職業に貴賤なし、貴賤を併せ持つのが人間 | “迷い”と“願い”の街角で

“迷い”と“願い”の街角で

確固たる理想や深い信念があるわけではない。ひとかけらの“願い”をかなえるために、今出来ることを探して。

「職業に貴賤なし」という言葉があります。
あらゆる経済的、社会的活動で世の中が成り立ち、個々人が、直接また間接的にそれらに支えられ、生きているとするならば、上記の言葉には頷けるものがあります。

一方、「あらゆる職業は貴い」という考え方として捉えた場合、一面では理想的な真理ですが、捉え方次第では本質の見誤りにつながるようにも感じます。
というのも、「職業に貴賤なし」とすれば、「賤」もなければ、「貴」もないということになるように思うからです。

「職業に貴賤なし」という言葉に対しては、人を騙したり、傷つけたりするような仕事も貴いのか、それらは賤というべきではないかという反論もあるでしょう。
しかし、それは職業としての「賤」ではなく、携わる人間の心と行為の悪性として捉えるべきではないでしょうか。
そして、人間誰しも、善悪双方の性質を併せ持ち、善を為す可能性と悪に堕す危険性を有しているように思うのです。

光当たる場所や闇の深い場所、様々なところに人生の営みとしての職業があります。
それを貴賤で判断し、傲ったり蔑んだりすることが果たして正しいといえるでしょうか。
むしろ、それこそ賤と呼ぶべき行為にも思えます。

(追伸)
夏休みに家族で千葉旅行へ。
ひまわりの綺麗な東京ドイツ村や千葉ポートタワー等を回りました。