鬼川の日誌 -28ページ目

危機に立つ中国経済 2

  習近平独裁の完成

 

 

 

  これまでの中国共産党政権は政権の正当性、正統性を「経済成長で全て

 の国民を豊かにする」(鄧小平)という点においていたといえる。そして

 習近平も鄧路線を受け継ぐかに見えたが、地金は「共産党指導下の強国建

 設」で、集団指導体制の鄧路線との決別、毛沢東並みの権力集中による強

 権統治にあった。

 

  習近平は旧ソ連の崩壊を防ぐことが出来なかったのは「専制の道具(軍)

 が手中になかったから」と教訓化したと言われており、昨年には国防相や

 ロケット軍司令官を解任するなど、軍の粛清を進め、党による「絶対的指

 導」、軍権の完全な掌握を進めてきた。反汚職腐敗を掲げ、政敵を削ぎ落

 として党と自身への一層の権力集中を進めてきたが、これを完成させると

 いうことである。

 

  そして今回の全人代では「国務院(政府)組織改正法」で「共産党の指

 導堅持」が明記され、党政分離は形だけのものとなり、全人代の形骸化も

 明瞭となった。全人代は習近平に対する「忠誠心」の表明ごっこのような

 無惨な様相を呈した。そして恒例の全人代後の首相の記者会見すら開かれ

 ないことになった。(習近平以外の発信は意味を持たない。)

 

  習近平にとっては一番重要なのは経済建設ではなく、強い中国を作る、

 党(と国家)、体制の安全が第一ということになった。これを下支えする

 のが「中華民族の偉大な復興」を掲げた中華ナショナリズムだ。

 

 (中華ということでチベット族もウイグル族も一緒くたにされ、民族浄化

 的な弾圧を正当化する。)

 

  そうは言っても経済が低迷に追い込まれ、就職できない飯が食えないと

 なれば不満が鬱積する。今中国はまさに長期低迷の真っ只中。デフレと

 いっていい状況だ。

  「寝そべり族」「消費降級」「貧乏セット」「3元(60円)均一商品」

 などが拡散している状況がそれをよく表している。

 

  *

 

  習近平は一方で反腐敗や共同富裕の掛け声の下、官僚を追い落としたり、

 富裕層に強制的に寄付をさせるなどして庶民を慰撫する(「民衆は自分の

 懐は温まらないけどスカッとする」)。

  また「絶対的貧困は無くなった」と宣言して実情をごまかす。

 ー20年当時の李克強首相が「中国では6億人が月収千元(約2万円)前後の

 生活だ」と”爆弾発言”して習近平は慌てふためいた。その後李克強は冷や

 飯を食わされることになった。

 

  もちろんスカッとする気分やごまかしでは飯は食えないのだから不満は

 溜まる。これに対しては高度に発展した監視技術(Netでの管理、張り巡

 らされた監視カメラなど)や警察、情報機関(公安)の力を強化し押さえ

 込んでいるのである。

  中国は完全な監視社会、警察、公安に力づくで押さえ込まれた社会と

 なっている。

  これに物凄い人と金(国防費を超える)を注ぎ込んでいるのだから、

 これも当然経済の足を引っ張ることになる。

 

  社会不安を強引に抑え込んでしまい、表面上問題を見えなくしているの

 で党指導部などは深刻さを感じてないようだが不満は色々な形で鬱積して

 いる。

  チベットやウイグル族の弾圧など民族問題もある。

    

  *

 

  11日全人代が閉幕した。今年の経済成長率を「5%前後」に設定したが、

 成長目標を下げるわけにはいかないのでそうしただけである。他方国防費

 は前年比7、2%増と軍備強化は止まることを知らない。

  自ら厳しい目標と言うように多くの専門家は4%台に落ち込まざるを得

 ないと見ている。経済の低迷の脱出口はどこにも見えないし、「国家安全

 の優先」策は変えないのだから外資を一層萎縮させるだけである。

 

  今年からは恒例となっていた全人代後の首相の記者会見を取りやめるこ

 とがわざわざ発表された。序列No.2であった首相が内外に中国政府の政

 策の方向性を打ち出す場であった(党政分離)ものが、習1強となった今

 ではそれが何らの重みも意味も持たなくなったからということらしいので

 ある。

 

  習近平(党)がどういうか、どうするかだけが問題で、習(党)独裁が

 完成したと宣言したようなものだ。

  習近平は毛沢東独裁時代の異常さの轍を踏むのは間違いない。

 

 参照

 

 

危機に立つ中国経済 1

  ますます進む習近平独裁

 

 

 

