鬼川の日誌 -331ページ目

忘れられた尾根

三ツ峠東尾根  09,11,29  3名  つくも会


夕方からは雨の予報の中富士急東桂駅から三ツ峠東尾根を
開運山に登り三ツ峠駅に下る周回コースを歩いてきました。


駅から中央道を潜り、渓山荘の看板に従い道を下っていくと
渓山荘手前の崖から大量の湧水。湧水を利用したワサビ田もある。
崖といっても道路の横の石垣で、石垣を組んだ後から湧き出した
ような感じです。多分年中涸れることもなさそうな量でした。
全体にこのあたりは水が豊富です。


約1時間の林道歩きで湯ノ沢峠
ここから送電鉄塔の巡視路をたどり登っていきます。二つ目の
鉄塔の手前から尾根に上がるのですが、この道に赤テープ
で目印がありました。(富士通、立ち入り禁止と印刷してある)


私達はあまりにもはっきり立ち入り禁止と印刷してあるので
この道は止め鉄塔の向こうから尾根に這い登ったのですが、
尾根にもあちこちにこのテープがあり目印だと分かりました。
(会社で阻止線を張るビニールテープを持ち出しこれを切って
使っている。すべて立ち入り禁止と印刷がある。紛らわしく
とんでもない。)


2万5千図に出ているのは市町村境界線で道ではない。
1102m峰に出る前の二つ目の鉄塔は境界線とはかなり外れています。
尾根に出てから大まかな道筋ははっきりしてきます。
しかし踏み跡は薄いしなかなかルートを見つけるのが難しい
所もある。


1312m峰を過ぎてから露岩の通過は足元の落ち葉が滑り結構
厳しい所もありました。周りはすっかりガスに覆われ冷え込んで
きたので、霧氷が見られました。歩き始めは暖かかったので
ちょっとびっくり。
とてもきれいで一足早いクリスマスの雰囲気です。


電波塔に出る尾根に登る所を、踏み跡を追ってトラバースし
道を失ってしまった。道がなくなる辺りで強引に尾根に上がった
ような踏み跡もあったのですが、無理は止めて結局元に戻った。
これがまあ一番無難。
尾根に出るまでの急登はきつかった。


開運山まで駅から4時間半近く結構長い尾根でした。
本当に静かな山歩きというか誰にも会わない忘れられた尾根でした。
天気も悪くガスも掛かっていたし。
そんなこんなで日帰りの山行にしては結構楽しめました。


開運山を降るときカモシカの子供にも会えました。

四季楽園から屏風岩に下り(この寒いのに岩に取り付いている人が
いましたね。)急坂を達磨石まで飛ばしました。
その後50分くらいの車道歩きは長く辛かったです。
とうとう雨に降られずに駅に到着出来ました。


行動時間約7時間。



数える、その2

  数の話


  私達少なくとも私はお金ならば1億円という単位は関係がない。
 生涯に稼ぐ金が数億円になるとかいう話もあるが、それなら
 私は何でお金がないのでしょう?

  そして脳みその方もこれ以上大きい数になるとてんで受け
 付けなくなる。
 だから高校時代習ったはずの「アボガドロ定数」6.02x10の23乗
 
という数を聞いても全く理解の外。(6.02x1兆の1000億倍)

  原子または分子がアボガドロ数個あると1モルといい、例えば
 酸素分子(O₂)なら32g、体積は(常温、常圧で)22.4リットルに
 なるのだそうだ。
 今温暖化で問題の二酸化炭素(CO₂)なら44g、体積はすべて同じ。

  石川五右衛門の「浜の真砂は尽きるとも・・」の言ではないが、
 この膨大な浜の真砂その世界中の砂粒の概算が1x10の23乗個
 という話がある。

  この辺になると「はあそうですか?」という以外言いようもない。
 しかしそんな計算をする人がいるわけだが、酸素32gの中には
 この数の6倍の分子があることになる!

   **

  なんともはや!な話だが昔の人も凄い。
 私はせいぜい、万、億、兆、京(10の16乗)の数詞を知っていた
 だけです。

  この進み方は万(10の4乗)毎。
 この後、垓(ガイ)、秭(シ)「ここでYヨタ 10の24乗となる」、・・・
 ずっと名前があって・・・不可思議、無量大数「10の68乗」まで
 あるのだそうだ。なんとも不可思議な数!

  大きい数ももちろんだが小さい方はいかにも仏教と関係がある
 ことが分かり面白い。
 つまりインド起源でお釈迦様と一緒に歩いてきたわけだ。

  (割から始めると分は100分の1だが)分を10分の1として
 厘、毛、糸(シ)、(コツ)、(ビ)、(セン)、(シャ)、
 塵(ジン)、(アイ)、(ビョウ)、(バク)
 ・・・と続き・・・

  刹那(セツナ)、六徳(リクトク)、虚空(コクウ)、
 清浄(セイジョウ)「10の-21乗 zゼプト」
 ・・涅槃寂静「10の-24乗、yヨクト」と数えるそうなのだ。
 これは10の-1乗毎。

  なるほど微小とは100万分の1と憶えたり。
 ちり、ほこりの塵埃が1ナノ(10の-9乗と0.1ナノ)辺りなのが
 面白い。

  渺漠とは1兆分の1の混ざり物もない空間なわけだ。
 刹那は10の-18乗ととんでもなく短い。(1兆分の1の
 100万分の1)刹那主義はいかんなあ。

  虚空、清浄となるとまさに空間の中に何もなくなるという
 感じですね。
 そしてついに仏様の悟りの境地へ。

  これは空でしょうか無でしょうか?
 いやまだまだこれから無限の深淵が始まるわけですが私の
 脳みそが壊れそうなので止めましょう。

  Cf 『あの無限、この無限、どの無限?』吉田正著 日経新聞社
   パソコンWikipedia。

西上州・立岩