数える、その2 | 鬼川の日誌

数える、その2

  数の話


  私達少なくとも私はお金ならば1億円という単位は関係がない。
 生涯に稼ぐ金が数億円になるとかいう話もあるが、それなら
 私は何でお金がないのでしょう?

  そして脳みその方もこれ以上大きい数になるとてんで受け
 付けなくなる。
 だから高校時代習ったはずの「アボガドロ定数」6.02x10の23乗
 
という数を聞いても全く理解の外。(6.02x1兆の1000億倍)

  原子または分子がアボガドロ数個あると1モルといい、例えば
 酸素分子(O₂)なら32g、体積は(常温、常圧で)22.4リットルに
 なるのだそうだ。
 今温暖化で問題の二酸化炭素(CO₂)なら44g、体積はすべて同じ。

  石川五右衛門の「浜の真砂は尽きるとも・・」の言ではないが、
 この膨大な浜の真砂その世界中の砂粒の概算が1x10の23乗個
 という話がある。

  この辺になると「はあそうですか?」という以外言いようもない。
 しかしそんな計算をする人がいるわけだが、酸素32gの中には
 この数の6倍の分子があることになる!

   **

  なんともはや!な話だが昔の人も凄い。
 私はせいぜい、万、億、兆、京(10の16乗)の数詞を知っていた
 だけです。

  この進み方は万(10の4乗)毎。
 この後、垓(ガイ)、秭(シ)「ここでYヨタ 10の24乗となる」、・・・
 ずっと名前があって・・・不可思議、無量大数「10の68乗」まで
 あるのだそうだ。なんとも不可思議な数!

  大きい数ももちろんだが小さい方はいかにも仏教と関係がある
 ことが分かり面白い。
 つまりインド起源でお釈迦様と一緒に歩いてきたわけだ。

  (割から始めると分は100分の1だが)分を10分の1として
 厘、毛、糸(シ)、(コツ)、(ビ)、(セン)、(シャ)、
 塵(ジン)、(アイ)、(ビョウ)、(バク)
 ・・・と続き・・・

  刹那(セツナ)、六徳(リクトク)、虚空(コクウ)、
 清浄(セイジョウ)「10の-21乗 zゼプト」
 ・・涅槃寂静「10の-24乗、yヨクト」と数えるそうなのだ。
 これは10の-1乗毎。

  なるほど微小とは100万分の1と憶えたり。
 ちり、ほこりの塵埃が1ナノ(10の-9乗と0.1ナノ)辺りなのが
 面白い。

  渺漠とは1兆分の1の混ざり物もない空間なわけだ。
 刹那は10の-18乗ととんでもなく短い。(1兆分の1の
 100万分の1)刹那主義はいかんなあ。

  虚空、清浄となるとまさに空間の中に何もなくなるという
 感じですね。
 そしてついに仏様の悟りの境地へ。

  これは空でしょうか無でしょうか?
 いやまだまだこれから無限の深淵が始まるわけですが私の
 脳みそが壊れそうなので止めましょう。

  Cf 『あの無限、この無限、どの無限?』吉田正著 日経新聞社
   パソコンWikipedia。