  19日、香港でスパイ活動や国家への反逆防止を目的とする「国家安全

 条例」が可決された。20年に民主派を壊滅させた「香港国家安全維持法」

 の「足りない部分を補う」のだとか。「民主派」の影に怯えているとしか

 言いようがない。これは香港に進出する海外企業の活動も一層萎縮させる

 しかないことは明白なのに習近平には「国家安全?」しか頭にないようだ。

 

  *

 

  中国当局の発表で、23年の海外からの対中直接投資は前年比8割減の

 330億ドル(約5兆円)と30年ぶりの低水準だった。マイナスは2年連続で、

 ピーク(3441億ドル)の21年の10分の1以下に縮小した。2年後で10分の

 1は相当に深刻な事態である。

 

  これは中国経済の先行きに懸念が広がり外資企業が対中投資を急減させ

 たからである。今中国では経済の牽引役であった不動産不況が深刻に長引

 き、強引なゼロコロナ政策で経済はすっかり疲弊してしまい、景気低迷

 からの復活が進まず長期化、23年に5、2%とされた経済成長率は今後さら

 に低下が予想されている。

 

  *「ゼロコロナ政策」はどんなものであったか。

 

 

 

  そして外資が逃げ出したのは何も景気の先行きだけの問題ではない。

 明らかな外資企業に対する締め付けの強化がある。米中対立が長期化する

 中、昨年日本のアステラス製薬の社員がスパイ容疑で拘束された他、更に 

 反スパイ法が改悪強化された。

  (昨年3月拘束、10月逮捕、1年になる今月起訴するかどうかの審査を

 始めるのだとか。なんとも酷えもんだ。日本政府は早期解放を求めている

 が何の決め手もない。)

 

  反スパイ法などは全く恣意的で公安官僚どもの匙加減一つ、現地の社員

 がいつ引っ掛けられるかも分からないのだから、おちおち営業活動もでき

 たものではない。国家間の対立が深まれば取引や見せしめのためにスパイ

 をでっち上げる。

 

  現にスパイとされて拘束された日本人の場合などはどちらかといえば中

 国にむしろ親身になって取引をしてきた親中派といってもいいような人達

 だった。それだけ中国当局とも親密に関わってきた人たちと言っていい。

 (関わった場合の発言などが全て盗聴されていることは以前から知られて

 いることだ。)

  それを引っ掛けるのだからたまったものではない。

 

  またスパイとでっち上げられた日本人に対して日本政府が救出のための

 具体的な手を打てないでいるのだから本人も怒り心頭に発する。

 

  *

 

  先日スパイとされて6年間も中国の牢獄に繋がれ、ようやく解放された

 鈴木英司さんが憤懣やるかたないという感じでテレビ−5チャンネル−に

 出演していた。鈴木さんは40年前から日中青年交流協会理事長として活躍

 し、その後中国の大学で教壇に立ち、植林事業を続けてきたそうでまさに

 典型的な「友好人士」だった。鈴木さんにしてみれば北京官僚どもの手酷

 い裏切りで、スパイにでっち上げられるなどは何とも許し難く、悔しく

 ハラワタの煮えくりかえる6年間!だったろう。

 

  解放されてからも、外務省などからの何の接触もなかったそうでほった

 らかし。個人に責任をかぶせてしまっている。これは酷えし情けないも

 いいところ。どちらの権力者どもも一介の市民の生命、生活などは意に

 介さないということがよく分かる。

 

  (鈴木英司『中国拘束2279日』ー毎日新聞出版ーがあるそうだ。)

 

  さらに逃げ出しているのは外資だけではなく、中国の富裕層の金が何ら

 かの方法で米国、日本に投資されているばかりではなく、その富裕層自体

 が金を持って外国へ逃げ出している。メキシコからの不法移民に相当数の

 中国人(富裕層ではないか?)がいるといわれている。

 

 

  (続く)

    

 

死の「人称」による異質性

  死の「人称」とは

 

 

  22年の7月に山友のN・Tさんをガンで亡くした。入院する直前まで

 一緒にジムクライミングを楽しんでいた山友とはいえ、ガンで入院したと

 いうことも知らず経過を全く知らされてなかったものにとっては、会えな

 かった3ヶ月弱での旅立ちはあまりにも突然のことだった。

  家族にしてみれば連絡を取れるのは極親しい人だけだった。

  その後Tさんの遺骨は山に散骨された。23年5月に仲間達で散骨場所

 を尋ねて慰霊登山を行った。

 

  そしてまたこの7月の同じ日(ちょうど1年後)に山友のI・Eさんが沢

 での滑落事故で亡くなった。これはさらに本当に突然の衝撃だったし、

 巡り合わせの不思議にもひどい悲しみを覚えた。

  Eさんとは数多くの山スキーで一緒になり、沢登り、アルパインクライ

 ミングでザイルを繋いで登った仲間だった。残念でならない。Eさんの山

 登りは相当に幅広かった。それだけに仲間も多く葬儀には色々な山岳会、

 山スキークラブの大勢の友達が詰めかけた。

 

