名古屋城復元に際してのバリアフリー化に関する討論会で障害者に対する差別的発言が行われ、それを市側が制止しなかったことが問題視されています。
どのような差別的発言があったのかについて、報道では、具体的に触れていないもの、「ずうずうしい」という発言の後に蔑称が使われたとする程度のものが多かったですが、東海テレビが具体的に紹介していました。
https://www.fnn.jp/articles/-/542218?display=full
参加者の一人の発言「河村市長が作りたいと言っているのは、エレベーターも電気もない時代に作られたものを再構築するという話なんです。その時になんでバリアフリーの話が出るのかなっていうのが荒唐無稽で。どこまで図々しいのって話で、我慢せえよって話なんですよ。おまえが我慢せえよ」
別の参加者の発言「【差別用語】で生まれるかもしれないけど、健常者で生まれるかもしれん。それは平等なんですよ。どの税金でメンテナンス毎月するの?そうでしょ!そんなお金はもったいないと思うけどね。だからエレベーターは必要ない」
正直なところ、思っていたよりも、はるかに酷い内容でした。
当時の構造を可能な限り忠実に再現することには確かに価値があると思います。そして、それが故にバリアフリー化を制約することが必ずしも間違っているとは言い切れません。
一方で、現代において、完全な復元は難しいほか、いずれにしても遺構ではなく復元に過ぎないのであれば、バリアフリー化により1人でも多くの方に触れてもらうということも価値あることでしょう。
なお、この点については、「昔のままの名古屋城復元は「夢物語」 差別発言を擁護する人たちが理解していないこと」という記事が大変参考になりました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/c6f508bd9a8aa2197c29927069f9f283138a6140
どちらにも価値があり、そして完全には両立し得ないとき、可能な限りの両立を図るとともに、どうしても両立できないところへの理解や納得を目指し、知恵を出して調整する、それが人が共に生きる共同体である社会としてなすべきことだと思うのです。
そのためには、意見には賛成できなくても尊重はする、反対する人の事情、心情、人格に配慮する必要があります。そうでなければ、異なる意見を両立させ、また、理解や納得を広げる知恵など出るはずもありません。
今回問題となった発言、一人目の発言については、前半は飽くまで一つの意見として分からなくはないですが、特に後半、「荒唐無稽」「どこまで図々しいの」「我慢せえよ」「おまえが我慢せえよ」と侮辱的、攻撃的な言葉を連ねていきます。
さらに、二人目の発言に至っては、障害者への蔑称を口にした挙げ句、障害者のためにかけるお金がもったいないと、今回の議題を超えて、障害者福祉を全否定するような趣旨の内容になっています。
これでは、名古屋城復元に際してのバリアフリー化の議論を口実にして、単に障害者を差別、侮辱、攻撃したかっただけと捉えられても仕方ないでしょう。
また、バリアフリー化を「わがまま」と言い放ちますが、その意見も、裏を返せば「自分達は健常者でバリアフリー化は不要なのだから、その分、別なところにお金をかけろ。障害者のことなど知らない。」という趣旨にもなるわけであり、それは「わがまま」ではないのでしょうか。
お互いが自分の事情を持っている中、相手の事情は「わがまま」、自分の事情は「正論」と一方的に決めつけているだけではないのでしょうか。
また一つ、日本社会の歪みによる悲しい出来事が増えました。
