自己責任という言葉、本当に嫌な言葉、というより、嫌な使い方をされる言葉です。
この言葉が最初に大々的に言われたのは、今から20年程前、イラクで武装集団の人質となった3人の日本人に対してでしょう。
政府が渡航禁止を求めている中で渡航した結果起きたことなのだから、自分で責任を負うべきというものでした。
そして、その内容は、救出費用を負担させるべきというものもあれば、見殺しにしろというものもありました。
その後、様々な場面で、この自己責任という言葉が使われるようになりました。
苦しんでいる人、困っている人に対して、本人の落ち度をあげつらい、助ける必要はないと突き放すだけではなく、さらに蹴落とす言葉として。
さらに、指摘される落ち度も、些細なものであることが少なくありません。また、小さいだけでなく、筋違いであることさえ、珍しくありません。
そして、そもそも、仮に、本人の落ち度が原因で苦しんでいる人がいるとして、落ち度がある以上助けるべきではないというのは正しいのでしょうか。
確かに、努力や成果にかかわらず報酬が一定であれば、働く意欲の低下と甘えの助長、つまりは人間の積極性を損ない、消極性を増大し、ひいては社会を衰退させていくでしょう。このことは、共産主義の崩壊を見ても明らかだと思います。
しかし、苦境にある人達を見捨てることが、逆に、人間の積極性を促すと、社会の活力を増すとは到底思えません。
一定の事柄を本人の自由と責任に委ねる自己責任は、活力ある社会を生み出す手段にすぎないのではないでしょうか。
目的を忘れた手段は、暴走し、時として、本来とは異なる邪な目的に利用されます。
本人の落ち度ともいえないような原因をひねり出して、攻撃手段として闇雲に振り回し、社会を瓦解させるのであれば、本末転倒、有害無益です。
また、本当に本人の自助が必要な場合でも、為すべきは自立を促すことであり、蔑んだり、蹴落としたりすることではありません。
今大きく広がった自己責任論は、人間らしいあり方を見失った社会で、短絡的な悪意に乗っかって暴走するだけのただの凶器に思えてなりません。






















































