最近触れることが多い内田樹氏が、早稲田大学大学院での指導教授によるハラスメント事件について書いています。
http://blog.tatsuru.com/2023/04/11_0901.html
内田氏は、師弟関係について、弟子となろうとする者が、自分がそれまで身につけ、自分を護ってきた価値観や倫理規範を脱ぎ捨て、無防備な状態となるからこそ、今はまだ理解を絶する学びを師から得ることができるとします。
その上で、今回の問題は、弟子が無防備になったことを利用して、人格的な支配-被支配の関係に巻き込もうとする人間が「教える側」に存在することにあるとします。
この記事からは、本件に対する内田氏の強い問題意識と憤りが感じられます。
これを見たとき、思い出したことがありました。
かなり前でしたが、テレビ番組で、芸人が某外食チェーンに体験入店し、料理を作って出せるよう修業するという企画が行われました。
芸人は、店長のほか、直接の教育係の指導を受けて修業していきます。この中で印象的だったのは、指導担当者は芸人よりかなり若い女性でしたが、日々罵声に近い強い口調で指導し、芸人がそれに慌てふためきながら対応している様子でした。
これを見て漠然と思ったのが、あえて指導担当者を若い女性に任せ、しかも、高圧的な指導をさせたのは、意図的に芸人に屈辱感を与え、自尊心を破壊することで、操りやすくしたのではないかということでした。
上記のとおり、内田氏は、早稲田大学大学院での事件について、弟子入りに際して自分を守るものを脱ぎ捨てて無防備になったことを利用して支配しようとしたと指摘します。
一方、芸人の体験入店では、激しい指導で、相手が自らを守っているものを破壊し、強制的に無防備な状態に追い込んだ上で効率的に支配しようとしたものといえるのではないでしょうか。
また、そのような強制的な無防備化と支配は、旧来の日本企業で幅広く行われていたように思います。
その時に、効率的な支配に邪魔な価値観等が破壊されますが、そこには人権、遵法意識、良識等、本来は社会で尊ばれるべきものが多くあったのではないでしょうか。
それらを破壊されることを「社会の厳しさ」や「現実を知ること」と正当化され、自分と他人の人権、法律、正義、倫理等を自らを尊ぶことのない支配・被支配の道具となった者が跳梁跋扈し、その結果として、今の日本社会の現状があるように思えてなりません。
(追伸)
あっという間に散ってしまいましたが、今年も桜が綺麗でしたね。






























































