでっちあげたのではないかとみられている。」と記事は締めくくられ
 ている。警察によるテロが人々の口に上り始めていたのだろう。
 こちらの方がはるかに現実的な恐怖だ。

  記事は責任者らしき「犯罪取り締まり局長が解任された」で終わっているから
 殺人部隊はその後どうなったのかとかは何も分からない。多分そのまま存続
 しているはずだ。だから真相解明には程遠い。

  今回はすぐに「でっちあげ」は訂正されたようだがしかし、猟奇的事件を
 でっちあげたり意図的に起こしたりして別の真相から目を逸らすという手口は
 何もペルーだけの話では無いような気がする。
 私もそうだが人は猟奇性に目を奪われて判断を停止することが多いからだ。

  私達は真相を追究する何の手立てもないけれども、こんなことがありうるの?
 と思ったときは少し冷静に事の成り行きを見守る必要があるようだ。