不幸でいろ・・・それが幸せを忘れた社会で抱く願い | “迷い”と“願い”の街角で

“迷い”と“願い”の街角で

確固たる理想や深い信念があるわけではない。ひとかけらの“願い”をかなえるために、今出来ることを探して。

社会の中で、悩み、苦しみ、その声を上げることが、いつからここまで危険なことになったのでしょうか。
つらさを表明しただけで、見えないところから多数の石を投げられる、社会を毀損するだけの醜悪な暴走が止まりません。

https://bunshun.jp/articles/-/58604
虐待された子供が実家から逃げ、大学に進学しながら生活保護の受給をしたくても難しいという記事に対して、「自己責任」「努力が足りない」というような批判が多数寄せられたというもの
 
https://maga9.jp/221109-2/
れいわ新選組の水道橋博士参議院議員が、うつ病のため休職することになったことに対して、「職務が担えないなら辞職すべき」「休むなら給料を返上しろ」などという声が上げられているもの
 
https://toyokeizai.net/articles/-/631217
会社側に労働基準法の規定に基づき、労働時間を1分単位で計算することや手洗いなどの準備作業を労働時間とみなすことを求めた男性に、「5分単位で付けてくれるなら十分良心的」「権利を主張するのはいいが、この学生はバイト中、無駄話もいっさいしないのかな?」「権利ばかり主張する人は、義務を果たすことを要求されると反発する人が多いよね」などの批判が寄せられ、何万件もの「同意」が投じられたもの
 
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00118/00224/
「シングルマザーサポート団体全国協議会」が、ひとり親約2800人を対象に、生活必需品の物価高の影響に関するインターネット調査を実施したところ、お米などの主食を買えない経験があった人が半分以上いたことが分かったことに対して、「インターネット調査って。ネット使えるヤツが米買えないのか? 家計簿チェックしろ」「嘘つくな!」「米買わないで、他の高い物買ってんじゃね?」「米も買えない親に子育てする権利与えるなよ」「ひとり親世帯だけ給付金とか散々もらってるくせに、何言ってんだよ」「生活保護でも米くらい買える」「シングルマザー保護し過ぎ。米は嫌いだからパン買ってるってことだろう」との異論・反論・疑義が相次いだもの
 
https://withnews.jp/article/f0221123001qq000000000000000W0e010801qq000025273A
髪や肌の色が薄く生まれる、遺伝子疾患アルビノの当事者が、その実体験を発信したことに対して、「アルビノなのにブス」「デブ」「性格が悪そう」との声が寄せられたもの

どうして、このようなことになってしまったのでしょうか。
様々な原因が考えられるでしょうが、人がその個性と尊厳をもって自由に幸せを求めることに価値が認められてこなかったことが一員になっているように感じられます。

社会という共同体において、人がそれぞれに違った幸せを求め、それを応援するということが、人と社会の発展には重要です。
しかし、この社会では、長らく個性に基づく多様な幸せは認められず、誰かの都合で設定された枠組みに収まることが奨励されてきました。
これでは、心からの幸せは実現しようもありません。

誰でもない自分だけの幸せを実現できない場合、それを求めることさえ忘れた場合、人は何を求めるでしょう。
一時的な享楽に耽ることかもしれませんし、絶望し心を閉ざすことかもしれませんが、もう一つ、他人より不幸でないことに微かな心の安定を保つこともあるように思います。
幸せを忘れた社会では、「不幸でいろ!」との他者に対する醜悪な願いが幅を利かせるのは当然ともいえます。

様々な問題提起にかかわらず、不幸が不幸を呼ぶ蟻地獄は、次第に大きくなっているように感じます。
果たして打開策は、希望はあるのか、答えを出せないままの今があります。

(追伸)
先日また訪れた実家のある石神井公園。前に訪れた際の成熟の深緑から、優美な紅葉へと姿を変えていました。