  *

 

  柳田邦男は「死の『人称』による異質性」という問題提起をしている。

  

  「死の『人称』とは、誰の死なのか、つまり『私の死』なのか、『(愛

 する)あなたの死」なのか、『彼(彼女)の死』なのかという属性の問題

 です。」

 

  「(1)『一人称の死』は、自分自身の死ですから、自分はどのように

 最後の日々を過ごし、どのような死の迎え方をしたいのかという、人生の

 締めくくり方の美学をしっかりと持つことが重要です。」

  つまり「がんや難病などの末期になったとき、病院、ホスピス、在宅の

 どこを選ぶのかとか、延命措置をどうするのかといった問題について、

 はっきりした『リビング・ウイル』を」家族に話し、文書にするなどが

 必要となる。

  「同時に、医師側も患者の『リビング・ウイル』を尊重するようになっ

 て欲しい」、90年代になってからは尊重する傾向が広まっている。

 (70〜80%になっている)

 

  「(2)『二人称の死』は親、連れ合い、子供、兄弟姉妹など、生活と

 人生を密接に共有し合った肉親の死です。時には、恋人の死、戦友の死も」

 その性格を持つ。

 

  「二人称の死」の特殊性ー二つの側面

  第一の側面

  それに直面する人は「愛する人の最後の日々を支え、その人生のより

 よき完成のための支援者となり、最後の看取りをする立場にある」という

 こと。「死にゆく人の『リビング・ウイル』を実現するために、医療者の

 協力を求めてできる限りの努力をしなければ」ならない。

 

  第二の側面

  「二人称の死」つまり「愛する人の死」「連れ合いや子供を喪った」

 体験をした人は「悲しみと心のなかにあいた空白を抱えて、どのように生

 きていくか、そのための『グリーフ、ワーク』に取り組まなければならな

 くなるということです。」

 (グリーフは深い悲しみを意味し、ワークはそれから立ち直ることを言っ

 てると思う。他からは立ち直りを助ける「グリーフ・ケア」となる。)

 

  「グリーフ、ワーク」は時間がかかる。「心の癒しのテンポ」は、本人

 の性格や人生観や生き方や周囲の人々の支え」などによるが、「もう一つ

 重要なのは、愛する人の死が納得できるものだったかどうかに大きく左右

 されるという点です。」

 

  死にゆく人が「せめてこれだけはやっておきたいと願ったことをなんと

 かやりとげ、苦痛のない穏やかな最後を迎えることができたとき」また

 「二人称」の立場の人が「やれるだけのことはやったと納得することが

 できたとき」には「グリーフ、ワーク」は比較的容易になるが、その反対

 の場合はかなり難しくなる。

 

  「事故や災害で愛する人を失った場合、『グリーフ、ワーク』が困難に

 なるのは、死があまりに不条理で納得できないからです。」

  (Eさんの事故の場合はご家族はとても納得できるものではなかったで

 しょう。そしてTさんの場合もがん宣告から旅立ちまでがあまりにも急な

 ものだったから、ご家族もきつかったことと思います。)

 

  「(3)『三人称の死』は、親戚の人や友人、知人からアカの他人まで、

 家族以外の人々の死です。」

  「『三人称の死』に対して、人はかなり冷静でいられ」る。「アフリカ

 で百万人が餓死しても」痛みは感じても「食事ができなくなったり不眠に

 なったり」はしない。全ての死に対して二人称の死と同じような衝撃を受

 けたりしていては生きていられないからです。冷淡とは違う自己防衛本能

 の働きだと言える。

 

  (二人称の死と同じようにイスラエルによるガザのパレスチナ人の虐殺

 を受け止めることができた「アーロン・ブッシュネル」は抗議の焼身自殺

 を遂げた。)

 

  能登半島地震などの被災者の支援ボランティアに駆けつけた人たちは、

 地震災害の死を単なる「三人称の死」以上のものとして受け止めている

 人たちなのだろう。

 

  医者や看護師にとっても患者の死は「三人称の死」ではあっても、患者

 の「生と死」に深く関わり合い、患者の人生を支える立場になるから、

 「二・五人称の死」というべきか。

 

  山友を失うということは(TさんとEさんの場合でも違うし)、仲間とし

 ての活動経歴によっても違うが、「二人称の死」や「戦友の死」とまでい

 えなくてもこれに限りなく近いかまたは「二・五人称の死」と感じた仲間

 が多いのではなかろうか。少なくとも単なる「三人称の死」ではない。

  とても残念でならないし、「死」を身近に引き寄せるものであった事は

 間違いない。 

 

  (『僕は9歳の時から死と向きあってきた』 柳田邦男)